番外編その11 High School Dungeons&Dreaming 第七話
悪魔諸侯の一柱にしてアンダーメイズ第一層の主である、妖樹の御子ニーケンララム。
ふたつの奇跡が合わさった、ひとつの暴力により彼が打ち倒され、一抱えもある万能触媒が足下に降ってきた。
その直後。
「戻るか、進むか……」
ユウトたちの目の前に、ふたつの扉が現れた。
これまた、ユウトとアカネは知らない現象だった。だが、扉の向こうに、それぞれ上り階段と下り階段が見えているのだ。意味は分かる。
「引率はここまで」
「そうですね。疲れましたから、帰りましょう。まあ、私はなにもしていませんが……」
帰った後には、今日のこの出来事を賢哲会議に報告するという仕事が待っている。それでもなお、精神的な疲労を抱えた真名が手放しに賛同した。
「ふうむ……」
しかし、ユウトは違った。
装備品の一部である無限貯蔵のバッグにニーケンララムの万能触媒を回収しつつ、ふたつの扉を見比べている。
悩んでいるのは、アカネのことだ。
アカネの吟遊詩人としての能力はある程度確認できた。しかし、幼なじみの生徒手帳には、Aランク司教(リィヤ)とも記載があった。
こちらの能力は確認できていない。
ヨナという強力な味方がいる、今のうちに……と思ったのだが。
「勇人、なにかあるの?」
「いや、なんでもない。帰ろう」
アカネの顔を正面から見つめ、ユウトは首を横に振った。
表情に疲労の色がにじんでいた……というわけではない。ニーケンララムが爆散しても、現実味がないからか、アカネはいつも通りに見えた。
しかし、ダンジョン探索は初めてではないが、戦闘参加は初めて。配慮はしているものの、疲れていないはずがない。
本人に聞けばまだ行けると言うだろうが、ユウトは帰還を選択した。
まだ行けるは、もう危ない。
ダンジョンの。いや、冒険者の心得だ。
「ありがとうな、ヨナ……。いや、ヨナ先生」
「ヨナでいい」
「いいの?」
戦闘の興奮というよりは、戦闘といういつものシチュエーションで慣れた呼び方をしてしまったが、ヨナはそれを受け入れた。
いかなる心境かは、ポーカーフェイスのアルビノの少女からはうかがい知れない。ただ、そのほうが助かるのは確か。
「あたしは、ヨナちゃん先生って呼び続けるけどね」
「呼んだことねえだろ」
アカネは、ヨナ関連だといつもこんな感じなので、放置することとする。
「行きましょう。さあ、行きましょう」
その空気を敏感に察知し、真名が先頭に立って帰還の門を目指して歩き始めた。
普通に見えるが、止まるつもりはない。そんな歩調。
なにか忘れている気がする……と思いつつ、ユウトは真名に続いた。
上り階段の扉をくぐる。
一瞬の酩酊感。
階段を上った感触などなく、しかし、移動は為された。
「帰ったか!」
その証拠に、次の瞬間、作業服の大賢者が目の前にいた。
ヴァイナマリネンの存在こそ、ユウトが忘れていたことだった。
体格のいい禿頭の老人のアップ。
「戻っていきなりジイさんとか、これ、普通に傷害事件だろ」
「大賢者様に、なに言ってるんですか!?」
問題発言に顔を青くし、真名が悲鳴をあげた。
しかし、当事者たちは、まったく気にしていない。
「言いおるわ。あんな方法で、最弱の悪魔諸侯撃破しおったくせに」
「ああ……。まあ、あれは初回お試しというか、次は俺が目立たないようにやるよ」
「分かっておるなら良いわ!」
ガハハハハと呵々大笑した大賢者ヴァイナマリネンが、歩き去っていく。どうやら、ユウトの答えをお気に召したようだった。
再び、扉の監視者となった作業服の大賢者から視線を外し、ユウトはヨナと真名に頭を下げる。
「改めて、ありがとう、ヨナ、真名。お陰で、いろいろ分かってきた」
「教師だから」
「あの、私が悪い面もありますが、その、ほんと……」
ヨナはあっさりと。真名は、どうしたものかと悩んで。
それでも、ユウトの謝意を受け入れた。
「勇人、今日はもう終わりよね?」
「そうだな。家で反省会ぐらいはするかもしれないが……」
言ってから、自分の家は元の場所にあるのだろうかと疑問が生じた。
この世界だと、別に学生寮なんてものがあっても不思議ではなかった。
自宅の場所は、さすがに聞けない。生徒手帳に、書いてあるだろうか。
「センパイ、万能触媒の換金はいいのですか?」
「購買行く?」
連れてこられただけの真名も、引率のヨナも分け前を要求するつもりはまったくない。
完全に善意からの申し出。
しかし、ユウトもアカネも、換金や購買という言葉に理解が追いつかない。
二人は顔を見合わせ、「どうしよう?」「どうする?」と目と目で相談する。
……が、すぐに妙案が浮かんでくるはずもない。
「呪文の触媒に取っておこうかと思ったんだけど……」
それでも、なんとか言い訳めいたものをひねり出せたのは、僥倖以外のなにものでもなかった。
「それでも、センパイがうちのアンダーメイズに入るのは初めてですよね? 購買の品物だけでも、見ておいて損はないと思うのですが」
「美味しい物もある」
「そーね。せっかくだし、一緒に見に行ったらいいんじゃない?」
「そうだな。せっかくだしな」
幼なじみ夫婦がアイコンタクトをしながら、話を合わせた。
まさか、換金や購買という初歩的なことで戸惑っているなどと、真名は想像もしていない。
「では、行きましょう」
「行くか」
「ええ。購買、楽しみ。楽しみね!」
そういうことに、なった。
真名の先導で到着した購買部は、その言葉からは想像できない規模だった。
校舎の一角などではなく専用の建物があり、小型のショッピングセンターと変わらない。
店内は清潔で明るく、もちろん、敷居や格式が高い店でもなかった。
ユウトたちが自動ドアの前に立つと、ちょうど通りかかった店員が気さくに挨拶をしてくれる。
「いらっしゃいませ」
「……そう来たか」
「レジーナさん……」
入り口でユウトたちを出迎えてくれたのは、レジーナ・ニエベス。
イスタス公爵領の海運都市ハーデントゥルムで随一の商会に飛躍させた、健康的なやや日に焼けた肌と豪奢な金髪が目を惹く美女。
特に、アカネにとっては友人であり、重要で信頼できるビジネスパートナーでもある。
そんな彼女が、地味なエプロンにスリムジーンズで購買のお姉さんをしていた。
「魔法薬も、いろいろ新入荷していますよ。よろしければ、どうぞ」
完全に、購買のお姉さんだった。
エプロンに名札がつけられているため、この世界では初対面になるアカネが名前を呼んでも、特に反応はない。
「ああ、あの。万能触媒の換金を……」
「承知しました。こちらへ、どうぞ」
「センパイ、私たちは適当に商品を見ていますね」
真名はヨナと一緒に行ってしまい、ユウトとアカネはレジーナの後についてカウンターへと向かわざるを得なかった。
「油断禁物だな、この世界」
「そうね。戻ったら、レジーナさんにデニムをプレゼントしないとね」
小声で噛み合わない話をしているうちに、買い取りカウンターと書いてある一角にたどり着く。
「本日は、どの程度の買い取りをご希望でしょうか」
言われて、万能触媒の大きさや質と金額の関係などなにも知らないことに気付く。
「こっちのアンダーメイズに潜るのは初めてだったんで、まずは鑑定してもらいたいんですけど……」
「そういうことでしたか。承ります」
アカネと並んで家電量販店にありそうな椅子に腰を下ろしながら、ユウトは無限貯蔵のバッグを取り出した。
そして、万能触媒をすべてぶちまける。
カウンター上に、無数の万能触媒とニーケンララムが残した巨大な万能触媒が積み重ねられた。
「全部換金するわけじゃないですけど、とりあえず、概算だけでも……って、なにか?」
「いえ。初めてとは思えない量でしたので……」
硬直の解けたレジーナが理由を説明したが、もちろん、量だけではない。
自称初心者が、階層の主の万能触媒を持ち込んできたら、誰でも驚く。
このタイミングで、ヨナが彼と一緒にいたことをレジーナは思い出した。
そうなると、彼もまた特別な生徒なのだろう。それこそ、生徒会長のヴァルトルーデや風紀委員のヴェルガのような。
「もしかして、あなたが噂のユウト・アマクサ様ですか?」
「噂なのかよ」
「では、そちらの綺麗な方がアカネ・ミキ様!?」
「様は止めてっ」
「……失礼しました」
綺麗な方に関しては否定しなかったアカネに、レジーナは頭を下げた。高ランクの冒険者生徒は購買部の重要顧客。迷惑をかけるわけにはいかない。
「まあいいんで、鑑定をお願いします」
「少々お待ちください」
カウンターの裏側に用意されていた大きなトレイを使って、数人がかりで万能触媒を裏へ運んでいった。
かなり慣れた、てきぱきした仕事振り。
この世界でもレジーナはレジーナなのだなと、ユウトは感心する。
「購買って、あれね。冒険者ギルドだったのね」
「そう言えなくもないか……」
ラーシアとアカネで練っていた、冒険者ギルドの素案を思い出しながら、ユウトはうなずいた。
確かに、財宝の買い取りも機能のひとつとして予定していた。
「だって、新入りの討伐証明部位の多さにびっくりしてたじゃない」
「それは分からん」
そのまま、待つこと5分。
驚きを笑顔に封じ込めたレジーナが戻ってくる。
「万能触媒は合計で5万8210ポイントになります。100ポイントから、カードへ入金可能です。お持ちでなければ、あわせてお作りいたします」
真名は換金と呼んでいたが、現金で支払われるのではなく、ポイントに変換されるらしい。現金のほうが使い道は多いが、税金など様々な点で無理も出てくるからだろうか。
なんにせよ、他に選択肢はない。
「朱音、どうする? 分ける?」
「いいわよ。勇人の一枚で」
「承知しました」
購買カードの作成にあたって、レジーナは必要事項を記載する用紙を取り出した。
「ポイントは購買でしか使用できません。また、現金への交換も禁止されています。よろしいですね?」
「はい。問題ありません」
その他、細々とした注意事項を聞きながらユウトは書類に記入していく。アカネは、これが面倒だったのかもしれないと小さな疑念を抱きつつ。
「じゃあ、5万ポイント分換金して、残りは呪文の触媒に」
「かしこまりました」
最後に書き間違えがないことを確認して、ユウトはレジーナに用紙を提出した。
レジーナも不備がないか確認する。
問題はなかったようだ。
「ああ。手数料は、いくらになりますか?」
「いただいておりません」
「それじゃ……」
手数料など余計な出費。払いたくない……という気持ちは分かるが、サービスもただではない。それに見合った報酬はあってしかるべき。
「その分、お買い上げいただければ」
「なるほど」
通常の営利企業と違って、アンダーメイズ攻略をバックアップするのが購買部。ポイントは購買でしか使用できないこともあり、他で補填しているのだろう。
それなら、ユウトも文句はなかった。
「記載内容に問題はございませんでした。発行まで少々お時間をいただきます。放送でお呼びしますので、よろしければ店内をご覧になってお待ちください」
「そうします」
軽く頭を下げてから立ち上がり、店内をぐるりと見回す。
一階だけでもかなりの広さだが、二階や地下もあるようだ。
まずは壁際に移動し、二人で案内図を確認する。
「一階が武器とか防具。二階がその他の装備品、地下が食品みたいね」
「並んでる物を考えなければ、デパートとかディスカウントストアみたいだな」
放送がかかるとはいえあまり離れるのも気が引けたので、一階を適当に見て回ることにしたユウトとアカネ。
銃といったの近代兵器は一切ない。長剣やクロスボウ、盾に革や金属の鎧などなど。
武器と防具という案内図に偽りなく、種別毎にコーナーを区切って様々な装備が飾られていた。
ユウトは、それを複雑そうな瞳で見つめる。
「勇人、どうかした?」
「いや、なんでもないよ。レジーナさん、似合ってたなって」
「それは確かに」
微笑んで同意するアカネに、ユウトはほっと胸を撫で下ろした。
嘘をついたわけではないが、真実をそのまま口にしたわけでもなかった。
明るい人工の照明の下、ディスプレイされる武具。
それは意外と馴染んでいて、だからこそユウトには違和感の塊だったのだ。今は、気にしても仕方がないと分かってはいるが……。
切り替えなくてはならない。
「ところで、これ、普通に手に取れるんだけど? 防犯どうなってるのかしら」
「まあ、なんか上手いことやってるんだろ」
「例えば?」
「ここで騒ぎを起こすと、ヴァルとヴェルガが相争って犯人を検挙しようとするとか」
「万全すぎるわ……」
変なことをしなければ、それでいいのだ。特に問題はない。
「それより、まずは、5万ポイントでなにが買えるか確かめたいところだけど……」
その疑問は、商品を見て回ることである程度判明した。
「だいたい、向こうの金貨1枚が1ポイントに相当する感じだな」
ちょうど5万ポイントするレイピアを、眺めながらユウトは言った。
レイピア・オブ・アウェアネス。
攻撃面でも強力な魔化が施されているが、それだけではない。
半径20メートルの範囲に敵意ある対象が近付いてきたら、刃が振動して知らせてくれるという得がたい効果がある。
レイピアは誰も使わないので買いはしなかったが、以前、フォリオ=フォリナで見かけたことがある。
その金額は、金貨5万枚。
他の階の魔法具なども見ないと結論は出せないが、大まかな目安としては間違っていないだろう。
「分かりやすいわねぇ」
「まったく、誰が決めたんだかな」
防具。それも、軽量な防護服のコーナーに移動しながら、二人はまたしても小声でささやき合った。
中途半端な時間だからか他に客の姿はなく、真名とヨナも別のフロアにいるようだが、用心をするに越したことはない。
「ところで、防具はどうする? この辺なら、普通に着れるだろ?」
「だと思うけど……」
軍服に似たデザインで、それこそダンジョンよりも歌劇の舞台が似合いそうな防護服。
ユウトが勧める魔法具から微妙に距離を取りつつ、アカネはナンとも形容しがたい表情を浮かべる。
「レイピアにその服だと、絶対運命黙示録かスタァライトしちゃいますかって感じになるんだけど?」
「よく分からないが、分かった」
要はコスプレっぽくて、恥ずかしいということ。
ただ、付き合いの長いユウトは、決して嫌がっていないことが分かった。
今は、それで充分。
どの勢力と組むのか。あるいは組まないのかは分からないが、パーティ構成によって必要な装備品は変わってくる。
必要なら、嫌がっても着せる。それだけだ。
「なんか、勇人から邪悪な気配を感じるんだけど……」
「あ、センパイ。換金は終わりましたか?」
「今は、カード作ってもらってるところだ」
振り返ると、真名とヨナが連れ立って近付いてきていた。まるで、近所のお姉さんと幼女だ。
特に買う物はなかったのか。二人とも、商品を手にしてはいない。
「なんか、5万ちょっとになったから、お礼としてなんかプレゼントするよ」
5万というポイントを聞いて真名はぎょっとしたが、ニーケンララムの万能触媒があったことを思い出す。
「変に遠慮するのも失礼ですね。でしたら、魔法薬をひとついいでしょうか?」
「ああ。遠慮なく好きなのを選んでくれ。なんなら、二本か三本まとめてでもいいぞ」
「ヨナちゃん先生もね」
アカネに言われても無表情だったが、赤い瞳の輝きが表情を裏切っていた。
「ああ。ヨナはなにがいい?」
「カニ」
「カニ?」
「タラバガニ」
「タラバガニ」
「三つ」
「一人ひとつ?」
アルシアとヴァルトルーデがヨナの妹だった。そんな設定を思い出しながらのユウトの問い。
「そう」
普段通り。
表情も声色もなにひとつ変わらず。
しかし、ユウトとアカネに分かる程度に、はにかむアルビノの少女。
「残ったら、アルシアが明日のお弁当にしてくれる。それをレンにもお裾分け」
ヨナの親友。この世界では白衣の保険医になったハールエルフの少女。
二人のランチタイムを想像し、アカネは胸を押さえてひざまずいた。
「勇人、お父さんに伝えて。朱音は、あなたの教え通りに育ち、そして死にましたと」
「だ、だいじょうぶなんですか!?」
「だって、ヨナちゃん先生かわいい。かわいすぎない?」
「いえ、あの……。なんか、すみません」
ノリについていけない真名が、心の底から申し訳なさそうに頭を下げる。
その背後で、ユウトを呼び出す放送が流れ始めた。
購買のレジーナお姉さんを出せて、作者は満足です。
しかし、こっちのヨナは随分とお姉さんしてますね。