番外編その7 漂泊の守護神 第十話
「その状況だと、襲われているほうが被害者に思えるけれど……」
ユウトから爬虫類のコボルドに犬のコボルドが襲われていると聞いたアルシアは、しかし、即座に善悪を峻別することはなかった。
それはあくまで、切り取った一場面にすぎない。
暴力を振るうに至った背景が分からない以上、一方的な決め付けはよくない。それでは、ヴァルトルーデたちではなく、自分たちが選ばれた理由がなくなってしまう。
アルシアは、そう心に刻む。
「いや、犬好きに悪いやつはいないよ?」
――ユウトがいきなりポンコツ化したからには、自分がしっかりしなくては。
アルシアは、決意を新たにする。それは、「夫は頼りにならないから、この子だけでも守らないと」という母親の思考にも似ていた。
「とりあえず、諍いを止めましょう」
「まあ、それが妥当か」
ポンコツしたとはいえ、いきなり攻撃を仕掛けるほどではないらしい。
密かに安堵するアルシアの気も知らず、ユウトは走り出した。
もう、慎重に行動する意味はない。呪文書を片手に鬱蒼と茂る森を駆け抜け、コボルドの集落がある開けた空間に躍り出る。
突然の乱入にもかかわらず、両者は目もくれない。遅れてアルシアが現れても同じだ。
けれど、問題はどこにもない。
こっちを向かないのなら、向かせてやればいいだけだ。
「《炎熱障壁》」
第四階梯の理術呪文、《炎熱障壁》。
雪山では不発だったが、塔の機能を停止させた今では失敗する理由はない。
高さ三メートル。幅1メートルほどある炎の壁が、犬と蜥蜴。ふたつのコボルドの間に出現した。
「キュルキュルキュル」
「キャウンキャウンキャウン」
途端に両者が悲鳴を上げ、蜥蜴の無機質な瞳と犬のつぶらな瞳が一斉にユウトたちへ向けられる。
「悪いが、この喧嘩は俺たちが預からせてもらう」
その両者に、ユウトは堂々と宣言した。
一歩下がった位置にいるアルシアは、警戒をしつつも、この場は愛する夫に任せることにする。
「どちらかに味方をするわけじゃない。まずは、争いの原因を聞かせてほしい。もしかしたら、俺たちで解決できることができるかもしれない」
心情はともかく、中立の立場から話し合いを求めるユウト。
それは公平で無私な言葉だったが、必ずしもそれが通じるとは限らない。
「キュルキュルキュル」
黒板をひっかいたような無機質で甲高い声をあげ、蜥蜴頭のコボルドたちが蜘蛛の子を散らすかのように逃げ出した。
「キュキュキュキュル」
よほど慌てていたのだろう。壁の向こうにいた蜥蜴頭のコボルドは《炎熱障壁》に突っ込みかけ、衝突の寸前でなんとか踏みとどまり、さらに大慌てで壁を避けて走り去っていった。
その必死さはいっそ滑稽で、ユウトもアルシアも追いかけようという発想自体が出てこないほど。
「とりあえず、諍いを止めるという目的は果たせたのではない?」
「……そうだな。まず、一方の話を聞くところから始めようか」
気を取り直したユウトが、残った犬頭のコボルドへと視線と意識を向ける……が。
「悪くなったのは、俺の目と脳のどっちなんだろうか?」
「なにがあったの?」
真紅の眼帯で擬似的な視覚を得ているアルシアには分かりにくかったのだろうが、ユウトにははっきり見えていた。
思いもよらない姿をさらしている犬頭のコボルドたちが。
土下座していたわけではない。しかし、ある意味でそれよりもひどい。
犬頭のコボルドたちは、一人残らず地面に横たわっていた。
それも、短い両手足を畳んで、お腹を晒す格好で。
犬でいう服従の姿勢だ。
「神様、どうかお怒りを鎮めてほしいでしゅ」
その先頭にいた、代表者らしいゴールデンレトリーバーに似た頭のコボルドが、カタコトの共通語で哀願した。
特に怒ってはいないというかあきれているだけなのだが、予想外の言葉に、ユウトもアルシアも動きが止まる。
「神様?」
神に仕える者であるという自覚を持つアルシアは、そこが気になった。
「でしゅ?」
ユウトは、そんなことよりも舌っ足らずな口調が気になった。気に入ったのではない。気になったのだ。
アルシアとユウトは顔を見合わせ、「気にするのは、そこ?」と無言で意見を戦わせたが、決着はつかなかった。
「なんだかこう、とても貴重な体験ね」
「大航海時代って、こんな感じだったのかなぁ」
コボルドの男女が入り乱れて――外見上の区別は付かないが――炎を中心に踊っている。基本は二足歩行で、時に四足で。適当なタイミングで遠吠えをあげながら。
そんなエキゾチックな光景を前に、ユウトとアルシアは、なんとか自分たちのペースを保とうとしていた。
太陽は、まだ中天にある。
そんな時間から、気づいたら宴が始まっていた。
理由は、分からないでもない。
ツインヘッドシャークという大物を手に入れたこと。
そして、ユウトとアルシア――神様を迎え入れられたこと。
彼らにとっては、どちらか片方だけでも祭りを催すに充分なのだろう。
そのツインヘッドシャークは輪切りにされ、踊りの輪の中心にいる。要するに、火炙りだ。
「神様たちには、一番いいところをおあがりいただくでしゅ」
と、先ほど他の料理を運んできたパピヨン頭のコボルドが、嬉しそうに言っていた。
感情に関しては、愛犬家歴約十年のユウトはなんとなく。感情感知の指輪を持つアルシアは、かなり正確に察することができた。
なお、二人の見解が食い違いを見せたことは、今のところない。
ちなみに、ツインヘッドシャークを焼き上げている火は、《炎熱障壁》から取ったものだ。
神の炎だと、とても喜んでいた。なんとも、いたたまれない。
竜宮城にやってきた浦島太郎も、こんな気分だったんだろうか。
亀を子供のいじめから助けただけで、随分な歓待を受けたのだ。さぞや、居心地が悪かったに違いない。
「ユウトくん、このキノコは結構美味しいわよ」
「いや、アルシア姐さん、無理しなくても」
ユウトとアルシアの目の前には、ごちそうが山と積まれていた。
腰を下ろしている、みすぼらしいが何重にも重ねられたござと相まって、歓迎の意は痛いほど伝わっている。
「別に無理はしていないのだけど」
「ええ……」
出された物は美味しくいただく。
両親からしっかりしつけを受けているユウトも、それくらいの常識はわきまえている。
だが、それも程度によりけりだ。
なんかの鳥の姿焼き。
昆虫の幼虫っぽい白いの。
得体の知れないキノコ。
椰子の実に似たそれを半分で割った器に入った、白濁した液体。
野趣溢れると言うべきか。
もてなされているのは分かるが、ユウトとしては遠慮したい。
にもかかわらず、アルシアは平気な顔。
元はただの村娘であるアルシアのほうが、よりワイルドなようだった。
「ヴァルなら、もっと喜んで食べるのでしょうね」
「確かに……。平気でおかわりとかしそうだ」
同じように食べ物に執着するヨナは、逆に手を着けないかもしれない。かなりの美食家なので。
「神様、お楽しみいただいておりますかでしゅ」
そこに、代表者らしい犬頭のコボルドが現れ、また、お腹を晒して地面に横たわる。
「ああ、うん。満足してるよ」
ユウトは、半ば義務的にそのお腹をなでた。
最初は強く、次いで優しく、最後に激しく。
ユウトが手を離すと同時に起き上がり、今度はお座りの姿勢を取る。その瞳は嬉しそうに輝き、どことなく毛並みも艶やかだった。
仕方がない。こうしないと、起きあがって話をしてくれないのだ。やむを得ないではないか。
だから、やましいことはなにもない。アルシアの様子をうかがう必要もない。ないのだ。
「ドラゴン・キンに奪われていたかもしれない食材でしゅ。どうか、遠慮せず食べてほしいでしゅ」
「ドラゴン・キンね……」
このコボルドたちは、蜥蜴頭のコボルドをドラゴン・キンと呼んでいるようだ。
ユウトもそれにならい、彼らを単純にコボルド、襲ってきた蜥蜴頭をドラゴン・キンと呼ぶことにした。
相手も、こっちをドッグ・キンとでも呼んでいるかもしれないが、まあ、そこはお互い様だ。
比較的ましに見える小鳥の姿焼きを口にしてから――骨は多いが、不味くはなかった――ユウトは肝心の質問をする。
「それで、ドラゴン・キンと争っている理由はなんなんだ?」
「ご神体の扱いでしゅ」
「ご神体?」
きな臭くなってきたと、ユウトが眉をひそめる。
異世界で神に近いものとなっても、根が地球人であるユウトにとっては、宗教問題はめんどくさいものとしか思えない。
気分としては、まさに、触らぬ神に祟りなしだ。
「そうでしゅ。工場長は、我らとドラゴン・キンにご神体を守るよう命じたにもかかわらず、ヤツラは自分たちだけのものにしようとしてるでしゅ」
「待て。工場長だって?」
青き盟約の世界とは異なる、忘却の大地からラーシアを求めてやってきたエリザーベト女王の側近であるバトラス。
主であるエリザーベトへの遠慮のない振る舞いなど性格面でもおかしかったが、外見もまた人間離れしている。
甲冑が意思を持ち動いている。
そんな機甲人という機械種族を生み出したのが、工場長と呼ばれる古代の存在だ。
「さすが、神様。工場長をご存じでしゅか」
「いや、直接知っているわけじゃないんだが……。とんでもないのが、関係してきたなぁ」
機甲人を作った工場長。
その工場長が残したご神体。
そして、塔のエレメンタル・リアクター。
三つ揃うと、厄介ごとの匂いしかしなかった。
「というか、ここ、ブルーワーズじゃないんじゃねえか?」
「そうみたいね……」
地球と異なり、天上と隔絶しているわけではないので気づかなかった。
死と魔術の女神が幼気に微笑む様を、二人は思い浮かべていた。