番外編その11 High School Dungeons&Dreaming 第十四話
「ほう。ほうほうほう。なるほどな。うわっ、はっはっは。やりおるではないか!」
数十メートルはあるだろう、両開きの巨大な門。
その前に立つ、地味な作業服を身につけたヴァイナマリネン。
学園の用務員としてアンダーメイズの管理者に収まった大賢者が、ユウト率いるディヴァインクローバーの面々を前に呵々大笑をあげた。
ユウト、アカネ、ヴァルトルーデ、セネカ二世。そして、ヴェルガ。
各勢力を代表する実力者を引き連れたユウトは、大賢者ヴァイナマリネンの興味を惹くに充分な存在だった。
絡まれるほうは、堪ったものではないが。
「ジジイ、仕事しろ仕事」
「断る」
堂々と言い切った禿頭の用務員に、ユウトは二の句が継げない。見送りに来たがったアルシアたちを苦労して断ったというのに、台無しだ。
いや、逆にいなくて良かったと思うべきだろうか。なにしろ、こうなったら大賢者が満足するまで、話は先に進まない。
「そもそも、仕事しろなどと言われる筋合いはないわ。女に連れられて、ダンジョンへ行くくせしおって」
「せめて女連れにならねえ?」
「勇人、それでいいの?」
良くなかった。
幼なじみに諭され、ユウトは冷静さを取り戻す。乗せられては、相手の思うつぼ。時間をかけて深呼吸をし、再びヴァイナマリネンに対峙する。
「まあ確かに、あれなパーティに見えるかもしれないが――」
「婿殿。胸を張っていってやるが良い。俺のハーレムパーティに文句があるのかと、の」
「ハーレムじゃねえよ! というか、ヴェルガはハーレムでいいのかよ」
「別に? 増えすぎたものは、減らせば良いだけであろう?」
「B級ホラーか!」
「むしろ、バトルロイヤル系美少女アニメじゃない? 負けたらCDデビューする感じの」
疲れる。
ダンジョンに潜る前にこれか……と、ユウトは巨大な門を仰ぎ見た。早く、あの向こうに行きたい。
「まあ、ヴェルガなどにむざむざやられるつもりはないが、こうしていても時間の無駄だ」
「セネカも同意します。そういう話は、別に場を設けて行うべきかと」
「しないけど、さっさと行くという意見には心の底から賛成する」
「やれやれ、ワシを労るつもりのない連中だな」
「そこで、主語絞るのかよ。老人とかに主語広げねえのかよ」
「勇人が生き生きしてるわ。ある意味で」
元気にツッコミを入れ続けるユウトを目にし、アカネの緊張が解けていく。
二度目の。そして、本格的なダンジョン攻略を前にしてリラックスできたのは、アカネにとって僥倖だった。
「ふむ。そろそろ良かろう。第二階層への扉を開くぞ?」
ユウトたちの返事も。そもそも、行き先のリクエストすら聞かず、ヴァイナマリネンが大きく手を振った。音を立てて門が開き始め、虹色の光が溢れ出る。
あの先に、冒険の舞台が存在している。
だというのに、アカネはリラックスしたままだった。
「もしかして、今の茶番ってあたしのために……?」
「騙されるなよ。万が一仮にもしかして狙っていたとしても、俺をからかうついでだからな」
基本的には温厚なユウトだが、ラーシアと、ダスクトゥムと。そして、このヴァイナマリネンは例外。
それは逆に親密さと紙一重なのだが、ユウトは絶対に認めないだろう。
力一杯否定するユウトを想像してアカネは思わず笑ってしまい、だから、ユウトが手を伸ばしたことに気付かなかった。
「さあ、行こうか」
「ええ。あたしも、頑張るわよ」
今のアカネには、緊張も不安もない。大丈夫だという確信だけがある。
その根拠は、強く握られたユウトの手の感触。
ヴァルトルーデがいても、ヴェルガがいても、セネカ二世がいても。これは、アカネだけのものだったから。
風雪吹き荒れる、白い大地。
果てなき吹雪に支配された、酷寒の地。
生物の気配のない冷たく静かな、雪原。
門を抜けた先は、生物にとって余りに過酷な世界だった。
「寒くはないけど、こんなところで戦えるの!?」
話に聞いてはいた。
いたが、ユウトの手の感触は、アカネの心から吹き飛んでしまった。
呪文で寒冷対策をしているため、寒くはない。
しかし、容赦なく風が吹きすさび、視界は絶望的。
アカネは、無意識にマントを体の前で合わせてしまう。
だが、ゲートを抜けた直後など、まだ序の口。
酷寒の世界では、所々大地に裂け目ができており、足を滑らせでもしたら一巻の終わりだ。即死できればまだいいが、そうでなければ雪の中で衰弱しつつ死を待つしかない。
かといって、飛行して回避するには風が強すぎる。
雪が降り積もった地面は足を取られ、まともに移動をするのも難しい。
すべての生物に停止を強いる、静謐なる世界。
まず、環境そのものが敵となるのが第二層。悪魔諸侯の一柱、永劫巨氷ジャブドゥファレェヴの領域だった。
「ユウト」
「ヴァル、なんだ?」
「今日は、第二階層の攻略のみで、いいのだな?」
「ああ。タイムリミットがあるわけでもないしな」
吹雪の中、声を張り上げて方針を確認し合うユウトとヴァルトルーデ。
たったこれだけのやり取りで、二人とも言いしれない懐かしさを感じていた。ヴァルトルーデのほうは、軽い困惑とセットだったが。
「ユウト様、お願いします」
「ああ、分かってる」
割り込んできたセネカ二世に返事をしながら、ユウトは呪文書から8ページ斬り裂いて天に放った。
「《天候操作》」
紙片が渦を巻いて雪雲へと飲み込まれていき、斬り裂くように光が走った。
「あ、雪が……」
雪とともに、風も弱くなっていた。
通常の理術呪文と違い、数分から十数分もかけて効果が発揮される。
一瞬ではないが、劇的な天候の変化。
同じ雪の中だが、アルシアと行った無人島のように、魔力が吸われることもない。第八階梯の理術呪文は完成した。
その効果として、当然のごとく、やがて吹雪は止んだ。
それどころか、厚い雲は晴れ、陽光が差し込みつつある。
「さすがは婿殿よの」
陽光は、セネカ二世が崇める太陽神フェルミナの恩恵。
しかし、分け隔てなく降り注ぐそれを全身に受けた赤毛の女帝は、身震いするほど淫靡で美しかった。
「ヴェルガだって、この程度できるだろ?」
「婿殿ほど、余裕を持っては無理であろうな」
率直に言うヴェルガに、ユウトは肩をすくめた。この辺りは、水掛け論だ。
「勇人、これで最短攻略ルートに入るのよね?」
「ああ。さっさと終わらせて、帰りに購買に寄って帰ろうぜ」
実のところ、アンダーメイズ第二階層の攻略方法は、とっくに確立されていた。
だが、楽に攻略できるわけではない。
不凍湖の底の沈没船。
吹雪に閉ざされた古城。
雪雲よりも高い山の頂。
その三箇所に、永劫巨氷ジャブドゥファレェヴを弱体化する秘宝具が眠っており、まずはすべて回収する。
その後、悪魔諸侯の居城である初雪の城塞へと乗り込み、打ち倒さなければならないのだ。
この過酷な環境で、お使いのごとく何カ所も立ち寄らされるのがまずきつい。必然的に長期戦になるため、なんらかの手段で安全に野営ができなくては詰みだ。
そのうえ、第二階層には至る所にジャブドゥファレェヴの眷属である霜の巨人たちが徘徊している。
それらを越えたとしても、待ち受けているのは弱体化させられるとはいえ悪魔諸侯。
繰り返しになるが、攻略法がはっきりしていても、勝てるとは限らない。
この過酷な階層で、生徒たちはダンジョンのいろはを学ぶ。後から振り返ってみれば、第二階層は母親のようなものに思える……らしい。
「はっ!? ダンジョンにバブ味を感じるのは間違っているのだろうかってやつね」
「聞くまでもなく人として間違ってるよな、それ」
第二階層の概要を聞いたときのアカネの感想はさておき、実のところ、攻略法はひとつだけではなかった。
それが、最短攻略ルート。
永劫巨氷が生み出した果てなき吹雪をなんらかの手段で収めると、静謐の世界を乱されて怒り狂ったジャブドゥファレェヴが居城を飛び出してくる。
あとは、一緒に襲いかかってくる眷属の霜の巨人共々、悪魔諸侯を倒せば攻略完了だ。
ただし、不凍湖の底の沈没船、吹雪に閉ざされた古城、雪雲よりも高い山の頂のひとつでも攻略すると様子見を選んでしまう。
つまり、一切弱体化させられていない。素のままの永劫巨氷ジャブドゥファレェヴを倒さなければならないのだ。
あえて危険を冒す必要もなく、今まで、どのパーティも成し遂げたことはない。いわば、理論上の最短。
「普通に初雪の城塞? ってのに、突撃するよりはマシな難易度だろ」
「普通に攻略する方法もあると思うんだけど……」
「これだけのメンバーが集まって心配しすぎというか、ぶっちゃけ、下手にダンジョンを攻略するよりも、ただ強いだけの敵なら正面からぶつかったほうが安全だぞ」
「間違ってるはずなのに、納得してしまうのはなぜなのかしら……」
というやり取りを経て、全会一致で決まった最短攻略ルートへの挑戦。
理論上最短を、現実のものにすべくディヴァインクローバーは準備を整えていた。
「ユウト、永劫巨氷が姿を現したぞ! 眷属をどっさり従えてな」
地平線の向こうを指さしたのは、魔法銀の全身鎧に身を固めたヴァルトルーデ。すでに、討魔神剣を抜き放っている。
「ヴァルは待機。朱音とセネカは、準備を頼む」
「心得ています」
「あ、あんまり練習してないから、ツッコミはダメよ?」
準備を整えている間に、先頭を走る永劫巨氷ジャブドゥファレェヴが視認できる距離まで近付いてきた。
裸婦の氷像。
様々な要因を無視して表現すれば、それが最も近い。
曇りひとつないクリスタルを削り出したかのような肉体は、優美でしなやか。女性的な丸みを帯びていながら、硬質で冷たい印象があった。
ただし、単純に美術品として観賞するには、あまりにも巨大。20メートル。いや、下手をすると、それ以上ありそうだ。
また、手にした、氷柱の先に氷山がくっついたような鈍器も芸術品ではあり得ない。
そしてなにより、顔に浮かぶ憤怒の相が美術品ではなく悪の存在だと本能に訴えかけてくる。
一歩近付く度に氷でできた髪が舞い、震動がユウトたちのところまで伝わってきた。
その震動は、ともに襲いかかってくる霜の巨人が引き起こしているものでもある。
「元気で結構なことよの」
「まったくだな」
「ええぇ……?」
「言いたいことは分かるけど、もう、そういうもんだと割り切ったほうが良いぞ」
ユウトも、そういうものだと認識しているだけで、本音としてはアカネに近い。
落ち着いているように見えるのは、場数の差だ。
「《勇気讃頌》」
セネカ二世は、神術呪文として朗々と賛歌を歌い上げる。
その歌を聴いていると、アカネの心に勇気が湧いてきた。
「やるしか……ないのよね」
「大丈夫だ。失敗しても、雑魚ならヴァルが片付けてくれるから」
「本当にできそうで困るわ」
作戦の核だが、失敗してもリカバリィは利く。
その事実が、アカネを平常心にしてくれた。
厚手のマントを一振りし、リュートを構える。
ギターよりも遥かに弦の数が多く、演奏が難しいはずの楽器。
けれど、慣れ親しんだ愛器のように、なにをどうすればいいのか、手に取るように分かる。
「眼下にはマウンテン・ジャイアントたちの群れ
採掘場を占拠し集落を作った巨人たち
ドワーフは手も足も出なかった
そこに現れたのは美しき聖堂騎士と若き魔術師
魔術師は言った、ジャイアントの群れを皆殺しにしようかと
聖堂騎士は宣言した、すべて、私が片を付けるからなと
ドワーフは信じなかった
信じられるはずもなかった
ドワーフは理解していなかった
信じられない勝利を持たらすからこそ英雄なのだと」
一度息継ぎし、アカネは続ける。
「魔術師は地震を起こした
ドワーフは驚愕した
しかしマウンテン・ジャイアントたちはそれが攻撃だと気付きはしない
美しき聖堂騎士は空を舞った
剣を一薙ぎする度に巨大な首が地に落ちる
マウンテン・ジャイアントたちは反撃したがすべて手遅れ
すべてその首を落とされ――ドワーフは驚く余裕すらなかった」
歌詞の内容に恐怖を憶えたわけではない。そもそも、言葉が通じない。
ヴァルトルーデと美しき聖堂騎士を同一視したわけでもない。
それでも、恐慌をきたした霜の巨人たちは、その場で動きを止めた。
「上手くいった……のよね?」
「ああ、ばっちりだ。歌はちょっと美化しすぎっていうか、誰から聞いたんだよって感じだけど」
「というか、セネカさんのあとに歌うとか、冷静に考えると罰ゲーム過ぎない?」
「そのようなことはありませんよ、アカネ様」
後衛はまるで戦闘が終わったかのように和気藹々としているが、まだ実際に剣を交えてすらいない。
そして、すべての巨人が恐怖に怯えているわけでもなかった。
近付いてこようとはしないが、一部の巨人たちが握り固めた雪玉を全力で投げつけてきた。
「ヴェルガ、防御を頼む」
「やれやれ。このように地味な役割を妾に割り振るのは、婿殿だけぞ」
文句を言いながらも嬉しそうに、ヴェルガは秘跡を完成させる。
「《滅びの魔球》」
漆黒の球体がヴェルガの周囲に浮き上がり、そのうちのひとつが雪玉――いや、山だ――を迎え撃った。
体積にして数百倍は違うだろう白と黒の球体がぶつかり合う。同時に、ぽんっという、ワインの栓を抜いたような軽い音がした。
しかし、残ったのは圧倒的に小さな黒の魔球。
巨大な雪塊は雪煙も残さず消え去った。
「もう終いか? 面白くないの」
赤毛が、雪原に映えていた。
淫靡な半神は、自らの美しさに頓着せず、傍観者となることを選んだ。
悪魔諸侯と聖堂騎士による一戦の。
「やっと、私の出番か」
「ガアァァッッッ!!!」
絶叫とともに、氷柱の先に氷山がくっついたような鈍器を振り下ろす。
その重量だけで、ヴァルトルーデは染みになるだろう。
しかし、不格好な武器は至高の美に届かない。
「悪くない」
酒を吟味するかのような口調で、ヴァルトルーデは言った。
物理的にあり得ないが、巨大というのもおこがましい氷の塊を剣一本で受け止めている。
不安定極まりない雪原にもかかわらず、足はほんの少しも沈んではいない。ましてや、後退などありえない。
不壊の神剣は、この夢の世界でも健在。折れも曲がりもせず、攻撃を受け止めていた。
怒り狂った永劫巨氷ジャブドゥファレェヴが何度も何度も打ち据えても、ひびのもひとつ走りはしなかった。
物理的にあり得ない光景。
だが、ヴァルトルーデの美しさが理不尽なまでの説得力を与えている。
「ウガアアアアァッッァッッ!!!」
「済まんな。巨人の言葉は理解できぬ」
効かないと悟った永劫巨氷は、攻撃手段を変えようと得物を捨てた。氷山が地面に落ち、雪煙が舞う。
しかし、遅い。ユウトたちディヴァインクローバーの前には、遅すぎた。
いかなる攻撃を放つつもりだったのか。
それは、永遠の謎となった。
「《陽光縛鎖》」
呪芸を披露し気が抜けていたアカネが、ぎょっとした表情を浮かべる。
法衣の裾から見えるセネカ二世の手が、枯れ木のように萎えていた。
太陽神フェルミナの代行者である彼女だけが使用できる、特別な神術呪文の代償。
だが、代償以上の効果はあった。
陽光で編まれた巨大な鎖が、氷の巨人の手足を縛る。不快そうに身をよじるが、拘束がきつくなるだけ。
「ヴァルトルーデ会長!」
「このサイズ差だ、よもや卑怯とは言うまいな?」
セネカ二世の後押しを受け、ヴァルトルーデは駆けた。ジャブドゥファレェヴの足から胴を抜けて、肩の上まで。
「聖撃連舞――陸式」
永劫巨氷ジャブドゥファレェヴ。
悪魔諸侯の首筋に、悪を討つ《降魔の一撃》が一瞬で六回も叩き込まれた。
硬質な表皮を削り。
氷そのものの肉体を深々と斬り裂いて。
その内側に隠された骨を断ち切った。
「さすが、全力の悪魔諸侯。一戦で切り札を使わされてしまった」
弱体化させたときは、一撃で充分だったのだがな。
美しき聖堂騎士賞賛を送ったのと同時に、巨大な頭が、地に落ちた。
アカネの歌と、同じように。
久々に強いヴァルが書けて満足。
あ、ジャブドゥファレェヴはイル・カンジュアルぐらいの強さはありました。
本気の攻撃(絶対零度のブレスなど)をする前に、セネカ二世に封殺されてヴァルに首を落とされましたが。
(なお、攻撃をしてもヴェルガ様が撃ち落とした模様)