番外編その11 High School Dungeons&Dreaming 第八話
「家に帰ったら、ヴェルガがいる……なんてことないよな?」
「それは……。絶対にないとは言い切れないわね」
馴染み深い実家マンションのエレベーターから降りながら、アカネは考えすぎと笑い飛ばそうとして失敗した。
普通に考えればない。あり得ない。
だが、あの赤毛の女帝は普通ではない。まともなのは、男の趣味ぐらいのものだ。迷惑極まりないが。
「父さんと母さんに、なんて説明すりゃいいんだ」
「ありのままに?」
「逆ギレして氷の城作ってどうするんだ。まったく、一回転校してるってことは、ただでさえも迷惑かけてるんだろうに……」
生徒手帳にはちゃんと自宅の住所が書いてあり、ユウトとアカネは同じマンション。つまり、地球にいた頃の、本来の家が記されていた。
学生寮の存在がまったく出てこなかったので半ば予想していたが、二人ともほっとしていた。
なんとか、激動の一日を乗り切ったのだ。できれば、いや、切実に、家族との普通の時間が欲しい。
具体的には、コロと触れ合いたい。
「まあ、さすがに痴女帝……痴女委員はないでしょうけど……」
「ラーシアがいるぐらいのことは、覚悟しておくか」
玄関までの外廊下を並んで歩きながら、ユウトは軽く息を吐いた。
最悪より、少しまし。
常に最悪を想定するのは悲観的を通り越して卑屈すぎるし、かといって無警戒も良くない。これくらいに備えるのが一番だ。
そう思っていたのだが。
「なあ、朱音」
「ねえ、勇人」
「見間違いじゃないようだな」
「幻覚でもないみたいね」
マンションの隣同士の家で育った二人。当然、家の場所を間違えるはずもない。
しかし、根本的に構造が変わっていたとしたら。
それは、ひとつになってしまったドアの前で立ち尽くすしかないだろう。
「家が一緒になってる……」
「なってるわね……」
そう。
ふたつの住居はひとつにリフォームされてしまっており、玄関もひとつだけになっていた。表札も『天草・三木』と連名になっている。
部屋を間違えたわけでもない。
「こやつめ、ハハハ」
「ハハハ」
顔を見合わせ乾いた笑い声をあげるしかなかったが、ユウトはすぐに冷静さを取り戻した。数々の修羅場を乗り越えてきた大魔術師だ。心構えが違う。
「まあ、城塞で暮らしてるときと、それほど変わりはないよな」
「そうよね。どうせ、部屋は別々でしょ? 一緒でも構わないけど」
ポケットに入りっぱなしになっていた家の鍵――オートロックもこれで開けた――でロックを解除し、ガチャリとドアを開ける。
驚きや戸惑いよりも、愛犬との触れ合いへの誘惑が勝ったのだ。
「ただいま」
「ま~」
「ゥワンッ! ゥワンッ!」
ユウトが玄関のドアを開くと同時に、コロが駆け寄ってきた。いや、タイミング的に、それより早くか。
かわいらしいポメラニアンの外見とは裏腹に、素早い。その勢いのまま飛び込んでくる。
「あ~。ただいま。なんだか、超久しぶりな感じがするな……」
しゃがみ込んでコロの突進を受け止め、制服に毛が付くことも厭わず抱きしめるユウト。毛並みが、体温が、ぶんぶん振られる尻尾が。心のこわばりをほぐしていく。
アカネは、ほほえましさと呆れがブレンドされた表情で見つめている。
そうこうしていると、マンションの奥から、足音がした。
どちらかの両親。恐らく、自宅にいることが多い、アカネの父親の忠士だろう。
「お帰りなさいませ、ユウト様、アカネ様」
――その予想は、完全に裏切られた。
「カグラさん……」
竜人の巫女。艶やかな黒髪の美女が、振袖に白いエプロンといった和風のメイド服を身にまとって立っていた。
当たり前のように。ユウトとアカネの家に。
あまりにも似合いすぎて、声が出ない。
ぽかんとするユウトの頬を、コロがペロペロと舐める。
アカネも、思考がフリーズしていた。白衣の養護教諭レン、エプロンとスリムジーンズの購買のお姉さんレジーナ。そして、和メイドのカグラ。
いくらなんでも許容量オーバーだった。
二人とも挙動不審すぎて、カグラは訝しげに首を傾げる。
「……お二人とも、学校でなにかありましたか?」
「あったというか、現在進行形で起こってるっていうか?」
「いや、大丈夫。なんでもないです」
「左様ですか」
完全に信じたわけではないのだろうが、カグラは、自らの主人が訳ありであることをしっかりと認識していた。
そして、自分の仕事が彼らを癒すことであることも。
「夕飯の準備はできております。着替えて、食堂へいらしてください」
深く追及することなく、コロを引き取ってリビングへと戻っていった。遅れて、ユウトとアカネも靴を脱ぐ。
記憶にある家とは構造が違うが、部屋にはネームプレート――『YUTO』と『AKANE』とポップな書体の物――があり、助かった。
その部屋の扉に手をかけ、その状態で二人は顔を見合わせつぶやく。
「カグラさんが……」
「家政婦……いや、メイド……か」
本当に、ファルヴの城塞で暮らしているときと変わりなかった。
「自室で控えておりますので、ご用がありましたらお呼びください」
「あ、はい」
一礼して、和装メイドのカグラがリビングの扉を閉めた。
あとに、ユウトとアカネ。そして、天草家の愛犬コロが残される。もっとも、コロはリビングの片隅で仰向けになって眠っているが。
それを視界の隅に入れつつ、アカネはダイニングテーブルに突っ伏した。
「最後に、とんだ爆弾を仕掛けられてたわね」
「そうだな……」
「料理してもらえたのは、助かっちゃったけど」
カグラの料理は美味かった。
ふっくらと炊きあげられたご飯。鯛の刺身と潮汁。そして、筑前煮。
刺身もきちんとした料理のひとつ。切り方で、味は容易く変わる。
その意味では、控えめに言っても最高だった。
筑前煮もしっかりとした味付けで、正直、ご飯が足りないぐらい。
食後のコーヒーも、ユウトを満足させるクオリティ。はっきり言って、非の打ち所がない。
「しかし、どっちも海外勤務とは……。というか、海外あったのか」
「実は、ここが量子コンピュータで再現された都市で、そもそも外が存在しないとかじゃなければ、あるんじゃない?」
「ファンタジーだけで手一杯なのに、SFまで混ぜないでくれ」
とにかく、天草家も三木家も両親不在。
子供を二人きりで残すのも不安があり。さらに、愛犬の世話を頼む意味もあって、家政婦を雇った。
それが、カグラだった。
矛盾はない。存在自体がおかしいという部分を除けば、問題もない。
「でも、それはそうよね。両親不在ぐらいは予想してしかるべきだったわ」
「さすがに、それは飛躍しすぎじゃないか?」
疑問を呈するユウトに対し、アカネは、ちっちっちと舌を鳴らしながら人差し指を立てて横に振る。
「いい、勇人?」
「なんだよ」
「主人公たちはね、正体不明の敵と戦ったり、怪我したり、秘密が多いのよ」
「ああ、うん」
人は皆、自らの人生の主人公だ。
それくらいの主語の大きさで、ユウトはアカネの言葉を受け入れた。そうしないと、先に進まない。
「それなのに、家に親がいたりしたら、読者や視聴者は『帰りが遅くなってるけど、親が心配してるんじゃないか?』とか、『こんな怪我して帰ってきたら、絶対家族が通報するわ』とか考えちゃうわけよ。分かる?」
理屈は分かる。
だが、口を挟めるほどは理解できなかった。
「つまり、余計な部分で読者が引っかからないよう、主人公は必然的に、一人暮らしになるものなの。同居展開もやりにくいしね」
「読者か……」
高次元の視点からの主張。
それはユウトにはない発想で、この夢の世界をどうにかするヒントになるかも知れなかった。
活用法は、すぐに思い浮かばないのだが。
「要するに、この狂った世界なら、その朱音の理論に従った展開が発生してもおかしくない。そう言いたいわけだな?」
「そうそう。うろたえることはないわ」
普通に考えれば異常事態だが、視点を変えれば当然の展開。
アカネは、そうユウトを慰める。
「たとえ、和メイドカグラさんとひとつ屋根の下だったとしてもね!」
「ファルヴの城塞の屋根はでかかったから良かったんだが」
本当に慰める気があったのか微妙だが、それはさておき。
「ところで、犯人の目星とかついた?」
「悪意がなさそうということしか分からないな」
「あんな風紀委員会があるのに?」
「あんな風紀委員会があっても」
あんな風紀委員会だが、とりあえず、直接的な暴力に訴えることはない。それに、ユウトには手出しするが、アカネへのアプローチはほとんどなかった。
一番嫌がることは行っていないのだから、悪意はないと思っていいだろう。
「あくまでも、現時点ではだけど」
「もしかしたら、場だけ作って放置して楽しんでるのかしら?」
「あのときのヴェルガみたいにか……」
「だとしたら、あたしをターゲットにしたほうが、ヴァルやアルシアさんより楽しくなるって思われたってことなのかしら……」
疑問は尽きない。
しかし、現時点では答えも出ない。
「まあ、呪文が普通に使えるだけ、良しとしないとな」
「あたしまで、歌って戦うキャラになっちゃったけどね。中継されてたら、急に歌うよとか言われてるわ」
そこは、吟遊詩人だからしかたがない。
……と言っても、アカネは納得しないだろう。だから、ユウトは話題を変える。
「まあ、今はアンダーメイズを攻略してオベリスクまで到達することを最優先にすべきかな」
「そうよね。他に手がかりもないし」
願いを叶えるとか、現実を書き換えるとか。
いかにも関係ありそうだ。
仮にこの世界の創造主がいるとしたら、無関係とは思えない。
「けど、ひとつ約束して」
結局、ダンジョンに潜る。
アカネとしても、そこに異論はない。いろいろと圧倒されたが、嫌ではなかった。不謹慎なので、楽しいとは言わないが。
だからこそ、伝えなければならないことがある。
「ダンジョン攻略で、あたしを除け者にしないこと」
「朱音……」
「いい? 絶対よ」
ユウトも、覚悟を決めた。
「分かったよ。俺の側がこの世で一番安全な場所だからな」
「……勇人」
熱っぽい瞳でユウトを見つめるアカネが、恥ずかしそうに口を開く。
「録音するからワンモアプリーズ」
「こちら、限定となっております」
「いくら? いくら課金したら恒常になるの!?」
それはさておき。
「でも、ダンジョン攻略するにしても、ヴェルガだよな」
目標は決まった。
覚悟もだ。
けれど、その前に、高い高い壁がそびえ立っていた。ハードルのようにくぐり抜けることはできそうにない壁が。
「ヴェルガ、ヴェルガね……」
セーラー服を着た、赤毛の女帝。
考えるまでもなく無理があるはずなのに、ツッコミをする気が起きない。存在自体が、いかがわしいからかもしれない。
「勇人争奪戦って、なにをやらされる、もしくは、なにが起こると思う?」
「ラーシアに聞いてくれ」
「それ、もっと面白いことになるフラグだと思うんだけど」
「寝て起きたら、元の世界に戻ってたりしねえかな……」
しかし、その願望が叶うことはない。
それどころか、突然鳴ったインターフォンにより、その場で砕け散った。
「ユウト様、アカネ様。お友達だという方がいらっしゃってます」
「友達? ラーシアか?」
玄関口に出たカグラがリビングに戻ってきて報告するが、他に心当たりはない。わざわざ友達というあたり、ユウトは確信していたのだが……。
「女性で、赤い髪に制服を着た――」
「ヴェルガ!?」
がたりと音を立てて立ち上がり、アカネと顔を見合わせる。
驚きに、しばらく呼吸すら忘れる。
「クゥン?」
眠っていたコロがむくりと起きて、不思議そうな声で鳴いた。
また、ヴェルガ様が勝手に出てきた。
勝手に出てきた。