05.夜の襲撃
理術呪文は、ただの道具に過ぎない。
分かっていたはずだったが、本当の意味で理解していなかった。この事実に気づけただけで、修業の価値があったと言える。
ユウトたちは、ここ数日それを実践していた。
「おにい……ちゃん……来た……よ」
「了解」
ハーフエルフ特有の知覚力で、“罠”の近くに獲物――鹿が近付いてきたことに気付いたレンが、一緒の茂みに隠れているユウトへ告げる。
20メートルほどは離れているため、鹿がこちらに気付いた様子はない。
獣道を跳ねるように移動する鹿が、“罠”の真上を通過する。
そのタイミングにあわせて、ユウトは呪文書から1ページ破って呪文を完成させた。
「《縄芸》」
第一階梯の理術呪文。
その名の通り、ロープを自在に操る。それだけの呪文。
だが、突然前肢にロープが絡まり、ぎゅっと結ばれてしまった鹿にしてみればたまったものではない。
その場で転倒し、もがくと角が片方折れてしまった。鳴き声が、さらに悲壮感をかきたてる。
必死で、だからこそどこか滑稽。
けれど、理術呪文で強化されたロープは解けるどころかより強く締まっていく。
「レン、任せた」
「うん……」
体に比べてやや大きめのクロスボウを構えてじっくりと狙いを付ける。
いつしか、クロスボウはレンの役目になっていた。
エルフの血を引いているからか、ユウトよりもよほど適性があったのだ。
それに、ウルヴァリンのときは準備していなかったが、ユウトが憶えていない呪文が使えるのも大きい。
「《必中》」
第一階梯の理術呪文。
じっくりと狙いを付ける必要があるが、その代わり術者の射撃能力を飛躍的に上昇させる。
それでレンが狙ったのは、左足のつけ根やや後。
――心臓だ。
トリガーが引かれると同時に、太矢が飛ぶ。
正確に急所を撃ち抜かれ、鹿は声にならない悲鳴を上げた。
狂ったように身をよじり、苦痛と死から逃れようと暴れ続ける。
それも、長くは続かない。
やがて動きは小さくなり、動く力――生命は失われ、まったく動かなくなった。
「レン、やったな」
「動き……を、止めてくれた……お陰……だよ……」
お互いの健闘をたたえ合う姉弟弟子たちだったが、いつまでも余韻に浸ってはいられない。
血臭が漂うが、狼などの肉食獣が来る前に素早く処分しなければならなかった。
ユウトは顔を少ししかめただけで動き出す。
「猟って、ほんと綺麗事じゃねえよな……」
「大変だし……大切……」
「ほんとな」
鹿は、背中のロースが美味い。
残念ながら全身くまなくというわけにはいかないので、血抜きなどの処理をしてからそこを切り出した。
他は、報告に必要な角をだけ拾っておく。
残りは、もったいないが事前に掘っておいた穴に埋めてしまう。
ウルヴァリンを狩ってから数日。
ユウトとレンの狩猟生活も、それなりに上手く回り始めていた。
日々、新しい呪文を憶えては実戦で試すという日々。
地面を滑りやすくする《油膜》の呪文で立てなくしてから狙撃。《色爆光》で朦朧状態にしたうえで狙撃なども試している。
ただ、《恐怖》の呪文は失敗だった。
恐慌状態に陥った獲物が一目散に逃げ出してしまったのだ。
このときは、レンと顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
とはいえ、またウルヴァリンのような危険な野獣に遭遇したときには有効だろう。
異世界人であるユウトは特にそうだが、呪文を特別な物だと思ってしまう。
やはり、要は使い方なのだ。
ユウトは、その確信を深めていた。
「《修理》」
野営地に戻ったユウトは、早速、呪文を使っていた。
鹿を縛るのに使ったロープ。その傷がたちまち修復され、新品同然に生まれ変わった。
第一階梯に満たない、初級の。しかし、考えようによっては有用な《修理》の呪文。
非魔法的な物品を修理するという、わざわざ魔法を使うほどかと疑問を呈されかねない効果。
けれど、今のユウトにとっては有用すぎる。今のところ、これが一番ヤバイ呪文なんじゃないかと思っているほどだ。
なにしろ、ヴァルトルーデから預かったスコップもこれで直せてしまった。
ちょっとインチキのようでどうかと思ったりもしたのだが、金貨には代えられない。脳内でラーシアがいい笑顔でサムズアップしていたが、無視した。
それでもイメージは消えないので、脳内エグザイルに頼んで処理してもらった。万全。
「おにい……ちゃん、お任せ、しちゃってごめん……ね」
「いや、こっちも料理は頼り切りだもんな。役割分担だよ」
こうして二人で装備の点検を始めたが……すぐに問題が浮かび上がった。
回復の魔法薬が、一本しか残っていないのだ。分かっていたことだが、不安を感じてしまう。
「魔法薬……絶対、少なかった……と、思う……よ」
「師匠としては、魔法薬頼みで無謀な行動を控えさせたかったんじゃないか?」
自分の父親にもかかわらず、レンはぷくっと頬を膨らます。
「おにいちゃん……は、お父さんを買いかぶりすぎ」
「そうかな?」
レンの珍しい断定口調。
身内からの評価は、自然と辛くなってしまうものだろう。
ユウトはそう判断して、深入りは避けた。どちらにせよ、魔法薬が増えるわけではない。
「最悪は傷薬もあるけど、怪我をしないように頑張ろう」
「うん……。もう、一週間だもん……ね」
「早いもんだ」
気付けば、もう明日は修業の中日。
即物的な話をすれば、補給を受けられる日だった。
「中間報告の時に、魔法薬を多めにもらおう。かなり狩ったから、師匠も嫌とは言わないさ」
「うん……。がんばった……もん」
獲物の角や爪など、狩りの証明となる部位はきちんと確保している。
秀吉の耳塚かな? と思わなくもなかったが、獲物全部を持っていくのは不可能なので仕方ない。
「そう……だ。今日は、この前狩ったイノシシのお肉……だよ」
「ああ、それは楽しみだ」
「頑張って、灰汁をとった……から。自信作……かな?」
「レンがそう言うんなら、期待できるな」
何日もすれば、サバイバル生活も慣れてくる。
唯一と言っていい楽しみである食事の話に、ユウトの顔も自然とほころぶ。
味にはそこまでこだわらないが、美味しい食事が嫌いなわけではないのだ。
しかし、好事魔多し。
危機は、その日の夜。
レンが見張りをしているときに起こった。
その時間帯、ユウトは当然だが熟睡していた。
きちんとした睡眠は行動や思考だけでなく、呪文の使用にも大きく影響が出る。
だから、魔術師がしっかり休むのは義務といっていい。
それでも、警戒はしていた。
油断していたわけではない。
だが、修業生活が始まって一週間。
その間、夜は何事も無かったから。
どこかで襲撃を受けることはないと思い込んでいたのかもしれない。
「敵!?」
鳴子が音を立てた。
それを脳が認識するよりも早く、体が動いていた。
「レン!?」
テントから飛び出すと同時に、姉弟子の名を呼ぶ。
答えはない。
絶やしてはならないたき火が、消えていた。
代わりに、夜闇から狼が飛び出してくる。
目の前に、5匹ほどの群れ。
レンのほうに何匹いるのか、それを確認することはできなかった。
「ちっ。よりによって、狼の群れかよ!」
至近距離の接敵に、ユウトの心から余裕と冷静さが消えた。
狼。
ゲームでは雑魚敵だが……実際目にすると、これは動物ではない。獣だ。
同じ犬科とはいえ、地球に残した愛犬とはまるで違う。
毛皮はごわごわして。
目は血走り。
威嚇の声を上げ。
牙も爪も鋭い。
それが5匹も。
《誘眠》は群れには無力だ。対象に取れる数が足りない。
《油膜》で転ばせても、時間稼ぎにしかならない。
《色爆光》なら、この5匹は無力化できるだろう。だが、それからどうする? 同じ呪文をまた使う? レンを巻き込んでしまうのに?
いや、そもそも。まだ、そんなに呪文を使える状態ではない。
第一階梯の理術呪文が一回、他は、初級の呪文が何回か。それで、この状況を切り抜ける。
どうやって?
どうやって?
どうやって?
千々に乱れる思考。
その間隙を縫うように、狼は威嚇の叫びを上げると足目がけて飛び込んできた。
それで、ユウトの心は決まった。
「《幽音》」
ギャーンゴーン! グワワァン!
夜の森に、大地が震えるような雄叫びが轟いた。
まるで数十メートルはある怪獣のような雄叫びだ。
ユウト本人も、思わず身をすくめてしまうような。滅びを体現したかのような雄叫び。
飛びかかってきた狼も、途中でその足を止め警戒のうなり声を上げる。
ギャーンゴーン! グワワァン!
続けて、もう一度。
さらに、遠くから力強い足音も聞こえてきた。
ドラゴンをも超える、恐ろしいなにかが現れた。近付いてくる。
それが、決定打だった。
算を乱して、狼たちが野営地から逃げ出していく。未練も、なにもない。鮮やかすぎる撤退。
「……とんだ詐欺じゃねえか」
《修理》と同じく、第一階梯にも満たない見習いでも使えるような呪文。音を鳴らすだけの呪文。
それが、命を救った。
ユウトは、安堵にへたり込みそうになる……が、それどころではなかった。
「レン! レン!?」
胸からわき上がる恐怖を振り払うように、ユウトは喉が痛くなるほど大声を上げた。
なのに、答えはない。
野営地の中心。
たき火があった場所へと
そこには、血塗れのレンがいた。
足を噛まれて引き倒されたのだろう。深々と、牙の跡がある。
喉を守ったのだろう。両腕からも、だらだらと血が流れていた。
もしかしたら、たき火に飛び込んで狼を追い払おうとしたのか。なにかが焦げるような匂いもした。
その他、細かい傷は数知れない。
なのに、小さな姉弟子は朦朧とする意識の中、ユウトの顔を見て微笑んだ。
「おに……いちゃんが、無事……で……よか……った」
そして、限界に達し。
まぶたが閉じられた。
今日の異世界知識チート:ガッジーラの鳴き声