番外編その7 漂泊の守護神 第四話
「やっと、一息つけた……」
「本当に良かったわ……」
《灯火》の光に照らされる、大魔術師と大司教。
風の音は遠く、保温の外套のお陰で寒さも感じない。にもかかわらず、丸太でできたベンチに腰掛ける夫妻の横顔には、疲労の色が見え隠れしていた。
「アルシア姐さんが一緒で良かった。ほんと、俺一人だったら、どうなっていたことか」
「私というよりは、この眼帯のお陰かしらね」
目の辺りに触れつつ、アルシアは唇を皮肉気に歪めて答えた。
それでも、アルシアが安堵しているように感じられるのは、完全にではないが安全を確保できたという点が大きい。
転移直後に、狼の襲撃を受けた二人。
返り討ちにはしたものの、魔法が完全に作動しないという現象に遭遇したため、ユウトたちは拠点の構築を優先した。
寒風が吹きすさぶなか、真紅の眼帯の疑似的な視覚を頼りに周辺を探索し、発見したのがこの洞窟。
これで、吹雪をしのげそうだ。
そのとき、二人は思わず顔を見合わせ――アルシアは真紅の眼帯を着けたままだったが――抱き合って喜びを分かち合おうとし……ずっと手をつないだままだったことに気づいて赤面することになった。
ラーシアがいたら、「そのままイチャイチャしてていいよ。ボクは、洞窟を見てくるから!」と言っているところだろう。
そんな幻聴が聞こえたわけではないが、入口で照れている場合でもない。
第三階梯の理術呪文《踊る灯火》は、予想通りというべきか、発動はしたが効果は発揮しなかった。
だが、念のためにと使用した《灯火》は、正常に発動した。
「階梯が高い……強力な呪文は魔力を吸われるのか?」
「魔法具の効果が低くなるのと一致はしているわね」
そんな推測をしつつ洞窟内を探索し、危険がないことを確認。なんらかの生物の巣穴ということもなかった。
そこで、ラーシアからの餞別のひとつ。即席野営地で、一番小規模な野営地――煙の出ないたき火に、テントが二組――を呼び出して一息ついたところだ。
しかし、いつまでもそろってベンチに座って炎を眺めているわけにもいかない。
「とりあえず、なにから手を着けるべきかしらね」
アルシアが、ため息混じりに言った。
問題山積……というよりは、なにが問題なのか、まだ完全に把握できていない。トラス=シンク神の真意も、なにをなすべきかも分からない。途方に暮れてしまいそうだ。
それはユウトも同じだが、とりあえず手近なところから手を着けることにしたようで、アルシアへ端的な疑問を投げかける。
「アルシア姐さんのほうは、どうなの?」
「そうね……」
どうとは、神術呪文は普段通り使えるのか否かということだ。
当たり前のように理解したアルシアは、神託を乞うため意識を集中させる……が。
「駄目ね。チャネルが確立しないわけではないけど、弱すぎるわ」
意外とさばさばとした様子で、アルシアは首を振った。濡れ羽色の髪が、きらきらと輝いて艶めく。
魔術という理で現実を改変する理術呪文と異なり、神術呪文は偉大なる存在と意識を通わせ奇跡を地上に現出させる。術者は、いわば力の導管だ。
ユウトは、妨害電波の影響を受けているようなものかと理解する。
「ユウトくんと同じように、第一階梯程度しか使えないのではないかしら」
「そっか……」
理術呪文の魔力が吸われている現象と同じ原因だと、現時点では断定できない。
しかし、アルシアにも頼れないという以上に、問題がある。
「これは、時間をかけてられないな」
ユウトの目がすっと細くなった。
それに気づいたわけではないが、アルシアはユウトが本気になったことに気づく。続けてその理由に思い至り、少しだけ焦ったように手を振って否定する。
「あ、でも、そんなに心配することはないのよ」
「いや、無理しなくても」
ユウトは、ヴァルトルーデやアルシアが地球に来たとき、神々とのつながりが一時的に絶たれ、心細い思いをさせてしまったことを憶えていた。いや、忘れようがない。
神に仕える彼女たちにとって、それは耐え難いことのはずだ。
しかし、ユウトが考えるよりも、アルシアの不安は軽かった。
それを伝えようと、アルシアは必死に言葉を探す。
「いつも通りとはいかないけれど、その、あれよ……」
地球のように神々と断絶しているわけではない。細いながらも、つながりは感じられる。
もちろん、そういった理由もある。
けれど、それ以上に大きいのは――
「ユウトくんがいてくれるから、不安はないわ」
ユウトと一緒なら、必ず原因を突き止め解決できる。
それは、そんな意味の言葉だったはずなのだが……。
(あら……?)
感情感知の指輪から伝わるユウトの感情。
それは、今までに感じたことのないほど強い羞恥。照れている。もしかすると、婚約指輪として、この感情感知の指輪を贈られた直後よりも。
――なぜ?
いったいどういうことなのかとアルシアは言葉を失い……遅蒔きながら気づいた。気づいてしまった。
『ユウトくんがいてくれるから、(遅かれ早かれ解消できるだろうし)不安はないわ』
ではなく。
『ユウトくんがいてくれるから、(トラス=シンク神とのつながりが弱くなっても)不安はないわ』
と聞こえることに。
誤解だ、とは言えなかった。
よくよく考えれば、後者のほうが自分の本音だったのではないかという気すらしてくる。
そもそも、両者にどれほどの違いがあるだろうか。ユウトがいてくれる。そこに、なんの違いもない。
それに、ユウトは照れているが、同時に喜んでもいるようだ。見えないが、指輪を通して。いや、あからさますぎて、指輪がなくても分かっただろう。
自分の言葉で、ユウトが、好きな人が喜んでいる。
なんというか、それは――
(嬉しい……のかしらね)
――自分のことを誇れるほど、浮き立つ感覚を与えてくれた。
誰かに思いを伝えたことで、喜びを与えられる。それはとても単純で、それだけに根源的な快さと満足感を憶えた。
風の音が遠い。
内側から発する熱で、寒さなど感じられない。
閉鎖空間であるはずの洞窟だが、まったく気にならない。
なぜなら、ここにはお互いしかいないのだから。
二人がいれば、他になにも要らない。
二人だから、他になにがあっても気にならない。
元々、隣り合って座っていた二人。
その距離が徐々になくなり……完全になくなる寸前、はっと弾かれたように離れた。
「……じゅ、呪文が使えない件を調べてみようかな」
「そ、そうね。私は、使える物がないか、無限貯蔵のバッグを確認してみるわね」
そそくさと、小さな即席野営地で距離を取る二人。
確かに、仲むつまじく戯れあうような状況ではない。それは確かだ。また、ユウトもアルシアも、探索行を忘れるほど無責任でもない。
そういうことを示唆されているが、今は、そんな場合ではない。
基本的にまじめな二人が、そう判断するのは当たり前のことだった。
しかし、それですべて忘れられるかというと、それもまた違う。
お互い意識し、それでいて発散されぬまま、マグマのように地下で煮えたぎっていく宿命にあるのだ。トラス=シンク神も、計算通りと微笑んでいることだろう。
それを完全には意識せぬまま、ユウトは呪文書から1ページ切り裂き呪文を使用する。
「《魔力感知》」
第一階梯の理術呪文。ある意味、理術呪文の基礎とも言える魔力を視覚化する呪文だ。
「やっぱ、第一階梯の呪文はいけるのか……」
絶魔領域のように、完全に呪文や魔法具が動作しなくなる土地もある。あるいは、武闘会でレイ・クルスに仕掛けたように、魔力を抑止する呪文もある。
だが、それらとは働きが違うようだ。
ユウトは、続けて第二階梯の理術呪文《蜘蛛の糸》を使用するが、蜘蛛の糸が発生することはない。《炎熱障壁》の時と同じだ。
違うのは、《魔力感知》の呪文がかかっていること。
解かれた魔力が、光り輝く粒子となって天へと上っていく。洞窟の天井をすり抜け、そのままユウトの視界から消えてしまった。
ただ、魔力まで消えたというわけではない。やはり、どこかへ飛んでいってしまったというべきだろう。
吸収されたという第一印象は、それほど間違いではなかったようだ。
(魔力を集めているなにかがこの島にあったとしたら、それを動かすために、最低限の魔力は必要……という可能性は考えられるな)
続けて、第三階梯の理術呪文《飛行》も使用するが結果は同じだった。
呪文を相殺・消去するディスペル系の呪文には、効果を消去したうえで、その魔力を強化に転じるものもある。また、吸血侯爵ジーグアルト・クリューウィングの眷属に使用された第五階梯の《魔力爆破》は、消去した呪文の強度に応じてダメージを与える。
その意味では、この島の現象は未知の効果というわけではない。
「分からないのは、なぜ吸収しているのか。吸収した魔力をどうしているのか……だな」
もうひとつ、どこへ魔力が向かっているのか。
時間をかければ特定はできるだろうが、ユウトにそのつもりはない。
ユウトの視線は、右手――神力刻印へと向けられていた。
ユウトが密かな決意を固めていた頃、アルシアは真紅の眼帯を外して持ち物の確認を続けていた。
もちろん、出発前にも整理はしている。だが、今、この状況でやり直せば、思ってもいなかった有用性を発見できるかもしれない。
冒険者時代からの収集品――売っても微妙な値段なので取っておいたもの――も含めて大量にあるため、成果が出る可能性は高かった。
ただ、無限貯蔵のバッグから魔法具を出し入れするアルシアは、無心。
なにかを忘れるかのように。いや、忘れることなどできないので、思い出そうとしないように。
手始めにと、武器や魔法薬などとカテゴリごとに分類していく。
「あら……?」
その途中、意外というよりも、あり得ない物に出くわした。
それは、一通の手紙。淡いピンク色の封筒で、それなりに厚みがある。
『困ったときには開封してね』
封筒には、そう書かれていた。
その、丸くてかわいらしい筆跡には、見憶えがあった。
「アカネさんから……?」
開封するか、否か。
それを判断する前に――
「アルシア姐さん、俺もそっち手伝うよ」
「ええ、そう。そう、お願いするわ」
――咄嗟に、隠してしまった。
ごめんなさい。
アルシア姐さんのデレを書いてたら、思ったより話が進みませんでした。
今後も、こんなペースで進んでいくと思います。




