番外編その7 漂泊の守護神 第十三話
「いやー。ドッグ・キンに魔術師がついたとは聞いとりましたが、まさか、こんな大物だとは」
赤竜と黒竜が対峙するその場に、軽薄な声が響き渡った。
その声を、コボルドたちとドラゴン・キンたちは神妙に聞いている。
虚を突かれたのは、むしろ、ユウトとアルシアだろう。
「へっへっへ。それならそうと最初から言ってくだされば良かったんすよ。もう、アニキと姐さんはイケズなんすから、ほんとにもう」
手をこすり合わせて――本当に、そうしている――思いっきり下手に出る黒竜。その姿に、アルシアは天を仰ぎかけた。
それは、《竜身変化》を解いたユウトも同じだ。
二人して、なんとも言えない表情で黒竜を見つめている。なんとも言えない表情なので、当然、無言だ。
深淵なる黒竜。
単純な暴力では赤竜に一段劣るが、その冷たき知謀と眷属を用いた策謀は、世界に少なくない被害をもたらしている。
かつてフォリオ=ファリナを襲った古黒竜ダーゲンヴェルスパーは、その代表格だ。
その恐るべき黒竜が、コボルドたちと変わらぬ姿勢で許しを乞うている。
世の賢者が目にしたならば、驚愕に目を見開いたことだろう。
その代表格である大賢者ヴァイナマリネンなら、指をさして笑ったかもしれないが。当然、指の先は黒竜ではなく、ユウトだ。
まあ、自らを遙かに上回る絶対的な強者を前に、身も世もない恭順の姿勢を見せるというのは、計算高い黒竜ならではと表現できるかもしれない。
服従のポーズを取ったままのコボルドたちと、やはり、土下座したままのドラゴン・キンたちを視界の端に納めながら、ユウトはそう思うことにした。
そうだ。こちらを油断させるためのポーズである可能性もある。
なるほど。そうして、こちらの寝首を掻くつもりでいるのか。さすが、深淵なる黒竜だ。
まだ若い。恐らく、200歳以下のドラゴンだろう。ヨナなら、むやみに狩らず将来の資源保護を考えてリリースしているはず。
その程度と言えば――そう言えるのはユウトたちだからこそだが――その程度。
それなのに、無駄なプライドは捨てて生存を第一に考えている。
これは、逆に油断できない。
ユウトは、改めて、そう思い込むことにした。
夫が深読みしている気配を、アルシアも感じていたのだろう。
ならば、交渉は自分の役目だと、アルシアは自らに任じた。
地面にうずくまってこちらの反応を待っていた黒竜へ、表情を変えず――笑顔でも浮かべたら威嚇になってしまうので――語りかける。
「私は、アルシア。死と魔術の女神トラス=シンクに仕える者よ。それから、彼は私の夫で大魔術師のユウト・アマクサ」
「へへー。あっしは、見ての通りの黒竜。名は、モールゴシュと申しやす。以後、お見知りおきを」
このとき、黒竜が浮かべていたのは、人間で言えばへつらいの笑みだった。
今まで対峙してきた数多のドラゴンや、リ・クトゥアで出会った蒼の古竜ゴウレイとも違う反応。
「最近まで、ちょいと先にある住処で悠々自適の生活をしておりやした」
端的に言って、威厳など感じられない。
有り体に言えば、三下だ。
「こういうの、俺とアルシア姐さんが対応するキャラじゃないよなぁ」
「ヨナやラーシアでは、似合いすぎるわよ」
それもそうだと、ユウトはうなずく。あの二人と組ませると、どんな化学反応が起こるか分からない。
交渉役を自任したアルシアが、爬虫類の瞳に媚びを浮かべる黒竜――モールゴシュへと一歩近づく。
「聞きたいことはひとつよ。ドラゴン・キンたちを扇動して、工場長の遺産――ご神体を独占しようとする。その理由は?」
「そいつは、決まってやすわ……。いや……」
我が意を得たりと黒竜モールゴシュが顔を上げたところで、不自然に押し黙った。
質問自体は歓迎だが、説明は難しい。そんな反応だ。
ユウトは、なにか喋れない理由。たとえば、さらなる黒幕でもいるのかと警戒を強めたが、違った。
「今の私たちに話しても、信じてもらえそうにない。そう思っているのね?」
「……へえ。ご慧眼ですわ」
そして、厚かましいお願いですがと前置きをし、モールゴシュがひとつの提案をする。
「よろしければ、ユウトのアニキとアルシアの姐さんに見ていただきたいものがあるんでやす」
「行きましょう。案内は任せていいのよね?」
即答するアルシアに、黒竜は目を見開いた。
本当に受け入れられるとは思っていなかったようだ。それも、あっさりと。
「へえ。ご案内いたしやす。ただ、空を飛ぶことになりやすが……」
「問題ないわ」
あっさりと首肯して、アルシアはユウトを振り返る。
その大魔術師は軽くうなずくと、今度は腹を見せる服従のポーズをしたままのコボルドたちへ語りかける。
「この場は任せるけど、構わないね?」
「もちろんでしゅ」
「お任せでしゅ」
「ドラゴン・キンたちとケンカしたりしたら駄目だぞ?」
「……もちろんでしゅ」
「その間は、なんなんだろうなぁ」
まあ、釘を刺しておいたので大丈夫だろう。
そう判断したユウトは、呪文書から5ページ切り裂き、自らとアルシアに呪文をかける。
「《遠距離飛行》」
第五階梯の理術呪文は、通常の《飛行》の呪文よりも長時間効果が続く。行き先が分からないのだから、妥当な選択だ。
その光景を見ていたモールゴシュが、感心したように言う。
「当たり前のように、高位の呪文を使われるんすね」
「高位かな?」
この辺り、ユウトの感覚はおかしい。おかしいのだが、だいぶ前からおかしいので、今から矯正するのは難しい。
「いやはや。アニキには、敵わないっす」
戦ってもいないのだが、感心したようにモールゴシュがうなった。
その呼気で、コボルドとドラゴン・キンたちが小舟のように揺れる。
反作用で一斉に元に戻っていくコボルドたちを眺めつつ、ユウトは肩をすくめた。
感心されるようなことでもないし、そもそも、アニキ呼ばわりされる筋合いもない。ラーシアに知られたら、とてつもなくめんどくさいことになるだけ。
あとで、アルシアにも口止めを依頼しなければ。
「では、案内いたしやす」
モールゴシュが翼をはためかせ、徐々に徐々に地面を離れていく。徐々に強くなる風に、ユウトは、なんとなくヘリコプターの離陸を連想した。
「アルシア姐さん」
特にそうする必要ないのだが、ユウトはアルシアの手を取って宙に浮かぶ。足下から、コボルドたちの称賛の声が聞こえてきたので、空いた手で軽く手を振った。
それでまた上がった歓声を背に、ユウトたちはモールゴシュを追って無人島の空を飛ぶ。
「なんだか、私たちの株がさらに上がってしまった気がするわね」
「解せない」
いつも通り。否、いつもよりもかなり控えめなはずなのに、どうしてそうなるのか。
「どうしようもないわよ。聞くところによると、カグラさんのときも、こんな感じだったのではない?」
「そんな単純なものじゃ……」
反射的に否定しかけたユウトは、不自然に押し黙った。
否定材料を探そうとして経緯を思い浮かべたところ、否定ができなくなったから……と、素直に言えるはずもない。
そうなると、黙るか別の話題を振るかしかなかった。
「ま、それはともかく、今はモールゴシュがなにを見せるつもりなのかでしょ」
「そうね」
ユウトの露骨なうえに苦しい話題転換に、アルシアはあっさりと乗っかった。見て見ぬ振りをする優しさが、死と魔術の女神の愛娘には存在した。
「雪山の塔から見た限りは、特に怪しいものはなかったように思うけれど」
「それを言ったら、海にツインヘッドシャークがいるとは思ってもみなかったし」
「それもそうね」
なにしろ、トラス=シンク神が自ら下した探索行だ。なにがあるか分からない。
アルシアが気合いを入れ直したところ、先行していたモールゴシュが羽ばたきを小さくし、ホバリングのような状態になる。
厳密には、完全に同じ場所にとどまっているわけではなく、少しずつ落下しているので、高度を微調整しているのだが。
「アニキ、姐さん。ここでさぁ」
「……なにもないように見えるんだけど?」
モールゴシュが空中から指し示す先は、熱帯雨林の一部。ユウトの目には、木々が生い茂っている光景にしか見えない。
「あの、でっかい木がある側のところでやす。不自然に森が切れているところに、黒い穴が見えやせんか?」
再度言われて目をこらすと、ある一角だけ空白になっている地点に気づいた。
「……確かに、穴が開いているように見えるわね」
「ええ、その通り。異次元につながる穴でやす。少しずつですが、確実に広がっておりやす」
最初は、コイン程度のシミのようなものだった。
偶然それを見つけたドラゴン・キンは、同時に、その穴から這い出てきたモンスターを目撃した。
「ちっちゃな虫みたいなもんだったそうでやすが……」
「そんなに危険だったのか?」
「危険。そう、強い弱いではなく、危険な――って、出てきやがった!」
モールゴシュは、次元の穴の直上へ移動し、ユウトたちもそれを追った。
ユウトたちがたどり着くと同時に、今は5メートルほどになっている次元の穴から、病的なまでに白い腕が突き出てきた。
それが鋭角に曲がると、穴の縁に手をかけ、まるで産道から抜けるかのようにゆっくりと苦しそうに姿を現した。
「あっしは、異質なる征服者と呼んでやす」
「異質なる征服者……」
この世界に現れたそれの手足はアメンボのように長く、頭は筒状にこれまた長い。顔の造形は簡単で、老人のようにも子供のようにも見える。
瞳は無機質で、周囲の風景を映しているだけ。そこに、なんの感情も見て取れない。
しかし、これだけなら、不気味ではあるが、ただのモンスターだ。以前、ファルヴに突如現れた昆虫人のほうが、よほど相容れない。
異質なる征服者の異質さは、ここからが本番だった。
この世界に生まれ落ちた異質なる征服者の一体は、そのまま近くにそびえ立っていた巨木に体当たりを敢行した。
遮るものもなく、当然、その突撃は成功。異質なる征服者は、先ほどユウトたちが目印にした巨木に衝突。
そして、消滅した。
木と異質なる征服者の両方が、ともに。
そして、気づけば次元の穴は一回り大きくなっていた。
「こいつは……」
先兵を送りだし、その世界の一部を破壊し、次元の穴を広げ、さらに巨大な先兵を送り出す。
今はまだ、巨視的に見れば被害の程度は大きくない。
だが、帰還限界点を超えれば、そのまま世界は滅んでしまうことだろう。
想像だにしなかった存在に、ユウトとアルシアは深刻な表情を浮かべてしまう。他の仲間たちがいたら、絶対に浮かべなかっただろう表情を。
「ユウトくん、どうにかできそう?」
「普通に攻撃しても、駄目だろうからなぁ……」
異質なる征服者が、いったい何者で、ルーツはどこにあるのか。そんな、考えても分からない話はしない。
根っこの部分で冒険者である二人は、あくまでも現実的な対処に思考を巡らす。
やるのなら、次元の穴も一緒に消滅させるような手段が必要。いや、それ以外では、敵――そう言い切ってしまっていいだろう――の思うつぼだ。
「《ディスインテグレータ》と同系統の攻撃で破壊……。あるいは、魔法的なものであれば、解呪か抑止はできるかも……?」
「もしくは、私の《奇跡》が通用するかもしれないけれど……」
どちらも、確証はない。
そして、その状態で下手に手出しをすれば、世界の危機が早まるだけ。とりあえず殴りに行くヴァルトルーデやエグザイル、ヨナではなく、ユウトとアルシアが指名を受けたのも当然だ。
「なるほど。それで、モールゴシュはご神体を必要としたわけか」
同時に、モールゴシュがユウトたちを遠ざけようとした理由も分かった。
黒竜とは思えない義侠心じゃないかと、ユウトは素直に感心する。ヨナがいたら、子分にしているかもしれない。
「問題は、そのご神体が実際どんな物なのかなんだが……」
逆に考えると、モールゴシュがこの事態をどうにかできると考えている工場長の遺産とは、なんなのか。
「相当、やばいもんだよなぁ」
無限貯蔵のバッグにしまったままのエレメンタル・リアクターの存在を思い出しながら、ユウトは大きなため息をついた。
三下ドラゴン、登場です。
三下キャラと言えば、ユウトと恋愛関係にならないよう、真名はこんな三下口調のキャラになる予定でした。
酷すぎたので、直前で変更になりましたが。