番外編その11 High School Dungeons&Dreaming 第十八話
エレファントの屍生人に乗った死界の王が率いる、数千は下らないだろう屍生人の群れ。
沼地を覆い尽くすような集団を目の前にしても、ヴェルガはいつも通り。愛する人から着物を贈られた女帝にとっては、蟻の行列と大差ない存在だ。
「停止せよ」
堂々と、そうするのが当たり前だと言わんばかりに命令を下した。
様になっているどころではない。元々、屍生人に対する統帥権を握っていたとしか思えなかった。
その威に打たれ、屍生人の群れがゆるゆると停止する。一斉にではなかったのは、単純に屍生人の反応速度の問題。
ヴェルガの支配に辛うじて抗したのは、本来の支配者である死界の王ただ一人だった。
「我が軍団の前に立つ、貴様らは何者か!」
言うことを聞かなくなったエレファントの屍生人から飛び下り、豪奢なマントをなびかせながら誰何した。
生き物が出したとは思えないほど深く反響する、怖気立つ声。
爛々と輝く赤い瞳は見る者の意識を萎えさせ、生気のないミイラのような顔は本能的な恐怖を呼び起こす。
身につけた指輪や護符といった魔法具も、《魔力感知》をするまでもなく強力な逸品だと分かる。
絶対に、対抗すべき相手ではない。
一般的な基準、では。
「通りがかりの高校生夫婦よ」
「どさくさ紛れに、なんてこと言いやがる」
夫婦に高校生がつくと、いかがわしさがとんでもない。
「気にするでないぞ、死界の王よ。妾の婿殿は、照れ屋さんでな」
「ヴェルガから、照れ屋さんとか聞きたくなかった!」
ユウトの知るヴェルガなら、絶対に言わないだろう単語。
ラーシアだ。ラーシアの影響に違いなかった。
ユウトの脳内ラーシアが、腰に両手を置いて高笑いしているので、絶対に間違いない。
「戯言を聞かせるために、我が進軍を妨げたか。万死に値するぞ」
「やれやれ、猶予を与えてやった意味が理解できぬとはな」
「まだ続けるか!」
死界の王が、死と負の霊気を噴出させる。それを受けて、周囲の屍生人たちが塵と変わる。
「だが、喜べ。妾は今、とても機嫌が良い」
けれど、ヴェルガの着物の裾ひとつ、乱すことはできない。
寛大さを誇示するように悪の半神は両手を広げ、そして、命じる。
「平伏せよ」
その光景は異様で、劇的で。感動的すらあった。
真っ先に、死界の王が膝をついた。マントが沼地で汚れることを厭うことなく。
同時に、数千を数える屍生人たちも、一斉に平伏した。
許しを請うのではなく、偉大なる存在への敬意を表すために。
それは、塵と化した屍生人たちすら例外ではない。女帝の命を遂行するため、塵から元の姿に戻り、その場にひざまずいた。
もちろん、屍生人にそんなの力があるわけではなかった。悪の半神が引き起こした、奇跡だ。
「では、目的を聞こうかの」
奇跡を起こしても、数千の忠誠を向けられても、常と変わらず。
ヴェルガは死界の王に発言を許可した。
「この世界には、忌まわしきヘレノニア神の秘宝具が存在する……いや、いたします」
ヴェルガはなんら反応を示さず、ただ黙って先を促した。
既視感ですらないのだが、ヴェルガの精神世界に囚われていたときに、こんなことがあったような気がする。
認めたくはないが、居心地は悪くなかった。
「腐肉の公主は、我ら不死の怪物への支配権を用いて、亡霊騎士たちが守る秘宝具を奪うように命を下したのです」
「しがない死界の王は、それに従う他なかったと」
嘲るというには優しげに、赤毛の女帝は理解を示した。
もはや、完全に絶対的に当たり前のように、下に見ている。
当然だ。寿命が来て地面に転がる蝉に、なにを期待するというのか。
「不死の怪物が最も恐れるは、自らの滅び――死でありますれば」
「そいつは随分とやるせない話だな」
単に寿命から逃れただけで、真の不死不滅ではないのだ。ユウトには理解できなかったが、それも当然かもしれなかった。
「うむ。だが、こうなれば簡単な話よな」
不死の怪物の悩みなど取るに足らないと、ヴェルガは言った。
「今後は、妾に仕えよ。腐肉の公主などより、余程ましであろ?」
「暗君から暴君に鞍替えするだけじゃねえか」
ニィと、口の端を上げてヴェルガが淫靡に笑う。
その姿は、筆舌に尽くせぬほど美しく。
なにより、似合っていた。どこまでも、ヴェルガらしかった。それゆえに、淫猥で美しい。
その点だけは、ユウトも認めなければならなかった。ベクトルは正反対ではあったが、それは悪との戦いに臨むヴァルトルーデと同じだったから。
「はっ。我ら一同、陛下のものとなります」
完全に威伏された死界の王が、あっさりと旗幟を鮮明にした。
「交渉も情報収集もすっ飛ばして、従属させやがった」
「そのほうが、確実に情報を得られるであろう?」
「否定できないのが困ったもんだ」
言いたいことは山ほどあるが、ユウトは苦笑の中にすべて押し込んだ。
今は、アカネとの合流が最優先。いきなり軍団を奪われた死界の王への同情など二の次だ。
「その秘宝具を守ってる亡霊騎士ってのは、そんなに強いのか?」
「少数なれど、一人で一軍に匹敵するほどに。また、倒すことができても、何処からか新たな戦士が現れます。それゆえ、時間を掛けて戦力を整えました」
それは、ある意味妥当な判断だが……。
「無駄なことをしたの」
ヴェルガは、当然のように辛辣だった。
ユウトも、擁護する気はない。
「真の英雄に対し、雑魚をいくら繰り出しても意味などないわ」
「それには同意だな。物量を超えられるからこそ、英雄なんでな」
確かに、あの屍生人たちは圧倒的だ。踏みつぶされて終わりだろう。
普通なら。
けれど、ヴァルトルーデに傷ひとつ負わせる光景を想像するのも難しい。
つまり、そういうことだ。
「仰せの通りのようです。先ほど、秘宝具のもとに、三つの英雄が召喚された気配がしましたので……」
「三人のう……」
「朱音たちかっ」
ユウトは露骨に安堵した。
危険がないわけではないだろうが、アカネがヴァルトルーデやセネカ二世と一緒にいるというのは、朗報だ。
「次にもうひとつ。腐肉の公主は、秘宝具を手に入れて、どうするつもりなんだ?」
少し冷静になったユウトが、死界の王に質問をした。
ヴェルガに忠誠を誓ったのだから、当然、ユウトにも丁寧に接する。
「手に入れよという以上のことは、腐肉の公主からはなにも」
「ヘレノニア神の秘宝具が、腐肉の公主をこの地に縛り付けている……ということなのか」
もしファルヴ――ケラの森の封印に準じているのだとしたら、それだけではないはず。だが、考察するにも情報が足りない。
秘宝具にしても、ただ破壊するだけで腐肉の公主が自由を取り戻すのか。それとも、解放するための儀式を行う必要があるのか。それすらもわからない。
「ヴェルガ」
「妾と婿殿と出会ったは、天の配剤よの」
名前を呼ばれただけで、ヴェルガはユウトの意図を察した。
祝福するかのように、それでいて淫らに言葉を紡ぐ。
「では、手始めにヘレノニア神の秘宝具とやらを手中に収めるとするかの」
「いや、手に入れるのはそうなんだが、あっちには朱音たちがいるみたいだからな。今度こそはちゃんと交渉するからな?」
「安心せい。きちんと手に入れてみせるわ。かく言う妾も、小母上には恨みのある身での」
「安心できる要素が、なにひとつとして存在しねえ……」
かくて女帝は進撃を開始する。
雲霞の如き不死の怪物を、そして、最愛の男を従えて。
アカネたちは、朽ち果てた城門の前で、幽霊王女の話に耳をかたむけようとしていた。
もちろん、ヴァルトルーデは討魔神剣を抜いたままで。
「まず、わたくしはミカエラと申します。かつて栄えしシュルバシュ王国の最後の王女だったものです」
「……知ってる?」
「私が知っているはずがないだろう」
「そうね。それはそうね……」
アカネが、ごめんねと手を縦にして謝った。
ヴァルトルーデは鷹揚に……というよりは、なにひとつ疑問を抱かずに受け入れた。
セネカ二世としては、その扱いでいいのかと思わなくもないが、口を出す問題でもないと静観を選んだ。
「セネカさんは、どう?」
「セネカも同じです。ひとつ言えるのは、吟遊詩人でもあるアカネ様もご存じなければ、それこそ異なる世界の話である可能性もあるということでしょうか」
「あたしに期待されてもあれなんだけど……。まあ、そういう国があったわけね」
「はい。祖国とともに焔に消えた直後、わたくしはヘレノニア神の秘宝具をこの身に宿していたのです」
「……ほう」
信じる神の名が秘宝具と一緒に出てきて、ヴァルトルーデは柳眉をぴくりと動かした。
だが、先にこの場所の説明をしたいと幽霊王女ミカエラは言った。
「ここは、腐肉の公主が支配する領域。いえ、正確には、テュェラ・ズ・ ラニュズはこの領域に留め置かれていると言えましょう」
「まるで、どこかへ行きそうな口振りだな」
ヴァルトルーデの指摘に、幽霊王女は青白い顔のままうなずく。
「アンダーメイズの階層を越えて移動することは、セネカたち生徒のほかには絶対不可能なはずですが」
「それって、まさか……」
この世界の常識に染まった二人とは違って、幽霊王女の前置きに、アカネは心当たりがあった。
悪魔諸侯の一柱、腐肉の公主テュェラ・ズ・ ラニュズ。その居城とケラの森――ヴァルトルーデの領地の一部――が、実はつながっているという話だ。
六大源素とヴァルトルーデが信じるヘレノニア神の分神体により封じられているが、一人の吸血鬼によって解き放たれそうになった事件があった。
それ以降は特に問題も起きず、記憶の片隅に沈んでいたのだが……。
実は、吸血侯爵ジーグアルト・クリューウィングの真の目的はアカネ自身だったのだ。忘れることなど、できるはずもない。
「腐肉の公主テュェラ・ズ・ ラニュズは、地上へ侵攻する野心を抱いています」
「ゆえに、アンダーメイズにおいて、通常の階層とは別の空間を用意していたというわけか」
「いえ。逆に、本来の階層を隠すためにいかにもな空間を用意して目を欺いていたのでしょう」
今の話が真実であればですがと、セネカ二世は付け加えた。
一方、アカネは話が壮大で唐突で、まったくついていけていない。
「このような体となって、この地へ送られたわたくしの側には、幾名もの頼りになる騎士がいました」
昔日に思いを馳せるように、ミカエラは遠い目をした。
「そして、わたくしたちは、ヘレノニア神の秘宝具である雷霆の紋章を守っていたのです」
幽霊王女の胸にヘレノニア神の聖印が浮かび、それが雷の紋章が描かれた盾へと姿を変える。
「これこそが、腐肉の公主をこの地に縛り付ける要」
「確かに、ヘレノニア神の神威を感じるな……」
印を切って祈りを捧げるヴァルトルーデと、瞑目して敬意を表すセネカ二世。
あわてて、アカネも頭を下げた。
「わたくしとは不可分になっており、テュェラ・ズ・ ラニュズ自身は、手を出すことができません」
「だが、城はこの有様ということは……」
「はい。そこで、自らとは無関係な不死の怪物に強奪を指示したのです」
今は廃墟しか残っていないが、激戦があったのだろう。
往時を偲ぶように、ミカエラは周囲を見回してから言った。
「かつては高潔な騎士の英霊たちが数多くいましたが、一人減り、二人減り。今では、無力なこの身を残すのみとなりました」
「その雷霆の紋章ってので、敵を倒したりできないの?」
「できるでしょうが、それこそ、テュェラ・ズ・ラニュズの思うつぼかと」
「その可能性はあるわよね……」
力を使えば、封印を弱めるだけ。
幽霊王女の言葉に根拠はなかったが、だからといって、気軽に試せるものでもなかった。
一筋縄ではいかない状況に、ヴァルトルーデが討魔真剣を足下に突き刺す。
「第二階層とは逆か」
第二階層、永劫巨氷ジャブドゥファレェヴの領域では、悪魔諸侯を弱体化させるため、各地を回らねばならなかった。
今回は、テュェラ・ズ・ ラニュズを第三階層へ留めるために、キーアイテムを回収して守らねばならない。
「腐肉の公主が求めるアイテムを守るのは分かったけど……。封印が、本当にこれだけだっていう保証はあるの?」
光・闇・地・水・火・風の六大源素。
その封印があったという話を思い浮かべながら、情報が出そろったとは言えないとアカネは指摘した。
「他に同様のアイテムがあった場合、下手すると詰みかねない。アカネ様は、そう仰りたいのですね?」
「そうそう。仮にこれだけだったとしても、守っているだけじゃ、事件の解決にはならないわよね?」
秘宝具を狙っている不死の怪物を撃退したとして、それで終わりになるはずがない。
悪魔諸侯が物量で押してきても対処できなくはないだろうが、いつまでもアンダーメイズにいるわけにはいかないのだ。
腐肉の公主が引きこもっている限り、こちらの負けは確定だ。
「そもそも、紋章に手出しができない。それはいいとして、配下に奪わせ、その後どうするつもりだったのでしょう?」
手出しができないのであれば、確保をしても壊すことはできないはず。
セネカ二世も、ユウトと同じ疑問にぶち当たった。
「情報が足りないか……」
地面に突き刺した討魔神剣を鞘に戻そうとした、その時。
「ああ……。死界の王の軍団が。まさか、このように早く動くとは」
幽霊王女ミカエラが、世を儚むような声を上げた。
悲嘆に暮れる彼女の視線の先には、地表を覆う屍生人の群れ。
「ゾンビが7分に、地面が3分って感じね……って」
逆に現実感のない光景に、アカネは苦笑を浮かべていた。
だが、その中に、見憶えのある顔を見つけ、一気に現実へと引き戻された。
「なんで、ゾンビの軍団を勇人とヴェルガが率いてるのよ!」
一方、こちらの味方は幽霊のお姫さまが一人だけ。
無数の屍生人を率い、ドラゴンゾンビとともに、空中から睥睨する着物の女帝と白いローブの大魔術師に対抗するには、あまりにも心許なかった。
腐肉の公主編は、次回か次々回で終わらせ……たい(願望)。