番外編その7 漂泊の守護神 第八話
「綺麗な海ね」
「やっと、無人島に来たって感じがしてきたなぁ」
魔力を吸収する塔を攻略したユウトとアルシア。
同時に吹雪も収まり、二人の眼下には無人島の自然が広がっていた。
晴れた雪山、海まで流れる川、鬱蒼とした森林地帯。
文字通りそれらを飛び越え、二人は砂浜に降り立った。
当たり前だが、海岸には誰もいない。綺麗な白い砂浜は、ユウトとアルシアだけのもの。陽光を受けて煌めく水面と、人の手が入っていない透明度の高い水面に、思わず見入ってしまう。
「日本で行った海より、こっちのほうが綺麗かもしれないな」
「そうね。ユウトくん、今日は釣りでもして、ゆっくり休んだほうがいいのではない?」
海水浴などではなく釣りを勧めるアルシアに、ユウトは少し難しい顔をする。
「釣りか……。あんまり経験ないんだけどな」
「釣れなくても構わないわよ」
「それだと釣りの意味がないんじゃない?」
「そんなことはないわよ」
砂浜を周囲の探索と散歩の中間ぐらいの警戒度で歩きながら、これからの予定を話し合う二人。
陽光と潮風が体を包み、潮騒に耳を傾けていると、まるでリゾートにいるような気分になる。
「でもなぁ」
しかし、そんな状況でもユウトは勤勉だった。
なにしろ、まだまだ日は高いので、行動するのに支障はない。攻撃呪文以外の手札も残っているし、アルシアはほとんど呪文を使っていない。
「いきなりさぼるのは、どうかと思うんだけど」
「ユウトくん……。もう、魔力を吸収する塔という異変の芽を摘んでいるじゃない。エレメンタル・リアクターという危険な魔法具……いえ、秘宝具も回収したし」
一方、アルシアは、もう一仕事終えたという立場だ。
期限を区切られているわけではないのだから、焦ることはない。もちろん、急ぐに越したことはないのだろうが、それで失敗でもしたら元も子もない。
なにより、せっかく家宰としての業務から解放されたのに、なおも働こうとするユウトには、さすがに頭を抱えそうになってしまう。
「そう言われると、仕事をしたような気になるな……」
ユウトも、アルシアの心配に気付いたようだ。
さすがに、その気遣いが理解できないほどワーカホリックでもない。アカネがいたら「誰がワーカホリックじゃないって? 鏡を見なさい、鏡を」と言われそうな気がするが、ユウトとしてはそこまでではないと思っている。
「そうよ、きちんと仕事はしているのよ。また膝枕をしてもいいぐらいにね」
「ははは。懐かしいな」
過労を心配して、強制的に休まされた思い出。
その頃は、旅に出ていたためラーシアもエグザイルも近くにいなかった。
家宰になったばかりでペースが掴めていなかったので、アルシアに心配をかけてしまったのだ。
お互いにとって、懐かしく、少し恥ずかしい思い出。
ユウトとアルシアは目を合わせず。
だけど、ぎゅっと手を握って、砂浜の散策を続ける。二人で歩いていると、砂浜の少し沈むような独特の足触りすら愉快に感じた。
もしこの場に第三者がいたら、本当に探索を進めるつもりがあったのか問い質されているところだ。
特に、真っ先に海を目指した選択をこの場にいない草原の種族に知られたなら、思わず殴りたくなるほど――まあ、当たらないのだが――いい笑顔を向けられたことだろう。
しかし、ユウトは言いたい。
それは誤解だと。
エレメンタル・リアクターを完成させるために攻撃呪文はほとんど使い果たしており、雪山や森を探索するのは危険……とまでは言わないが、リスクが高い。
そのため、一気に海まで《飛行》の呪文で飛んだのだ。他意はない。
他意はないが、ユウトも男である。
ゆえに、下心がまったくなかったとまでは言わないが……。
「釣りに乗り気でないなら、ラーシアの魔法具で少し海に出るだけでもいいのだけど」
「……なるほど、あれか」
白鳥の粘土駒。
白鳥を模した駒だが、水に浮かべると5人まで乗れるボートに変形する。また、オールを漕ぐ必要もなく、一定の速度で自動的に移動できる魔法具。
白鳥の粘土駒で昼寝というのも、案外、乙なものかもしれない。
釣り竿も、申し訳程度に垂らしておくだけでいいだろう。
(いや、待てよ)
そこまで考察を進めたユウトは、天啓を得た。
(魚を釣れば、また合法的にアルシア姐さんの料理を食べられるのでは?)
レトルトは豊富にあるし、今なら各種の魔法で食事を用意することもできる。
だが、食材があれば料理をする方向に傾くはずだ。
それに、ユウト自身は料理ができない。やろうと思えばやれなくはないと思っているが、少なくともアルシアからできないと思われているのは事実。
どうやら、仕事よりも休暇に天秤が傾いたようだ。
ユウトはわざとらしい咳払いをしてから、もっともらしい理屈を構築していく。
「そうだな。せっかくだし、海に出てみようか。もしかしたらモンスターがいるかもしれないから、先に確かめておいたほうがいいだろうし」
「ええ、そうね。モンスターに出てこられたら大変だものね」
建前は重要だ。
二人きりでも素直になれない男女には特に。
「じゃあ、使ってみようか」
早速と、無限貯蔵のバッグから白鳥の粘土駒を取り出したユウトがアンダースローで海面に放り投げる。
着水と同時に、白い煙が噴出し……それが晴れると、波間にボートが出現した。
いわゆる、プレジャーボート程度の大きさだろうか。船室などは存在しないが、自動的に推進するため広々としている。
「アルシア姐さん」
「……ありがとう」
先に乗り込んだユウトがアルシアの手を取り引き上げると、白鳥の粘土駒のボートが自動的に沖を目指して航行を開始した。
「風が気持ちいいわね」
「うん。波も穏やかだ」
船縁に腰掛け、二人は微笑みながらクルージングを楽しむ。
沖から吹く潮風も、白鳥の粘土駒のボートを揺らす波も、降り注ぐ陽光もなにもかも心地好い。
静かで、エレメンタル・リアクターのことなど忘れてしまいそうになる。
見渡す範囲に島影も、島に擬態した巨大生物の姿もない。
そして、水着の美女も。
(そりゃそうだよな。保温の外套なら気温の変化にバッチリ対応だもんな)
気温が低くても高くても一定に保ってくれる魔法のマントは、雪山から夏の海まで大活躍。
その利便性は、情緒もなにもかも吹き飛ばす。
結果、アルシアは黒い法衣。ユウトは善の魔術師であることを表す白いローブと、普段着でのクルージングになっていた。なってしまった。
「まあ、別にいいか」
「ユウトくん、なにか言った?」
「いや、少し眠たくなって」
「仕方がないわよ。見張りで、いつもより睡眠時間は短くなっているのだから」
それを言うなら、見張りを交代したあともアカネの手紙に目を通していたアルシアのほうが睡眠不足のはずだが、そんな様子はおくびにも出さない。
「なら、少し横になる?」
「そうするかな」
「じゃあ、膝をどうぞ」
ただ、少なからず睡眠不足の影響はあったのだろう。
万全であれば絶対に言わないだろう誘いをアルシアが口にした。
「あ、ありがとう……」
眼帯を外したアルシアが、笑顔を浮かべながらボートの床に正座をしてユウトを誘う。
それに抗する術を、ユウトは持ち合わせていなかった。
明かりに惹かれる羽虫のように、ふらふらと愛する妻の膝に頭を乗せる。
「はあ……」
そして、満足気に息を吐いた。同時に、白鳥の粘土駒のボートもその場で静止する。
「重たくない?」
「大丈夫よ」
アルシアが、慈母の微笑みでユウトを迎え入れた。
胸が邪魔――などと言うとヴァルトルーデに怒られそうだが――で顔は見えないが、ユウトは満足してくれているようだ。感情感知の指輪に頼らずとも、触れ合っていればそれが分かる。
「眠ってもいいわよ」
「最高に贅沢な二度寝だ」
頑張った夫を癒す妻。
傍目にはそう見えるだろうが、けれど、アルシアは、内心それどころではなかった。
(膝枕って、結構、恥ずかしいものね……)
ユウトが、すぐ近くにいる。触れ合っている。
それはいい、嬉しい。思わず笑顔になってしまう。
しかし、それは取りも直さず、ユウトが自分に触れているということになる。
初めてではないのに、それに今になって気付いた。
そう。初めてではないのに。
(昔の私、なにこんなことしてるの!? 馬鹿なの!?)
こんな恥ずかしく嬉しい行為を無自覚にやっていた。
それに気付き、慈母そのものの穏やかな表情をしつつ、アルシアは心の中でしゃがみ込んで言葉にならない声をあげていた。
親切心だとか心配だったとか、一応、動機の説明はつく。つくが、それだけでやっていい行為でもなかったのではないか。
今さらながら、アルシアは自らの大胆さに身もだえした。表情には、一切出すことなく。
(あー。もう、こんなことをされていたら、ユウトくんもプロポーズもするってものよね! ね!)
ヴァルトルーデとアカネだけでなく、自分まで一緒にプロポーズされたのは、アルシアにとって予想外の出来事だった。
今はもちろん違うが、最初はユウトとは仲間というか共犯者というか、そんな関係だったから。色恋とは別の次元で婚約をしたのだと思っていた。
それはそれでヴァルトルーデともアカネとも違う特別な関係であり、今もその延長線上にあることは嬉しかったりするのだが……。
(いえっでも、そのお陰でこうなれたのであれば、昔の私はよくやったと言えるのかしら?)
人間万事塞翁が馬――という故事成語をアルシアは知らなかったが、まさにその通りの現在。
なにがきっかけで幸せを享受できるか分からないものだ。
そうしみじみと感じていると、ユウトの髪を撫でたくなってきた。我慢もためらいもなく頭に手を伸ばそうとしたところ――
「なんだ?」
――不意に、白鳥の粘土駒が大きく揺れた。
ユウトが飛び起き、呪文書を手にする。
それを残念に思いつつ、アルシアも周囲を確認すると、ツインヘッドシャークとでも言うべきか。
巨大な双頭の鮫が、海水をかき分けながらボートへと迫っている光景が視界に飛び込んできた。
「瓢箪から駒ってやつかよ」
ユウトが対応しようとして、攻撃呪文は品切れだったことに気付く。《瞬間移動》系の呪文で離脱して態勢を整えよう。
そう判断を下した瞬間、アルシアが先に動いた。
「《光輝襲撃》」
第八階梯に位置する、神術呪文最強の攻撃呪文。
乱舞する高貴なる光が、ツインヘッドシャークを打ち据える。
「ヴゴオオオオオオオオ!!」
その一撃を受け、二つの口から悲鳴が上がり、シンクロする。
だが、白鳥の粘土駒のボートを一飲みにできそうな巨大鮫だ。それだけで倒すことはできなかった。
手傷を負わされ、逆にツインヘッドシャークが荒ぶり、水面をジャンプして二つの口を広げ牙をむき出しにする。
しかし、ツインヘッドシャークは忘れていた。
怒り、荒ぶる権利は、獲物――アルシアにもあることを。
「神力解放」
「は?」
二人の時間を邪魔された……とまで意識はしていないだろうが、明らかに不機嫌になっているアルシアが神としての力を解き放つ。
「《光輝襲撃》――オルタナティブ」
先ほどを遥かに上回る光の乱舞。花火を数百発も同時に炸裂させたら、こうなるだろうか。
真紅の眼帯を外して目を晒したままのアルシアがまぶしさに目を細めるが、ツインヘッドシャークからするとそれどころの騒ぎではない。
神聖な光のエネルギーを真っ正面から受けた、ツインヘッドシャーク。体をくの字に曲げて空中で押しやられ、砂浜に打ち上げられる。
海へ戻ろうとしたのか。巨体が少しだけぴくりと動く。だが、それはただの断末魔。すぐに力を失い、砂浜に骸を晒す。
百年近くに亘ってこの海を支配してきたツインヘッドシャークは、それを上回る強者により淘汰された。
「あんなモンスターもいるのね。気をつけないと」
「うん、そうだね……」
アルシアを絶対に怒らせてはいけない。ボートの上で呆然としつつ、ユウトは心に刻んだ。
もちろんそんな予定はないし、そもそもなぜここまでアルシアが怒っているのか分からない。だが、意識しておくことが重要だ。
遠く離れたファルヴの地で、ヨナもうなずいていた……かもしれない。もしかすると、ヴァルトルーデも。
この後、「濡れたままだと、こうすることはできなかったから……」と、
昼間水着を着なかった理由を恥ずかしそうに口にしつつ夜這いに来るアルシア姐さんがいたはずなんですが、
話の流れで入れられませんでした。来週分で、そんなシーンが入るかもしれません。
前回の更新後に風邪を引いてしまい、実は今回更新できるか結構ギリギリでした。
この時期の風邪は、暖かくしていいのかどうかのかよく分からないので、皆様もお気を付け下さい。