番外編その7 漂泊の守護神 第十二話
ひょこひょこひょこと、コボルドたちが短い歩幅で熱帯雨林を進んでいく。
周囲を見回しながら、慎重に進んでいく姿は真剣そのもの。
ゆえに、ユウトの目には、この上なくコミカルに映った。時折、揺れるしっぽを視線で追っているのがその証拠だ。
しかし、重ねて言うが、コボルドたちは真剣そのもの。
皮をなめす技術はあるらしく、自前の毛皮の上から粗末な革鎧をまとい、これまた簡素な槍を背負っている。滅多に身につけることがない完全武装。
この熱帯の島――保温の外套を装備しているユウトたちは忘れがちだが――で、好き好んで鎧など着るはずがない。
なにもないのに、彼らの身長に比して長い槍を持ち歩くはずがない。
かつての同胞であり、今は敵対することとなったドラゴン・キン。その宿敵との雌雄を決する戦いを前に、10名ほどの集落の精鋭たちは気合い充分だった。
「ああ、転んだりしないかしら」
だが士気が高すぎて、動きが実に危なっかしい。小学生ぐらいの子供が、一目散に遊び場へ走り出そうとしている……と言えば、アルシアの心配と過保護さが分かるだろうか。
「一応、ホームなんだし、大丈夫なんじゃないかなぁ……」
最後尾で、コボルドたちをはらはらと見守るアルシア。今日は真紅の眼帯を身につけず、そのため、ダイレクトに危なっかしさが伝わってくる。
ユウトも不安はあるが、傍らにもっと余裕のない人がいると、自然と冷静になるものだ。
アルシアがユウト以上に心配しているのには、理由がある。
第八階梯の神術呪文、《祝餐》。
神饌や神酒にも等しい料理を作り出し、口にした者へ毒物への保護、溢れる生命力、旺盛な活力を与える。第八階梯というランクからも分かる通り、その存在さえ知らないのが普通だ。
しかしユウトたちが普通であるはずもなく、冒険者時代から出発前の定番メニューと化していた。ラーシアなど、正式な呪文名を知らず――あるいは、憶えようともせず――『朝ご飯の呪文』などと呼んでいた。
だからだろう、アルシアはこの呪文の強力さをすっかり忘れていた。自分たちが、コボルドたちから神とあがめられていることも。
ドラゴン・キンの集落へ向かうその朝に、アルシアは『朝ご飯の呪文』を使い、せっかくだからとコボルドたちにも振る舞ったのだが……。
「やるでしゅ」
「やってやるでしゅ」
「先祖の恨み、晴らしゅです」
いささか、効き過ぎてしまったようだった。
「私のせいで、話し合いに行く状態じゃなくなってしまったわ……」
「まあ、一当てしてから交渉って選択肢もあるし」
「そんな。ヴァルじゃないのよ?」
「いや、ヴァルなら一当てしても、相手死ぬし」
かつて、〝虚無の帳〟との戦いに身を投じていた頃。
ユウトの主導でなるべくこちらの身元を明かさぬゲリラ戦を展開していた――要は、敵対者は皆殺し――のだが、さすがに最後まで隠し通すことはできず、暗殺者が送られたことがあった。
その暗殺者を撃退した時のことだ。
真っ先に気づいたのはラーシアだったが、最初に動いたのはヴァルトルーデだった。
暗殺者が仕掛けようとしたタイミングで跳ね起きた彼女は、枕元に置いていたアダマンティンの長剣を手にする。
そのヴァルトルーデへ、遅れて気づいたユウトは生け捕りを指示した。
聖堂騎士は一言大きく「分かった!」と答え、全力で突撃を繰り出し、剣の腹で殴りつける。
そして、首がねじれた死体ができあがった。
このとき流れた微妙な空気を、ユウトは生涯忘れないだろう。
これにより、手加減をしても、当たり所が悪ければ死ぬという知見をヴァルトルーデは得た。
それはさておき。
「まあ、最初から下手に出て舐められるよりはいいって」
「そうだといいのだけれど……」
未だ責任を感じているアルシアだったが、ユウトのフォローを受けて多少は上向き。いや、前向きになってきた。
「でも、そうね。なにかあっても、私たちがバックアップすればいいだけの話だものね」
「……少なくても、死者は絶対に出ねえな、それ」
正確には、死者が出てもアルシアがなかったことにしてしまうと言うべきだろうか。もちろん、敵味方問わずに。
「それで、ユウトくん」
「ん?」
「さっき、あの子たちが先祖の恨みとか言っていたようなのだけど……」
木漏れ日がアルシアの黒く長い髪を彩るところを眺めていたユウトが、無限貯蔵のバッグへ手を伸ばしながら口を開く。
「あのコボルドたちと、これから会うドラゴン・キンは、元をたどると同じ存在なんだ」
方や、犬の頭部にふさふさした毛皮。
方や、爬虫類の頭部に、全身を覆う鱗。
どちらもコボルドなのだからなにがしかの関係はあるのだろうが、とても同じ祖先から枝分かれしたとは思えない。
……とは言い切れないのが、この世界だ。
「どうやら、コボルドの先祖にドラゴンを信仰した一派がいるらしくてね」
記憶をたどりつつ、ユウトは説明を始める。無限貯蔵のバッグへ伸ばした手は、アルシアの手を取るのに使っていた。多元大全を使用するまでもなかったらしい。
「その強大さに憧れ、ドラゴンそのものになることを目指し……」
「あんな姿に変わったと」
「そう。そのとき、新旧のコボルドで諍いがあったらしい。まあ、何百年何千年という昔の話なんだろうけどさ」
それ以来、コボルドたちは森の奥など人目に付かない場所に隠れ住み、ドラゴン・キンたちは積極的に平原や人里近くに進出した。
結果、ゴブリンなどと同じく悪の相を持つ亜人種族と見なされるようになり、コボルド=爬虫類頭に鱗のドラゴン・キンと認知されるに至る。
ユウトが最初戸惑っていたのも、愛犬家ゆえにではない。袂を分かった両者が一堂に会し、なおかつどちらもコボルドなので、説明に窮したからなのだ。
納得してうなずく代わりに、アルシアはユウトの手を握り返す。
「むしろ、よく今まで全面的な抗争に発展しなかったものね」
「よっぽど、工場長の薫陶が行き届いていたのか」
「それとも、状況を変えるなにかが起こったのか、ね?」
「そういうこと」
話し合いの過程で、その辺りも確かめたい。
その意思を、つないだ手越しに伝えるユウト。
「そうなると、しっかり手綱を握らないといけないわね」
片手をユウトにされるがままにしつつ、前を行くコボルドたちを見つめるアルシア。その瞳には、義務感の炎が宿っていた。
(なんか、今日のアルシア姐さん、過保護気味だな……)
ここまでだっただろうかと、ユウトは首をひねる。
さすがの大魔術師でも、トラス=シンク神により母親になると意識させられ、母親になるような行為もしっかりと行い、そのうえ、庇護の対象としてぴったりなコボルドにより母性が刺激された結果がこれなどとは、想像もできなかった。
(将来、カイトやユーリにも、こんな風になるのかな?)
だからというわけではないが、ユウトは、近い未来に思いを馳せる。
現時点で、父親であるユウトよりアルシアに懐いていることから分かる通り、アルシアはヴァルトルーデに負けず劣らずカイトとユーリに愛情を注いでいる。
アルシアからすると、大事なヴァルトルーデと愛するユウトの子供が可愛くないはずもないのだから、当然といえば当然だ。
そんなアルシアが、成長して自分の意思で動き出した子供たちに直面したら、どうなるか。
そのサンプルを見ているかのようだった。
しかし、まだ生まれてもいないうちから想像するようなことでもないだろうが、なぜか、アルシア自身の子供ではこんなことが起こる気がしない。
それはきっと、アルシアの子供であれば、落ち着いて大人しく育ちそうだからだろう。
もちろん、ヴァルトルーデに落ち着きがないといっているわけではない。
「神様、ここがドラゴン・キンの住処でしゅ」
そんな妄想に近い想像をしながら進んでいたユウトだったが、コボルドの真剣な――だけど、どことなく緩い――声で現実に戻された。
「見張りがいるでしゅ」
「やるでしゅ」
「やってやるでしゅ」
森に隠された洞窟。
ぽっかりと開いた入口は、かなり大きい。その両側に立つドラゴン・キンが、槍を持って歩哨として周囲を警戒していた。
「見張りを倒すでしゅ」
「そのあと、火をおこして煙を洞窟に送り込むでしゅ」
「いぶしたところで、どんとやるでしゅ」
「駆け出しの冒険者みたいなことを……」
入口が一カ所とは限らないし、仮にそうだったとしても、部屋ごとに分かれていたはずの敵が一斉に向かってくるので確実性の高い作戦とはいえない。
にもかかわらず、知恵を使って――あるいは使ったつもりで――一網打尽を目指すのは、はしかのようなものだった。
「そんな必要はないさ」
不意打ちで倒すのは簡単だが、最初から話し合いという選択肢をつぶすことになる。それは、面白くない。
「普通に、出ていこう」
「堂々と正面から叩き潰すでしゅ」
「さすがでしゅ、神様」
やたらテンションの高いコボルドたちの称賛に苦笑しつつ、ユウトは木々の隙間を縫ってドラゴン・キンたちの住処へと進み出た。
洞窟の前にいた見張りも気づき、槍の穂先をこちらに向ける。
「ギュルギュルギュル!」
「ギュル!」
しかし、誰何の声をあげつつも、すぐに襲いかかりはしない。ユウトが、《炎熱障壁》を使用した魔術師だと分かっているのだ。
それでも逃げ出そうとしない胆力を内心称賛しつつ、ユウトも声を張り上げる。
「話をしにきた。代表者を出してもらおう」
「…………」
「…………」
顔を見合わす、見張り二人。
言葉が通じていないわけではない。
ユウトが誰か、分かっていないわけでもない。
にもかかわらず要求を聞こうとしないのはなぜなのか。どんな理由があるのか。
「ユウトくん、洞窟から」
「うん」
傍らに立つアルシアの警告に、ユウトは軽くうなずいた。
ほどなくして、やはり、槍で武装したドラゴン・キンたちが二十ほど現れ、半包囲の陣形をとる。
しかし、ドラゴン・キンたちは、誰も前に出てこようとはしなかった。
「神様が対話を求めているのに無礼でしゅ」
コボルドの反応も、威勢がいいように聞こえるが、実のところ戸惑いのほうが大きい。
「退けい、コボルドどもよ」
そこに、くぐもった声が、洞窟の奥から響いてきた。
ユウトとアルシアはわずかに眉をひそめただけだったが、コボルドたちはさっと『神様』たちの背後に隠れ、ドラゴン・キンたちは一斉に道をあける。
「黒幕の登場でいいの、かな?」
「どうかしら? 本当の黒幕は、この舞台を用意した工場長でしょうしね」
洞窟の暗がりから、より黒い物体が足跡を響かせ進み出た。
黒い鱗。
館のような巨体。
強靱な四肢。
凶悪な顎に牙。
そして、恐るべき強酸の吐息を放つ口腔。
深淵なる黒竜。
(なるほど。洞窟の入口がやたら大きかったのは、こいつの巣穴だったのか)
ドラゴン・キンのバックになにがいるのか判明し、ユウトは感謝したい気持ちでいっぱいだった。
なんにせよ、交渉相手は定まった。
なんら臆することなく、ユウトは黒竜に問いかける。
「ドラゴン・キンにコボルドを襲わせてるのは、お前の差し金か」
「いかにも」
「なぜ、ご神体とやらを奪おうとしている?」
「それは、人ごときが知る必要はないことだ」
恐らく、人間も両コボルドもひっくるめて人間と言っているのだろう。
黒竜の物言いは、尊大だが誇り高いものだった。
それは尊重したいところだが、しかし、このまま放置もできない。
「なにか隠しているようね。人間で言えば、親切心で私たちを遠ざけようとしているみたいよ」
「それは……」
意外と言うよりは、信じられない話だ。
アルシアが言うのでなければ。
「それは、是非聞き出さないといけないけど……どうしたものか」
そう言いつつ、ユウトの頭にはいくつかの解決策が浮かんでいた。
こういう手合いには、力を見せるに限る。あまり乱暴なことをしたくはないが、それが一番効率がいい。
特に、図体だけでかく、こちらの力量を計れない手合いには。
「余所者よ、疾くこの島から去るがいい。そして、すべてを忘れるのだ」
「ユウトくん、任せるわよ」
「じゃあ、コボルドたちを頼むよ」
アルシアの後押しが決めてとなった。
黒竜の忠告は無視し、ユウトは呪文書から9ページ分切り裂いて周囲に展開させた。
「《竜身変化》」
これが最善手。最も平和的で、効率的。
呪文書がユウトへと吸い込まれ、プリズムが全身を覆う。
その光は徐々に強く大きくなり、ひとつの姿を象った。
光の多面体が収まると、そこに緋色の怪物が出現した。
紅玉よりも赤く、鮮血のような鱗。
城塞のような巨躯。
敵対者を打ち滅ぼす巨大な鉤爪。
世界そのものを飲み込んでしまいそうな、顎と牙。
そして、万物を焼尽せしめる灼熱の吐息を放つ口腔。
破壊の象徴たる赤竜。
目の前の黒竜よりも一回りも二回りも巨大な。
暴力そのものの具現化だ。
「話を聞かせてもらえるわよね?」
「へへぇ……。これは、とんだご無礼を……」
今の状況では言葉を発するのが難しいユウトに成り代わり、アルシアが声をかける。
黒竜はその場でうずくまり、ユウト――が変化した赤竜――と目を合わせようとしなかった。いや、それは黒竜だけの話ではない。
赤竜になったまま、ユウトは周囲を睥睨した。
辺りは完全に静まりかえり、コボルドたちも、ドラゴン・キンも。仲良くその場で平伏している。土下座と腹を見せるという違いはあるが。
気づけば、立っているのはアルシアだけ。
ただし、乾いた笑いを浮かべていたが。
少し前の話なのですが、『青雲を駆ける』の肥前文俊先生にお誘いいただき、
『書籍化作家に聞いてみた。面白いものを書くための15の質問+1』に寄稿させていただきました。
・書籍化作家に聞いてみた。面白いものを書くための15の質問+1
http://ncode.syosetu.com/n3654cm/
藤崎の話は、「おめー。TRPGの話しかしてねえじゃねえか」と友人から言われてしまったのであれですが(笑)、
私以外は錚々たる面々が回答されていますのでよろしければどうぞ。