番外編その11 High School Dungeons&Dreaming 第十七話
第二階層を攻略した翌日の放課後。
ユウトとアカネは、生徒会室を訪れていた。
「わざわざお呼び立てして、ごめんなさい」
「いや――」
「アルシアさんのお招きなら、なにがなくとも駆けつけますから!」
ユウトをインターセプトして、アカネがアルシアに抱きついた。本当に嬉しそうで、邪気の欠片もない。
「え? ええ、それは良かったわ」
いきなり距離を縮めてきたアカネに目を白黒させながらも、アルシアは拒否しようとしない。むしろ、当然のように受け止めていた。
そんなアルシアが、今度はユウトに視線を向ける。
「ユウトくんも、ありがとうね」
「俺も朱音と同じ気持ちですから」
「そ、そう?」
自分のことを好きすぎる二人に若干引きながら、アルシアは円卓へと誘った。
その円卓には、すでにヴァルトルーデとヨナがいる。
「二人とも、よく来てくれた。私の活躍をヨナ姉とアルシア姉さんに説明してやってくれ」
「そういう目的で呼ばれたのか」
「うむ。そして、私の無実を証明してほしい」
「無実?」
椅子に腰掛けながら、ユウトは無表情なヨナの顔を見る。
「一人で突っ走ったに決まってる」
「ああ、なるほど」
ユウトは、隣に座るアカネと目を見合わせた。呼ばれた理由が、一瞬で理解できたのだ。
同時に、アルシアとヨナの気持ちも分かった。
それはもう、ヴァルトルーデがなにをしたか確認せずにはいられない。
立ち位置としてほぼ同じだった、ユウトは特に。
「なにしろ、ヴァルが私とパーティを組まなかったのは初めてだから」
緑茶の入った湯飲みとお茶請けのどら焼きを配りながら、アルシアが心配そうに言った。
差し詰め、初めてのお使いに送り出した母親の心境といったところか。
しかし、それは杞憂だった。
「大丈夫だったわよね?」
なにかまずいところがあっただろうかと不安になりつつ、アカネは
そのユウトが、お茶を一口飲んでから答える。
「ああ。初組み合わせだったけど、ちゃんと連携も取れていたし」
「そうだろう、そうだろう」
ほら見たことかと、ヴァルトルーデがどら焼きに手を伸ばした。
出てきた瞬間に手を出さなかったところを見ると、それなりに緊張していたらしい。
「すでに買収されていた……」
「ヨナは、どんだけヴァルを信用してないんだ」
「信用している。ある意味」
「それは確かに」
「どっちの味方なのだ……」
と、ヴァルトルーデが恨みがましい視線を向けてくるが、ヴェルガと同じパーティだったのだ。問題を起こさないはずがない。
そう考えるのは、ある意味で当然でもあった。
「うちのヴァルが迷惑をかけなかったようで、本当に安心したわ」
「迷惑どころか、ヴァルがいなかったらあんな短時間で攻略はできませんでしたよ」
アルシアに敬語を使っていると、昔を思い出す。
多少の違和感はあるが、これはこれで懐かしくて悪くなかった。
「ほら。私の言う通りだっただろう」
「バカな……」
ヨナが愕然と赤い瞳を見開いた。
アルビノの少女の感情表現としては最大級。愕然とか呆然とか驚愕と言うべき状態だ。
「どこかに必ずオチがあるはず」
「確かに、ヴェルガとはいざこざを起こさなかったけど……」
そこまで言われると、朱音にも気づくところがあったようだ。
人差し指を軽く唇に当てながら、第二階層でのできごとを思い出す。
「連携というか、完全に分業だったわよね?」
「気づいちゃったか」
最初から連携など取れるはずがない。
だから、ユウトは分割したのだ。
ユウトが天候を操作し、アカネが取り巻きを追い払い、ヴェルガが攻撃を阻害し、セネカ二世が支援し。
そして、ヴァルトルーデが仕留める。
「まあでも、役割分担ではあるよな?」
「それは確かに」
「というわけで、お二人には今後ともヴァルへプレッシャーをかけていただき、ヴェルガと一線を越えないように注意してもらえればと」
そう言って、ユウトは自分のどら焼きをヨナのほうへ押しやった。
アルビノの少女は、それをむんずと掴む。
「おぬしもワルよの」
「いえいえ、お代官様には」
「……アルシア姉さん、教師が賄賂を受け取っているぞ、生徒会長の目の前で」
「それよりも、次は第三階層よね」
アルシアの思考は、未来に向いていた。
まともに取り合うと、泥沼にはまるだけというのもあるのだろうが。
「確か、モンスターがたくさん出てくるのよね?」
「モンスターというか……不死の怪物ね」
腐肉の公主テュェラ・ズ・ ラニュズが支配する第三階層。
そこは、アンダーメイズでも特にたくさんのモンスターが出現することで有名だった。
「第二階層の巨人も、結構出てきた気がするんだけど」
「つまり、次はそれ以上ってことなんだろうな」
「うええぇ……」
心の底から嫌そうに、アカネが円卓に突っ伏した。
アルシアほどではないが大きな胸が潰れ、ヴァルトルーデが苦み走った表情を浮かべる。
一瞬。だが、確実に。
「しかし、構造としてはようやく一般的なダンジョンになるぞ」
全面石造りの地下迷宮。
通路は、二人並ぶのがせいぜい。天井は低く、当然ながら、陽光が差すことはない。
暗くじめじめとした、いわゆるダンジョン。
そこを徘徊する大量の不死の怪物を打ち倒し、最奥で待つ腐肉の公主テュェラ・ズ・ ラニュズを撃破する。
ダンジョンと言われたら、真っ先に想像する構造だろう。
「というか、あれよね。不死の怪物って、腐ってたり感染したりするのよね?」
「全部が全部、そういうわけじゃないぞ」
「ということはつまり、大部分はそうなのね……」
ユウトの無情な言葉に、またしてもアカネは突っ伏した。
「心配するな」
そんなアカネを勇気づけるように、ヴァルトルーデが胸を叩く。
「いずれ、腐ってたり感染したりするほうがありがたいと思うようになる。なにしろ、悪霊や幽鬼の類などは斬りにくくて仕方がない」
「勇人、一瞬で突破しましょう」
「ああいう最短ルートは、ないらしいぞ」
「地道っ」
第三階層の攻略に取りかかる前、そんな会話をしていた。
そのはずなのに。
「なんで、ゾンビの軍団を勇人とヴェルガが率いてるのよ!」
一方、こちらの味方は幽霊のお姫さまが一人だけ。
無数の屍生人を率い、ドラゴンゾンビとともに、空中から睥睨する着物の女帝と白いローブの大魔術師に対抗するには、あまりにも心許なかった。
まだ三回目とはいえ、ヴァイナマリネンが管理する次元門からのアンダーメイズへの転移にも慣れてきた。
だからというわけではないはずだが、転移を終えたユウトの視界には沼地が広がっていた。
「聞いてた場所と違うな……」
「なんぞ、トラブルがあったようだの」
青い着物を身にまとったヴェルガが、深刻さの欠片もない淫猥な微笑を湛えて言った。
むしろ、この事態を楽しんでいる。
それも当然だろう。
「……ヴェルガだけか」
「不満かの」
「どうせ二人なら、朱音と一緒が良かったのは否定できない」
転移の事故か、それともこの階層自体のギミックなのか。
見知らぬ場所に出たうえに、一緒にいるのはヴェルガのみ。アカネたちとは、はぐれてしまったようだ。
「くくく。つまり、自力で振り向かせてみろと言うておるわけか」
「言ってない、言ってない」
ユウトは、軽いトーンで否定した。
ここでむきになると良くない。それくらいは、ユウトにも理解できる。
「まずは朱音たちと合流だな。まずは、空から近くにいないか探して――」
「それは、少し待ったほうが良さそうだの」
「……マジかよ」
ヴェルガが淫靡に差しだした指の先。
沼地の果てから、黒いシミのようなものが広がっているのが見えた。
それは屍生人。
雲霞の如く広がっていく、屍生人の群れだった。
その先頭には、エレファントの屍生人に乗った死界の王がいる。
「消し飛ばすか」
ユウトは先手必勝とばかりに呪文書へ手を伸ばした。
狭いダンジョンということで大規模な破壊魔法は準備していなかったが、やりようはいくらでもある。
「ここにおらぬ三人が、一塊でいるとは限らぬ。一人でいるかもしれぬと、焦る気持ちは分かるがの」
そんなユウトを、青い着物のヴェルガが押しとどめた。
「婿殿。それは浅慮というものではないかの」
「ヴェルガ」
邪魔するつもりなら容赦はしないとにらみつけるが、赤毛の風紀委員長はあっさりと受け流す。
「妾たちが本当に倒すべき相手は、あの腐った死体ではあるまい?」
「……それはそうだが」
今までの流れからすると、階層の支配者を倒さなくては先に進めない。
つまり、真の敵は腐肉の公主テュェラ・ズ・ ラニュズ。
なのに、今のところ手がかりはない。
もちろん、この荒野を探索すればいずれたどり着けるのだろうが、今はそれよりも優先すべきことがある。
「死界の王であれば、話は通じよう」
「交渉なり情報収集なりしようってつもりか?」
「いかにも」
我が意を得たりと、ヴェルガが淫靡に微笑む。沼地だろうと、その身を泥程度が侵すのは不可能のようだ。
「この特異な状況とあれば、情報はいくらあっても困らぬであろ?」
「まあ、《念視》の呪文を使う手もあるけど……」
交渉次第では、戦闘をするよりも短時間で解決する可能性もある。
その可能性に思い至り、ユウトから攻撃的な気配が消えた。
思い通りの方向に進むこととなり、ヴェルガがにんまりと淫蕩に微笑む。
「それに、せっかく婿殿から贈られた着物だからの」
「ポイントはパーティ財産から出したし、おすすめしたのはレジーナさんだぞ」
「どうせなら、初めては悪魔諸侯の魂で彩ってやろうではないか」
ユウトが否定しようと事実は変わらないし、雑魚になど構っていられない。
ヴェルガは、いついかなる時でも女帝だった。
「ここ……どこ……? っていうか、勇人は!?」
「はぐれたか」
「このようなギミックがあるとは、聞いたことがありませんが……」
アカネ、ヴァルトルーデ、セネカ二世。
残る三人が転移したのは、小高い丘にある朽ち果てた城門の前だった。
石造りの地下迷宮など、どこにもない。
ユウトも、それからついでに一応言っておくとヴェルガもいない。
「聞いてた話と、全然違うんだけど……」
不安そうに、アカネが左右を見回す。
無理もない。イレギュラーな事態が起こったことよりもなによりも。この世界に来てから、ユウトと離ればなれになるのは初めて。
この気持ちは、誰とも共有できないアカネだけの感情だった。
「もしかすると、第二階層を最短ルートで攻略したせいか?」
「あー。SRポイント的な」
ステージクリア時に条件達成すると難易度が上がるという、よく分からないシステムを思い浮かべたアカネは納得してしまった。
納得はしたが、状況は変わらない。不安も、また。
「まずは、二人と合流を目指すべきだな」
「一緒にいるとすると、ゆゆしき事態だとセネカは考えます」
「それは、まずいわね……」
方法は、決まっていない。
けれど、女子たちの心がひとつになった。
アカネの心細さも、ユウト救出への義務感で一時的に消し飛んだ。
その時。
「――下がれ」
ヴァルトルーデが討魔神剣を抜き放ち、朽ち果てた城門を鋭い視線で射抜く。
「出てこい。それとも、こちらから行くか?」
アカネには気配もなにも感じられない。
だが、この場合、自分自身よりもヴァルトルーデのほうが遥かに信用できる。
言われたとおりに下がりながらも、アカネは細剣を抜いて危険に備えた。
「……仕方あるまい。今はちょっと急ぎなのでな」
「お待ちください」
城門の陰から、ゆっくりと人影が姿を現す。
宙に浮いて。
「幽霊……」
現れたのは、青白く発光する透明な女性。
顔の造型は充分に美人と呼べるものだったが、今は憂いを帯びている。ティアラを身につけており、長いスカートの先に足はない。
「冒険者の方とお見受けします」
「そうだ」
ヴァルトルーデに、駆け引きも様子見もなかった。
また、相手が悪霊や幽鬼の類だろうと態度は変わらない。
「あなた方に、お願いしたいことがあります。どうか、話だけでも聞いていただけないでしょうか?」
どこか高貴な雰囲気を漂わす女性の幽霊が、深々と頭を下げた。
思いがけない事態に、ヴァルトルーデとアカネは、セネカ二世をじっと見つめる。
太陽神フェルミナと不死の怪物との関係は、控えめに言っても不倶戴天の大敵。協力など、できるはずもない。
それに、相手は人間ではない。
これが罠だと否定できる要素もなかった。
「……まずは、話を聞きましょう」
それでも、セネカ二世は冷静に、幽霊王女の懇願を受け入れた。
第三階層は一行で終わらせて、さくさく進めよう。
そう思っていた時期が、作者にもありました。