10.旅立ち
《安全圏》の呪文により、ようやく大休憩を取ったユウト。
しかし、それは地獄の始まりだった。
「完全に、俺をロックオンしていやがる……」
荷物を焼き払われ、携帯していた食料も残りわずか。
そこで狩りに出ようとしても、どこからともなくレッドドラゴンの雛が飛来する。
レッドドラゴンの雛との、命懸けの追いかけっこがスタートだ。
森の中を走り、なるべく木が密集している辺りを駆け抜けたら先回りされ。
偶然見つけた洞窟に逃げ込もうとして、追い詰められるだけだと素通りし。
再び、川に身を投げ。
呪文を駆使して、命からがら逃げ出した。
当然、食料は手に入らない。
なんとか水だけは確保し、携帯食料を切り詰めて生き延びる。レンと二人して、携帯食料の不味さに苦笑いしたのが遠い昔のようだ。
そうしても、一日はまだ終わらない。
疲労困憊なユウトは、地上は危険なので大きな枝の上で夜を明かそうとした。
まともに眠れるはずもないが、死ぬよりはマシ。
木登りの経験などなかったものの、人間、必死になればなんとかなるものらしい。
なのに、夜。定期的にドラゴンの咆哮が聞こえてくる。
その度に、ただでさえも浅い眠りから引き摺り出される。
「マジで楽しんでやがる……」
こんな状況が、さらに数日続き。
精神的にも、肉体的にも、物資的にも。
あらゆる面で、追い詰められつつあった。
そんなユウトにできるのは、生き延びる方法をひたすら考えることだけ。
ヴァルトルーデやエグザイルがいれば、正面から打ち倒すことだろう。
ラーシアなら、正々堂々不意を打ってドラゴンの急所を貫いただろう。
アルシアがいれば、レッドドラゴンの攻撃を弾くような防御呪文を使用するか。あるいは、敵を弱体化させてくれただろう。
「弱体化……か」
ユウトには剣も弓もない。
攻撃魔法も、さすがに一撃必殺とはいかない。
となると、敵の弱点を突くしかない。
「レッドドラゴンの弱点と言えば、冷気か……」
しかし、下手に激昂させると本気にさせるだけだ。
それに、弱点をそのまま放置しているとも思えない。
詰んでいる。
「もう、明日で最終日だし合流地点に逃げ込めば……」
自分で言って、無理だと気付いた。
いつもと違う様子に気付けば、遊びをやめて仕留めにくるだろう。
なんとか、こちらから反撃しなければならない。
「倒せないのなら、体の自由を奪って……それができれば苦労しない。なら、環境を利用する? 洞窟かどこかに閉じ込めて……。それだって、狡猾なアイツが簡単に引っかかるか? それに、俺も巻き込まれるんじゃ? でも、アイツが圧倒的に優位にいるっていう油断を利用するのは……」
暗くて、呪文書や手持ちの巻物を読み返すことはできない。
記憶だけを頼りに、自分の手札を確認して作戦を組み上げていく。
「ああ、そうか。効果時間も短いし、吐息攻撃以外には意味がないからってスルーしてたけど、事前に師匠の巻物から使っておいて……」
作戦立案に、ひたすら没頭する。
途中、レッドドラゴンの雛が咆哮をあげた。
なのに、ユウトはそれに気付かない。
それほどに深く深く集中し、ひとつの作戦を組み上げた。
「覚悟を決めよう。やるしかない」
最終日となる、その日の夜明け。
レンが一緒だったら絶対に採用しないだろう作戦の実行を決意し、ユウトは少しだけ仮眠を取った。
「よう、遊びは今日までだぜ」
「ギギギィッッ」
赤い、紅玉のような鱗。
悪意の塊のような瞳。
ガラスを擦り合わせたような不快な声。
もう、見飽きた。聞き飽きた。
川岸でレッドドラゴンの雛を待ち受けていたユウトは、昂然と天を見上げた。
頬はこけ、目の下に隈ができている。
けれど、その瞳は爛々と輝き生気を失っていなかった。
その目が気に入らなかったのだろう。レッドドラゴンの雛は、乗用馬ほどもある体を一気に降下させ鈎爪を振るった。
「ギャギャギャッッ」
「くうぅっ」
それをなんとか間一髪でかわし――切れず、《魔術師の鎧》の防御膜でなんとか身を守った。
「ったく、やってられないぜ!」
レッドドラゴンの雛が態勢を整えている間に、ユウトは脱兎のごとく逃げ出した。
「ギギギィッッ」
すぐさま、レッドドラゴンの雛が翼をはためかせて飛ぶ。
背後から特大のプレッシャーを感じながら、ユウトは走った。もう一生分走った気がするが、そこで一生が終わる。
『ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 要は準備が足らないのです』
名伯楽の名言が脳裏をよぎる。その意味では、すでに準備は整っていた。
「追いかけっこはここまでだ!」
数分後。
宣言すると同時に、ユウトは以前見つけた洞窟へと逃げ込んだ。
レッドドラゴンの雛でも、無理をすれば入り込める程度の広さ。
「ギィギィギッッ」
あざ笑うように、火竜が魔術師の後を追って洞窟へと侵入する。
「待ってたぜ」
洞窟の先。小さな裂け目があるのか、天井から光が射している。
そこで待ち受けていたユウトが、呪文書から1ページ切り裂いて呪文を唱えた。
「《冷気の道》」
第一階梯の理術呪文。
ユウトの前方10メートルの空間を冷気で満たし、移動した距離の分だけ蓄積する冷気のダメージを与える。
洞窟という閉鎖空間。近付くにはこの冷気の道を通るしかない。
なんて、賢しげな。
なけなしの、涙ぐましい努力。
それをあざ笑うように、火焔の吐息を放つ。
「ガアァァッァッッ」
あっさりと《冷気の道》をかき消して、ユウトを火だるまにする。
――はずだった。
「待ってたぜ、そいつをな」
赤い霊気がユウトの全身を包み、火属性の効果を無効化していた。
事前に巻物から使用していた、第二階梯の理術呪文《源素防御》。
後にユウトたちが愛用する《精霊円護》の下位呪文だが、この巻物を用意したのは師テルティオーネだ。
ユウトが使用するよりも効果時間が長く、防御効果も高い。
「ギャギャギャギャッッッ」
レッドドラゴンの雛が、激昂して突進してくる。
当然だ。爪も牙も健在。それで切り裂くだけでいい。
しかし、もうユウトはレッドドラゴンの雛を見ていなかった。
「《破砕》」
「ギギィッ」
構造物を破壊する、第二階梯の理術呪文《破砕》。
もちろん、レッドドラゴンの雛に――生物に効果はない。
狙ったのは、洞窟の入口。その天井。
まるで爆弾が仕掛けられていたかのように、爆発。
あっという間に崩落し、洞窟が塞がった。
生き埋め。
恐怖でおかしくなったのかと、レッドドラゴンの雛が失望する。
けれど、そんなことはユウトの知ったことではない。
作戦通り。計画通りに、最後の呪文を使用する。
「《蜘蛛変化》」
同じく、第二階梯の理術呪文。
今日最後の呪文。
巨大な――といっても、蜘蛛としてはだが――毒蜘蛛に変化する《蜘蛛変化》。
一瞬で蜘蛛に変わったユウトは、レッドドラゴンの雛を無視して壁から天井へ移動。
そこの裂け目から外へ出た。
「ギギギッギギギギギャギャアアアアアッッッッ」
レッドドラゴンの雛が苛立ちの咆哮をあげるが、もう関係ない。
素早く呪文の維持を切って元の姿に戻ると、ユウトは駆けだした。
最後の呪文が、ドラゴン相手には役に立たない《蜘蛛変化》。
その賭けに、ユウトは勝った。
すべてが上手くはまった。
あとは、合流地点へ走るだけ。ゴールするだけ。
走りながら、ユウトは思い出す。
熱を出したレン。
彼女のために、初めて使えた理術呪文。
その感触と、感動。
初めて命を奪った感触。
レンが重傷を負ったときの絶望感。
それから……。
「やべっ、走馬燈かよ」
縁起でもない。そう、苦笑した瞬間。
「ギギギッギギギギギャギャアアアアアッッッッ」
聞き慣れた。
聞き慣れた咆哮に、笑顔が固まった。
「もう脱出したのかよっ」
あまりにも早い。
ゴールには、まだある。
肺が壊れてもいい。
心臓が破裂しても構わない。
とにかく、ユウトは走った。準備ができているウサギでも足が千切れそうなほど走った。
それでも、地を駆けるモノは空を飛ぶモノには敵わない。
唐突に、日が翳った。
「ギギギッギギギギギャギャアアアアアッッッッ」
それがなにを意味するのか。
酸素の足りない脳が認識をする――前に。
森が、終わった。
「ユウト、よく頑張ってくれた」
「ヴァ……ル……?」
「ボクもいるけどね!」
幻覚だったら、ラーシアは要らない。ヴァルトルーデだけでいい。だけがいい。
「つまり、現実……か……?」
「そうだよ!」
草原の種族が、素早く矢を放つ。
それは狙いを過たず、レッドドラゴンの雛の翼を射抜いた。
真っ逆さまに――とはいかなかったが、失速して錐揉みのように落ちていく。
「ギャギャギャッッ!」
「弱肉強食、それは確かに世界の基本であろう」
静かに。
威圧感を発しながら、長剣を抜いたヴァルトルーデが近付いていく。
「だが、悪が滅びるのも同じく宇宙の法則」
本来、数百年。否、千年を閲するかもしれないドラゴン。
その中でも、一際強大なレッドドラゴン。
「というか、ユウトがここにたどり着くまで手出しできなかったストレスを解消だよ!」
「そういうことだ」
しかし、その未来は訪れなかった。
一閃。
レッドドラゴンの雛は正義の刃をその身に受けて、短い。あまりにも短い生涯に幕を下ろした。
「ヴァル……」
「怪我はないか?」
「悪い。スコップ、無くしちまった……」
「ユウト……」
「あと、ありがとう。助かった……ほんと……」
「まったく、仕方のないやつだ」
ヴァルトルーデにもたれかかることだけは、意地で避けた。代わりに、へなへなと崩れ落ちるユウト。
そこに、紫煙をたなびかせたテルティオーネが姿を現す。
「成長したみたいだな」
「それは認めます。というか、それ以外はまったく認められないですけど……」
このときのユウトは知る由もなかった。
後に、自らが似たような修業を課すほうに回るとは。
しかも、森ではなく奈落で。
オズリック村にある、唯一の宿屋兼酒場。
その一角で、昼間から祝宴が行われていた。
「それじゃ、ユウトの生還を祝してかんぱーい」
「生還じゃなくて、修業の達成を祝してほしいんだが。というか、二度目じゃねえか……」
「レンと一緒じゃ、ハメ外せないじゃん」
仕方なく、ラーシアとカップを打ち合わせる。
舌を湿らせる程度に蜂蜜酒を口にするが、ユウトに笑顔はなかった。
「生還にフォーカスされると、なにをしに行ったのかよく分からなくなるし」
「実際、雛とはいえドラゴン相手に生き残ったわけだしねぇ」
「その辺の解釈は本人次第だが、一回り大きくなったのは確かだろう」
「そうかな?」
エグザイルからストレートにほめられて、ユウトははにかんだ。
宴席が始まって、初めての笑顔。
「えー? なんか、ボクとエグで扱いが違くない? なくなくなくなくない?」
「なんで、エグザイルのおっさんと同じ扱いをしてもらえると思っているのか」
そう言うユウトは真顔だった。
「ひどい、ユウト! こっちに来たての時は、ラーシアさんって呼んでくれてたのに!」
ラーシアは、ちょっと嬉しそうだった。
「とにかく、テルティオーネからは冒険に出てもいいと許可が出たのね?」
「うん。免許皆伝ってわけじゃないけどね」
それでも、少なくとも仮免レベルではあるはず。
あとは、実地でレベルアップしていくしかない。
「そうなると、私たちの休暇も終わりになるわね。ヴァル、どうするか考えているの?」
「うむ……」
ヴァルトルーデは、静かに飲んでいた。
もちろん祝福はしたが、過度に感情を露わにはしていない。
ユウトなら、やり遂げられる。そう信じていたし、それは現実のものとなった。
ただ静かに、腕を組んでうなずくだけ。それ以上のリアクションは必要ない。
人はそれを、喜びを噛みしめていると言う。
「アルサス王子捜索の依頼を、継続したいと考えている」
「でも、十年以上前のことなんだろう?」
〝虚無の帳〟と呼ばれる邪神を崇拝する集団。
その勢力との戦争で行方不明になったのが、大国ロートシルトの王子アルサス。彼の婚約者により、捜索の依頼が大々的に行われている。
そして、それを引き受けているのが冒険者たち。
「言っちゃ悪いが、もう……あれなんじゃないのか?」
「だが、蘇生の呪文に反応しない。ということは、生きていることになるだろう?」
「え? 死体がなくても蘇生させられるの?」
「最高位の神術呪文ならね」
「それはすげえな……」
そして、一国の王子に対してそれを使わない理由はない。
「でも、アルシア。金貨で2万5千枚ぐらいかかるって聞いたよ?」
「マジかよ」
「ええ。触媒の代金だけでそれくらいかかるわ」
どの神の教団に依頼したかは分からないが、必要経費以外にも寄進は必要になるだろう。庶民には、想像もできない領域の話だ
「少なくとも、1億以上か……。まあ、命の値段と考えれば安いんだろうけど……」
カルチャーギャップに、うなり声をあげるユウト。
ここから一年も経たずに、「金貨2万5千枚? 高いと言えば高いけど、必要なら買えば?」という金銭感覚になるとは予想もしていなかった。
「そもそも、ユウトと出会ったのもこの依頼の途中のことだしな」
「ああ、そういうことになるのか……」
「ユウトくんが気にすることではないわよ?」
真紅の眼帯をしたアルシアのフォローに、ユウトは確信した。
この依頼は、地球へ帰るための手がかり探しも兼ねていると。
そうなれば、ユウトに断る理由はない。むしろ、申し訳ないくらいだ。
「分かった。これからも、よろしく」
頭を下げるユウトのカップに、ラーシアが蜂蜜酒のおかわりを注いだ。
「はーい。それじゃ、改めて乾杯しよ!」
「もうやっただろう」
「ほらほら、ヴァルも彼女面してないで。もっと喜びを全面に出して」
「彼女面などしていないが!?」
「ユウト、頼りにしているぞ」
「よろしく……」
エグザイルが、エールがなみなみと注がれた木製のジョッキを掲げる。
ユウトは、反射的にカップを打ち合わせていた。
「ヴァル、後れを取っていますよ?」
「順番の問題ではないだろう?」
と言いつつ、ラーシアを視線で制した。草原の種族は、好々爺のような人の良さそうな表情で先を譲った。
「ユウト、もう一人で頑張る必要はない。足りないところを互いに補っていこう」
「あ、うん……」
なんだか、プロポーズみたいだな。
そんなことは言えず、カップが打ち鳴らされたあとに蜂蜜酒を飲み干してしまった。
ブルーワーズだけに留まらない。
様々な世界の命運が決まったのは、今、この瞬間だった。
これにて過去編完結です。
次は、単発でネタっぽい話を書きたいですね。
ヴェルガ様が、天上で再教育受けていた頃の話とか(教育を受けたとは言っていない)。
というわけで、お付き合いありがとうございました。