番外編その11 High School Dungeons&Dreaming 第二十五話
「ぬうぅんっ」
筋骨隆々とした岩巨人が、うなるような重低音を発すると同時にスパイク・フレイルを横に振るった。
教室の机を草のように薙ぎ払い、耳を押さえたくなるような騒音が轟く。ヴァルトルーデとヴェルガを同時に打ちすえるその軌道に、共闘への未練めいたものは欠片もない。
「単純な暴力が、これほど厄介とはの」
「防いだのに体が痺れるとは、やはりとんでもないな」
ヴェルガは反射的に避け、ヴァルトルーデは籠手と一体化した盾で防いだが、受け止めることはできず弾き返しただけ。
どちらもダメージはなきに等しいのだが、脅威を感じずにはいられない。
一方エグザイルは、インパクトの瞬間、武器に付与された呪文の反動でさらに血が流れた。弁慶の立ち往生もかくやという惨状。
だが、気にした様子はない。淡々と、ルーティンワークのようにスパイク・フレイルを引き戻し、同じように振るった。
約半径12メートルの円は、エグザイルの支配領域。
その範囲内のあらゆる存在は、決して影響から逃れ得ない。
それは、美の神に勝るとも劣らないヘレノニアの聖女も例外ではなかった。
「ちぃっ」
距離を詰めようと動き出した瞬間、ヴァルトルーデの足下にスパイク・フレイルが迫る。錨のような先端に牽制され、距離を詰めることは叶わない。
無理やり動いていれば、文字通り足をすくわれていたのだろうから
仕切り直すため、距離を取ろうとしたヴァルトルーデ。
その横合いから強力な怒りの霊気が漏れ出で、思わず動きを止めてしまった。
「……よくも」
ヴェルガは、ある一点を凝視し、怒りに打ち震えていた。
ユウトからプレゼントされ、協力して染め上げた彩魂の着物。
その桜の花びらのひとつに、汚れがついていた。
いや、汚れではなく、すり傷か。エグザイルの攻撃を、完全には、避け切れていなかったのだ。
「よくも、婿殿のキモノに傷をつけてくれたの」
その怒りは、腑甲斐ないヴェルガ自身へ向いていたのかもしれない。
「《神移》」
秘跡で短距離の瞬間移動をしたヴェルガが、エグザイルの背後に出現した。スパイク・フレイルを振るう暇もない、まさに神の奇跡。
同時に、悪の王権を象徴する秘宝具のひとつ、王錫を大鎌へと変じさせる。
「その命で贖うが良い」
そのまま、赤い刃をエグザイルへと振り下ろした。
「エグザイル!」
背後から岩巨人へ迫る大鎌を目にして、ヴァルトルーデが悲鳴を上げた。
それでいて、一瞬の遅滞もなく突撃する。介錯をするのなら、ヴェルガではなく自分自身で――と、思っているのかもしれない。
「ぐぬっっ」
大鎌の刃は龍鱗の鎧を容易く斬り裂き、岩巨人の肌や筋肉すらも貫いて、心臓にまで達した。
致命傷。
だが、致命傷程度でエグザイルが倒れるはずがない。
「WULLLLLLYYYYYYYY!!!!!」
そもそも、ヴェルガの攻撃を回避できなかったのではなく、しなかったのだ。
あえて。
代わりに、ヴァルトルーデへの牽制を優先する。再度、足を払うように振るわれたスパイク・フレイルが、今度はさすがに聖堂騎士を地面に転がした。
「……見事だ」
ヴァルトルーデを倒す、千載一遇の好機。
「妾を甘く見るな」
だが、ヴェルガは乗らなかった。今なら、ヴァルトルーデに痛撃を与えられるだろうに、無視した。
それほどまでに、ユウトへの愛は本物だった。
さらに大鎌に力を込め、エグザイルをふたつに分割しようとする。
「光栄なことだ」
卑怯などとは言わない。いや、一欠片でも、思いはしていない。
悪の半神とヘレノニアの聖女。
風紀委員長と生徒会長。
その両者が真っ先に倒すべき脅威だと判断されたことに、エグザイルは歯を見せる。嬉しそうな微笑み。
それは、ヴァルトルーデとヴェルガを狩れると確信して浮かべた肉食獣のもの――ではない。
ユウトのまねごとができそうだと思うとつい浮かんでしまった、子供のような無邪気な笑顔だった。
「決着は、任せた」
エグザイルが、最後の力を振り絞ってスパイク・フレイルを振るう。
――上へ。
天井が崩れ、床が落ちた。
「任されました」
一緒に、太陽神フェルミナの地上代行者が降ってきた。ひとつ上の教室で待機していた、セネカ二世が。
「セネカが戦闘不能したと疑いなく信じられたのは業腹ですが、好都合でした――」
エグザイルは、わざと怪我を治さずにいた。
すべては、このため。最高で最後の舞台に、セネカ二世を引き込むために。
「《神光爆砕》」
セネカ二世の全身が光に包まれる。
神々しく、そして、危険に満ちた光。
命を糧にした、清聖呪文。
他の清聖呪文と異なり呪文による蘇生は可能だが、それで呪文の価値が落ちることはない。
人が振るうことができる、最高位。第九階梯の神術呪文。その中でも、犠牲が必要ゆえに、さらに強力な清聖呪文。
二重の意味で、人間が起こしうる最高の奇跡が解き放たれる。
神の怒りが教室を蹂躙し、校舎内で荒れ狂う。
すべての壁が吹き飛び、ガラスが砕け散り、階段は爆風に飲まれる。
そして、限界まで膨らんだ風船のように破裂し――世界が光で埋め尽くされた。
三大派閥による最終戦の決着がつく、少し前のこと。
エグザイルが最初の一撃を放ったのと同じ頃、ユウトとヴァイナマリネン。二人は揃って《飛行》の呪文を用い、体育館の中を飛び回っていた。
そうしながら撃ち出される、牽制代わりの《理力の弾丸》や《火球》が、壮麗な花を咲かす。
目の前で繰り広げられるスペクタクルに、アンダーメイズでの冒険に慣れているはずの生徒たちからも歓声が上がる。
あるいはそれは、スクリーンに映し出されているエグザイルの奮闘へ向けられているものかもしれなかった。
そちらを意識しつつ、ユウトはどうやってヴァイナマリネンを仕留めるか、思考を巡らす。
残念ながら、《時間停止》は切り札にならない。当然、ヴァイナマリネンも使ってくるだろうから。二人同時に使用することで、通常空間と変わらなくなる。厄介だ。
体育館という場所柄、大規模な呪文も使えない。
となると、今のように呪文を単発で放つしかないのだが、お互い対抗策は万全。
倒しきるには、純粋に手数が足りない。
かといって、エレメンタルなどを召喚すると周囲への影響が気になる。
なら、それ以外の呪文で手数を増やすしかない。
「《剣》」
ヴァイナマリネンも同じ結論に達したのだろう。
予想通り、ユウトの背後に純粋魔力の剣が出現した。
本来は、開発者であるヴァイナマリネンの名を冠す、《大賢者の剣》と呼ばれる、第七階梯の理術呪文。
「大人げねえな!」
効果時間の残っていた《大魔術師の縮地》で慌てて回避。
ユウトがいたはずの空間を純粋魔力の剣が斬り裂いて、短距離転移した獲物を追って軌道を変える。
さらに、ヴァイナマリネンは手を緩めない。
「《捕捉の球体》」
横で半分に切られた純粋魔力の球体が出現。口を上下させるようにしながらユウトへ迫り、喰らおうとする。
後ろから剣、前方から謎の球体。
「勇人! こんなところで負けないでよ!」
だが、下からは愛する人の応援。
元々、負けるつもりなどないが……格好良いところを見せたくなった。
「《遮手握撃》」
呪文書から7ページ斬り裂いて、背後に展開。
ユウトを軽々と覆い尽くす透明な手が、《大賢者の剣》を遮った。
「喰らえっ」
続けて、ユウトが手を動かすのに合わせて純粋魔力の手が移動し、《捕捉の球体》とぶつかり合った。
ガラス同士を打ち合わせたかのような、高く澄んだ音。
それだけでなく、結果も同じ。
《遮手握撃》と《捕捉の球体》は揃って砕け散り、純粋魔力のプリズムが体育館に降り注ぐ。
「次は、こっちから行くぜ」
ヴァイナマリネンに指を突きつけてから、ユウトは呪文書から8ページ分切り裂いた。
「《破壊の領域》」
「《理力の――」
それがヴァイナマリネンを取り囲み、黒い球体へと変わって大賢者を覆い尽くした。持続時間は一分ほどと短いため、出てこられないわけではない。
ただし、あの内部では純粋な魔力が荒れ狂い、内部にいるものを散々に打ち付けている。その攻撃をしのぎ切れたなら、生きて出られることだろう。
ドラゴンすら殺した攻撃だが。
――しかし。
「殺す気か!」
案の定、ヴァイナマリネンは生きていた。どうやら、《理力の棺》で周囲を覆い、身を守ったようだ。
「死んでねーじゃねーか!」
いつになく楽しそうなユウト。
本人に言えば否定するだろうが、見るからに生き生きとしていることは間違いない。
ひとしきりぶつかり合って、大魔術師の魔術戦は、小康状態を迎えた。
今まで黙って眺めていたラーシアが、唐突に口を開く。
「ところでさ」
「……その先、聞きたくない雰囲気がびんびんするんだけど」
「ここでボクが二人を狙撃したら、楽しいことになるよね」
「せめて勇人は外して!?」
「えー? でも、敵を倒すには、まず味方からって言わない?」
「欺くにはね!」
狂戦士にもほどがある。
「それよりもさっき、なんかファルヴの武闘会の話をしてたみたいなんだけど……」
「うん。ボクとは別口で来たみたいだよ」
「そんなあっさり!?」
それなのに、ヴァイナマリネンは接触しようとはしなかった。来た直後、真っ先に会いに来たラーシアとは、まるで違う行動。
それでユウトからラーシアに対する好感度が上がるわけでもないが、ヴァイナマリネンの真意が理解できない。
「というか、別口って」
しかも、ラーシアよりも早くこちらに来ている。
いや、下手をするとユウトやアカネよりも早く……?
「意識を失った直後に、この世界が生まれた……というわけじゃないだろうからね~」
「それは……そう……かも?」
気付いたら、突然、この世界にいた。
それは、覚醒までの期間を保証するものではない。
ユウトやアカネの記憶を読み取ったような世界なのだ。構築するまで時間がかかっても、おかしくはない。
ユウトやアカネがよく知る人物が、協力者にいても。
「この学校の用務員じゃなくて、この世界の管理人だったってこと? 未亡人!?」
こんなときでも。いや、だからこそ、アカネの脳は暴走していた。
「まあ、今さらだよ、今さら」
「それはそうだろうけど……」
言っていることは理解できるが、納得はいかない。
そんなアカネの話が、ユウトの耳にも入ってきた。
「ジイさん。下でラーシアとアカネが喋ってるのは……」
「ああ。本当だぞ」
飛びながらにらみ合いつつ、あっさりと認めた。
ヴァイナマリネンはヴァイナマリネンだった。
なぜ教えなかったのかと問い質しても、煙に巻かれるだけだろう。
「俺たちを心配して……?」
「当たり前だろう」
またしても、なんのてらいもなくヴァイナマリネンはうなずいた。
「こんな男でも、カイトとユーリには一人しかいない父親だからな」
「うちの子のおじいちゃんは、一人で間に合ってるんだよ!」
カイトとユーリは、ちゃんとした子に育てないと。
危機感とともに、二人の会話を聞いていたアカネはそう決意する。元々、ユウトの子供は自分の子供も同然と思っていたが、その気持ちがさらに強まったと言ってもいい。
その時。
「――え? なにが?」
轟音が中と外からして、体育館が大きく揺れた。
映像も途切れてしまっている。校舎でなにがあったのか分からないが、なにかが起こったのは明らかだった。
「あー。自爆して……たぶん、校舎が崩壊したんじゃないかな?」
「……見てたの?」
「それはもちろん。そのくらいの注意力はあるさ」
「あたしたちも、行ったほうがいいんじゃない……?」
まさに、こんなこともあろうかと待機しているアルシアやレンたちが救助へ向かっているはず。だから、心配はないと思っていいが……。
「……終わりか」
戦闘の狂騒が急激に冷めていく。
ユウトは呪文書を仕舞って、代わりにヴァイナマリネンをにらみつける。
「ラーシアと一芝居打って、こうなるように仕向けたってことか」
「どうだ? ワシに八つ当たりして、満足しただろう?」
「八つ当たりじゃなくて正当な復讐だったような気がするけど、まあ……気分は良くなったかな」
ストレス解消ではないが、すっきりしたのは確かだ。
「ワシの師は他人のことばかりだからな。たまには、ハメをはずさんと溜まり溜まって浮気でもやりかねないからな」
「ストレス源が風評被害を振り撒くの、止めてもらっていいですかねえ!?」
浮気など、考えたこともない。いや、重婚しているうえに、そのための法律まで作っておいてなにを言っているのかという感じではあるが……。
「ワシも、満足した。そろそろ、店仕舞いして良かろうよ」
「ま、名残惜しいけど、仕方ないよね」
逆光となった体育館の入り口。
その声に反応したのは、もう一人の。この世界のラーシアだった。
「まさか、黒幕って……」
「ふっ。キミたちなら、もっと早く気付くと思っていたけどね」
「意外性がなさ過ぎて意外だわ……」
「あれぇ? ボクちょっと、信用なさすぎなじゃない? こっちのボクはなにやってたの?」
「なにって、ラーシアやってたぞ」
下に降りてきたユウトが、当たり前のことをつまらなそうに言った。
そのタイミングで、入り口の影から、もう一人。
ややつり目がちだが、整った顔立ちの少女が姿を現す。
長い黒髪をポニーテールでまとめており、その華奢でスレンダーな体型と相まって、子猫のような印象を与える。
「……え? なんで?」
それは、賢哲会議の一級魔導官、秦野真名だった。
そう。最も、この学園周辺の外を意識させる言動をしていた、ユウトたちの後輩。
「……マキナがいない時点で、不審に思うべきだったのか」
「でも、周囲は不審なことだらけだったじゃない?」
木を隠すなら森とはよく言うが、実際にやられると本当に分かりにくいものだった。しかも、他の木がどれもこれも奇抜すぎて、完全に埋没されては。
もしかすると、ユウトが突然現れたときの狼狽は、別の意味で本気だったのかも知れない。
「お初にお目にかかります」
ユウトとアカネの混乱を余所に、真名の姿をしたものが、つかつかと近付いてくる。
そして、目の前で立ち止まると、柔らかな魔力光を放って姿が変わった。
まるで、夢のように。
「この身は、夢殿の貴姫レムレ・ノレム」
長い前髪と、ねじくれた二本の角。
先のとがった細い尻尾と、皮膚に密着した黒い衣装で要所を隠した少女。
「弱小ながら、悪魔諸侯の一柱を務める存在です」
お見知りおきを。
そう、不器用に付け加え。
夢殿の貴姫は、長い前髪の下から、じいっとユウトの目をのぞき込んだ。
メカクレ系デーモンロード始めました。
はい。というわけで、案の定終わりませんでした(知ってた)。
でも、次で終わるよ。次でエピローグだよ。
ここから、本当の敵が出てくるとか、そういう展開は無いんだよ。