番外編その11 High School Dungeons&Dreaming 第九話
「ユウト様」
「…………」
「ユウト様っ」
「はっ!?」
「上がっていただいて、よろしいのですのね?」
「……はい」
赤毛の女帝――今は風紀委員長――ヴェルガ。
素直に会いたいと言える相手ではないが、会わなければ会わないで勝手に上がり込んでくるだろう。それに、会わないと不利益が発生するかもしれない。
となれば、カグラに案内を頼む以外の選択肢はなかった。
そして、最も厄介なのは――
「あれよね。あっちも、会いたくないけど会わざるを得ないって心理を見越してるわよね」
「しかも、その葛藤を完璧に理解して笑ってるな。間違いない」
――すべて計算ずくで行動している点だろう。
「会いたかったぞ、婿殿」
数分もせず、ユウトとアカネ。そしてコロが待つリビングにヴェルガが姿を現した。『婿殿』という呼称にカグラがぎょっとした表情を浮かべるが、それも一瞬。
なにも言わず、自分の部屋へと戻っていく。
コーヒーを用意するつもりだったのようだが、配慮を優先した格好だ。
ユウトは、乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
『婿殿』などと、時代劇ぐらいでしか聞いたことのない呼び名が出てきたら、驚くに決まっている。
聞かなかったことにしてくれるだけで、感謝しなくてはならない。できた家政婦さんだった。今度、購買でなにかお土産を見繕うべきだろう。
そんなユウトの思いも知らず、ヴェルガは面白そうに周囲を眺めていた。
「ほう。ここが婿殿の家か」
「正確には、ユウトとあたしの家だけどね」
「いや、名義はどっちかの親だろ」
ユウトの正確な。しかしつまらない指摘など、アカネもヴェルガも一顧だにしない。広々としたマンションのリビングで、悪の半神と美神の代行者が対峙する。
「グルルルルッッ」
そこには、牙をむく存在が、もう一人いた。
低いうなり声を上げ、目を一杯に見開き、文字通り牙をむき出しにするコロが。
「グアァンッ! グアァンッ!」
「あら、人懐っこいコロちゃんが珍しい」
「ふっ。この程度、気にもならぬわ」
「敵と味方が、ちゃんと分かるのね。飼い主に似たんだわ。おほほほほ」
「くっ」
珍しい。
大変珍しいことに、ヴェルガはたじろいだ。
飼い主に似たという、アカネの悪意しかない言葉。そこに思うところがあったらしい。
相手が小さく愛らしいポメラニアンであることも、それに拍車をかける。
「見慣れぬからであろう? 多少慣れれば、問題はなくなるわ」
「そうかしらねー。あたしは、子供の頃から一緒だからよく分からないわ。あっ。子供の頃っていうのは、あたしとコロの両方ともというダブルミーニングだから」
「コロ、少し落ち着け」
このままでは話が進まない。
ユウトは愛犬を後ろから抱きかかえ、子供でもあやすかのようにしながらリビングのテーブルへ移動した。
「単刀直入に、用件を聞こう」
「そんな前置きをせずとも、妾と婿殿ゆえ長い逢瀬にはならぬであろ」
「……認めたくはないけど、そうだな」
「理解し合うというのも、時に寂しいものよ」
喉の奥で淫靡な笑い声をあげ、ヴェルガは艶やかで淫猥な唇に指を這わせた。
その一方、ユウトはコロを抱き、頭や背中を撫でながらだった。
「……シリアスにならないわね」
「平均したら、ちょうど良くなるんじゃないか?」
猫ならまだ、悪の組織のボスっぽかっただろうか。いや、それはラーシアの担当だ。ヴェルガですらない。
「話というよりは、そうよな。婿殿に確かめたいことがあっての」
「明日じゃダメだったのかよ」
「余人を交えずに話すべき内容だからの」
「いや、あたしも一緒にいるから」
二人きりになどさせられないと、アカネが目と言葉で威嚇する。同意するかのように、コロも吼えた。
すっかりペースを取り戻したヴェルガが、アカネを無視して燃えるように赤い髪をかき上げる。
「婿殿争奪戦を行うと言うたが――」
「そこは確定なのかよ」
「婿殿自身は、どうしたいのかと思うての」
完全に虚を突かれ、
ヴェルガは、興味津々と淫猥な視線でユウトを見つめる。
つまり、いつも通り。
「どうしたい? 俺が?」
一方、ユウトは思わずアカネと顔を見合わせた。コロも一緒に首をひねる。
今日何度目になるか分からないが、その中でも、今回の戸惑いは最大級だろう。
「まさか、勇人の意思が尊重される展開がくるだなんて……」
「朱音にも、そんな風に思われてたのか……」
「だってねぇ?」
過去の記憶を紐解けば、自然とそんな感想になる。
「希望がなければ、妾の右腕が企画したとおり争奪戦を行うが……」
「右腕? もしかしてラーシアのことかよ」
ヴェルガはいつも通りの淫靡な微笑みで、静かにうなずいた。
「ラーシアが……ヴェルガの……右腕……」
分かっていた。分かっている。
けれど、端的に言って悪夢以外のなにものでもなかった。ユウトの脳内ラーシアが、高笑いしている。
「もっとも、妾の右腕はここにあるがの」
と言って、セーラー服の上から、軽く自らの右腕に触れるヴェルガ。
「いざとなったら、切り捨てる気満々じゃねえか……」
むしろ、そのほうが恐ろしい。ラーシアも、ヴェルガがそう考えているのは百も承知しているはず。
それで表面上は協力し合っているのだから、最悪だ。どうしようもない。
「まあ、ラーシアなんで、切り捨てられても別にいいけど」
「うむ。話を戻すかの。婿殿は、どうしたいのだ?」
「抽象的すぎる」
警戒してユウトは突っ撥ねたが、それはヴェルガからのさらなる踏み込みを許すだけ。
「婿殿は、この世界をどうしたいのか。そう聞いておるのよ」
「……なぁっ」
ユウトも、そしてアカネもなにも言えなかった。絶句とは、まさにこのこと。
まさか、ヴェルガにもブルワーズの記憶があるのか。風紀委員などというのも、妙に似合ってしまっているセーラー服も、それを隠すためのカモフラージュだったのか。
「……記憶があるのか」
「ないのう」
からかうと言うにはあまりにも淫猥に、ヴェルガは否定してみせた。
「だが、ということは、婿殿には別の世界の記憶がある。そういうことになるの?」
淫蕩に微笑み、ユウトの言葉を逆手に取る赤毛の風紀委員長。
「やられたっ……」
コロを抱いたまま仰け反るユウト。
失敗という言葉が、増殖して頭の中を飛び回る。
それは、アカネも同じ。
ヴェルガなら、あり得ると思ってしまい、まんまとはめられたのだ。
「妾は、今の状況を奇異には思わぬ。矛盾も不審もなく、首尾一貫しておる。世界は、元々、こうである」
その認識は、今でも変わらぬが……と、一拍置いてヴェルガは続ける。
「だが、婿殿は違った」
ユウトの言葉や態度を観察し、違和感を憶え、推測し。
今、確認をした。
確認したいことがあると、言ったとおりに。
「あたしもいるんだけど?」
「婿殿に添付されておるだけであろ」
「まあ、やだわ。あたしが、勇人のものだなんて」
「挑発するなって。俺は朱音のものなんだから」
ヴァルトルーデやアルシアは言うまでもなく、ヴァイナマリネンですら気付いていないだろう世界への疑問。
「誰にも信じてもらえないだろうから言わなかっただけで、隠してるわけじゃなかったんだがなぁ……。なんだこれ」
それに、たった二回の遭遇で行き当たったヴェルガ。
「というか、ストーカーっぽくて若干引くんだけど……」
「それだけ、妾が婿殿を愛しているということであろ」
「残念ながら、そこを疑ったことは最初からないんだよなぁ……」
本当に。心の底から残念ながら。美人局の類なら、どれだけ良かったことか。
現実には、ユウトへ手を出したヴェルガが、ヴァルトルーデから手痛い反撃を受けている。
「ということは、婿殿の望みは元の世界への帰還ということで良いのだな?」
「ああ、そうだ。どんな世界だったか説明は必要か?」
「不要よ。婿殿を手に入れられていない、哀れな妾の話など聞いても益はあるまい」
ばっさりと、悪の半神は自分自身を切り捨てた。
その態度には、いっそ清々しさすら感じる。
それこそ、彼女が赤毛の女帝である証明に他ならなかった。
「となれば、妾のやることも決まったの」
「そうか。それなら、こっちも望むところだ」
ここでも敵対することになった。
そうなれば、ユウト争奪戦などというふざけたイベントもなくなる。
まさに、望むところだ。
「ほう。まさか、婿殿が望んでくれるとはのぅ」
「あれ? 話がねじ曲がってる」
望むところ。
そのはずだったのに、雲行きが変わった。いや、嵐が来るのに気付かなかっただけか。
「これは、是が非でも婿殿を手に入れねば女がすたるというものよ」
「なんでそうなるんだよ!」
「キャウンッ! キャウンッ! キャウンッ!」
ユウトと、その胸に抱かれたコロが吼えるが、悪の半神は動じない。
「婿殿を風紀委員に取り込み、生徒会と部活動連合を抑え、永遠にアンダーメイズ攻略を遅滞させる。これで、婿殿は永久に妾のものとなろう?」
「それただのバッドエンドルートじゃない……」
黙って見守っていた――というよりは、口を挟めなかった――アカネが、深い深いため息をつく。
そういえば、ユウトを拉致監禁しようとした前科があったことを思い出す。
自分のことを哀れと切り捨てていたが、やっていることは変わらなかった。
「とはいえ、強権を振りかざすだけでは余計な反発を招くからの」
「そう言いつつ止めない時点で、なんら妥協してないよな」
「予定通り婿殿争奪戦を行い、あれらには身の程をわきまえさせねばならぬな」
「それ、単に生徒会と部活動連合の同盟を防ぐためだろ」
「さてのぅ。妾の右腕は、なにやら考えておるようであるが」
細かいところは部下に任せる。
帝王の器を見せつけ、赤毛の風紀委員長はアカネでさえ見とれてしまう淫蕩な微笑みを浮かべた。
「では、明日を楽しみにの」
そう宣言し、ヴェルガは席を立つ。
そして、一度も振り返ることなく、去っていった。
「これ、あたしも勇人争奪戦に参加すべきなんじゃない?」
「どういう形式になるか分からないから、それは……いや」
さすがにそれは認められないと首を振ろうとしたところで、ある可能性に思い至る。
「企画はラーシアなんだよな」
「……そうね」
三つ巴と四つ巴。
どちらが面白い展開か。少なくとも、ラーシアがどう判断するか。
それはあまりにも自明すぎた。
・書いたけど展開の都合上カットした文章
ユウトのコロへの愛情には定評がある。
「ねえユウト。ボクとコロのどっちが大事?」
一度、ラーシアが冗談めかして聞いたところ。
「え? なにラーシアお前、コロと同じステージに立ってると思ってるの?」
と、正面から打ち砕かれたことがあるくらいだ。
アカネからすると、遠慮ない言葉をかけられるというのは、それだけ親しい証拠に思えるのだが。
「あれは、マジだった……」と、ラーシアは遠い目をしていた。
※展開上入れられなかっただけで、ラーシアの扱いが悪いからカットしたわけではありません。
扱いが悪いと親密なんだったら、ユウトのヴェルガ様への好感度がMAXになっちゃうしね。
【告知その1】
『青雲を駆ける』の肥前文俊先生主催の書き出し祭りに今回も参加しています。
・第三回書き出し祭り
https://ncode.syosetu.com/s5122e/
昨日から公開が開始され、藤崎は第一会場にいます。
かなり毛色が違う作品ですが、良ければ探してみて下さい。
【告知その2】
明日ぐらいから、新連載始めます。
風邪を引いたときに思いついたスローライフものです。
心が弱っていて、優しい作品が書きたかったんだ……。
既存作品とのリンクは(今のところ)ない予定ですが、見かけたら読んでやってください。