03.修行の開始
「準備はできてるようだな」
出発当日。
魔道具店の前にやってきたユウトを一瞥し、テルティオーネは皮肉気に口の端を上げた。
バックパックははち切れんばかりで、バランスを崩したら地面に転がるしかないだろう。そんな状態でも、きちんと両手を空けて呪文書は手にしている。
魔術師としての自覚がきちんとある証拠で……実に鍛え甲斐があった。
「お陰様で」
「はっ。まあ、別に生存能力を見たいわけじゃねえからな。準備なんて余禄だ」
皮肉を返すユウトに負け惜しみのようなことを言って、テルティオーネは紙巻き煙草をくわえる。
「その割には、ヴァル子たちには手出しするなって言ってたみたいだけど」
「言わねえと、付いていきかねねえだろうが」
「それはまあ、確かに……」
釘を刺しておいたので、この程度のサポートで済んだ。
そう言われると、ユウトとしても言葉がない。
誰にも頼れない環境で過ごし、とにかく魔法を使う。その先に魔術師としての成長があるというのがテルティオーネの修行法。
しかし、魔法を使ってサバイバルをするのが目的ではない。これが、複雑なところだ。
「別段、ガチガチに鎧を着込んでも良かったんだぜ?」
「無茶言うな」
ヴァルトルーデの鎖帷子を借り受けることも、できなくはなかっただろう。
しかし、まともに動けるとは思えなかった。そのうえ、様々な用具まで持ち運ばなければならないのだ。
明らかに過積載。スタートラインに立つことさえできないだろう。
代わりにユウトが身につけているのは、綿でできた厚手の服だ。騎士などであれば、この上に鎧を身にまとうのだろう。
もちろん、鎧の替わりになる理術呪文は存在する。
だが、貴重な魔力をそれに使うのは判断が分かれるところ。服とはいえ、多少の防御能力は期待できるのだ。ならば、魔力を温存するというのもひとつの選択だ。
そこに、店の扉を開けて小さな影が現れた。
一緒に修業を受けるレンだ。
「お兄……ちゃん。おはよ……う」
「ああ、おはよう。今日からよろしくな姉弟子」
「もう……」
ユウトが姉弟子と言うと、レンはぷくぅと頬を膨らませた。事実なので、ユウトとしてはまったく気にならない。
「ユウト、レンにももうちょっと荷物を持たせてもいいんだぞ?」
「それは無理」
年上なのはレンだが、身長は全然違う。
そんな小さな姉弟子に大荷物を持たせることなど、できるはずがない。
それに、サバイバルならハーフエルフである彼女に一日どころではない長がある。とりあえず、ユウトが荷物持ちに徹するべきなのだ。
ヴァルトルーデやラーシアも賛成していたし、間違いはない。
「それならそれでいいがな。じゃあ、出発前にルールを説明しておくぞ」
「ルールなんてあるんだ……」
「当たり前だ。ただ引きこもって終わりじゃ、修業にならないだろうが」
「夜……一生懸命考えてた……よ」
「法律と一緒だ。変に裏読みされて台無しにされたら……なにがおかしい?」
「夜なべしてルール考えてる師匠が面白くて」
「正直に言えば許されるわけじゃねえぞ」
正直に言ったら拳骨を落とされた。
「お父さん?」
いつものたどたどしい話し方と違う、はっきりとした口調。
娘からきつい態度を取られ、テルティオーネは火を付けていない煙草をふかした。
「レン、この程度なんでもないから」
子供の頃は、普通に体罰も受けていたユウトだ。
このくらいはなんでもない。
そういう意味では、わりと年上受けしてブラック耐性もあるユウトだった。
平気な顔をしているユウトに、レンは毒気を抜かれた。
その好機を逃さず、テルティオーネは話を続ける。
「期間は二週間。その間、生き残れば合格……というわけじゃねえ」
「それは、俺もレンも野伏になりたいわけじゃあないから」
「きっちりと、獲物を狩ってもらう。狼でも猪でも、ゴブリンでもドラゴンでも構わないぜ」
「ドラゴンは無理だろ」
この頃は、まだ。
「一週間後に、補給を予定している」
「ということは、狩った獲物の量とか質によってどんな補給が受けられるか違ってくる?」
「そういうことだ。ただし、こっちはお前らの拠点なんか分からないからな。森の入り口の開始地点まで取りに来いよ」
続けて、どの部位を持っていけば討伐したとするかなど細かい打ち合わせを終えると――
「お、やってるね!」
――いつも通り陽気な草原の種族を先頭に、ユウトの仲間たちが見送りにやってきた。
「ついに出発だな。まったく、わざわざ遠方の森にまで行くとは……」
「まあ、師匠の決めたことだから」
愚痴を言うヴァルトルーデと微妙に目を合わせられずにいると、かなり落差のある相手と目が合った。
「ラーシアまで見送りに来てくれたのか」
「はぁん? ボクたちはユウトを見送りに来たわけじゃないけど? レンの無事を祈って集まったんだけど?」
「そうやって、俺がプレッシャーを感じないようにしてくれてるんだよな。ありがとう、ラーシア」
「しまった!? 逆にマウントを取られた!?」
なぜ、お礼がマウントになるのか。
それは、感謝したり謝ったりするのは優位に立っているときに限るから……とラーシアは信じているからだった。
そんなねじくれて切れそうな草原の種族とは違って、岩巨人には裏表というものがない。
「オレは特に心配していない。ユウトなら、引き際もわきまえているだろうからな」
「ありがとう、エグザイルのおっさん。ほどほどに頑張ってくるよ」
「ああ。それくらいがちょうどいいだろうな」
「くっ。スルーされてる。ぐぎぎぎぎ……」
このまま放置するのが一番面白いので、ラーシアから目を背けた。
というよりも、並んで立つ二人の美女に向き直ったと表現するのが正確なところだろうか。
「ヘレノニア神に二人の無事を祈っている」
「トラス=シンク神の加護は、魔術師二人にあるわ」
「ありがとう。神様はあれだけど、二人の気持ちは素直に嬉しいよ」
「そういえば、ユウトの世界には神がいないのだったな。そんな世界で健やかに成長してきたのだ。さらに、神々のご加護があれば怖いものなどなにもないな」
「その発想はなかった」
文字が読めなかったり、こちらで一般的な知識を知らなかったりというヴァルトルーデだが、それだけに素朴な言葉には力があった。
「ユウト、そろそろ行くぞ」
「お兄……ちゃん……」
「ああ。行ってくるよ」
ユウトは踵を返し、仲間たちに背を向ける。
テルティオーネは呪文書を用意して待ち受けていた。《飛行》の呪文で、ケラの森まで移動するのだ。
そちらに移動しながら、ユウトは思う。
パーティに魔術師がいないという理由もあるだろうが、自分のことを待ってくれている。
損得で言えば、ユウトが一方的に得をしている。
なのに、まったく恩に着せる様子はない。
そう、あの草原の種族ですら善意で。あのラーシアですら、善意で成長を見守ってくれているのだ。
「必ず成長して帰ってくるよ。レンと一緒にな」
この修業は、必ずやり遂げなくてはならない。
異世界から来たとかいう、わけの分からない自分を受け入れてくれたことへの恩返しでは済まない。
これは、男としての意地の問題だった。
「とはいえ、意地だけで物事が上手くいくわけじゃないんだよな……」
「慣れないかもしれない……けど、ゆっくりのほうが疲れちゃう……よ」
「……ああ。まだ大丈夫だ」
重たいバックパックの位置を修正し、ユウトは先を行くレンについていく。3メートルほどの棒は、周囲を警戒するよりも杖としての使い道が多くなってきた。
空を飛んで移動すること約一時間。
スタート地点となった巨石――巨人が投石したのではないかと師は言っていた――から森に入り、どれだけ経っただろうか。
慣れない森歩きに、ユウトの息はすっかり上がっていた。
サッカー部を辞める原因になった足の怪我はまだ問題ないが、体力の低下を気力でなんとか補っているような状態。
「ごめん……ね。まず、水場……とキャンプ地を決めないと……だから」
「俺のほうこそ、足手まといで悪い」
森の中なら、ハーフエルフであるレンに絶対的なアドヴァンテージがある。地球でボーイスカウトの経験すらないユウトにできるのは、黙ってその指示に従うことだけだった。
しかし、レンはますます萎縮してしまう。
ユウトは深呼吸をすると、改めて口を開く。
「姉弟子に頼らせてもらうか」
「がんばる……よっ……」
汗を拭って、レンがにっこり笑う。
そんな笑顔を見せられたら、頑張らないわけにはいかない。
空元気も元気。
肩に掛かる重さに顔をしかめながらも、ユウトは速度を上げた。
「でも……、疲れたら言って……ね」
「ああ。ハンガーノックとかになったら洒落にならないしな」
「ハンガー……?」
「お腹が減ってめまいがする感じかな?」
「うん……。それは、だめだ……ね」
少しだけ会話を多めにするよう心掛け、鬱蒼と茂る森の中を進んでいく。
「森っていっても、動物とかががんがん出てくるわけじゃないんだな」
鳥のさえずりは聞こえるし、虫も払っている。
しかし、狼に襲われるとか鹿と遭遇するとか。覚悟というか想像していたシチュエーションはまだ起こっていなかった。
それはもちろんいいことなのだが、警戒するだけでも疲労する。そう思えば、文句のひとつも言いたくなるところだった。
「まだ、この辺りは浅い……から。でも……」
「でも?」
「ううん。なんでもない……よ」
深追いせず、ユウトは黙って歩き続ける。
そうこうしているうちに、慣れてきたのか。それとも、レンが歩きやすいコースを選んでくれているのか。少し、余裕が出てきた。
「なんか、ちょっと楽しくなってきたな」
3メートルほどの棒で周囲を突きながら歩くのに、テンションが上がってしまったというのもあるかもしれなかった。
これで、藪をつついて蛇を出しでもしたら目も当てられない。
しかし、それが致命的な事態を引き起こす前にレンの歩みは止まった。
「ここ……いい場所……だね」
「確かに」
昼前にたどり着いたのは、木々に囲まれた中、ぽっかりと空いたポケットのような場所。
半径5メートルほどの円形の空間は起伏がほとんどなく、石さえ片付ければキャンプをするのに最適だった。
「なんか、しつらえたようだな」
「木こりさん……とか、猟師……さん……の休憩所……だったかも?」
「なるほどね」
事前にテルティオーネが準備をしていた。
そんなあり得ない可能性に比べたら、そちらのほうが蓋然性が高い。
「たぶん、水場も近い……よ」
すんすんと可愛らしく鼻をひくひくさせるレンに、ユウトはうなずいた。
「まあ、水場が多少離れててもここを使わない手はないよな」
「うん……。そうだ……ね」
真相はともかく、とりあえず、歩かなくていい。
ユウトはバックパックを地面に降ろし、自らも寝っ転がろう……として思いとどまった。
ここで座り込んだら、立ち上がれない。
サッカー部での経験が、警鐘を鳴らしていた。
「じゃあ、設営だな」
「うん。日が沈む前に……がんば……ろ」
「ああ、そうか。それで、陽光棒を持たせたのか」
明かりならランタンや松明でいいと言ったのだが、ヴァルトルーデが押し切ってきたのだ。
その場になって分かる。必要になったら真ん中から折るだけの陽光棒のほうが、火を熾す必要がなくていい。
ライブ会場に行くわけじゃないんだと、拒否しなくて良かった。
「でも、今の時間なら夕方までに準備なんて終わるだろ」
ユウトが高らかに宣言した。
それを彼の幼なじみが聞いたなら「フラグ……」と手で顔を覆ったことだろう。
そして、この場合、正しいのはアカネのほうだった。
「テントを張る練習、向こうでしておけば良かった……」
かまど作りをレンに任せたため二人分のテントを張ることになったのだが、初手で躓いた。
まず、ここまで運んできたのだから思い知っていたはずなのだが……重たい。地球でのキャンプのイメージでいたから、完全に失敗した。
加えて言えば、ここまで移動した疲労も加味していなかった。
それでもなんとかテントを張り。
トイレとなる穴を掘り。
朝露を集めるためのシートを張り。
水場と往復して水を確保し。
周囲にロープと鳴子を設置し。
諸々の準備を終えた頃にはすっかり日は落ち、ユウトは疲労困憊。倒れ伏していた。
「地面……冷たくて気持ちいいな……」
「お兄ちゃん……ごはん……」
「気持ち悪い……」
「食べ……ないと……だめだ……よ」
「部活の合宿か……」
のろのろと、イモムシのように起きてレンからスープを受け取った。
初日のメニューは、ビーツが入ったスープ。それから保存食の堅焼きビスケットにジャーキー、ドライ・フルーツ。
スープはレンのお手製だけあって滋養が体に染みこむようだったが、保存食が問題だった。
マズい保存食が空腹で美味しく感じ……られることはなく、ユウトはひたすら無で食事を終えた。
「先に、見張り……する……よ?」
「いや、先に寝たら絶対に途中で起きられない」
「それでもいい……けど」
「それは絶対にダメだ」
レンを先に寝かせたのは、これも男の子の意地があればこそだったろう。
火の番と見張りを兼ねて、レンが作ったかまどの傍に陣取るユウト。
……が、程なくして船をこぎ出した。
「……やばい。疲労で寝る」
はっと、途中で気付いたもののこのままでは耐えられそうにない。
「巻物、巻物を読んで気を紛らわせよう」
ヴァルトルーデならむしろ睡眠を促進されそうな選択。
しかし、ユウトが寝落ちすることはなかった。
状況に流されるようにして選んだ魔術師の道だったが、ヴァルトルーデたちの役に立ちそうだからというだけで選んだわけではない。
まだ駆け出しだから大きな声では言えないが、呪文を学ぶのは楽しかった。
「まだ、第二階梯の呪文は理解できねえな……。修業が終われば、レベルアップできるのかね……」
そのつぶやきに答える声はない。
こうして、初日の夜は更けていった……。
キリオ『もう一回、聞くよ。出発とキャンプ準備だけで6000文字なんて、嘘だよね?』
斗和子『本当よ』
キリオ『また、嘘……え?』
斗和子『本当よ』
明日はハンバーグにしようかな。
次におまえは「おお、ありがたい! 私はハンバーグが大好物なのだ!」と言う。