04.はじめての
「おにい……ちゃ……」
「うう……ん……」
「起きて……朝だ……よ」
「あさ……」
あさとは、なんだろうか。
それはとても懐かしく、暖かく。
それでいて不吉で、おぞましき……。
「朝かよっ」
いきなり覚醒したユウトは、寝袋から上半身だけ出してきょろきょろとする。
自分の部屋でも借りている宿でもなく、テント。
ラーシアでもエグザイルでもなく、びっくりしすぎて無表情になっているレン。
ようやく、視覚情報と認識が噛み合った。
(やらかした!?)
同時に、心臓が冷えて跳ね上がる。
「もしかして、見張りの途中で寝て……?」
「大丈……夫。ちゃんと、交代した……よ」
レンは交代の時間に起きてきたが、ユウトはかなり意識朦朧としていた。
まともに返事もできず、ふらふらとテントへ移動して――そこで意識を失ったようだ。
「まったく記憶にねえ……」
失態は演じていないが、それは結果論。もし夜間に狼にでも襲われていたらどうなっていたことか。
人里にいない、家がない。これが、どれだけ重要か本当の意味で理解していなかった。
それに、まだ二週間近くも続くのだ。
そう。終わりではない。
これから挽回するしかない。
「反省終わり。これから頑張ろう!」
「おにい……ちゃん……前向き?」
「ああ。しっかり、寝かせてもらったお陰かな」
やはり、疲労は敵だ。
サッカーをやっていた頃も、信じられないミスをするのは決まって後半になってから。それも、肉体的な疲労ではなくメンタル的な部分で。
「今日は頑張って、獲物を狩ろう。師匠を驚かせてやろうぜ」
「……うん」
控えめだが輝くような笑顔で答えるレン。
ヴァルトルーデが周囲を照らさずにはいられない太陽だとしたら、この小さな姉弟子はひっそりと咲くスズランだろうか。
寝起きの頭でそんなことを考えながらテントから出ると、森の清涼な空気がユウトを迎え入れてくれた。
天気は良好。
適度に陽は差しているが、暑いとまではいかない。
つまり、絶好のコンディション。
シートで集めた水も使って身支度をし、殺る気をみなぎらせたまま朝食となったのだが……。
あっさりと下降線を描いた。
「文句を言うのは筋違いだけど、保存食ってあれだな」
「まず……いよね……」
ビスケットはやたらと固く、どれだけ圧縮できるか世界記録に挑戦したに違いない。干し肉は憎しみでもこもっているかのようにしょっぱい。
レンが調理してくれたスープの残りは、調理人による味の向上の限界を教えてくれる。
昨日からずっと薪を継ぎ足してきたたき火の前での食事は風情を感じるが、環境効果だけでは本質は変わらない
「お腹はふくれるけど、人間、それだけじゃあダメだな」
「お肉……あったほうが……うれしい……ね」
狩りをしたからと、解体ができるのか。
その事実から目を背けつつ、ユウトはバーベキューに思いを馳せる。
それくらい、改めて食べた保存食はしみじみと不味かった。食事に文句を言わないユウトがそう感じるのだから、相当なものだ。
若い体は、干し肉ではないタンパク質を欲していた。
「昨日は、味を感じる余裕もなかったってことでもあるか。そう考えれば、今はまだマシになってるってことだな」
そう結論づけ、ユウトは手早く朝食を終える。
休む間もなく、呪文書へ今日使用する予定の呪文を転写。これはもちろん、レンも一緒だ。
その後、なにを持っていきなにを置いていくか選定に入る。
ユウトがまず取りだしたのはクロスボウだった。
「呪文が、ある……よ?」
「一日に使える回数が決まってるから」
そこで、連射は利かないが素人でも命中が期待できるクロスボウだった。
他に、ヴァルトルーデから借り受けた折りたたみシャベルをベルトに挟み、3メートルほどの棒も背負った。
レンには、解体用のナイフやロープを持ってもらうなどにする。
準備は整った。
残した荷物が荒されないよう罠でも仕掛けたかったが、残念ながらそんな技術はない。
まあ、あの保存食は、獣だって食わないだろう。味が濃い食べ物をやらない。これは、ペットを飼う者の鉄則だった。例外はない。
「水場に行ってみようか」
「うん。獲物いると思う……よ」
大きな弟弟子と小さな姉弟子はうなずき合って、移動を開始する。
その足取りは、慣れているとはお世辞にも言えなかったが……。
迷いはなかった。
「いた……ね……」
「あっさり見つかるもんだな」
声をひそめてささやき合う二人。
茂みに隠れ、気付かれた様子はない。
その視線の先には、池で水を飲む鹿の親子がいた。
鹿。
観光地にたくさんいることで有名な動物。
サッカーチームのマスコットにもなっている。まあ、ユウトはあまり好きなチームではないのだが。
それを獲物としてみたことなど、ただの一度もない。今、この瞬間までは。
「呪文、使……う?」
「まずは、クロスボウがどんなものか試したい」
「そうだ……ね……」
レンも賛成してくれた。
滑車で弦を巻き、太矢を設置。
呪文書を地面において、両手でクロスボウを構えた。
理術呪文の修業。その傍ら、ラーシアから習ってはいた。
だが、生きている獲物を狙うのは初めて。
茂みの切れ目から、そっとクロスボウの先端を伸ばす。
子鹿に水を飲ませている間、親鹿は耳を立てて周囲を警戒していた。
だが、こちらに気付いた様子はない。
こちらの隠れ身が上手いのではなく、単純に警戒対象が違うのだ。
ユウトは深呼吸をしてクロスボウの引き金に指を掛けた。
狙いは、親鹿。子鹿は小さくて、当てられる自信がないから。
これが当たれば、親子は永遠の別れを迎える。
当然のこと。
それを意識した瞬間、照準がぶれた。
「あっ」
「外した……」
親鹿の胴体を狙っていた矢はわずかに逸れ、向こう側の木に突き刺さった。
その瞬間、文字通り飛び跳ねながら親子鹿は一目散に逃走していった。あっという間に、森に飲み込まれ見えなくなる。
狙いを外せば、当然、悔しい。
だが、少しだけ安堵もしていた。
「やっぱり、矢を当てるのは……難しい……ね」
「呪文なら簡単なんだけどな」
今のは、練習だ。
次は、上手くやる。
そう自分に言い聞かせるように立ち上がったユウトの背後で、がさがさと音がした。
次の機会は、早速訪れた。
背後の茂みから現れたのは、熊だった。
筋肉の鎧に分厚い毛皮を纏った、ずんぐりとした巨体。
威嚇するようにうなり声を上げる口には、黄みがかった牙がびっしりと生えている。
ウルヴァリン。
強い縄張り意識を持つ、穴熊。
といっても、地球で見るクズリとは大きさそのものからして違う。穴熊は本来イタチの仲間だが、このブルーワーズでは正真正銘熊の一種だ。
その両眼には、強い感情が宿っていた。
獲物を横取りされた挙げ句、台無しにされたという憎しみが。
一瞬で、狩人から襲われる立場になった。変えられてしまった。
「《理力の弾丸》」
素早く、レンが呪文書を1ページ引き裂き純粋魔力の弾丸を放った。
それは狙いを過たず、その巨体を穿ち、前肢の付け根の辺りから血が流れた。
だが、致命傷には遠い。
逆上したウルヴァリンは、立ち上がってこちらを威嚇する。その怒りに呼応するかのように、不快なほど甘い香りが漂ってきた。まるで、腐った肉のような香りだ。
「レンっっ」
それに顔をしかめた直後、ウルヴァリンは後ろ肢だけで飛びかかってきた。
気付けば、体が勝手に動いていた。
クロスボウを投げ捨てながら、ユウトはレンをかばって前へ出る。
しかし、なにも考えていないわけではなかった。
ベルトから抜いたスコップを振るって伸ばすと、両手で盾のように構えた。
だが、紙に等しい。
あっさりと弾き飛ばされ、地面を数メートルも滑っていった。
「ぐあっ」
「お兄ちゃんっっ!」
ユウトの苦鳴、レンの悲鳴。
真ん中からひしゃげたヴァルトルーデのスコップが宙を舞い、ウルヴァリンの目の前に突き刺さった。
意外にも、それでウルヴァリンは距離を取る。
呪文による攻撃には激昂したウルヴァリンだったが、スコップは警戒した。
どちらが脅威か判定しての行動ではない。理術呪文は理解が及ばなかったのだろう。銃を見せて脅しても、その存在や威力をしらなければ通じるはずがない。それと一緒だ。
「だい……じょうぶ……だけど……」
どうすればいい。どうすればいい。
このままでは、レンまで死んでしまう。食べられてしまう。
させない。絶対に、させない。
どうすればいい。どうすればいい。
ユウトの手が彷徨い、偶然、呪文書に触れた。一緒に巻き込まれていたらしい。
完全に幸運。
それをものにできたのは、まさに天佑だったろう。
「ああ、そうか」
倒す必要はない。
――直接は。
「《誘眠》」
痛みを無視して、ユウトは呪文書から1ページ切り裂きウルヴァリンへと放った。
それは光の粒へと変化し、さらさらとした粒子が降り注ぐ。
――刹那。
ウルヴァリンは、その場にどうっと倒れ伏した。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
「大丈夫。めちゃくちゃ痛いけど……」
今は興奮状態なので、この程度で済んでいる。
どんな怪我をしているのか、確かめたくはなかった。
早速、魔法薬のお世話になりそうだ……と、ユウトは顔をしかめた。
「よか……った」
「ああ、どうにかな」
ぺたんと座りこんでしまったレンを抱き寄せながら、ユウトはそっとつぶやく。
しかし、その視線は睡眠状態のウルヴァリンへと向いていた。
「やった……ね……」
「ぎりぎりだったな。《理力の弾丸》で体力を削ってなかったら、効いてたかどうか……」
そう考えたら、紙一重だった。
だけど、勝ったのはこちらだ。
レンと一緒に立ち上がり、ウルヴァリンの下へと移動する。
眠っていた。
無防備に、急所を晒している。
呪文で命を奪うのは、まだ難しい。
駆け出しの魔術師では、こんなものだ。決して、無敵でも万能でもない。
だからパーティを組むのだし、たいていは研究室から出ないのだろう。
かといって、できないわけではない。
やはり、理術呪文は唯一無二。他の手段では達成できない奇跡を可能とする。
要は、使い方だ。
このサバイバル生活で触れてきた様々な道具を思い浮かべてユウトは思う。
スコップは穴を掘るだけでなく殴打武器にもなるし、身を守る盾になってくれた。
理術呪文も同じこと。
直接ゴールが狙えなくとも、アシストができれば点につながる。
そういうことなのだ。
「おにい……ちゃん。わた……しが、ナイフで……」
考えに耽っていたユウトに気を使うように、レンが言ってくれた。
だが、駆け出し魔術師は小さく首を横に振った。
これは、自分でやるべきだ。
命の重さに変わりはない。虫も植物も生きている。
魚釣りだって、まったく経験がないわけではない。
そもそも、この体を形作ってきたのは食肉だ。
そう考えれば、とても初めてとは言えない。
だが、それは詭弁だろう。
ユウトは、これから。初めて、他者の命を奪う。
「いや、俺がクロスボウでやるよ。それが、一番確実だ」
下手に衝撃を与えると、《誘眠》が切れてしまう。
だから、眠ったままとどめを刺したい。
それにはより威力が高いほうが都合が良く……それなら、ナイフよりも至近距離でクロスボウを放ったほうがよい。
冷静で、理屈まみれの判断。
けれど、魔術師に求められることだ。
「ふう……」
痛みに顔をしかめつつ、発射の準備を整える。
迷わない。ためらわない。
覚悟を決めて、ユウトは引き金を引いた。
今度は外れない。外さない。
着弾の衝撃で、ウルヴァリンがわずかに身じろぎする。
それだけ。
それで終わり。
とどめの一撃は、ひどく簡単に命を刈り取った。
「肉は熟成させたほうが美味いっていうけど、結構いけるな」
「うん……。干し肉……だめ……だね」
なんとかベースキャンプに戻ったユウトたちは、魔法薬による治療も終え獲物を口にしていた。
食中毒が怖いので、ウェルダンよりも焼いている。
塩と少しの胡椒だけで、上等な味付けではない。
そもそも、ただ焼いただけ。
だけど、美味かった。
これが、命を頂くということなのかとユウトはぼんやり考える。
この程度で、命がどうこうとか。現在がうんぬんとか。そんな高尚で哲学的な思いに囚われるのはお笑いぐさだ。
それでも、今感じている諸々の思いは嘘ではない。
なにより、師であるテルティオーネのことを思えば、しっかりと噛みしめなければならない。
「師匠は、こういうことも経験させたかったんだろうな……」
ただ、魔術師として成長するだけなら他に方法はある。
もっと安全で確実な方法が。
あえてそれを選ばなかったということは、つまり、そういうことなのだ。
理術呪文は命を奪い、助けもする。
ただの道具だが、その道具も使い方次第。
後年、ユウトがなんのためらいもなく領地経営に理術呪文を使用するのは、この経験が大きく作用した……のかもしれなかった。
テルティオーネ
エルフの魔導師。
かつてはヴァイナマリネン魔術学院に所属していたが、追放された。
その理由は、彼が発表した“効率的な魔術の習得・成長方法”。
即ち、基礎的な学習をした後は戦いに身を置きひたすら理術呪文を使い続けること。
世界の法則に気付いてしまった真理は、しかし、受け入れられなかった。
象牙の塔にこもる魔術師たちを揶揄した……だけなら、追放はされない。それを実践して死亡する駆け出し魔術師のことを考えれば、とても受け入れるわけにはいかなかったのだ。
後に、その理論の正しさは弟子であるユウトが証明した。
テルティオーネも予想もしていなかった、ある意味で理不尽なまでの成長率で。
そのため、テルティオーネ式修行法は封印されることとなる。
しかし、後年ユウトがもっとグレードアップさせるとは想像もしていなかった。
まあ、奈落に連れて行って無理やりパワーレベリングとか思いついても普通はやらない(やれない)。