1.謁見
ラーシアがハーデントゥルムの裏社会で成り上がりを果たしている頃、ユウトは王都セジュールで打ち合わせを行なっていた。
話し合いは、順調だった。
事前の打ち合わせもあり、ファルヴから馬車鉄道でメインツへ移動し、そこから“領内文化祭”にご出席いただくという訪問のアウトラインはすぐにまとまった。
話し合いは、順調だった。
最後に、ひとつ。一番重要な部分で合意が得られなかったことを除けば。
「残念ながら、そちらの希望は叶えられない」
「どういうことです?」
ロートシルト王国宰相ディーター・シェーケル。
眼光鋭い壮年の男へ、ユウトが不審とも言える視線を向ける。
「アルサス王子の行啓は、少人数。殿下と婚約者のユーディット・マレミアス嬢。それに、数名の随員。それだけで行いたいということだ」
冷静に答える王国宰相には、後ろになで上げた頭髪に乱れはなく、精悍な顔つきには疲労の色ひとつ無い。
司令官が部下へ決定済みの作戦を伝えているかのようだ。
といっても、あっさり受け入れられるはずもない。
「……本気ですか?」
「ご本人の希望と政治的な事情だ。受け入れてもらいたい」
王宮内の宰相執務室。
それに隣接する専用の応接室で、ユウトは声にも不快感を乗せて、不服であることを表明する。
革張りのソファ。磨き抜かれたローテーブル。その上に用意された、ティーセット。
そのすべてが一流であり、諸外国との交渉にも使用されることがある、この豪華な部屋にふさわしい。
それだけの用意をしているということは、決してユウトを、イスタス伯爵家を軽く見ているわけではない。それなのに、この無茶な要求はなんなのだろう。
(裏があるのかよ……)
気づいたことを隠そうともせず、ユウトは横柄な態度でハーブティをすする。
さわやかな酸味とほのかな甘み。どんなハーブを使用しているのかは分からなかったが、美味しいということだけは確か。また、それが妙に腹立たしい。
「少数での行啓となると、宿舎は――」
「ファルヴの城塞をご希望だ」
「はっきり言って、うちじゃまともな歓待はできませんよ?」
「それは……分かっている」
引き締まった体を縮ませて、宰相もまた苦悩を垣間見せる。
私も、中間管理職なのだよ――と。
「それどころか、安全も保証できかねます。このお話はお断りさせていただきます」
しかし、ユウトには関係ない。そんな立場など、知ったことではない。
なにかあって責任追及をされるのはごめんだし、それで戦にでもなったらアカネには見せられない惨事になる。
人もモンスターも動物も。
その命を奪ったことなど何度もある。だが、それをアカネには見せたくなかった。
「正式な文書は後ほど。それでは、失礼」
言葉と態度に拒絶を満載して、ユウトは席を立った。
ヴァルトルーデには遠く及ばないものの、見るものをはっとさせる颯爽とした身のこなし。
「分かった。座ってくれないか」
「嫌です」
「なっ!?」
事情があるだろうことは分かっていた。
それが、なるべく隠しておきたいのだろうことも。
しかし、ユウトには関係ない。そんな立場など、知ったことではない。
アルサス王子自身には恨みもない。それどころか、最大限協力しても良いと思っている。これはユウトだけの考えではなく、仲間たちの総意。
だからといって、不誠実な交渉者に譲歩するつもりはない。
ディーター・シェーケルがロートシルト王国宰相として国益を最大限にすべく努力するものであるのと同じく、ユウト・アマクサはイスタス伯爵家の家宰として領主と領民に利益をもたらさなければならないのだから。
「訪問を断るというのかね? そんなことをしたら……」
「どうなります?」
自ら処罰をほのめかしながら、ディーター・シェーケルは沈黙するしかなかった。
実のところ、王家からイスタス伯へ切れる札は少ない。
軍役の免除は早々に反故にし、バルドゥル辺境伯とのいざこざの際にも仲裁は失敗した。新領地開発に伴う協力も、ほとんどしていない。
もちろん、王家が上位であるのは間違いないだろう。
間違いないが、それは相手が敬意を払ってくれているから成り立つ関係だったのだ。
「すまなかった」
さすが政治家と言うべきか。
宰相であるという体面も自尊心も一瞬で捨て去ると、ディーター・シェーケルはソファから立ち上がり頭を下げた。
だが、ユウトが欲しいのはそんな対応ではない。
「…………」
あの書状が送られて以来、蓄積されてきたストレスがユウトの中で荒れ狂う。
アカネからはどんな苦境も受け入れて乗り越えると評されたこの大魔術師にも、限界というものがある。
この豪華なソファを蹴倒して、野良猫の群を解き放つぐらいのことはしても許されるのではないか。
そんな妄想にとりつかれていたところ、突然、扉が開いた。
「ユウト殿、我が臣が礼を失したようだ。謝罪しよう」
「……陛下!」
宰相が慌てて臣下の礼を取る。この登場は、完全に予定外だったようだ。
ユウトも、この展開には、さすがに平静ではいられない。
チャールトン三世。
白髪で、長い髭の老人。
いかにもといった風貌の国王。
しかし、ただの老人ではないことは、老人にしては分厚いその胸板と、威風堂々とした歩みからも明らかだった。
ロートシルト王国の主は、王であると同時に武人でなければならない。彼は、それを体現していた。
「礼は不要。座られよ」
ディーター・シェーケルが空けたソファに、極めて自然な動作で腰を下ろす。
宰相は慌ててその背後に控え、普段は鋭い光を放っている目を白黒させていた。
「失礼します」
ユウトはヴァルトルーデの家臣ではなく、大魔術師であり冒険者として王の対面についた。
チャールトン王は、「ユウト殿」と呼んだ。
つまり、イスタス家の家宰ではなく、王都を世界を救った英雄に話があるのだろう。少なくとも、ユウトはそう判断したし、それは誤りではなかったようだった。
「相手を見誤ったな、シューケルよ」
「はっ。返す言葉もございません」
にこやかなチャールトン王とは対照的に、汗顔の至りという表現の見本と化している宰相。
そんな二人を眺めつつ、ユウトは言葉を待つ。
「シルヴァーマーチのケラの森。その奥には、自然崇拝者たちが守る遺跡がある」
「それは……初耳ですね」
治める地であると同時に、冒険者時代は活動の中心だった土地。
しかし、そんな話は聞いたことがなかった。
「まあ、閉鎖的な自然崇拝者たちならそのくらいの秘密はありそうですが……」
「その遺跡の奥には六源素の集まる大渦があり、その先にヘレノニア神の祭壇があるのだ」
「古い、祭儀だ」
宰相の説明を受けて、チャールトン王が遠い目をしながらつぶやく。
今では途絶えてしまった、ロートシルト王家に伝わる秘儀。
祭壇の守護者を打ち倒すことによって新たな王としての誓いを立て、その身にヘレノニア神の長剣の紋章を刻まれるという。
「あれは、証を立てねばならぬ」
「なるほど。それで、実質王子お一人で……ということですか」
直系の男子はアルサス王子しかいないとはいえ、二十年も行方知れずになっていたのだ。玉座につくことを問題視するだけなら、まだ良い方。廃嫡や傍流王族の即位を促す声もある。
それが、未だアルサス王子が正式に立太子されていない理由だった。
しかし、古式に則り儀式を終えることでその流れも変わる。
「秘密にしたかった理由は分かりましたが……」
ユウトは、チャールトン三世の背後に控えるディーター・シューケルへ鋭い視線を向ける。
恐らく、訪問が最終決定したか、あるいは訪問中にこのことを打ち明けるつもりだったのだろう。絶対に断れないタイミングを見計らって。
「それをお教えいただいたということは、冒険者としての我々に、その探索行の露払いをさせたいということですね?」
「親ばかと笑うかの?」
「いえ、適任でしょう」
少なくとも、ヴァルトルーデは断ることはないだろう。
それはつまり、その依頼を受けることと同義だ。
「そうか」
チャールトン三世がわずかに相好を崩す。
その表情は、息子を心配する父親そのものだった。
「感謝に堪えぬ」
「妥当な依頼であれば引き受けます。我々は冒険者ですから」
「冒険者であれば、報酬が必要であろうな」
息子のために奔走した男の面影はどこにもない。
老王が、威厳のこもった声で宣言した。
「それを為したならば、ロートシルト王アルサスの名において、イスタス伯を侯爵へと昇爵させることとなろう」
そうきたか……。
思わず頭を垂れながらも、ユウトは感心していた。
ヴァルトルーデを、彼女の下に集う仲間たちを本質的に従えることはできない。それでも取り込みたいならばどうするか?
簡単だ。
地位と権力を与え、引き上げ、国とヴァルトルーデたちの利益を一体化させてしまえば良いのだ。
「王よ、それでは……」
「うむ。アルサスが身の証を立てたならば、余は王位を退く。とはいえ、あやつはまだ若輩者よ。しっかり支えてくれよ」
「我が命に代えましても」
改めて忠誠を誓い合う主従を眺めながら、一本取られたな……と心の中で苦笑を浮かべる。
別に、叛逆するつもりも下剋上をする意志もないのだから、構わないのだが。
「すでに内示をしてはいるが、その時に合わせユウト殿の叙爵も行うようにな」
「御意に」
「その件なんですが、やっぱり、北の塔壁近くの直轄地を男爵領とされるおつもりですか?」
ユウトの推測の形をした確認に、宰相は目を見開き、チャールトン三世はわずかに遅れて頷きを返した。
「もし策源地としても確保するのが限界で、住民を移住させるのが目的だったら……この話、無しにしませんか?」
そう、仲間たちとの会議とは反対のことを言う。
策源地。つまり、北の塔壁に詰め、侵略を試みるヴェルガ帝国の軍勢から人類の領域を守る兵士たちへの補給物資を供給する土地だ。
「いえ、イスタス伯爵領でその住民は受け入れます。だから、そのためだけに叙爵する必要は無いってことです」
あの後、ユウトは詳細に検討をしたのだ。
現実逃避気味に。
住民を受け入れるのは、構わない。馬車鉄道を敷くのも、まあ、良いだろう。
しかし、空白になったその後、仮に屯田兵を入れるにしても、その伝手がない。募集にも時間がかかる。
「空になった村には、兵士とその家族を半農半兵という感じで入ってもらいましょう。普段は農民だけど、合間に軍事教練は行い、非常時には兵士として戦う。俺の故郷では屯田兵というんですが」
だったら、苦労の半分は国に背負ってもらおう。
そういうことだった。
「なるほど……」
王と宰相は、そのユウトの提案を聞いて、考え込む様子を見せた。
(ここは、畳みかけるか)
そう決めたユウトは、さらに言葉を重ねる。
「俺の国じゃないんですが、地球には準男爵という制度を設けている国があります」
「準男爵?」
「簡単に言うと、土地――領地を持たない貴族。いえ、貴族として扱われる平民と言って良いかも知れません」
「それが、どうしたというのだ?」
いらだたしさも訝しさもなく。ただ純粋に疑問だと、宰相が問いただす。
「お――私を叙爵されるのであれば、それに準じた爵位を作ってください。それなら、受けます」
「領地は不要だが、地位は欲しい。面倒事を避けたいだけではないかと、言われかねないのではないか?」
「言いたいなら、言わせてやりましょう。この大魔術師相手に言えるものならば」
いっそ傲慢とも言える口調と内容でチャールトン三世の懸念を一蹴する。
「そもそもですね。将来的に、土地持ちの貴族の権力は削らなくてはなりません。混乱をもたらしては本末転倒ですが、彼らの力におもねって、王権が制限される。それこそ、問題でしょう」
「それはそうだが、できるものならやっている」
王国宰相ディーター・シューケル。彼も、本領の統治は代官に任せているが、ロートシルト王国の中央部に領土を持つ伯爵である。
大臣クラスなど国の要職にある者はだいたいそんなものだし、国と自領の利益が衝突することもしばしばだった。
「地縁を持たぬ貴族は、自動的に俸給を支払う王家に依存することになると、こういうことだな?」
「反対も予想されますが……」
「それは、私への反発と混ざり、うやむやになると思います」
「ディーターよ」
「はっ。早速、検討いたします」
こうして、ユウトの現実逃避から始まった提案は、ロートシルト王国を封建国家から絶対主義王朝へと脱皮させる嚆矢となるのだが、それを実感するのはだいぶ先の話となる。
「さすが、大賢者殿の高弟。知恵者であるな」
そうお褒めの言葉をいただくが、多元大全でカンニングをしただけと思っているため、誇る風もない。また、面倒なのでヴァイナマリネンの弟子などではないと、否定もしない。
それがまた大物感を演出していることに、ユウトは気づいていなかった。
「となればやはり、アマクサ家を残すためにも、一刻も早く、婚姻を結んでもらわねばな」
「左様ですな」
主に同意したディーター・シューケルが、一礼して応接室を出る。
「これが、王家に届いている婚姻の申し込みです」
戻ってきた宰相が床に置いた木箱には、日本風に言えば、お見合い写真の束が詰まっていた。箱から出して重ねたならば、束ではなく塔になるだろう。
美化されていることは間違いない肖像画や、自領への招待という名のお見合い、難解な言い回しの中に婚姻関係を結びたいとアピールする手紙等々。
真心と欲にまみれた申し込みだった。
「数百年後には、貴重な史料になってそうだ……」
それを心底嫌そうに見つめる大魔術師。
「我が王家の分家筋にも、適齢の娘はおるが……」
「お断りします。既に、婚約者がおりますので」
「ほう……」
「まあ、まだ口約束ですが、ヴァルトルーデと、その、なんというかですね。そんな感じでして」
歯切れが悪いのは、気恥ずかしさが半分。そして、本人にはまだ伝えていないのに、なんでこんなおっさんたちへ先に言わなくちゃいけないんだという理不尽さが半分。
「それはめでたいことではないか」
「想定通りではありますが、歓迎すべき慶事ですな」
口々に祝福をしてくれるが、どうにも素直に受け取れない。
「だが、イスタス伯との子は、イスタス伯爵家の跡継ぎとなろう。ならば、妻のもう一人ぐらいは――」
「私は、まだ故郷に帰ることを諦めてはおりません。また、最前の変事の際、私の故郷での婚約者も、このブルーワーズへ転移をしております」
事前に決めたとおりの説明をするユウト。
心の中では、アルシアの手のひらの上で転がされているような感覚を味わっていた。
しかも、実はそれほど嫌ではないのが困る。
「ふむ。であれば、シューケル」
「はい、やむを得ないでしょうな」
どうにか納得してくれたようだった。
様々なものを犠牲にしたような気がするが、必要な犠牲だったのだ。泣きながら馬謖を斬ったと思っていたが、斬られていたのが自分だっただけなのだ。
主人公が戻ってきたけど、おっさんばっかり……。
作者も限界なので、明日からはヒロインが復帰します。




