番外編その11 High School Dungeons&Dreaming 第十五話
首を切り落とされた、永劫巨氷ジャブドゥファレェヴ。
それに遅れて、胴体がその場に崩れ落ちた。まるで、地面に足がついていないのに気付いてから落下するカートゥーンのキャラクターのように。
スケールが大きすぎて、現実の光景とは思えない。
盛大に雪煙が舞い、それが収まったところでアカネは気がついた。
「あれ? もしかして楽勝だった?」
「いや、それは違うぞ」
いつの間に、戻ってきていたのか。雪原に降り立っても、ヴァルトルーデの美しさは変わらない。
その聖堂騎士が、アカネのつぶやきを明確に否定した。
しかし、はいそうですかと納得できるものではない。一撃で首を落としておいて、説得力のかけらもなかった。
「ジャブドゥファレェヴは、強かった。だから、最初から全力を尽くしたのだ。今の攻勢をしのがれていたら、こちらが大きな損害を受けていただろうな」
万能触媒へと姿を変える悪魔諸侯の姿を眺めながら、ヴァルトルーデは厳かに言った。
「そう言われると、そんなものかな……って、そうだ。セネカさん!?」
ラスボスが一撃死した衝撃から立ち直ったアカネが、ばっと法衣の少女へ振り返る。
呪文を使って、腕が枯れ木のようになっていたセネカ二世。忘れたわけではなかったが、氷の巨像を圧倒したヴァルトルーデが、上書きしてしまったのだ。
しかし、水を向けられたセネカ二世はけろりとしている。
「大丈夫です。死にはしませんので」
「それ、大丈夫じゃないときに言う台詞だから!」
「本当に、大丈夫です。あと、四回か五回は使えますから」
「それ、何回も使ったら死ぬってことじゃない!? 回復、回復しないと」
あたふたするアカネが、初めてとなる神術呪文を使おうとセネカ二世へ駆け寄る。
「うろたえるでないわ、小娘」
だが、その前にセーラー服のままのヴェルガが立ちふさがった。完全に場違いな格好だが、淫猥そのものの存在感が、アカネの歩みを止めさせた。
「でも……。腕が、枯れ木みたいになってるじゃないの」
「効果があるのであれば、とうに婿殿が使わせておるわ」
「うっ、それは確かに……」
ユウトを見ると、うなずき返してきた。つまり、そういうことのようだった。
「俺は本職じゃないけど、あれは清聖呪文だろ。だったら、代償は呪文じゃ治せない」
神の力の導管となった司祭が、ささやかながらも神の奇跡を地上に再現する神術呪文。
その一種である清聖呪文は、同階梯であってもより強力で。
そして、特別な代償を必要とする。
それは術者の筋力や生命力であったり、禁酒や不犯や清貧の誓いであったり、感情や睡眠であったりする。
ただし、常に神の教えに寄り添い、極めて信仰心が強く、その神にとって正しい生き様をしている信徒にしか授けられることはない。
「ストイックでないと、駄目なのね」
「ああ。よっぽどでないと……だな」
そこが、敬虔なる信徒であっても冒険者であることが基本のヴァルトルーデやアルシアと、セネカ二世の違うところだ。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。この程度の代償であれば、一日休めば元通りですので」
「自然治癒だけってことね……」
「ならば、戻るとしようか」
ニーケンララムの時と同じく、雪の上にふたつの扉が現れた。
上り階段と下り階段。戻るか進むかの選択。
だが、悩む必要はなかった。
「勇人、ちょっと確認したいんだけど」
ニーケンララムの時よりも巨大な万能触媒を担ぎ上げて上り階段へと向かうヴァルトルーデを眺めていたアカネが、ふと気付いたように言った。
「今日の実働30分ぐらいじゃない?」
「そんなにかかったっけ?」
「あれが前回と同じで5万ポイントだとして一人頭1万ポイントで、だいたい金貨一枚で5千円とか1万円だから……」
一人5千万円。
時給1億円。
実際に換金はできないし、夢の中なのだから特に意味はない数字。そう、数字でしかない。
なのに、アカネの脳裏にマグロ漁船が過って消えていった。
「やはり、冒険の後はこれだな」
全身鎧を身につけたままのヴァルトルーデが、ジョッキの中身を一息で飲み干した。比喩ではなく、本当に一瞬で中身がなくなる。
そして、満足そうに息を吐いた。
控えめに言って豪快な光景だが、ヴァルトルーデには妙に馴染んでいる。
それは、似たような光景をユウトが何度も見ていたからかも知れない。
「だけど、なんで牛乳をジョッキで……」
ただし、ユウトが参加してきた打ち上げとは、中身がまるで違っていた。
「ビールじゃねえのかよ」
「なにを言う。生徒が飲めるわけないではないか」
「そうか。そういう……」
そういう設定、だった。
飲酒は20歳からなどという常識のないブルーワーズでは関係なく飲んでいたので、違和感が拭えない。
代わりに牛乳というのは、なんとなくヴァルトルーデらしいといえばらしい気もするが。
「どっちにしろ、学校じゃ出せないでしょ」
「まあ、それもそうか」
隣に座るアカネが常識的な見解を示し、ユウトも苦笑しつつ同意した。明らかに生徒ではない者も多くいたが、その辺は適当に処理しているのだろう。
地上に戻り、購買へと移動したユウトたちディヴァインクローバーの面々。
購買に併設されているカフェスペースで、報酬の分配を名目にした打ち上げが行われていた。
ちなみに、ユウトたち以外に人の姿はない。
カフェスペースに足を踏み入れた瞬間、視界の端に草原の種族がいたような気がするが目の錯覚だと思う。思いたい。
ラーシアが人払いをしたなどと知ったら、軽く死ねる。
「ふうむ。これが、冒険者の醍醐味というものかのう」
「普段はもう少し騒がしいので、落ち着いた打ち上げも良いものです」
ヴェルガは、コーヒーベースのフラペチーノ。セネカ二世とアカネはアイスティーを注文した。
すぐに休む必要はないらしくセネカ二世もついてきているが、腕の自由は利かず、グラスをテーブルに置いたままストローを使って飲んでいた。
清楚で凛とした彼女がそうしていると、微笑ましく感じる。
「かわいいわよね」
「絶対に正解のない二択じゃねえか」
ちなみに、ジャブドゥファレェヴの万能触媒は、レジーナに渡している。しばらくすれば、鑑定結果を伝えに来てくれるだろう。
さらに言えば、シンプルなエプロンとジーンズ姿のレジーナとの再会に、アカネはご満悦だった。
しかし、美人が揃って冒険の成功を祝うにしては、なんとも地味な光景だった。
「いっそ、カラオケでも行くべきだったかしらね」
「みんな、歌えるのか?」
ヴァルトルーデもヴェルガもセネカ二世も。どんな歌を披露するのか見当もつかない。賛美歌か、それともデスメタルか。
怖いもの見たさもあるが、その好奇心は封印すべきだろうとユウトの理性が告げていた。
「で、ジャブドゥファレェヴの万能触媒はどれくらいになるんだろうな?」
「さて、妾は知らぬな」
「セネカも、よく知りません」
この二人は、そんなものだろう。
逆に、知っていたら驚く。
しかし、仮にも生徒会長であるヴァルトルーデなら――
「アルシアに聞けば分かるぞ」
「まあ、非弱体状態で倒したから鑑定に回してるんだし、とりあえずニーケンララムを下回ることはないか」
――知っていたら、驚愕する。
各勢力のトップが集まった、ディヴァインクローバー。
誰もが強大な力を持っているが、残念ながら実務能力には欠けていた。だからこそ、勇人が求められていると言える。
「具体的な話はレジーナさん待ちとして、大ざっぱな方針だけ確認しようか」
アイスコーヒーをブラックで飲んで精神を引き締めたユウトが、リーダーらしく議論を主導した。
「単純に分配して、各人で必要と考える装備を揃えるか。それとも、パーティ財産として管理して高額な魔法具を購入するかといったところだと思うけど……」
ユウトとアカネに関しては後者で、前回の約5万ポイントはそのままプールされていた。
「とりあえず、足りないとかこれがあったらいいと思う装備があったら遠慮なく言ってほしい。自分のでも他人のでもいいから」
「私は、特に必要な装備はないな」
ヴァルトルーデが口火を切ってくれた。議論の上では非常に助かる。
「確かに、討魔神剣と魔法銀の鎧と盾があればな……」
アップデートも不可能ではないが、熾天騎剣を作るのは、ちょっとどころでなく難しい。ドラゴンの素材もないと、困難だ。
そこまで考えて、ユウトは永劫巨氷戦での違和感に気付く。
「ヴァルは、空飛べるんだっけ?」
「ん? いや、それはちょっと人類には無理だろ」
「ヴァルトルーデ会長に、自らが人類だという自覚があった。セネカとしては、大変驚きです」
「ヴァルはちゃんと人類だぞ。ちょっと、いや、かなり……。相当、人類の限界を超越しているだけで」
「分かります」
セネカ二世が納得し、ヴェルガが心の底から面白そうに淫蕩な微笑みを浮かべる。
ヴァルトルーデが抗議しようとしたところ、ユウトが割り込んだ。
「それなら、飛行の軍靴とかいいんじゃないか?」
「ふむ……。空を飛べるようになる靴か」
「落とし穴に落ちても安心だ」
「そうだな。溶岩は熱いからな……」
こっちのヴァルトルーデも、落とし穴には落ちがちだったらしい。新婚旅行の時に話を聞いていたアカネが、紅茶を噴き出しそうになった。
「あぶなっ」
「そう。溶岩は危ない。飛行の軍靴、あれば助かるな」
「そっちじゃなかったんだけど……。あたしも、そんなに足りない装備はない。呪芸の効果がアップする楽器とかあれば別だけど」
「朱音は吟遊詩人でいくのか」
「そうね。ミサイルが出るバイオリンとかがない限りは」
「どういう心配だ」
それはともかく、神術呪文の使い手ならセネカ二世がいるので、二人してそちらをメインにする必要はない。アカネの選択は理に適っていると言えた。
「セネカが不慮の事態で抜けた場合でも、アカネ様がいてくださると思うと安心できます」
「冗長性は重要よね」
「それで、セネカはなにか欲しい装備とかないのか?」
ユウトが水を向けるが、セネカ二世はふるふると小さく首を振った。
「セネカも、特に不足している装備品はありません。先に言っておきますが、清聖呪文の代償を肩代わりさせるような魔法具は存在していません」
「あー……。まあ、そうでしょうね」
他のなにかで代替できるようでは、清聖呪文の存在意義に関わる。そんなことを、神は認めたりしないだろう。
「そうか。実は、俺も別に欲しい魔法具はないんだよな。念のため、巻物は何本か買っておきたいけど……」
莫大な報酬を得る予定がありながら、欲しい物がない。
明らかになった衝撃的な事実に、ディヴァインクローバーの面々は顔を見合わせ……まったく会話に参加しようとしていなかった一人に視線が集まった。
セーラー服に身を包んだ、赤毛の風紀委員長へ。
「これは、妾には少々甘すぎるの。婿殿少し食べてくれぬか?」
「食べられないなら残せ」
ここでうなずきでもしたら、どうなるか。
ユウトは、永劫巨氷と対したときには感じなかった怖気を振り払った。
「……ところで、ヴェルガはまともな防具を着るつもりはないのか?」
「婿殿は、セーラー服は嫌いかの?」
「そこんとこどうなの、勇人?」
「なんで、朱音が食いついてくるんだよ」
答えるつもりはないと、ユウトは突っ撥ねる。
しかし、三対の視線が突き刺さり、それを許さない。
仕方なく。
本当に仕方なく、ユウトは口を開く。
「……似合ってれば、いいんじゃないか?」
「つまらない! 勇人の話はつまらないわね! ほら、もっと欲望を解き放って!」
「じゃあ、俺が好きだって言ったら着るのかよ!?」
「着るわよ」
「…………」
「着るわよ」
ユウトは無言でうつむいた。
顔を上げられない。具体的にはなにも考えず。思考を空白にして、恥ずかしさが過ぎ去るのを待つ。
だから、気付かなかった。
「ふむ……」
ヴェルガが、考え込むように淫猥な朱唇を指先でさっと撫でたのを。
「つまり、婿殿が妾をプロデュースしてくれるということか」
「全然、つまりじゃねえよ!」
間を省略しすぎていた。おまけに、疑問形ですら、なかった。
「なるほど。今の勇人は、アイドルグループであるディヴァインクローバーをプロデュースするプロデューサーさん……」
アカネはまったく無関係な妄想を始めてしまった。こうなると、満足するまで帰ってくることはない。
「私も、制服だったら……。いや、それは不真面目すぎる……」
「なぜ、セネカはジャージを着なかったのですか……」
そして、ヴァルトルーデとセネカ二世まで、自分の世界に行ってしまった。
「鑑定が終わり……ました……けど……」
だから、そこに姿を現したレジーナが、エプロンを押さえて戸惑うのは当然で。
「今は、都合が悪いようなので、またあとにしますね――」
「お願いだから、一緒にいてください! レジーナさん!」
ユウトが懇願するのも、当たり前の話だった。
速攻で敵を倒したけど、弱いわけじゃないと言うのはTRPGあるあるだと信じてます。
そして、このペースだといつまで経っても終わらないので、お買い物が終わったらさっさと攻略進めたい。