07.覚醒した日
週に1~2時間制限で、テラリアやってます。
だって、ちょっとだけやろうと思ったはずなのに、キング・クリムゾンされるんだもん……。
気絶したユウトが目覚めたのは、日が落ちてからだった。
「レンッ!」
「レンなら大丈夫よ。私が治療して、今はもうオズリック村へ戻っているわ」
「アルシア……姐さん……」
飛び上がるように起き上がった直後、目の前には真紅の眼帯に黒い司祭服を身につけたアルシアがいた。
たき火に照らされた死と魔術の女神の司祭は、妖美で……それでいて得も言われぬ母性がある。
「ユウトくんの処置が良かったお陰で、後遺症もないわ。数日もすれば、すっかり元気になるわよ」
どうやら、レンは師匠が連れて帰ったようだ。
そして、姉弟子は無事。
アルシアから発せられた言葉とその意味が、ゆっくりとユウトに浸透していく。
それと同時に、安堵の感情が湧き上がっていった。
「そうか……。俺は、なんとか間に合ったのか……」
「頑張ったわね」
地面に敷かれた毛布の上で深い息を吐くユウトに、アルシアは微笑みかける。
それだけ。無遠慮に、距離を詰めようとはしない。
それが、なんとも心地好かった。
ここで優しくされたら、逆に挫けてしまいそうだったから。
「寝ている間に、ユウトくんも治療したけれど不調はない?」
「あ、ありがとう……。大丈夫だと……思う」
毛布があったとはいえ固い地面で寝ていたので強ばる感覚はあるが、最近ではすっかり慣れている。
思考はクリアではないが、それは時間が解決してくれるだろう。
問題ない。続けられる。
「修業……とは、私としては思えないのだけど……」
言葉の途中にため息を挟むアルシア。
それは、無茶な修業への諦めか。それとも、立派な修業だとうなずきそうな仲間に心当たりがありすぎるからか。
「本当に続けるのね?」
「ああ。ここで諦めたら、俺はきっとこの世界でなにもできなくなるから」
「……そうね」
アルシアは、ユウトの正しさを認めた。
ならば、それぞれができることをやるだけ。
「死んでさえいなければ、私がなんとかするわ」
真紅の眼帯で覆われ、その瞳を見ることはできない。
しかし、嘘偽りのない言葉だということは伝わった。
「ああ。生きて帰ってくる」
「なら、いいわ。もう煮えている頃だから食事にしましょう」
「でも食欲が……」
反射的に否定しかけたが、途端に胃が反逆した。
「少しだけでも、胃に入れておくといいわよ」
「……いただきます」
口元を微笑みの形にし、アルシアは火に掛けられていた素焼きの鍋から麦粥をすくった。
深皿に注ぎ、ユウトへと手渡す。
受け取ると、お礼も冷ますことも忘れて思わずがっついた。
美味いのかどうかは分からない。
けれど、満たされる味がする。
「食べられそうなら、おかわりもあるわよ」
返事もせず、ユウトはオートミールをかきこんだ。
それが、この修業中で口にした最後の温かい食事だった。
アルシアに見送られ、修業に戻ったユウト。
駆け出し魔術師が最初に行なったのは、拠点の変更だった。放棄と言ってもいいだろう。
これは、補給物資を目にしたときから考えていた計画だった。
一人で野営地に戻ったユウトは、補給物資が入った背負い袋からハンモックとロープを取りだす。
それを手に、拠点から離れた森に入っていった。
その足取りに惑いはなく、瞳は真剣そのもの。
野生の動物を寄せつけない雰囲気を纏っている。
適度な太さと距離がある木を見つけると、ユウトはロープに対して呪文を使用した。
「《縄芸》」
自在に縄を操る第一階梯の理術呪文。
術者であるユウトの意志に従い、ロープは樹皮をするすると昇っていく。
地上10メートルほどで今度は幹にぐるっと巻き付き、しっかりと結びつけられた。
そして、もう片方もハンモックに通して結いつけた。
あとは、もう一回同じことを繰り返すだけ。
寝返りでも打てば、ただでは済まない。
しかし、余程のことがなければ野生動物に襲われることのない安全な拠点が完成した。
「まさか、ラーシアに感謝する日が来るなんてな……」
脳裏に憎たらしい笑顔が浮かぶが、ハンモックを入れてくれたという功績は否定できない。
なお、今までも草原の種族からはかなり気を使われているのだが、それを台無しにする行動や発言で相殺されていた。
そのため、実質これが初感謝だった。
「とにかく、これで安全は確保できる」
移動には《浮遊》の呪文が必要になるが、それは安全料というもの。今となっては、そのコストは許容すべきものだ。
最初からこうしていれば良かったという、自嘲混じりの後悔が浮かぶ。
だが、ユウトは益体のない思考を切り捨てた。
あんなことがなければ、ここまで安全第一に振りきれるはずがない。
それを体で憶えるのが、この修業の数多くある意義のひとつなのだ。
いまだ愚者であるユウトは、経験から学ぶしかない。いつか、愚者となる日が来ると信じて。
「さて、やろうか」
次にやるべきは、恐怖を克服すること。そのためにユウトが選んだのは、荒療治だった。
「《魔術師の鎧》」
呪文書から1ページ切り裂き宙に放つと、それが術者の周囲を旋回しながら光の粒子へと変わっていく。
純粋魔力の力場で更生された防御膜。それがユウトの全身を包む。
板金鎧とまではいかないが、ヴァルトルーデが装備している胸甲鎧程度の防御効果は期待できる。
自己強化呪文だけを使用したユウトは、ヴァルトルーデから借り受けているスコップを背負い袋から引き抜いた。
あとは保存食と水袋だけを持って、背負い袋は効果時間が残っている《縄芸》の呪文でハンモックへと送る。
木々の間に張られた寝床が揺れるが、しっかりと結われているため落下はしない。
さすがに、ユウトはほっとした。
スコップと呪文書だけを持って。つまり、今まで使っていたクロスボウを持たず。
ユウトは、森の奥へと分け入っていった。
虫の声も、木漏れ日も、森の匂いも、さわやかに吹く風も。
感じてはいるが、意識はしていない。
とにかく、この手で獣を狩る。ユウトの思考を占めているのは、それだけだった。
もはや、ユウトが自分に納得できるかの問題。テルティオーネには、その結果で判断してもらうしかない。
あてどなく。しかし、明確な目的を持って森を彷徨う。
果たして、ユウトの希望は早々に叶うこととなった。
ばったりと。まるで童謡の一節のように、両者は出会った。
毛皮はごわごわして。
目は血走り。
威嚇の声を上げ。
牙も爪も鋭い。
――狼。
三度目の邂逅。
今度は群れではなく、二匹の番だった。いや、男女の組み合わせかは分からない。確かなのは、二匹組ということだけ。今まで遭遇した群れの一部なのかも不明だ。
無意識に、全身の筋肉が強ばる。
思考が真っ白になる。
それは、想定済みだった。
「《反撃の霊気》」
だから、最初からこうすると決めていた。
機先を制して、理術呪文を発動させる。
黄色い霊気がユウトと狼たちの周囲を包んだ。
だが、それだけ。呪文は発動したが、なにも起こらない。
狼に、理術呪文が理解できるはずがない。
なにか奇妙なことをしたが、なにも起こらなかった。
つまり、好機が到来した。
分かるのは、それだけ。
左右で分担し、ユウトの足首に噛みつき攻撃を仕掛ける……が、純粋魔力の力場に阻まれ牙が跳ね返された。
「ウワォンンッッ」
狼が、不快そうなうなりを上げる。
ごちそうを目の前で取り上げられたようなものだ。不満に思って当然だろう。
そして、ユウトがそれを斟酌する必要がないのも当然。
「らあああっっ」
腹の底から声をあげ、狼をしっかりと見据え、全力でスコップを振り下ろした。
手応えが――ない。
スコップの切っ先は、狼が退いた場所を虚しく通過する。
その隙を突いて狼が食ってかかるが、またしても《魔術師の鎧》で弾かれた。
以降はその繰り返し。
こちらの攻撃は当たらず。
狼の牙は、ユウトに届く前に弾かれる。
ヴァルトルーデの力強く美しい剣技とは、かけ離れた低レベルな泥仕合。
だが、ユウトにはこれしかできない。
できることをやるしかない。
そうして、どれだけ経過しただろうか。
狼二匹を相手に保ち続けた均衡が――崩れた。
ついに、狼の牙が純粋魔力の力場を貫通してユウトの足に傷を付けた。
「くっ」
意図からすればかすり傷だが、それでも傷は傷。傷つけられるという証拠。
それに調子づいて、狼はさらにかさにかかって攻撃を仕掛ける――ことはできなかった。
均衡は崩れたのだ。
ユウトの側に。
「クゥゥゥンッッ」
「かかったな!」
第一階梯の理術呪文、《反撃の霊気》。
その範囲内で術者を傷つけた者は、衰弱の呪いに襲われる。
いわば、報復の呪文。
一時的だが、急速に四肢が萎え衰えた狼に、ユウトはスコップを振り下ろした。
痛みをこらえながら、全力で。
二度、三度と。
「ギャッン」
鈍い感触。
命を絶つ手応え。
愛犬の姿が過り、すぐに血だらけのレンに上書きされた。
感慨に浸る暇は、ない。
「見てるだけか!?」
「グアッッ、ルルルルルッッッ」
残った狼が、吠えながら逡巡する。
その隙を見逃さず、ユウトは血塗れのスコップを突き出した。
それが狼の足の付け根に刺さり、機動力を奪う。
均衡は崩れた。
決着が着くまで、長い時間はかからなかった。
「終わったか……」
折りたたみスコップに体重を預けながら、ユウトはそっと目を閉じた。
囲まれた場合、攻撃を阻害する呪文だけでは敵を制御できない。
だが、《反撃の霊気》なら起点は術者となる。
最低でも、相討ちに持ち込める。
そして、相討ち以上の成果を得られた。
死体をそのままに踵を返そうとしたユウトが、顔をしかめる。
今さらになって、足の傷が痛み出したのだ。
これがレンの受けた苦痛。いや、その一部でしかない。
そう思えば、どうということはなかった。
「狼なんて、大したことことないな」
そう。人間が、魔術師が知恵を絞れば対抗できないはずがないのだ。
準備。常に、準備をしなければならない。有利な戦場を作らねばならない。
それができない場合は、できる限り時間を稼ぐ。
ヴァルトルーデがいれば、不意打ちを受けてもすぐに駆けつけてくれるだろう。
ラーシアがいれば、冷静に援護してくれるだろう。
エグザイルがいれば、圧倒的な速度で殲滅してくれるだろう。
ユウトがすべきなのは、それまできちんと生き残ること。
アルシアがいれば、生きてさえいれば癒してくれる。
だから、この森で成長する必要がある。
みんなと一緒に冒険ができるほど、強くなるために。
その成果は、翌日に具体的な形となって訪れることになる。
このペースだと、過去編はあと1~2話で終わりそうです。
前振りじゃないです。