番外編その5 歩いてたら異世界にたどり着いちゃったので、新米冒険者の師匠になりました その9
大変お待たせしました。
ラーシアが異世界へ行く話、完結編です。
前回2万文字書いて燃え尽きていました。
なのにまた、2万文字オーバーですよ!
「ふへ。ふえへへへへへ……」
「だらしないよ、セシィ。ふっ、ふふふ」
「クルトだって、笑ってるのよ。でゅふふふ」
「セシィほど酷くないし。それに、これは仕方ないよ」
「そうよね、そうよね」
そしてまた、「ふへへへへ」とだらしない笑顔を浮かべる二人。
ずだ袋からこぼれ出た、色とりどりの硬貨や宝石が、テーブルの上に積み重ねられていた。
銅貨がほとんどで、宝石の質もいいとは言えない。それでも、彼らにとっては見たこともない大金だ。自然と頬が緩むのは止められなかった。
ラーシアが借りた、公民館の一室。
意気揚々とブラウ村へと引き上げてきた『ネクスト・ウォーカーズ』は、ラーシアの部屋で黒天竜の財宝を仕分けていた。
いくら子供の頃から過ごしている村とはいえ、財宝を見せつけるのは良くない。
それは理性的な判断だったが、その先がいけなかった。
すっかり日が暮れているにもかかわらず、その作業は遅々として進んでいない。
まず、こうして財宝を眺めているだけで、短くない時間が過ぎ去っていた。端から見ると、怪しさしかない。
「はっ。セシィ、そろそろ真面目に分別しないと終わらないよ」
「そ、そうね。頑張るのよ、クルト」
「セシィもやるんだよ!」
こんなやり取りを何度か繰り返し……。
ようやくと言うべきか、今回こそは本当に、宝石と硬貨、工芸品を選り分けようとするクルトとセシル。
「この宝石、キラキラして綺麗なの」
「気に入ったの? じゃあ、それは売らずに取っておく?」
「え? なんで?」
「……そう」
下心はない。完全に親切心からの提案だったのに、「なにわけのわからないことを言ってるの?」と否定されてしまった。
女の子の考えることは、よく分からない。
理不尽さを感じつつも、クルトはまず銅貨を集めていく。
一方、セシルは工芸品と宝石を自分の手元へ移動させている。恐らく、彼女の目から見て高そうな物を選んでいるのだろう。確認作業ひとつ取っても、性格がよく出ていた。
「セシィは要らないのかもしれないけど、ひとつぐらい、おばさんにプレゼントしようか?」
「お母さんに? そんなことしたら、腰を抜かしちゃうのよ」
「……言われてみると、確かにそうかなぁ」
セシルの手元にあるブローチを見ながら、クルトはため息を吐く。
中心にエメラルドがあしらわれた、直径3cmほどのブローチ。当然、魔法具でもなんでもないが、細工は精緻で宝石自体の質もいい。
さすが、若いとはいえドラゴンのコレクション。このブローチひとつで、金貨50枚はするだろう。
そして、金貨50枚といえば、この北の辺境では貧しい農家の年収にも匹敵する。そんなアクセサリーをぽんとプレゼントされたら、喜ぶよりも先に驚き、心配することだろう。
「うちのお母さんだけの話じゃないの。フィリス姉だって、そうに違いないのよ」
「びっくりってよりは、フィリス姉さんには、無駄なことをせずに取っておけって怒られそう……」
フィリスはブラウ村の村長の娘であり、クルトやセシルの姉貴分でもあった。それも、恐ろしい姉貴分だ。宿星者であるか否かなど関係なく、同年代でフィリスに逆らえる者はいない。
特に、孤児であったクルトは村長の家で姉弟同然に育っているため――実際の姉弟関係と同じように――本能の部分で服従が刷り込まれていた。
弟は、姉には絶対に勝てないようにできているのだ。
村長には他に男児もいるが、病弱であるためフィリスが次代の村長と目されている。より上の世代からも特に異論も出ないところからも、いかに女傑であるかが分かるだろう。
見た目は、純朴な村娘風なのだが。
「じゃあ、砂糖でもオルスタンスさんに頼もっか」
「お砂糖!」
クルトの提案に、セシルが両手を挙げて瞳を輝かす。
辺境、北の果てで砂糖は黄金にも等しい価値を持つ。収穫祭のようなイベントでもなければ、口にすることができない贅沢品だ。
「お砂糖なら腐らないし、他に使い道もないから『しょうがないから受け取るけど、ちゃんと考えて使いなさいよね』って小言言われるぐらいで済むと思うんだ」
「あはははは。クルト、今の似てたの」
「そうかな……。って、フィリス姉さんには言わないでよ? 折檻される……」
「ん~。その時まで、秘密にしておくの」
「それは、どの時!?」
ラーシアは、傍らで魔法具大百科に目を通しながら、二人の会話を聞くとはなしに聞いていた。
それでも、話の内容はきちんと把握している。ラーシアほどの盗賊になれば、マルチタスク作業など、当たり前にこなすのだ。
たとえ、邪気が一切感じられないやりとりに、ほんわかした気分になったとしても。
(そっかー。砂糖って贅沢品だったよねぇ)
魔法具大百科のページをめくりながら、ラーシアは感慨にふけった。
金銭感覚が狂っているわけではないが、高いといっても金貨数枚から数十枚の話。最下級の魔法具よりも安い。
その程度の価格であれば、屋台でひょいと買い食いするのと感覚的には変わらない。
それに、頭がおかしいほど物資が豊富な地球との交易が始まってからは、ラーシアの意識の中で、貴重品や贅沢品という概念が消失しつつあることも忘れてはならないだろう。
(道理で、地球のお菓子で大騒ぎするわけだ)
そんなに喜ぶんなら、もっと持ってきておけば良かったと、完全に善意で思うラーシア。砂糖が無限に湧き出る壺でも持っていたら、プレゼントしてしまいそうだ。
完全に、善意から。
しかし、さすがのラーシアもそれは持っていない。水や酒であれば無限に――といっても、毎日一定量だけだが――湧き出す魔法具ならあるのだが。
(今度、ユウトに作ってもらおうかな)
ユウトに断られたら、ヴァイナマリネンでも構わない。クルトもセシルも、きっと喜んでくれることだろう。
「この金貨、ちょっと形が違うの」
「ああ。統一王国時代の金貨だね。金の含有量は、ずっと同一に保たれてるから価値としてはほとんど変わらないよ」
「ふ~ん」
そこまでの解説は求めていなかったのだろう。クルトの説明を右から左に聞き流すセシル。金貨は金貨なので、価値が同じなのは当たり前の話なのだから。
「あ、ドラゴンの銅像が出てきたの」
「銅じゃないよ、どう見ても銀だよ」
「ドラゴンが、ドラゴンの人形って」
セシルの中では、銅も銀も大差ないようだ。それよりも、ドラゴンがドラゴンの像を持っているという部分に面白さを感じているようだった。
セシルだって、昔は人形を持ってたのに……とクルトは思うが、口にはしない。そんなことをしたら、連鎖的に幼少期のままごとでお母さん役をやらされていた過去まで掘り起こすことになってしまうから。
「見た目よりも、結構重たいの」
銀製のドラゴン像をぽんぽんと掌の上でもてあそびながら、セシルがつぶやいた。
「だから、銀だからだよ。金には敵わないけど、鉄とか銅よりも重たいはずだよ」
「ふ~ん。あっ、なんか、サイコロみたいなのが出てきたのよ」
「ああ。これは、象牙じゃないかな」
指先でひとつ摘まみ上げながら、クルトが感心したようにつぶやいた。
普通のサイコロ――六面体――の他に、四面体・八面体・十面体・十二面体・二十面体の六個でセットになっているようだ。
アイボリーのサイコロは、しっとりとして軽く手に馴染む。ただ、普通のサイコロ以外の使い道がよく分からなかった。
「このサイコロ、踏んだら痛そうなの」
四面体のサイコロをまじまじと見ながら、セシルが感想を述べた。そもそも、どの面を見たら数字が分かるのだろうか。
こうして、ひとつひとつ観察してはああだこうだと意見を交わし合うので、やはり進まない。
そして、監督し、教導するはずのラーシアが魔法具大百科に熱中しているため、ストッパーもいない。
それに、ラーシアに止めるつもりがあったかは疑問だ。
「うひひ。これ、結構高く売れそうなの」
「いやいや、皮算用は禁物だよ、セシィ。でも、全部集めたらかなりの額になりそうだよね……」
「うへへ」
「あはは」
緊張感の欠片もない、緩みきった表情の生徒たち。それも仕方がないかなと、ラーシアは上から目線で――視線は下からだが――苦笑を浮かべた。
結局、集計が終わったのは、いつもならとっくに寝ているはずの時間になってからだった。
「う~ん。だいたいだけど、全部で金貨で500枚ぐらい……かな」
「ひゅうーなの」
その結果を聞いた途端、セシルがパアァァッと表情を輝かせ、下手な口笛まで奏でた。
「それだけあったら、一生遊んで暮らせるの!」
「それは無理かな。まあ、確かに大金だけれども」
それでも、数年はなにもせずに暮らせることには変わりない。思っていた以上の大金に、セシルはその場で飛び上がって喜びを表現する。
「万能触媒もいっぱい手に入ったし、魔法の武器が買えるの!」
「そうだね。それはたぶん、こっちの財宝に手を付けなくてもいけると思う」
氷柱巨象。そして、黒天竜。強敵と戦い続けた分、報酬も大きい。
前々から目を付けていた魔法の武器に手が届くほどに。
「それに、僕らの目的は大金稼いでいい暮らしをすることじゃないでしょ?」
「へえ。目的なんかあったんだ」
「うわっ」
忘れていたわけではないが、意識外だったラーシアに問いかけられ、椅子から落ちそうになるほど驚くクルト。そして、次の展開に思い至り、顔を真っ赤にする。
「セシィ、ストップ」
「もちろんよ、おししょーさん。わたしたちには、そーだいな目的があるのよ!」
クルトの制止など聞かず、空を指さしながらセシルが堂々と宣言した。賢さは感じられないが、思いは本物。
「今は源素の混沌に飲み込まれてしまった、クルトの故郷である北の極星トゥバンを取り戻す。これがわたしたち『ネクスト・ウォーカーズ』結成の目的なのよ!」
「いや、本当に僕がトゥバンの生まれかは分かんないからね?」
「わざわざ南から来て、子供を置いていくような人間がいるはずないの」
「それは、まあ、そうだけど……」
孤児であるクルトは、三歳頃このブラウ村付近の森の中で保護された。名前と年齢以外、なにも分からない状態で。身元を示す持ち物もなにもなかった。
子捨てをするだけであれば、わざわざ危険な北の果てへ来るはずがない。なにか事情があったにせよ、その土地でどうにかすればいいだけの話。
だから、本来はもっと北の出身で、源素の混沌に追われてやむを得ず……というほうが理に適っている。少なくとも、セシルはそう考えていた。
また、ラーシアはそこまで知らなかったが、十数年前までは、『竜鉄の世界』における人類の北限はもう少し先にあった。
その中心が、滅びし都、北の極星トゥバン。滅びた時期とクルトが発見されたタイミングも近いため、セシルの話にも、根拠がないわけでもなかった。
「いやぁ、いいんじゃないの。立派な目的があって。ボクたちみたいに、成り行きで世界を救うよりよっぽど立派だよ」
「世界を救うって……。それと比べられたらさすがに……」
世界を救う。
一口で簡単に言うが、それがどれほど困難なことか。クルトには、吟遊詩人が歌う英雄譚を想像することしかできなかった。
同時に、ラーシアが言うのであれば、信じるほかない。天を翔るドラゴンさえも一撃で堕としてしまう先生にできないのであれば、他の何者にそれが叶うというのか。
「それよりも、先生。次の訓練は、いつになるんです?」
「ん~。次かぁ……」
もったいぶるように、ラーシアが視線を彷徨わす。
けれど、発せられたのは予想外の言葉。
「もう、教えることはないかなって感じなんだけど」
「……え」
「ええええ!?」
呼気にも似た言葉を発した後、鉛でも飲み込んだかのような顔でクルトは押し黙り、セシルは、そのクルトの分まで驚きを露わにした。
しかし、いきなりで悪いとは思うものの、やりたいことはだいたいやった気がする。それに、いつまでも『竜鉄の世界』に滞在するわけにもいかない。
「だってもう、二人とも連携憶えたし。強敵への対処も教えたし。あとは、キミたち自身で成長していくべき段階だよって思うんだけど?」
「…………」
「…………」
「いやいや。そんな捨てられた子犬みたいな目をされても」
子犬を捨てたら、ユウトに殺されてしまう。犬が絡んだときのユウトは、容赦がない。一番付き合いの長いアカネすら、そこには踏み込まないのだから。
「おししょーさん、このお金でどうかお願いしますの」
「いらないよ! っていうか、ボクのこと、なんだと思ってるのさ!?」
「お金がきらいな人なんていないの」
「そりゃそうだけどね!? いや、お金よりも大事なものはあるよ! 建前上!」
テーブルに積み上げた財宝を賭場のチップのように両手で押し出しながら、土下座に近い姿勢でセシルが懇願する。非常に外聞が悪い状態だ。
普段ならセシルをいさめるクルトも、呆然として使い物にならない。
さすがのラーシアも、そんな彼らに見つめられては突っ撥ねることはできなかった。それに、思っていた以上に慕われていたようで、嬉しくもある。
「分かった、分かった。次が最終試験ってことにしよう。終わったら、ここで宴会でもしようか。もちろん、ボクのおごりでね」
「やったの! ごちそうっごちそうっ!」
「最終試験……。頑張ります」
別れは辛いが、それはそれとしてごちそうが楽しみなセシル。
最後だから、できるだけ吸収して恩返しをしようというクルト。
そして、次の課題の候補は決めていたから、別にいいかと軽く考えるラーシア。
三者三様の思惑を抱き、その日は解散となった。
しかし、その約束が果たされることはなかった。
「しゃきーんっ」
まだ朝靄が煙る中、湾曲鉈刀の柄を両手で握っていたセシルが、まったく意味のない掛け声を発する。
それと同時に、胸の前で両腕を開くと、セシルの両手に湾曲鉈刀が出現した。
一本の湾曲鉈刀が二本に分かれたかのよう。まるで魔法だ。
そして、それは正鵠を射た感想だった。
セシルが万能触媒と既定の報酬をオルスタンスに払い、購入した……というよりは、儀式呪文により作ってもらったのが、この増殖剣。
《増殖》の魔化が施された魔剣は、所有者の意思に従って――断じて、かけ声がキーではない――二本に増え、同じように一本に戻すことができる。
それ以外は、丈夫で、切れ味鋭く、精度が高いだけの武器に過ぎない。
しかし、実質的に一本分の値段で二本の魔剣が手に入るメリットは見逃せない。まだ駆け出しの『ネクスト・ウォーカーズ』にとって、これしかないという武器だった。
それに、セシルにとっては、魔剣を手にしただけで充分。
「しゃきーんっ、しゃきーんっ、しゃきーんっ」
この朝……というか、夜明け前に受け取ったばかりで興奮冷めやらぬセシル。
先ほどからずっと、初めての魔剣を手に意味もなく増やしては戻し増やしては戻していた。その動きに合わせて、ポニーテールにした赤い髪も揺れている。
これから最後の試験に臨むというのに、緊張した様子はまるでない。
「いやぁ、楽しそうだね!」
「おししょーさんといえども、これは貸せないのよ」
「別にー。弟子の物を借りようとか思ってないしー。ちょっとやってみたいとかも、全然思ってないしー」
「もー。ちょっとだけなのよ?」
「あはは。なんか、催促したみたいで悪いね!」
そして、緊張感がないのは“試験会場”へと先導するラーシアも同じ。
「うう。その神経の太さが恨めしい……」
一方……というか、ただ一人。クルトだけは、その“試験会場”への道を歩きながら胃を押さえていた。
言い渡された最後の課題は、集落の攻略。ラーシアが見つけた、“手頃な”ゴブリンの集落を二人だけで全滅させること。
無茶な課題ではあるが、智慧の宿星者のいない――つまり、範囲攻撃に乏しい――『ネクスト・ウォーカーズ』にとって、避けては通れない問題だった。
手順は、考えている。
まず、家をひとつひとつ《ウォール・オブ・サンド》で囲う。ゴブリンの家は竪穴式の簡素な物らしいので、問題はないだろう。
ただし、必死になって出てこられても困るので、《ウォール・オブ・フレイム》は使わない。
あとは、随時壁でゴブリンたちの動きをコントロールし、セシルがなるべく一対一で戦える状況を作り出す。
敵を逃がさないこと。そして、各個撃破すること。
壁で出入り口を塞ぐ作戦は、この条件は満たしているはずだ。あとは、実地で机上の空論でないことを実地で確認するだけ。
ほどなくして、“試験会場”に到着する。
「さて。目標は、あのゴブリンの集落だ」
少し離れた木立の陰から、ラーシアが説明を始めた。草原の種族の右手の向こうには、簡素な住居がいくつもならんだ集落がある。
周囲には、柵というのもおこがましい程度の木枠がぽつぽつとあるだけ。その余りに適当な作りに、クルトは憤懣やるかたないという表情を一瞬だけ浮かべた。やはり、彼なりのこだわりがあるらしい。
ゴブリンたちの家は、掘った穴を中心に柱を立て、そこに丸太を繋いで骨組みを作り、土や草の束で覆っただけのもの。まだ早朝であるためか、集落に人影はない。番犬として飼われている狼が数頭徘徊しているだけだ。
ゴブリンは、どちらかというと夜行性なので、あるいは寝静まったばかりかもしれない。
クルトが考えていた通り、《ウォール・オブ・フレイム》で取り囲んだら簡単に炎上してしまいそうだ。勝つというだけなら、それでも構わないのだろうが……。
「今回は、ゴブリンたちを殲滅してもらう。逃がさず、見逃さず、殲滅だよ」
勝利条件は、一体残らず“駆除”すること。
それも、たった二人で。
「セシル、まずは狼を弓でどうにかしよう。同時に、僕は家の入り口に壁を張るから適当なところで白兵戦に移って」
「りょーかいなの」
短い打ち合わせだけで、方針を決定した『ネクスト・ウォーカーズ』。かなりアバウトではあるが、緻密な作戦を立てても、セシルが憶えきれない。
これくらいがちょうどいい。きっと上手くいく。
ラーシアの見送りを受けながら、クルトは己を奮い立たせていた。
しかし、その結果を確かめることは――誰にもできなかった。
「なっ……」
「なんなのっ……?」
突如として、目の前の風景が変わる。なんの前触れもなく劫火が立ち上り、視界が真紅に染まった。
「二人とも、下がってッ!」
ラーシアが、今にも飛び出そうとしていた生徒たちの首根っこを掴んで地面に転がす。
その瞬間、粗末な家も、番犬代わりの狼たちも、一瞬ですべてが吹き飛んだ。いや、あるいは燃え尽きたのか。爆風が収まると、辺り一円は分厚い灰に覆われていた。
そして、その中心に立つのは、炎をまとった巨人。
周囲の木々を遙かに超える巨体は、騎士のような全身鎧に包まれている。さらに、その全身を墨で描かれたかのような邪炎が覆っていた。
盾は持たず、それだけで人間をまとめて何人か串刺しにできそうな巨大な馬上槍を構え地上を睥睨している。
ラーシアには見覚えと因縁のある――敵だ。
「こんなところで会うなんてね……イル・カンジュアルだったっけ?」
邪悪なる炎の精霊皇子。世界を無に帰さんとする七柱の精霊皇子の一柱。
その爛々と輝く真紅の瞳に射抜かれ、クルトもセシルも尻餅をついたまま動けない。
「あっ、ああああ……」
それどころか、満足に言葉を発することすらできなかった。行動と思考の自由を奪われ、生殺与奪のすべてをイル・カンジュアルに握られている。
例外は、ただ一人だけ。
「神力解放――《狙撃手の宴》」
瞬時に、青白い光を纏った六本の矢が繰り出され、イル・カンジュアルの目と眉間と首に突き刺さった。薄墨のような黒炎により一瞬で消え去ったものの、それは確かに炎の精霊皇子に痛痒を与えたようだ。
煩わしげに、矮小なる草原の種族へ意識を向ける。
その物理的な圧力すら伴う視線を受けても、ラーシアは動じない。それどころか、精神的な余裕すら生まれていた。
ラーシアは知っている。
邪悪なる炎の精霊皇子イル・カンジュアルは、既に滅んでいるのだ。ヴァルトルーデが滅ぼしたのだ。それが、こんな短期間に復活したなどという、都合のいい話があるはずもない。
それに、〝虚無の帳〟が苦労して呼び出した精霊皇子が、なんの脈絡もなく出てくるのもおかしな話だ。
この世界が、まだ滅んでいないのも。
だからあれは、偽物だ。少なくとも、イル・カンジュアルそのものではない。
「分神体じゃなくて、分霊体ってところかな」
滅びる前に、己の存在を分けて派遣していたのだろうか。いや、イル・カンジュアルはあのとき本気で自分ごと世界を滅ぼすつもりだった。
ならば、『竜鉄の世界』で巨人文明と戦ったときから、こちらに残っていたのかもしれない。
「そいつは、大事だ」
ラーシアが、ひょいと肩をすくめた。
けれど、関心は目の前のイル・カンジュアルに向かってはいない。
そんなことができるのなら――実際に、できているわけだが――ヴェルガもどこかに分身を残していたかもしれない。そんな推論も充分に成り立ってしまう。
(ユウトは、大変だぁ)
騒動の種が地中深くに埋まっているかもしれない。だというのに、ラーシアは笑った。皮肉でも、からかっているわけでもない。
ただ、葬儀では笑うのが草原の種族の流儀というだけ。気苦労の絶えない親友へ、笑顔で哀悼の意を表するラーシア。
しかし、その不敵な笑みはクルトとセシルに勇気を与え、イル・カンジュアルをいらつかせた。
「不遜なる定命の者よ。精霊皇子を前にして、なぜ笑うか」
「そりゃ笑うさ。せっかく生き残ったのに、のこのこ出てきたんだから」
――また、死にに来たのか。
真っ正面から痛罵され、炎の精霊皇子が動きを止めた。
「我らが計画の妨げとなれば、排除するのみ。たとえそれが、路傍の石でも」
「それで、ずっとこっちを観察してたってわけだ」
そして、村に設置された要石。その結界から外に出たところで、襲撃を仕掛けてきたと。
「ふっ。ちっちゃいね」
「死を待つ者の戯れ言に過ぎぬ」
格落ちもはなはだしいと揶揄するラーシアと、死に逝く者の言葉など聞く気はないと切って捨てるイル・カンジュアル。
先に動いたのは、炎の精霊皇子。
その質量だけでもあらゆる物を破壊するだろう馬上槍を引き、遥か頭上から突き降ろす。
威力だけで隙だらけの動き……とは言えなかった。その巨大な槍は、天ではなく面を制圧する攻撃だ。そこに、付け入る隙など存在しない。
特に、守るべきものを抱えた状態では。
「ちっ。せめて、力抜いて!」
迫り来る巨大な馬上槍を前に、ラーシアは初めて苛立ちを見せた。
素早く弓矢を矢筒――弓矢どころか、長剣もしまえる魔法具だ――へしまい、二人の襟首を掴む。
そして、そのまま背中を向けて駆け出した。
いきなり始まった巨大馬上槍からの逃避行。それはいきなり頓挫を余儀なくされた。主に、体格面の問題で。
「くっ、サイズ的に辛い」
「今、立ち上がり……うわっ」
「ええいっ」
それでも必死に牽引していたラーシアだったが、なんとか自分で走ろうとしたクルトがバランスを崩し、その場に倒れそうになる。
ここに至って、ラーシアは師としての体面よりも、生命を優先した。
「頑張って受け身取ってね!」
背後に馬上槍の重圧を感じつつ、ラーシアは急停止してできる限り遠くへクルトとセシルを放り投げる。
その体躯に見合わぬ筋力で投げ飛ばされた少年と少女は、放物線を描いて飛でいく。
けれど、その行く末を確認する余裕はなかった。巨大な馬上槍が突き降ろされ、ラーシアを貫く。いや、押しつぶさんとする。
「おおっとぅ」
まさに、間一髪。
空中で回転してイル・カンジュアルの馬上槍に飛び乗ると、ラーシアはその上を走りながら矢筒から弓矢を取り出し急所目がけて放った。
「そこッ」
不安定な足場で、前傾姿勢になりながらの射撃。しかし、その程度ラーシアにはハンデにもなりはしない。
飛ぶような速度で槍の上を疾走しながら、続けて二射三射と矢を放っていく。
それはすべて過たず急所に深々と突き刺さり、炎の精霊皇子イル・カンジュアルを仰け反らせる。
『竜鉄の世界』に来た当初の違和感は、既にない。急所だと感じた場所に放てば、確かな手応えを感じる。
たとえ、それが全身鎧の上からだろうと関係ない。
「だが、無駄な抵抗だ」
「なら、さっさとボクを叩きのめせばいい」
やれるもんならやってみなと挑発する代わりに、また疾走しながら矢を放つラーシア。その正確無比な射撃は、地上で見守るセシルの瞳に焼き付いて離れない。
だが、イル・カンジュアルにとっては、小うるさいだけ。
「愚かな」
得物にこびりついた汚れを振り払うかのように、分霊体が馬上槍を跳ね上げた。
「おっと」
さしものラーシアも、それに抵抗はできない。ユウトがいたら、事前に《飛行》でもかけてもらってたのにと遠くから友を思いつつ、空中に投げ出される。
「ま、その程度で負けはしないけどね」
器用に空中で回転しつつ、弓と矢は手放さない。
「神力解放――《狙撃手の宴》」
再び、神としての力を解放して、矢を放った。
今度は、斉射ではなく、すべてを一矢に込めた射撃。もはや、それは矢ではなく光。破壊の化身となった一条の光が、イル・カンジュアルを貫いた。
黒天竜をも一撃で葬った攻撃を受け、炎の精霊皇子の胸にぽっかりと穴が空く。
「……我が本体を滅ぼしたのは、伊達ではないか」
「そりゃどーも」
しかし、この程度は、分霊体も織り込み済みだったのだろう。体の一部が欠けているにもかかわらず、先にイル・カンジュアルが動いた。
巨大な槍の穂先を突き出すと、その先端に炎が渦巻き螺旋を描く。
「《業炎》」
螺旋は尾を引く焔の帯となり、ラーシアの眼前で炸裂した。
光・音・熱。
三つの要素が渾然となって暴力的に打ちのめし、焼き尽くし、滅ぼし尽くそうとする。
――しかし。
「やはり、殺せぬか」
「ま、二度目だからね」
爆煙の向こうから、無傷――とはいかないが、全身に火傷を負ったという程度のラーシアが姿を現す。以前は直撃を食らい、アルシアの《奇跡》によって窮地を脱した。
今は、どうやってかは不明だが、間一髪で避けたのだろう。
なおも、ラーシアは弓を構え戦意を失ってはいない。
イル・カンジュアルの傷も塞がってはいない。
まだ、どちらに転ぶか分からない。
そんな師匠のことをを心配そうに、けれど、全幅の信頼を寄せて見つめている『ネクスト・ウォーカーズ』。まさに息を飲んでと表現するに相応しい表情。
ふと、ラーシアの表情が緩む。
炎の精霊皇子イル・カンジュアル。
その分霊体の末路など、もはや眼中になかった。
もっとも、ラーシアには、イル・カンジュアルの末路を目にすることができないことは分かっていたのだが。
「親になるってのも、悪いことじゃないかもね」
「《放逐》」
そのラーシアを、イル・カンジュアルが唱えた力ある言葉が暴風となって襲った。
かつて、この秘跡によってイル・カンジュアルは彼の世界で生まれし者を異次元へと追放した。
そして、その分霊体は効果対象を反転させた。
即ち、此の世界で生まれた者以外を追放する。
これには、ラーシアも抵抗できない。魔法の風に吹き飛ばされ、『竜鉄の世界』を放逐される。
だが、それはラーシア自身分かっていたことだった。
「そう来ると思ってたよ! 神力解放」
『竜鉄の世界』から追放される寸前、ラーシアは最後の力を解放する。ユウトなら使いすぎた反動を心配するかもしれないが、ラーシアはそんなことは考えない。使えるものは遠慮なくなんでも使う。
しかし、矢はイル・カンジュアルへは届かない。
まったく見当違いな上空へ打ち上げられ、見えなくなった。
「二人とも、元気でね!」
「え……?」
「おししょーさん……?」
二人とも、なにを言われたのか、理解できない。
けれど、なにが起こったかは理解できた。せざるを得なかった。
「消えて……」
「いなくなった……の」
それっきり。夢や幻のように。あっさりと、ラーシアの姿はかき消えた。
消えてしまった。
「なん……で……」
「どう……いう……」
理解が追いつかない。なにが起こっているのか分からない。まさか、死んでしまったというのか。ありえない。けれど、消えてしまった。どういうことなのか。
その時、天が翳った。
クルトも、セシルも。イル・カンジュアルですら思わず天を仰いだ。
邪悪なる精霊皇子と宿星者が目にしたのは、天から降る流れ星。
それも、天から地上へ降り注ぐ流星群だった。
「あ、ああ……」
否、それは矢だ。
ラーシアが最後に放った矢は、呼び水に過ぎない。視線を感じてから、ラーシアが放っていた大量の矢。それは、『竜鉄の世界』の上空でたゆたい出番を待っていた。
まだ、『ネクスト・ウォーカーズ』は自らの師を知らなかったのだ。
「おのれぇぇぇっっっ」
矢が。流星雨と見紛うばかりの矢が。一本一本が、神のごとき技量を持つ草原の種族の勇士によって放たれた矢が。
吸い込まれるかのように、炎の精霊皇子を貫いていった。
けれど、イル・カンジュアルの生死など、ラーシアの安否に比べたら些細な問題だ。気にならない。どうでもいい。どうだっていい。
「おししょーさんッッッッ!!」
「先生ッッ!!」
声が届けば、ラーシアは蘇ってくれる。
そう信じているかのような、二人の魂からの叫び。
しかし、それはどこにも届かない。
古代の巨人文明を滅ぼし、世界を無に帰すはずであった超越者。
それが、まるで人間のように苦悶の声を上げる。
「グッッオオオオオオッッッ」
絶叫。
沈黙。
静寂。
墨色の炎を吹き散らされ、イル・カンジュアルの巨体が、恒星の最期のように膨張と収縮を繰り返す。
恒星の最期に待っているのは、大爆発。
分霊体とはいえ、炎の精霊皇子が最後に放つ命の煌めきだ。矮小なる定命の者の叫びなど、容易くかき消してしまう。
地平線の果てまで届くかのような轟音。
「――――ッッ」
「――――ッッ」
声にならない悲鳴すら、形を為すことを許さない。
音が消え、風が止み、時間すら止まってしまったかのように感じられた。
クルトとセシル。
二人の周囲には、空から降ってきた矢が突き刺さっていた。まるで、二人を守る壁のように。事実、あれほどの爆発にもかかわらず、まったくの無傷。
しかし、それに気付く余裕などない。
「あっ、ああああああああああああ」
「うわぁあああああんんんんんんん」
この日、二人はお互い以外で初めて得た人生の道標を失った。
「セシィ、村だよ」
「うん……」
イル・カンジュアルの分霊体との遭遇は早朝。
既に、陽は落ちかけていた。
二人とも、どうやって帰ってきたのか分からない。記憶がない。ただひたすら足を動かしていたら、ブラウ村にたどり着いていた。
それが、一番楽な行為だったから。
そうしていれば、なにも考えずに、なにも話さずにいられたから。
薄汚れているが、二人とも傷ひとつついていない。にもかかわらず、視線を落として地面を見ながら行軍する様は、敗残兵そのものだ。
要石が浮かぶ村の中央広場を進んでいると、周囲からぎょっとした表情で距離を取られている。
だが、クルトもセシルも気にした様子もない。それどころか、周囲から引かれているという認識自体がなかった。
頭にあるのは、いなくなった人のこと。
初めてこの要石を見て驚いていたラーシア。その時のことを思い出し、ぐしゅぐしゅと鼻をすすってしまう。涙を流しすぎたせいだろうか、頭も痛い。
顔なじみの村人たちでも近づけない悲壮感を漂わす、二人。
その前に、一人の女性が立ちふさがった。このブラウ村の次期村長と目されている、フィリスだ。
「ちょっと、クルト。セシル。いったいどうしたのよ!」
「なんでもないよ……」
「ないの……」
栗色の髪を三つ編みにした少女が、腰に手を当て弟妹たちを叱咤する……つもりだったのに、想像以上の惨状を目の当たりにしてフィリスも慌て出す。
普段は勝ち気な少女も、弟分たちのただならぬ様子に平静ではいられなかった。
「ちょっとねえ。二人とも、大丈夫なの!? 怪我はないのよね?」
「うん……」
心配したフィリスが声をかけるものの、セシルはおろかクルトさえもまともに返事をしない。そのまま歩き去ってしまう。
まるで、屍生人の行軍だ。
「そういえば……あっ」
手で口を押さえ、フィリスは破局を回避した。
最近、いつも一緒だった草原の種族の姿がない。そこから導き出されたのは、非情な現実。
「落ち着いたら、うちに来なさい。いいわね? 命令よ。無視したら、ただじゃすまないんだから!」
揃ってどこかへ向かっていく二人の背中に、フィリスは大声で叫んだ。
相変わらず、返事はない。
しかし、クルトとセシルの足が一瞬だけ止まった。それを応えと受け取ったフィリスは、足早に家へと急いだ。
いつ帰ってきてもいいよう、温かな食事を用意するために。
一方、ふらふらとした足取りのままブラウ村の公民館にたどり着いた『ネクスト・ウォーカーズ』は、一切言葉を発することなくある一室を目指していた。
ほんの数日前に、笑いながら財宝を鑑定していたあの部屋を。
扉の前までたどり着いた二人は、怯えたような表情を浮かべて固まってしまった。
もしかしたら、平気な顔をしてこの部屋に戻っているかもしれない。
そんな甘い夢だけを頼りに、ここまで歩いてきた。けれど、この扉を開けたら、否応なく、完全に現実を受け入れなくてはならなくなる。
「いいね?」
「分かってる……の」
心の準備ができるまで、五分以上はかかっただろうか。
クルトが、ゆっくりとドアを開くと、少しずつ、少しずつ、部屋の様子が詳らかになっていく。
寒々しい部屋、粗末なベッド、美的センスの欠片もないテーブル。
それだけ。それだけだった。
その場で崩れ落ちずに済んだのは、テーブルの上に、封筒に収められた一通の手紙。それから、馬を象った漆黒の像が置かれていたから。
「クルト……」
「セシィ……」
二人はお互いの名前だけを口にし、こわごわと手紙を手に取った。こてんと漆黒の像が倒れるが、意識が手紙に集中しているため気付きもしなかった。
読みたい。
けれど、読んだらなにかが終わってしまう。
それでも、読まなければ先には進めない。
「クルト……」
「うん。読もう」
二人は、乱暴に目を擦ってから、封筒を破った。中には、信じられないほど薄く綺麗な紙が数枚。それを開くと、にじんだ視界の向こうに、暖かな文字が浮かび上がってきた。
『キミたちがこの手紙を読んでいる頃、ボクは既にこの世界からいなくなっていることだろう』
うん。いい書き出しだ。
そう満足そうに微笑む姿を想像し、二人は思わず泣き笑いを浮かべてしまう。
決して技巧が凝らされた文章ではないし、文字も読みやすいが上手いとは言えない。それなのに、まるでラーシアが語りかけてくるかのような手紙だった。
『ボクがいなくなっても、哀しむことはない。ボクが死ぬことなんかないし、もし、万が一、本当にあり得ないけど大失敗って死んだとしても、ボクの仲間なら、魂だけになっても生き返らせてくれるからね』
その自信は、どこから来るのか。
クルトとセシルは、ほとんど同じタイミングで顔を見合わせくすりと笑った。まだ涙が溢れてくるが、
『というわけで、この先はアドバイスみたいなものを書いていくよ。まず、セシル』
「はいなの」
手紙に対して、律儀に返事をするセシル。
しかし、このときばかりは、クルトもなにも言わなかった。
『もうね、セシルは基本的に、好きにすればいいと思うよ。サポートはクルトがするから。ちゃんと言うことを聞くように。目一杯、依存しちゃいなよ!』
「さすが、おししょーさんは目の付け所が違うの」
「えー」
それはあんまりじゃないかと、クルトが抗議する。
しかし、きちんと続きはあった。
『ただ、武器の選択は、ちゃんとすること。好き嫌いは置いて、弓も使わなくちゃだめだからね!』
「はい……なの」
『それから、収入に余裕が出たら、武器も買い換えよう。回復役がいないデメリットを補える魔法具がいくつかあったよ。候補をリストアップしておいたから、きちんとお金を貯めておくように』
その後に続く、魔法の武器の候補を熱心に読みこんでいくセシル。
確かに、今は余裕がないので《増殖》武器で二本とも魔剣にしたが、余裕があれば異なる能力の組み合わせにしたほうがいいに決まっている。
次なる目標ができて、セシルの気持ちが少しだけ上向く。
『次に、クルト。ボクは、キミが戦闘を制御する者――戦場の支配者になれると言った。それは、今でも本当のことだって胸を張って言えるよ』
「先生……」
『戦術の基礎は教えたつもりだよ。セシルを活かし、自分を活かす戦術は、もう自分で考えられるはず。だから、ユウトが得意な壁呪文をいくつか教えよう』
その続きには、セシルの武器と同じように、《七光障壁》や厳密には壁ではないが《理力の棺》などいくつかの理術呪文とその効果が記されていた。
「すごい。ブルーワーズには、こんな呪文があるんだ……」
クルトは、まるで頭に刻み込もうとするかのようにリストを何度も何度も指でなぞった。
「もう、クルト。今は、続きを読むのが先なのよ」
「うっ。ごめん」
素直に謝り、手紙をめくる。
続きも、クルトへのアドバイスだった。
『あと、壁を張ったらヒマしちゃうことが多いみたいだから、余裕ができたら使い捨ての魔法具で攻撃しちゃうのもいいかもね。これまたリストにしてみたから、参考にするといいんじゃないかな』
そしてまた、名前、効果、価格がまとめられた表が続く。
「クルトばっかりいろいろ書いてもらって、ずるいの。ひいきなの」
「それだけ、僕が問題児ってことなんじゃないかな」
「むー」
言葉とは裏腹に得意げなクルトと、むくれるセシル。
その魔法具のリストで二人への言葉は終わり、手紙は締めに向かっていた。
『それから、この手紙と一緒に置いてあったオニキスの像は卒業祝いだよ。大した物じゃないけど、活用してくれると嬉しい。使い方は、オルスタンスさんに聞けば分かるから』
二人の視線が、手紙から卓上の像へと向けられる。魔法具だったようだ。
この馬の像に、どんな能力があるのか。
それを説明しなかったのは、照れくさかったからかもしれない。
『まあでも、売ってもいいけどね! そこは任すよ!』
続く言葉に、思わず笑みがこぼれた。
それは、二人がラーシアと別れてから初めて浮かべた明るい笑顔だった。
「おししょーさんは、おししょーさんなの」
「ほんと、本当にね……」
哀しみも、後悔も尽きはしない。
けれど、新たな涙は出てこなかった。
「いつか会えるよ。だから、その時のために僕たちも頑張らないと」
「うん」
それは空元気だったかもしれないが、それでも元気には違いなかった。
クルトとセシル。二人は、『ネクスト・ウォーカーズ』。この名前を付けてくれた人のためにも、立ち止まることは許されないのだから。
「おっと」
手紙を読み終え、封筒にしまおうとしたクルトの手が滑り、一枚床に落ちた。
「もう、大事な手紙なのに!」
「ごめんごめん」
どうやら、紙がくっついていたようだ。つまり、まだ続きがあったのだ。
「おお、クルトでかしたの!」
「手の平返し、すごいなぁ」
気付かなかった最後の便せんを拾い上げるが、ほとんどが空白。文字は、ほんの二行しかなかった。
けれど、それを目にしたクルトとセシル――『ネクスト・ウォーカーズ』は、顔を歪めてしまう。
そこには、結びの文のみが記されていた。
『いつの日か、二人と冒険ができる日を夢見て。
いつまでも『ネクスト・ウォーカーズ』の師であるホライズン・ウォーカーより』
――と。
「ま、そんなことがあったのさ」
ラーシアが、そう異世界冒険譚を結んだ。
言葉もない。
全員が完全に同じ気持ちを共有していたわけではないだろうが、反応としては同じだった。
今ひとつ盛り上がりに欠けるリアクションであるが、ラーシアは気にしない。構いもしない。そのまま、まとめに入る。
「つまり、この話で得られる教訓は三つ」
「弟子を育てているうちに、父性に目覚めたとしか聞こえなかったのですが……」
その前に、真名が、もっともな感想を返した。
異世界冒険譚としてそれなりに楽しめる部分もあったし、『竜鉄の世界』の特異性はユウトを悩ますことになるかもしれない。
だが、結局は、ラーシアが親の自覚を得たという話にしか聞こえなかった。
それは実に妥当な感想だったが、真名には肝心な視点が欠けていた。
つまり、ラーシアが、そんなことを気にするはずがないという視点である。
「ひとつ、冒険者は一人じゃ成り立たない。連携を考え、自分の役割を把握し、お互いの長所を活かせるような行動と成長が必要だ」
これは、もっともな話だ。
同時に、これほど実行が困難な教えもないだろう。人間の視野はそこまで広くなく、困難に直面すると、どうしても狭まってしまう。
エゴというわけではないが、人間は自分ができることしかできない。連携には、意識改革と繰り返しの訓練が必要となる。
「ふたつ、教師役には、適性を見極め、しかも相手が納得できるように、その方向へ導いてやる必要がある」
できるかなと、ラーシアは挑戦的な瞳でアルビノの少女を見つめた。
ヨナは、それを赤い瞳で平然と受け止める。
意外と負けず嫌いなところがあるアルビノの少女が、できないと降参するはずもなかった。
「三つ、面倒くさかったら教師が全部やってしまう」
「ダメだろ、それ」
最後にオチを持ってきたラーシアに、ユウトが凄まじい反応を見せる。
それは、どうせ「三つと言っておきながら四つ目があるんだろ」と先を見越したユウトの牽制でもあった。
深い付き合いの“親友”同士が、じっと見つめ合い懐を探り合う。エグザイルがいれば適当なところで両方の頭を軽く――岩巨人基準で――叩いて終わらせていただろうが、真名ではそれも不可能。
段々と、二人の笑顔が歪んでいくが……先に降参したのは、ラーシアだった。
「いやいや。そうやって目標を見せてやるのも大事だってことだよ」
「そう言われれば、まあ、納得できなくもないか」
それに応じ、ユウトも矛を下ろす。今回のターゲットは、ヨナなのだ。そちらの理解によって、追撃をすることにしよう。
そう結論を下したユウトが、視線をアルビノの少女へと移動させる。
その瞳を正面から受け止め、ヨナはしっかりとうなずいた。
「分かった。マナたちには、今まで無理をさせすぎていた。反省する」
「ヨナ……」
「まさか、あの話でしっかり理解したということなのですか!?」
「マナ、マナ。まさかってどういうこと?」
「無理しない程度に、無理させる。これが、大事」
心なし得意げに言うヨナ。
そういう理解は良くない。
ユウトと真名が決死の覚悟で諫言を試みようとしたところ――控えめなノックの音が響いた。
一瞬の静寂。ユウトも真名も動きを止め、顔を見合わす。できれば、先にヨナをどうにかしたい。その見解で二人は一致していたが、無視もできない。
「どうぞ」
比較的常識人である二人は視線でそう語り合い、ユウトが返答をした。
その様子をラーシアがニヤニヤと眺めていたが、教室へと一歩踏み入れた人物が誰か気付き、慌てて笑顔を消す。姿勢を正したのは、ヨナも一緒だ。
「ユウトくん、まだいる?」
「アルシア姐さん……」
急いでいたのか。アルシアは少し息が上がっていた。首から提げた死と魔術の女神の聖印が、豊満な胸によって微妙に上下している。
それはそれとして、ユウトはわずかに眉をひそめた。
単純にユウトに用事があるのなら誰かを使いを遣ればいい。アルシアには、それだけの地位も権力も人望もある。それに、急用なら《伝言》の呪文を使ってもいい。
それをしなかったということは、直接顔を合わせなければならないような難問が降って湧いたということになる。
「なにがあったの?」
ユウトは、やや身構えながらアルシアへと問う。
「それが……。まず確認なのだけど、クルトとセシルという名前は知っている?」
「え……?」
面倒くさい問題なのだろうとは思っていた。
けれど、なぜ、その名前がアルシアの口から出てきたのか。その事実に、困惑を隠せない。
「知っているというか、ついさっき知ったというか……」
「実は、タイドラック王国のクレス副王から《伝言》が届いたのだけれど」
パス・ファインダーズの一人、麗騎士エルドリックが復興させたタイドラック王国。
その英雄の孫であるクレスは、このイスタス公爵領で領地経営のイロハを学び、今ではヴェルガ帝国から割譲した地域を治める副王の地位に就いていた。
正確には、そのクレスの配偶者――と、事実上関係者から目されている――サティアから《伝言》の呪文で、連絡があったのだ。
王都を通じた正式な外交ルートではない、直接連絡。
その点からも、事の重大さが理解できる。心なし、ヨナはわくわくしているようだ。
「異世界から迷い込んだものと思われる冒険者たちを保護したというのだけど、彼らがユウトくんの名前を出しているという話なの」
「そして、その冒険者がクルトとセシルと名乗ったと」
事実関係を把握したユウトが、ゆっくりと。しかし、鋭くラーシアを視線で射抜いた。
「ラーシアが偽名で名乗ったから、俺の名前が出てきたのか……」
「あはははは」
この展開は予想していなかったのだろう。乾いた笑いが、初等教育院の教室に響き渡った。
もし予想していたなら、もっと楽しそうに笑っているはずだ。そして、どちらにしろ、本名を名乗ることもなさそうだった。
「疑問はいろいろとあるけど、直接聞いたほうが早そうだな」
「うん。そうだね」
「ああ。じゃあ、行こうか」
おもむろに立ち上がったユウトが、教壇にいるラーシアの手首を掴んだ。遠慮のない。まるで、動物でも扱うかのような力強さで。
「もちろん、ラーシアも一緒にな」
「ええっ? ヤダよ! あんな手紙を残しておいて、どの面下げて会えばいいのさ!?」
「お面かぶる?」
「そういう問題じゃないよ? かぶらないよ? というか、ヨナ。見てないで助けてよ」
「宴会は、アカネに頼んでおくから安心して行っていい、ホラ師匠」
「ちょっと、略さないで!?」
そんな微笑ましいやり取りが行われている間に、ユウトは呪文書を開いて7ページ分破り取った。真名でも言葉が挟めないほどの急展開だ。
「《瞬間移動》」
そして、ラーシアを連れて数百キロに及ぶ旅に出る。
それは、この先に続く壮大な冒険譚のはじめの一歩に過ぎなかった。
アルシアのところに《伝言》が回ってくる前に――
クルト「あの……。ここが青き盟約の世界なら、ホライズン・ウォーカーという名前に聞き覚えはないでしょうか……?」
クレス「いや、済まないが知らない名だな」
クルト「じゃ、じゃあ。ユウトって人は――」
クレス「え!? あの人の関係者だったの!? それを早く言っていてくれれば……って、それどころじゃない。サティア、急いで連絡を! そして、彼らを丁重にもてなさないと。一刻も早く! せっかく軌道に乗りかけた領地経営が破綻したら大事だ!」
クルト「(もしかしたら、僕は禁忌の名を口にしたのでは……)」
セシル「(さっすが、おししょーさんのお友達は格が違うの)」
――というやり取りが合ったとかなかったとか。
というわけで、この続きを書くことがあれば、独立した作品としてアップすることになると思います。
もし見かけたら、読んでやってください。
というか、この話が9万文字以上かかるなんて始める時は想像もしていなかったよ!
それから、次の番外編は、ユウトとヴァルがイチャイチャするだけの話になります。
仮タイトルは『ようこそ、湯煙の地下迷宮へ』。
結婚式直後、二人っきりで過ごしていた温泉での話になるはずです。