番外編その7 漂泊の守護神 第三話
三話目にして、ようやく無人島に出発です。
長かった……。
太陽が中天に差し掛かる頃、装備を調えたユウトとアルシアは死と魔術の女神の霊園でその時を待っていた。
「カイト、ユーリ。お父さんがお出かけだぞ」
だが、そこにいるのは神の探索行により無人島へと赴く二人だけではない。
まず、ヴァルトルーデが、無人島へと旅立つ夫へと言葉をかけた。二人の子供を抱いているとは思えない、軽やかさでユウトに近づいていく。
「カイト、ユーリ。二人とも、いい子にしてるんだぞ」
「あー」
「あうー」
ヴァルトルーデは、相変わらず輝くような美しさ。いや、少なくとも、ユウトの目には実際に輝いて見える。
そのヴァルトルーデと自らの愛の結晶である子供たちも、また可愛く愛おしい。
そんな妻子を両手を広げて迎え入れたユウトは、順番に頬へ軽く口づけた。
なんでもないといった風情だが、その実、愛情のこもったキス。
それを受けて、子供たちだけでなくヴァルトルーデも顔をほころばす。
だが、なにかを思い出したかのように、突然顔を引き締めた。
「アルシアのこと、よろしく頼んだぞ」
「ああ。任せておけ」
ヴァルトルーデは、今さらユウトの心配などしない。なにがあっても大丈夫だと、信頼し、信用もしている。
ただ、同じ男を愛する一番古くからの親友は別。万一のこともないと思うが、それでも自分の目の届かないところに行ってしまうと不安になる。
「どうして、私だけ特別に心配されるのかしら」
「アルシアが生きていれば、ユウトも無事に帰れるからな」
「……それは、理に適っているわね」
ヴァルトルーデが照れ隠しに口にした言い訳は、アルシアを納得させるに充分だったようだ。眼帯を外して露わになった双眸に、理解の色が灯る。
同時に、アルシアにとっては心配のしすぎでもあった。
「普通に、二人で帰ってくるわよ。カイトとユーリも待っているのだし」
そう言って、ユウトと同じように双子へ軽くキスをした……が。
口づけをしたアルシアが離れると、火の付いたようにカイトとユーリが泣き出してしまった。
「どうしたんだ、突然?」
いきなりのことに、母親であるヴァルトルーデも困惑気味だ。
そこにアカネが進み出て、身も蓋もない事実を告げる。
「これはあれでしょ、アルシアママがどっかいっちゃうって泣き出したんでしょ?」
「え? 俺の時は笑ってたんだけど……?」
「男親なんて、そんなもんよ」
残酷な現実に、ユウトが打ちのめされる。
「俺、行くの止めようかな……」
「じゃあ、代わりにボクが泣いてあげようか?」
「……ラーシアって、なんで生きてるの?」
「生存権全否定!?」
ヴァルトルーデとアルシアがあやしている以上、父親にできることなどない。というより、視線で追い出された。
そのため、ユウトは衝撃的な事実を口にしたもう一人の妻に視線を向ける。
「まあ、そういうわけだから行ってくるよ」
「あんまり言うとフラグっぽくなるけど、気をつけてね」
幼なじみから夫婦になった二人に、言葉は必要なかった。
最初にユウトが地球からブルーワーズに転移したときは、もっと長い期間離ればなれだったのだ。それを思えば、どうということもない。
「それより、ヨナちゃんとの別れのほうが修羅場でしょ? 愁嘆場でしょ?」
「どっちも違う。というか、変な期待すんな」
アカネにはそう言ったが、だからといってヨナを完全に納得させるのはなかなか難しそうだ。
未だ泣き止まない息子と娘の泣き声とそれをあやす妻たちの声をBGMにアルビノの少女の姿を探すと、少し離れた場所にヨナの姿があった。
一人、所在なげに佇んでいる。無表情なので、機嫌までは分からない。
だが、どう考えても上機嫌ということはないだろう。
ヨナの側まで移動したユウトは、目の前でしゃがみ込んだ。そして、赤い瞳を覗き込みながら別れを告げる。
「行ってくるよ、ヨナ」
「…………」
案の定というべきか、ヨナはこっちを向いてくれなかった。
ユウトは、めげずに頭を撫でながら話を続ける。
「帰ってきたら、サファリパークな」
「レンも一緒に」
「そう来たか……」
危険や問題があるわけではないとはいえ、ユウトとしてはあまり地球に連れていく人間を増やしたくはない。
例外を作ると、人と言わず神と言わず便乗してくる心当たりがいくらでもあるからだ。
(でも、まあ、仕方ないか)
ユウトは、ヨナの可愛いわがままを受け入れることに決めた。
「ヨナ、別に怒ってないだろ?」
「そ、そんなことないし」
まさか見抜かれるとは思わなかったのだろう。
焦った口調で否定すると、ユウトから離れようとする……が、頭を撫でていた手で肩を掴まれ動けない。
「《テレポ――」
「いや、そこまでしなくていいから」
「だって……」
いたずらを咎められた子供のように、ヨナはユウト――の向こうにいるアルシアの様子をうかがう。幸いにして、子供たちをあやすのに忙しくてこちらは見ていない。
ヨナは、内心でほっと胸を撫で下ろした。
にやにや笑うラーシアとアカネの姿もあったが、とりあえず考慮の外でいいだろう。
「それくらいのわがままなら、聞いてやるさ。俺の度量の広さを舐めるなよ?」
「分かった。もっと遠慮なく言うようにする」
「そこは、もうちょっとためらおうな?」
あっさりと度量の狭いことを言うユウトだったが、ヨナは返事をしなかった。うなずきもしなかった。
(あれ? これ? もっとなんか凄いこと言われるフラグが立ったのでは?)
アカネ相手には慎重に避けたのに、こんなところで発生させてしまった。これは、将来に禍根を残しかねない。
慌てて、ユウトが条件を付けようとしたところ。
それを見越していたかのように、ヨナが籐製のバスケットを差し出した。
「これ、レンから魔法薬」
「あ、ああ。お礼を言っといてくれ」
見事に機先を制されたユウトは、結局、なにも言えなかった。
それはヨナにしては珍しく――表情は変わっていないが――機嫌が良くなっていたからというのもあるし、ちらちらと視界にうるさいのが入ってきたからだというのもある。
「じゃあな、ラーシアとエグザイルのおっさん。特にラーシアは、俺とアルシア姐さんがいない間、変なことするなよ。特にラーシアは」
「軽いっ……。耐えられないほど存在の軽いボクたちっ……」
「一緒にされても困るのだが……。まあ、達者でな、ユウト」
「最近、エグからも軽く扱われている気がする……しない?」
それはずっと前からではないかと思わないでもなかったが、ユウトはなにも言わなかった。
それよりも、ようやくカイトとユーリが泣き止んだようなので、そちらへと歩みを進める。
「ようやく泣き止んだ」
「というか、寝てるな」
赤ん坊は可愛い。
自分の子供は可愛い。
さらに、寝ている子供はまさに天使だ。
三重に可愛い存在が、二人。
六重奏、否、二乗で可愛さの九重奏だ。
先に城塞で別れを済ませているが、ここに愛犬のコロが加わると可愛らしさは無限となる。
大魔術師にあるまじき愚考は、幸いにして気取られることはなかった。その前に、アルシアが声をかける。
「ユウトくん、そろそろですよ」
「ああ。忘れ物はないよ」
トラス=シンク神からアルシアに下された神託には、はっきりとした時間までは指定されていなかった。
しかし、その辺りは直感で分かるのだろう。レンのポーションを無限貯蔵のバッグにしまったユウトは、気を抜かず静かに待つ。
それから、5分ほど経過しただろうか。
ちょうど、太陽が真上に来た、その瞬間。
ユウトとアルシアの姿が、ブルーワーズから消え去った。
「この展開は、予想外だったなぁ」
「確かに、そうねぇ……」
神の台座から転移したユウトたちは、吹雪の中にいた。
猛烈な勢いの風に雪が激しく乱れ飛び、ほんの数メートル先も見通せない。
先ほどまでとはあまりにも異なる環境に、親しい人たちと交わした別れが、ずっと前のことだったような錯覚を憶える。
それでもあまり焦っていないのは、魔法具が正常に稼働している安心感があるからだろう。
ユウトとアルシアが揃って身につけている、保温の外套。極端な温度の変化に対し着用者を守るマントが、二人を寒さから解放してくれていた。
「この天候では、ここがどこなのかもよく分からないわ」
「保温の外套も、暑さ対策で用意したつもりだったんだけどなぁ」
「きちんと準備をしていたお陰ね」
アルシアは褒めてくれたが、ユウトは苦笑を浮かべることしかできなかった。
無人島と聞けば、普通は南の島を思い浮かべる。
けれども、よくよく考えれば、寒冷地帯にも無人島は存在するはずだ。いや、むしろ、そっちのほうが数としては多いかもしれない。
ただ、普通はそんな寒い場所を航海しないし、そもそも、こんなに寒くては島に漂着する前に凍死してしまう。
それでは、まさしくお話にならない。
「無闇に歩き回るのは危険かしらね」
「雪庇を踏み抜いたりしたら、ちょっと洒落にならないかな」
ここまでの吹雪となると、呪文で天候操作するにしても、時間がかかる。歩くくらいなら、空を飛んで、雲の上に出たほうが安全かもしれない。
「まずは、周囲の状態を確かめるわ」
アルシアが、どこからともなく真紅の眼帯を取り出して装着する。
最近は単なる照れ隠しに使われているが、本来は使用者に超常的な視覚を与える魔法具。
視界が利かない吹雪の中でも問題なく作用する……はずだったが。
「どうしてかしら? いつもより、知覚できる範囲が狭くなっているわ」
通常時の半分以下しか分からなかった。
理由が分からない。ただの吹雪程度で性能が落ちるような魔法具ではないのだ。
この吹雪自体が、通常とはなにか違うのか、それとも――
以前はアルシアにとっての生命線で、今でも愛用している魔法具。
その不調にアルシアは困惑し、気づくのが遅れた。
「あっ。ユウトくん、後ろから――」
「狼か!?」
ユウトが振り向いた途端、吹雪の中から、狼らしき四足獣が突進してくるのが目に入った。
ただの狼か。それとも、狼に似たモンスターなのか。
瞬時には判別できなかったが、いくら犬派のユウトでも、向かってくるなら容赦はできない。
「《炎熱障壁》」
それでも、直接的な攻撃呪文ではなく、炎の壁を構築して追い払おうとしたのは、ユウトらしい選択だ。
呪文書から切り離された4枚の紙片が宙に浮かび、高さ2メートルほどの炎の壁が現れる――はず、だった。
けれど、なにも起こらない。狼たちは、そのまま速度を緩めず突進してくる。
確かに、呪文は発動した。地球とは違い、なんの障害も妨害もなかったはずだ。
それなのに、発動した瞬間、魔力がなにかに吸い取られてしまい、結果、なにも起こらなかった。
原因は分からないが、ユウトにはそう感じられた。
「早々に確かめられて、良かったのか悪かったのか……」
「ユウトくん、下がって」
呪文を使用した後の無防備なユウトに代わり、アルシアが前に出る。移動力の上昇を目当てで付与していた第一階梯の理術呪文《冬靴》のお陰で、雪でも足場は問題ない。
同時に、護身用に持っていた短剣を抜き放っている。死と魔術の女神を象徴する、紅玉のあしらわれた短剣。
実用よりは儀式用に近いが、だからといって使えないわけではない。魔化された剣身は鋭く、狼の毛皮程度であれば、紙のように斬り裂く。
また、使い手であるアルシアも、並ではない。
もちろん、ヴァルトルーデやエグザイルに比べれば遥かに劣るが、それは金メダリストに比べたら足が遅いと言っているようなもの。
特に、〝虚無の帳〟との戦いでは、しばしば追い込まれアルシアも武器を手に戦わざるを得ない場面もあった。
それを考えれば、この程度の狼など物の数ではない。
「安らかに眠りなさい」
先頭を切って飛びかかってきた狼が、雪の足場をものともせず跳躍し、アルシアを押し倒そうとする。
「私を押し倒していいのは、一人だけなのよ――」
――とは言わなかったが、アルシアは最低限の動きで回避し、擦れ違い様に首を掻き斬った。
それに、アルシアが対処するのは、ほんの一部でいい。
「アルシア、助かった」
突如として、ユウトの姿が狼の群れのただ中に現れた。手には、ヴァルトルーデとの訓練に使っている魔法の長剣と魔法薬が入っていた瓶。
そして、足下には、何体かの狼の死体。
レンが差し入れた魔法薬のひとつは、《透明化》の呪文だった。
それを服用したユウトが、狼たちに気付かれることなく接近し、不意打ちで打ち倒したのだ。
こうなると、狼たちも不利を悟らざるを得ない。
大柄な一体が遠吠えを上げると、残った群れが潮が引いたように退却していく。
もちろん、二人とも追う気はない。顔を見合わせ――アルシアは眼帯をつけているが――ようやく一息ついた。
「前途多難ね、これは」
「とんだ、ホットスタートだったな。とりあえず、まずは今日どこか落ち着いてキャンプを張れる場所を探さないと」
「そうね」
真紅の眼帯を身につけたアルシアが、吹雪の中、先頭を切って一歩踏み出す。
しかし、その歩みは一歩目で止まってしまった。
ユウトに手を握られて。
「ユウトくん!?」
「いや、はぐれると危ないから……」
「そう……。そうね。当然のことよね……」
顔を背けて、もじもじとし出すアルシア。
手を繋ぐ言い訳だと誤解されているかもしれない。
ふとそんな気もしたが、ユウトは訂正する気にならなかった。
実はノクターンのほうで新連載を始めたのですが、こちらは週一連載維持できそうです。
ちなみに、名義は変えていませんので、18歳以上の紳士・淑女の方はよろしければどうぞ。
タイトルは『変奏のアルスマキナ』というロボットものです。