番外編その10 起きえた可能性の世界における、あったかも知れない短い挿話
お約束のヴェルガ様番外編をお届けします。
Episode8でユウトを精神世界に捕らえた時に、存在していたかも知れないお話となります。
これは、起き得た可能性の世界における、あったかも知れない短い挿話。
「ユウト。この『ばれんたいん』とは、どういうものであろうか?」
「よりによって、それに食いつくのか……」
ヴェルガ帝国が誇る、帝城エボニィサークル。
その名の通り、女帝の私室も黒が基調となっていた。
綺麗に磨かれた壁面は、漆塗りのように光沢のある美しさ。
黒絹の絨毯には、最近ようやく慣れてきた。初対面の時のように、踏むのが申し訳なくて足を浮かせることもない。
女帝と異世界人が顔を向き合わせている黒檀のテーブルも、また、シックで格調高い。
さらに、淡い光で作り出された二つの影も、当然ながら、黒い。
ユウトは、自らが作った書類を手にして淫靡に微笑む悪の半神を前に目を閉じる。
けれど、それは逆効果。
女主人――ヴェルガの燃えるような赤毛が、まぶたの裏に残ってしまう。
女帝の美しさを日常のものとして受け入れつつあるユウトだったが、その鮮烈なコントラストに慣れることはない。
たびたび、目を奪われてしまう。
しかし、今はそれどころではなかった。
「他にも、ほらハロウィンとか……。クリスマスだって、本質的には似たようなもんだし」
「ほう……。ユウトがそのように直接言及を避けるということは、よほど都合が悪いことのようだの」
「しかも、読まれているというね」
こうなると、勝てる見込みはまったくない。
ユウトは目を開き、愉快そうに。そして、淫猥に微笑むヴェルガを正面から見つめた。
「えー。お手元の書類は、俺の故郷の習慣から、こっちでもできそうな行事をリストアップしたものなんですが……」
「それで、『ばれんたいん』はいかなる行事なのかの?」
総論に持ち込もうとしたユウトの目論見は、あっさりと打ち砕かれた。
一緒に心も折れそうになったが、今度は、なんとか耐える。
突然、エボニィサークル地下にあるオベリスクの前に転移して数ヶ月。激動の毎日であり、その期間は、ヴェルガと過ごしてきた日々と言い換えてもいい。
ほんの数ヶ月だが、こんなことは何度もあった。
それに、実のところ、ヴェルガとのこういったやり取りは気に入ってもいた。指先に小さな棘が刺さったような違和感は、いつまで経ってもなくならないのだけれど。
「バレンタインというのは、結婚が禁止された兵士たちを哀れんだ司教が国に処刑され――」
「詳しくは知らぬが、そこは不要だということは分かるのう」
「女性から、好きな男にチョコレートなどの贈り物をして、愛の告白をする日だよ!」
それが聞きたかったと、赤毛の女帝は会心の笑顔を浮かべる。
可愛らしいはずなのに、どうしようもなくどこまでも淫蕩な笑顔を。
「それで、妾が忠実にして有能な内政官殿は、どのような心算で導入するつもりなのかの?」
「贈り物をする習慣とか、帝国にあってもいいと思ってさ」
悪の帝国を名乗り、実態としてもそれに相応しいヴェルガ帝国。
地球で生まれ育ったユウトの価値観とは相容れないが、この国で生きてきて、統治の一形態だと、ある程度は認めてもいる。
生まれ持っての悪というのは、存在し。
それを統制するには、悪の論理も必要なのだと。
「そもそものバレンタインデーも、最初は愛の告白をする日だったんだけど、そのうち、もう、性別とか関係なくなってさ」
「ほう。それは、それは……」
感心したように、淫蕩なため息をつくヴェルガ。
「ユウトの故郷も、意外と乱れておるの」
「そういう意味じゃないから」
友チョコなどの習慣を想定していたユウトが渋面を浮かべると、我が意を得たりとばかりにヴェルガが淫猥な笑い声を上げる。
本当に魅力的で蠱惑的。
そんな悪の半神と二人きり。理性を保つだけでやっとだ。
こっちの気にもなってほしいと、ユウトは軽くため息をついた。実は、こっちの気になってほしいのはヴェルガのほうなのだが……。
とはいえ、焦る必要はどこにもない。
この精神世界では、あの忌まわしいヘレノニアの聖女の出番などないのだ。じっくりゆっくりと、味わえばいい。
そんな内心は淫らな笑顔に押し隠し、ヴェルガはユウトに問いかける。
「要するに、自らの財産を切り分け、他者に渡すことで友好を育むわけだの?」
「そう言われると、かなりあれなんだけど……」
かなり正解に近いので嫌そうな顔をしつつ、それでも、ユウトは続ける。
「心のこもった贈り物をし合った相手とは、なかなか敵対できないものだろ?」
お中元やお歳暮のような、ある種事務的なものではない。
もう少し、血の通った付き合いがあれば、ましになるのではないか。
そう淡い期待を抱いて、リストに入れたのだった。
「そこから始めて、上から下に施しをする習慣とかにつながっていくといいなぁって」
「下から上への献上があるのだがの。生贄を捧げられたりのう」
「ええぇ……」
言われてみるとそこまで不思議ではないのだが、バレンタインとのギャップが辛い。
「ユウトの気持ちは、よう分かった」
微妙な表情をするユウトを慮ったわけではないが、納得したと、ヴェルガがうなずいた。
ただそれだけで、淫猥な霊気が部屋に満ちる。
「しかし、導入したとして、最初は見込んだ奴隷を贈るなどという行事になりそうな気もするのう」
「……千里の道も一歩からだから」
現実は非情だ。
それでも、諦めてしまったら、先に進めない。
その意思は、ヴェルガも分かってくれている。
ユウトには、その確信があった。
「そうだの、ユウト」
「なにかいいアイディアが?」
「ならば、まずは、妾たちで『ばれんたいん』をしようではないか」
「……は?」
「ユウトの世界では、隗より始めよと言うのであろう?」
「言うけどさぁ!」
確かに、そんな話をした記憶がある。
あるが、なにかが違う。
「そもそも、チョコとかないだろ?」
「なければ、作れば良い」
それはまさに、神の視座。
「《想造》」
ユウトがなにか言う前にヴェルガは秘跡を発動させ、手元に細い棒状のチョコスナックを作り出してしまった。
「なんで、知ってるんだ……?」
それは、ユウトにも馴染み深い。コンビニで買ってアカネと分け合ったこともあるお菓子。
懐かしさに、思わず意識が遠くなる。
しかし、それは少しタイミングが早かった。
「俺の記憶を覗いて、そこから再現できるとか……?」
「さてのう」
淫猥に微笑み、それ以上の回答を拒絶する。
チョコスナックをくわえるという、物理的な手段で。
「ええと……?」
ヴェルガが、赤い唇に、チョコレートをくわえている。
こちらへ見せつけるようにして。
その意味が頭の隅々まで浸透し、ユウトは改めて気が遠くなる。
しかし、それに乗るには、ユウトはヴェルガに入れ込みすぎていた。
「まずは、普通に食べてみたらどうかな?」
「……おやおや、これは異なことを」
チョコレート菓子を手に持ち替えてから大げさな口調で言って、ヴェルガが哀しそうに目を伏せた。
「ユウトは、妾と敵対するつもりなのかえ?」
「いや、そんなことは……」
「さっき言うておったのに? 心のこもった贈り物をし合った相手とは、なかなか敵対せぬものだと」
「ぐはっ」
自業自得以外のなにものでもなかった。
「このもてあそばれてる感は、いったい……」
改めて、ヴェルガがチョコスナックをくわえる。
ユウトは視線を逸らす。
ヴェルガはまぶたを閉じる。
沈黙。
「ああ、もう……」
ユウトの抵抗もここまで。
二人の影が重なるまで、そう長い時間はかからなかった。
これは、起き得た可能性の世界における、あったかも知れない短い挿話。
その続きが存在するかは、まだ、誰にも分からない。
ヴァルでもやってないバレンタインネタをヴェルガ様でやるのもどうかと思ったんですが、
脳内ヴェルガ様が「関係ない。行け」と仰ったのでやってしまいました。
しかし、このユウト洗脳オープンワールドだと、いくらでもヴェルガ様の話が書けちゃいますね。やばい。
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活動報告などではお知らせしていましたが、『青雲を駆ける』の肥前文俊先生主催の、書き出し祭りに参加しています。
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参加者(書籍化作家含む)が匿名でプロローグのみを寄稿し、覇を競うガチンコ企画。
第一会場から第三会場まであり、作者は第三会場に参加しています。
・書き出し祭り! 第三会場!!
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投票期限ギリギリのお知らせになってしまいましたが、いずれも力作揃いですので、
面白いと思った作品に投票してみて下さい(2/14の9時頃まで受け付けているそうです)。
主催の肥前先生には、結構受けたので、きっと読んで損はないはず。
投票に間に合わなくとも、作者の作品を探してみるのも面白いのではないでしょうか。
そんな感じで、よろしくお願いします。