9.ハーデントゥルムの闇
今回、主人公とヒロインの出番がありません。
申し訳ありません。
ラーシアがハーデントゥルムを訪れるのは初めてだった。
だが、それでなにも変わることはない。人間が人間である限りは。
まず、いくつかの酒場を巡って会話に聞き耳を立てる。
ほとんどが関係も益体も無い話だったが、日が暮れる頃にはラーシアは店を出て移動した。
ハーデントゥルムでも最も奥まった場所にある、深夜まで営業している酒場や娼館、賭博場などがひしめき合う一画。
その裏通りを迷いなくラーシアは進み、ある酒場の裏口の戸を叩いた。
中から出てきたのは、片耳がない禿頭の大男。
子供にしか見えないラーシアに訝しげな視線を向けるものの、金貨を握らされるとすぐに地下へと案内した。
そこは、賭博場だった。
それもハーデントゥルムの評議会が認めていない、違法な。
つまり、ラーシアの目的地だ。
アカネへの自己紹介で言ったとおり、この程度の情報収集ができなくては盗賊は名乗れない。
きょろきょろと、いかにも慣れていない様子で全体を回遊するように移動し、最終的にカードの卓に腰を落ち着けた。実際は、ラーシアには椅子の位置が高すぎて、座るのに苦労したのだが。
そんなラーシアを見て、ディーラーも同席している他の客も思っただろう。
鴨が来たと。
そんな思惑も知らず、ラーシアは景気よく金貨を10枚ほど手元に積む。
「フォースアラインですが、よろしいですか?」
「うん。よろしくね」
ブルーワーズでは、一般的なカードゲーム。
細部は異なるが、トランプで麻雀の役を揃える……といえば、イメージは近い。
ディーラーが自分も含めた参加者へ最初の手札を配り、役が揃うまで無言でカードを交換していく。
「お、きた」
そのゲームで最初に歓喜の声を上げたのは、案の定と言うべきか、ラーシアだった。
「上がりだよね? ダブルドラゴン」
場に広げたラーシアの札には、赤竜と黄金竜の刻印が印字された札が何枚かセットで揃っていた。
「はあぁ……」
誰からともなく漏れるため息。
賭け金がラーシアへと流れていく。
ビギナーズラックかと、一回ぐらいは仕方ないかと、ディーラーも含めた参加者たちは頭を切り換えた。
フォースアラインは人気だが、麻雀に喩えたとおり運の要素が大きなゲームだ。
だから、勝ちが続くはずがない。
――普通なら。
「いやぁ、ツイてるね!」
もちろん、ラーシアは普通ではなかった。
カードのすり替えに山札の入れ替え。手先の器用さと素早さを利用して、誰にもバレないイカサマで勝利を重ねる。
ラーシアからすれば、ディーラーも他の参加者も等しく案山子に過ぎない。
最終的に、金貨百枚ほどプラスしたところで席を立った。
去り際、罪のない――とは、こんな場所にいる以上、一概に言えないが――犠牲者である同席者の懐に、気持ちだけだが金貨を放り込んでおくのも忘れない。
ラーシアにとっては、ちょっと儲かったなという程度だが、店にとっては看過できる額ではなかった。
珍しい話ではない。
大勝ちしすぎた男が、その帰り道に痛めつけられ勝ちをふいにすることなど。
「まあ、相手にもよるよね」
ぱんぱんと手を叩いてほこりを払ったラーシアが、足下に転がるゴロツキども見下ろして不敵に笑う。
まさしく、相手が悪かった。
弓の名手であり、理術呪文の使い手でもあるラーシアだが、こんなゴロツキに毛が生えた程度の相手など、素手でどうにでもできる。
まったくの想定外に、地面に倒れ伏したゴロツキたちは理不尽を全身で味わっていた。
「くっ……。グリム・ディの手先か?」
「そんなんじゃないよ。そういう意味では、キミたちの味方かもね」
「ふざけるなっ」
「まあ、いいさ。とりあえず、ボスの所に案内してもらおうかな」
天真爛漫。
邪気の欠片もない純真な笑顔を浮かべながら、足下の男の襟を掴んで引き起こす。
「寝言を――」
「言ってるのはどっちかな? 口があるのは、キミ一人じゃないみたいなんだけど、その辺どう?」
ラーシアを賭場に通したあの大男の残った方の耳に、鋼の冷たい感触が押しつけられる。
いつの間に、ダガーを取り出していたのか。なぜ、それを最初から使わなかったのか。
疑問は尽きない。
だが、はっきりしていることがある。
「……分かった。案内する。ついてこい」
それは、組織の人間が全員束になっても、この子供のような草原の種族一人に勝つことなど不可能だという事実だ。
ラーシアがハーデントゥルムに来てから一週間が経った。
ユウトとヴァルトルーデとアカネが婚約者として発表されるかも知れないなどというビッグニュースも知らず、ただただ任務に邁進したこの草原の種族は――
「兄さん、グリム・ディのヤツらのアジトをようやく見つけましたぜ」
――ハーデントゥルムの裏社会を統べる顔役となっていた。
組織の本部。
とある娼館の地下に存在する一室で、ラーシアはその報せを受け取った。
豪奢に飾られた、ラーシア専用の玉座。
エルフの里で作られ、少量のみ出荷されるワインを片手に、報告書に目を通す。完全に悪役にしか見えない。草原の種族の女性を侍らせたりしない辺り、まだ最後の一線は越えていないようだったが。
「ヤツら。王都からの流れ者でしたわ」
「道理で、人さらいもコロシもなんでもやる極道もんなわけじゃ」
「ふんふん。なるほどね。なかなか見つからなかったのも当然だ」
組織を掌握したラーシアは、綱紀粛正と同時にいくつもあった犯罪組織の統合を行い、そのトップに立った。
しかし、それは目的を達成するための手段でしかない。
ハーデントゥルムの裏社会で暗躍する、性質の悪い組織を潰す。
それが、ユウトからの依頼。
ユウトがこの光景を見ていたら、怪しい組織を摘発しろと言ったのであって、誰も夜の世界を統べろだなんて言ってないと頭を抱えたことだろう。
そしてそれが現実になるのは、そう遠い未来ではなかった。
「船を本拠地にするなんて、考えたじゃないか」
王都から流れてきた犯罪組織、グリム・ディ。
それこそ、ラーシアのターゲットだった。
いかなる理由で王都からハーデントゥルムへ進出してきたのかは分からないが、商会への押し込み強盗、誘拐、人身売買など、この短期間でありとあらゆる犯罪に手を染めている。
違法な賭博場など、可愛いもの。
そんなに派手に動いて追及の手が及ばなかったのは、本拠地が陸地ではなく、海の上にあったからだったようだ。
何度も出航と帰港を繰り返していては怪しまれるだろうが、港湾の職員に金を握らせるなり、人質でもとって脅すなりすれば良いだけ。
「じゃあ、行ってくるよ」
「待ってくだせえ、兄さん!」
「俺たちも連れてってくださいませんか!」
「ダメダメ、邪魔になるよ」
「そんな……」
「キミたちは、黙ってボクの帰りを待っていれば良いのさ」
いっそ酷薄とも言える口調で、ラーシアは彼の玉座を後にする。
「いや、黙ってってのは無理か」
「兄さん?」
「これで、騒ぎながら吉報を待ってなよ」
振り返りもせず、懐からなにかを取り出して背後へ投げる。
巾着袋のようなそれが床に落ちると口から、何十枚もの金貨がまろび出た。
「お気を付けて!」
子分たちの唱和を背に、ラーシアが地下室を出る。
その姿はすぐ人混みと闇に紛れ、彼に誰か尾行を仕掛けていたとしてもあっという間に見失っていたことだろう。
それは、目的地であるキャラック船の内部に潜入してからも変わらない。
敵組織の隠れ家になっている商船の中、物陰に隠れ、あるいは天井に張り付いて見張りをやり過ごしながら、まずは一番底を目指した。
ヴァルトルーデやエグザイルが一緒だったら、正面から討ち入りになっていたはず。
その部分に限っては、ユウトの判断は適材適所だった。
ラーシアは、当然のように血を一滴も流さずに船底へとたどり着く。
そして、そこで醜悪なモノを目にした。
「うう……」
「ああ……」
いくつものうめき声。
臭いも酷く、磯臭さと不潔な体臭とそれ以外のなにかがミックスされた空気は、筆舌に尽くしがたい。
「やれやれ……」
その源には、奴隷のように繋がれている男女。二十人は下らないだろう。
「ボクもユウトも舐められたもんだね」
自然と怒りが湧いてくる。
しかし、ラーシアは冷静だった。
ひどい状態ではあっても命の危機に瀕している被害者がいないと分かるや、船室へと踵を返す。
まず、頭を叩く。
それで降伏しなければ、姿を見せずに一人ずつ始末していこう。
そう大ざっぱな計画を立てると、船底へ向かったときと同じような隠密行動で、一番豪華な船室にたどり着いた。
そして、扉越しに漏れ伝わる凶行。
「はっ、はっは。死ね! 死ね! 死ね!」
狂ったような。
いや、実際に狂った叫声。
それと同時に、鈍い音が聞こえてくる。
「そこまでだよ!」
罠を確認するのも忘れ、慌ててラーシアが部屋に飛び込む。
そこに広がる惨状はしかし、想像とは異なるものだった。
でっぷりと太り髪がまばらになった男が、棍棒のようなものを振り下ろし、哀れな犠牲者に叩き付けている。
「死んだ! 当たり前だ! 殺しゃ死ぬんだ! あはっ、あはははははははは!」
ただし、殴られているのは人間ではない。
船室の床に散乱しているのは、鶏や豚、山羊などの家畜の亡骸だった。いずれも、頭と言わず体と言わずへこみ、血と肉と骨がまき散らされている。
「じゃあ、あの死なねえ人間はなんだったんだ! きょうだいをくいころしたあれはわわわわわわ!」
完全に、精神の均衡が崩れていた。
それは、ラーシアが入ってきたことにも気付かず。あるいは気付いたとしても、意に介さず自らの行為に没頭していることからも明らか。
近くに寄ってよく見てみれば、腹の周りには脂肪がたっぷり付いているが、その顔は違う。
骸骨のようにやせこけ、目だけがぎょろっと光っていた。
かつては裏社会の顔役だったのかも知れないが、見る影もない。
「こりゃ、いろいろ無理そうだね……」
自失から戻ったラーシアが苦い表情でつぶやく。
この草原の種族にこんな表情を浮かべさせただけで大したものだが、誰も誰にも誇れない。
「他のまともそうな人に期待しよう」
銀色の光が、薄暗い部屋を縦断した。
「かふっ」
奇妙な音を立て、グリム・ディの首領が大きく仰け反る。
まるで、喉から生えているナイフを見せつけるかのように。
どうと音を立て倒れると、しばらくはひゅうひゅうと空気が漏れる音がしていたが、やがてそれも止む。
それを見届けてから、ラーシアは部屋の捜索を始めた。
「にしても、死なない人間に、食い殺されたねぇ」
そうしながら、先ほどの男の言葉を思い返す。
野外や迷宮であれば、そんなモンスターは枚挙に暇がない。だが、都市となれば話は別だ。
「そんなのに追われて、セジュールからハーデントゥルムへやってきたってことなのかなぁ」
まだまともだったころに書いたらしい手紙を見ながら、確信にも似た推測を口にするラーシア。
ある場所にドラゴンが棲み着いたことで土地を追われ、ゴブリンやオークの部族が別の地方へ流れていくことがある。
では、王都で活動していたグリム・ディが、首領が狂気に陥るまで追い込まれた相手とは……?
「ユウト……。こりゃ、結構根が深いかもよ……」
陽気な草原の種族がぶるりと体を震わせる。
かつて対峙した〝虚無の帳〟。それに似た、不気味さをラーシアは感じていた……。




