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番外編その5 歩いてたら異世界にたどり着いちゃったので、新米冒険者の師匠になりました その8

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

遅くなった理由は、今回ついに2万文字になったからです。

「では、ここで問題です」


 初等教育院――小学校の教室で、教壇に立ったラーシアがユウトたちにクイズを出す。


「クルトとセシル、彼ら『ネクスト・ウォーカーズ』の『弱点』とはいったいなんでしょう? ちゃらららちゃららら、ちゃららららららら~~」


 ご丁寧にBGMまで奏でて。


「はい! 弱いこと!」

「それは弱点っていうか……根本的な問題すぎるよね!?」


 真っ先にヨナが乗っかってくれたのは良かったが、答えがあまりにも大ざっぱだった。その通り過ぎて、扱いに困る。


「でも、弱い……。弱くないの?」

「そうだけどさぁ。ヨナを基準にしたら、みんな弱くなるよ?」

「うん」


 それのなにが問題なのかと、ヨナが無表情でうなずいた。真名には分からなかったが、むしろ誇らしげですらある。


 これには、さすがのラーシアも二の句が継げない……というか、なんと言って説得したものか分からない。


「ユウト、どうにかしてよ。ヨナ担当でしょ」

「初耳だな、それ」

「担当はユウト」


 ラーシアの責任転嫁をユウトは軽く受け流すが、当事者であるヨナはそれを許さない。

 赤い瞳で、ユウトを見つめる……が。


 まだ、ユウトが上手うわてだった。


「俺が担当だとしてもだ。前任であるアルシア姐さんと、引き継ぎに関して話し合いをしてからでないとな」


 しゅっと態度を変え、ヨナは座席で背筋を伸ばした。


 そんな空気の中、真名が律儀にも手を挙げてから口を開く。


「そうですね……。まともな教師や先輩がいなかったことでは?」

「言われてるぞ、ラーシア」

「え~? 今のところ、ボクはかなり有能でまともな先生だと思うんだけどなー」


 余裕で言葉を交わすユウトとラーシアとは対照的に、真名が目に見えてあたふたとする。

 彼女にしては珍しい反応だ。


「過去形! いなかったと、過去形ですから」


 要するに、冒険者の基礎ができていない。それが『弱点』だと言いたかったようだ。


「すみません。言葉が足りませんでした」


 マキナがいたら、もっと酷いことになっていただろう。真名は反省して頭を下げる。


「それは、ちょっと抽象的すぎかなー。もっと、具体的な相手です」

「……殺しても生き返ってくる相手?」

「うん。誰であろうと苦手だよね、それは」


 それで、喜ぶのはエグザイルぐらいだろう。

 ヴァルトルーデでも、ヴェルガを思い出して渋い顔をするに違いない。


「じゃあ、財宝を持ってない敵」

「それは確かにイヤだね……って、個人の感想ばっかりだ! クイズになってない! アルシアがいれば、こんなことには……」

「俺の嫁さんを、都合のいい人間みたいに言うのやめてもらっていいか? あと、ヴァルとエグザイルのおっさんを戦力外みたいに言うのも」

「だってさぁ……」


 ユウトの抗議に対し、ラーシアが珍しく弱々しい声をあげる。


 十中八九演技だろう。


 しかし、当初の想定と違いすぎて、話が進んでいないのも事実。


 仕方がないと、ユウトは正解を言い当てようとし――


「あ、ユウトはダメだからね」


 ――ラーシアに止められた。


「ダメって」


 自らクイズ形式にしておきながらの参加拒否。

 さすがのユウトも、虚を突かれたようにラーシアを見つめる。


「だって、ユウトはあっさり当てちゃうじゃん?」

「正解しちゃダメって、なんのためのクイズだよ」

「そりゃ、ボクがいい気分になるためのクイズだよ」

「そうか……。なら、仕方ないな……」


 本当に仕方がない。

 分かっていたが、本当に仕方がない。


「じゃあもう、正解を発表するよ!」


 埒を明けると、ラーシアが強引にクイズを打ち切った。


 そして、もったいぶらずに口を開く。


「ずばり、『ネクスト・ウォーカーズ』の弱点は、『ドラゴン』でした~~」

「違うだろ。『空を飛ぶ相手』が弱点だろ」

「そうとも言う」


 まったく悪びれず。それどころか、ユウトの指摘を予想していたかのようにラーシアは受け流した。


「そうでしたね。向こうの世界では飛行する呪文は貴重なのでした」


 言われてみればと、真名がうなずく。

 ユウトとラーシアのやり取りに関しては、もはや、日常の1シーン程度にしか感じていない。


「そうなんだよね。こっちだとただの《飛行フライト》が魔導師(ウォーロック)級、パーティ全体を飛行させるのなんて、大魔術師(アーク・メイジ)級になってるみたいだね」

「ヴァルトルーデさんのように、魔法具(マジック・アイテム)でカバーすることはできないのですか?」

「うん。戦闘中ぐらいはなんとかなるみたいだけど、そもそも気付いてなければ買おうとしないだろうしね」


 ラーシアが、教壇の上でうなずきながら答えた。「マナは素直でやりやすくていいね!」とでも思っているのかもしれない。


 それを言ったら、ヨナも、ある意味で素直なんだが……と、ユウトは苦笑する。


「つまり、成長しても飛行する敵には苦労するであろうから、今のうちに教えておきたかったということですね」


 感心したように真名がうなずくが、ユウトは、そこまで素直な解釈はできない。


「でも、話の流れからするとドラゴンをけしかけたんだろ?」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。ちっちゃいドラゴンだからね」


 その言葉が、真実か否か。


 それを確認するため、ユウトたちは、続きに耳を傾けた。


 ただ、「ドラゴンが苦手とか、意味が分からない」と、首を傾げている少女が一人だけいたが。 





「そういえば、セシィ。なんで、氷柱巨象(アイシクルマンモス)との戦闘で、《蹂躙突撃ブラック・フューリーズ》の職能(パワー)を使わなかったの?」

「う~ん……?」


 ラーシアが口にした『ネクスト・ウォーカーズ』の弱点。


 それを実地で伝え、改善するためラーシアが目を付けていた次のポイントへ向かう途中。クルトが、さりげなさを装って、反省会を始めた。


 ラーシア、否、ホライゾンウォーカー師匠に師事するまでは、思いつきもしなかった行動。


 時折、苔むしたレンズのようなものをまたいで『巨人の道』を進みながら、ラーシアは、とりあえず口出しをせず見守ることにする。


(こうやって一歩引くのが、いい師匠っぽいよね!)


 などと思っていたので、口出しせずに正解だろう。


 ただ、ラーシアは自己満足に浸っていただけではない。先ほど感じた奇妙な気配の在処を探って、周囲へ意識を拡散させていた。


 異常があれば、すぐ察知できるように。


 そして、今度こそ反撃できるように。


 そんなこととはつゆ知らず、クルトが質問を重ねる。


「最初に攻撃をしたとき、特に使わない理由はなかったと思うんだけど……」


 クルトが指摘した《蹂躙突撃ブラック・フューリーズ》は、闘士の宿星(レグルス)からもたらされる第一階梯の武技。突撃時の加速力や、それに伴う攻撃の正確性に加護を得ることができる。

 特に、防御面がおろそかになるような武技ではないので、クルトの言う通りデメリットはない。


 もちろん、職能(パワー)には使用回数の制限があるため、常に全力で使用するのが正解というわけではないのだが……。


 セシルは、形のいい眉をハの字にして考え込む。


「あ、こっちだよ」


 ラーシアの先導で『巨人の道』から外れて森の中に入っても、それは続いた。


 思い悩むセシルという珍しい事態を前に、クルトは当然、ラーシアもじっと答えを待つ。


「ん~とね……」


 しばらくして、ようやくセシルがぱんと手を叩いた。どうやら、答えに至ったようだ。


 クルトとラーシアは聞き逃すまいと意識を集中し――


「……忘れてたの」


 ――そして、絶句した。


「ひどいオチがきたなぁ」


 さすがのラーシアも脱力してしまう理由。

 ヴァルトルーデなら絶対にそんなことはない……と考え、いや、違うかもしれないと思い直す。


 聖堂騎士(パラディン)専用の呪文も最初から使えるようになったのではなく、徐々に憶えたもの。それまでは、《降魔の一撃》を使用するか否かという判断だけだった。


 それに比べると、発展途上にもかかわらず、セシルが数々の武技を使用できるのは確かにすごい。だが、持て余すという危険をはらんだものでもあったのだ。


 そして、それはクルトも同意見だったようだ。


「確かに、賜っている職能(パワー)が多いから……」


 素早く二回攻撃を繰り出す《双爪レッド・タロンズ》、攻撃と同時に移動する《一撃離脱グラス・ウォーカー》、隣接する敵全員に攻撃を放ち押しやる《大地一掃クリアード・フロム・ランド》。

 それに、洞窟巨人(トロル)を前後不覚にした《消失連撃サドン・アタック》。


 衛士の宿星(エルナト)からもたらされた武技だけでこれだけある。


 ここへさらに、闘士の宿星(レグルス)抱影の宿星(ギエディ)から授けられた武技が加わるのだ。


「全部を把握して、瞬時に判断するのは難しいよね……」


 これは、今のところ三種類の壁を生み出すことしかできないクルトでは気づけなかった問題点だ。

 しかも、将来的に増えることがあっても減ることはない。これは早急に手を打たないと……と、にわかに焦り出すクルト。


 そこに、あっさりと解決策が降ってきた。


「なら、コンボとして憶えとけば?」

「おししょーさん、こんぼ、ってなんなの?」


 どうやら怒られずに済むようだと察したセシルが、ラーシアの言葉に素早く食いついた。


「状況毎に、この職能(パワー)……だっけ? それをセットで使用するようにするのさ。突撃を仕掛けるときは、これとこれとこれって予め決めておけば忘れることはないでしょ?」

「なるほど。職能(パワー)を個別に捉えるんじゃなくて、状況に応じたパターンで考えれば良かったんだ」


 ラーシアのアイディアを聞いたクルトは、即座にその有用性に気付いたようだ。


 こういった経験を積み重ねていけば、ラーシアがいなくなった後でも独力で対応できるようになるだろう。


(うんうん。こういうのも成長だよね)


 ラーシアは、満足気にうなずいた。


 しかし、目を細めて成長を喜んでいるだけではない。

 この間にも異常を探し続けていた。暗い森の中は視界が良いとは言えないが、同時に、ラーシアにとってはさしたる問題でもなかった。


「じゃあ、クルトよろしく頼むのよ」

「駄目だよ、セシィ。二人で考えなきゃ」

「はぁい」


 不承不承ではあるが、セシルはうなずいた。案外、クルトと一緒になにかができるのが嬉しいのをこらえているのかもしれない。


 そんな気持ちを察することなく、クルトは、話が一段落したところで先行するラーシアを呼び止める。


「ところで、先生」

「なにかな、クルト?」

「なんだか段々、嫌な雰囲気が濃くなってきてるんですけど……?」


 目的地が分かっているらしいラーシアの先導に従い、『巨人の道』から外れて森の深いところにまで足を踏み入れつつある。

 もちろん、ここは源素の混沌に侵蝕された北の大地だ。七柱の精霊皇子によって刻まれた負のエネルギーがそこかしこに溢れている。


 しかし、それにも濃淡があり……クルトが経験した中でも、とびきり危険な霊気(オーラ)へ近づいている感覚。否、確信があった。


「さあ? 気のせいじゃない?」

「そうですか?」


 そんなことはないはずだ。

 気付けば、鳥や獣だけでなく、虫の声すらしなくなっている。


 しかし、分かって言ってるんでしょと、じとっとした視線を送っても、ラーシアには暖簾に腕押し。こうなったらなにを言っても無駄だ。短いが濃密な交流の中で、クルトはそれを理解していた。


 そして、それはセシルも同じだった。


「クルト」


 鋭い声で警告を発したセシルは、背負っていた短弓(ショートボウ)に矢をつがえて素早く周囲に視線を飛ばす。


「うん」


 その背中に張り付くようにして索敵しながら、クルトも意識を切り替えた。危険は、もう、すぐそばまでやってきている。

 これから、自分たちの『弱点』と相対するのだ。集中しなければ、その先にあるのは死だ。


 果たして、それは空から現れた。


「ガッッッアァアァッッッ!!!」


 同時に、縄張りを侵した愚かで矮小なる人間たちへ、雷鳴の如き大喝を放った。


 木々の切れ目から見えるそれは、黒曜石のような鱗で全身を覆われたドラゴンだった。空の精霊皇子ブラスガエアの眷属である黒天竜ブラックスカイドラゴンだ。


 ドラゴンとしては、かなり小型。ラーシアが屠った成熟した個体とは比べるべくもない。


 そのラーシアは当然。ペトラやアレーナでも比較的簡単に狩ることができるだろう。ヨナであれば、一瞥して見逃すはずだ。資源保護のため……ではなく、ゴドランを思い出して。


 しかし、小型といえどもドラゴンはドラゴン。


 ゴドランよりも年かさで、牛馬ほどの大きさはある。家畜には存在しない鋭い牙と太い鈎爪も備えていた。まともに当たらずとも、掠めただけで死は免れないだろう。


「《双爪レッド・タロンズ》」


 その黒天竜ブラックスカイドラゴンへ果敢に矢を射かけるセシル。

 瞬く間に放たれた二矢が、黒曜石のように光る鱗に突き刺さる。遮蔽となる木々をものともせず命中させた腕前は、見事の一言に尽きる。


 しかし、効果的かどうかは別の話。浅い。手傷は負わせたものの、逆に怒りをかき立てるだけに終わった。


「弓は、あんまり得意じゃないの……」

「んなこと言ってる場合じゃ――《ウォール・オブ・サンド》!」


 クルトが、急降下してくる黒天竜ブラックスカイドラゴンの鼻先に砂の壁を設置する。


 間に合った――と、歓喜したのも束の間。


 黒天竜ブラックスカイドラゴンは、クルトの目論見――あるいは希望――を外して壁に激突などせず、擦るようにして上昇。壁の上に着地した。


 予想外の機動性。

 だが、それに驚く贅沢は許されなかった。


「ゴオォオオオオンンンッッ!」


 続けざまに放たれた吐息(ブレス)攻撃。

 雷鳴にも似た轟音が響き渡ると同時に、クルトとセシルに固体化した衝撃波が直撃する。お互いをかばう暇などありはしない。


「うう……う……」

「あぐぁっ……」


 音波の吐息(ブレス)は、直接体の内部に浸透し『ネクスト・ウォーカーズ』の内臓を揺さぶった。その場で踏み止まるのが精一杯。

 クルトは、勝手に逆流してくる血と苦い液体を口の端から垂れ流し……。


 さらに、絶望的な光景を目にしていた。


 やはり、黒天竜ブラックスカイドラゴンには狭すぎたのだろう。《ウォール・オブ・サンド》から地上へ居場所をシフトし、その鋭い牙と強靱な爪を向ける。


 ――クルトへと。


「ああああっっっ」


 最初に感じたのは、痛みではなく熱。肩口から反対の脇腹にかけて、猛烈な熱さが駆け抜けていった。遅れて、痛みと衝撃。


 続けて、もう一発。斜め上から振り下ろされた鈎爪が、クルトの頭を抉った。


「ああああああああっっっっっっ」


 視界が真っ赤に染まった。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


 脳が痛みに埋め尽くされる。


 いっそ、意識を手放してしまいたい。それほどの痛み。


「クルトッ!」


 セシルの悲鳴が聞こえた。


 その瞬間、痛みに支配されていたクルトの心に別の感情が湧き出てくる。


 それは、恐怖だ。


 死ぬのは怖くない。そのこと自体は残念ではあるが、覚悟もしていた。


 このままでは、セシルまで死んでしまうかもしれない。クルトにとって、それが一番の恐怖だった。


 そんなクルトの耳朶を、ラーシアの冷静な声が打つ。


「ドラゴンの脅威はどこにあると思う? 強烈な吐息(ブレス)攻撃? 攻撃を弾く強靱な鱗? 無尽蔵とすら思える体力? 空を征く機動力? それとも、近づくだけで恐怖を感じる畏怖すべき存在感フライトフル・プレゼンス?」


 もちろん、それらも充分に恐ろしい。


 だが、最も警戒しなくてはならないのは――その膂力。


「攻撃をまともに食らったら、死ぬよ?」


 いっそ冷酷な、ラーシアの言葉。


 実際に死にかけているクルトの口の端が、わずかに上がる。笑うしかないし、こんなときでも笑う余裕があること自体が可笑しかった。


 ただ、ラーシアの言葉は冷酷なだけではない。

 その裏には、死んだら死んだで、ブルーワーズに戻ってアルシアに蘇生させてもらえばいいや――という思考が隠れていたのだが、クルトとセシルが知るはずもなかった。気にする余裕もないだろう。


 どうにかして、この窮状を脱しなければ。二人にあるのは、ただ、それだけ。


 こんな状況になっても、ラーシアに助けを求めようという思考は浮かばなかった。


 不器用で、愚直で。


「クルト、火で囲むの!」


 だが、セシルの指示は常軌を逸していた。朦朧とする意識の中で、クルトは思わず目をむいた。


「いいから!」

「くっ――《ウォール・オブ・フレイム》」


 視界は血に染まり意識も朦朧としていたが、いつも通り炎の壁が出現した。

 残っていた《ウォール・オブ・サンド》の一部も利用し、セシルと黒天竜ブラックスカイドラゴンを炎の壁で取り囲む。


 それで限界に達したクルトが、壁の外側で膝をついた。足下には、ぬるりとした血溜まり。すべて、クルトの血だ。よくこれだけ出血したものだと、変な感心をしてしまう。

 さらに、炎の壁が近いため、傷口が炎であぶられていくような感覚もあった。


 だが、それを気にする余裕などどこにもない。


魔法薬(ポーション)を……」


 飲まなくてはと思うが、体が動かなかった。

 いや、先に限界に達したのは意識のほうか。


 魔法薬(ポーション)が入ったポーチへ血塗れの手を伸ばし――しかし、そこへ達する前に、クルトの意識は闇へと落ちていった。


「わたしは、怒ってるの」


 その一方で、洞窟巨人(トロル)のように炎にあぶられながら、セシルの怒りは最高潮に達していた。この圧倒的に不利な状況で、それでも憤怒の表情を浮かべていた。

 

「《大地一掃クリアード・フロム・ランド》」


 弓を地面に落とし、双刃――ひとつは、ラーシアから借りた物――を引き抜きながら武技を発動させた。

 セシルのポニーテールにした赤い髪が揺れると同時に嵐のように刃が繰り出される。乱れ飛んだ湾曲鉈刀(ククリ)に切り刻まれた黒天竜ブラックスカイドラゴンが、炎の壁へと押しやられた。


 紫毒海月(パープル・ジェリー)を焼き殺したのと同じ戦術。


「ガッッアァァアアッッ」


 そこへまともに突っ込み、黒天竜ブラックスカイドラゴンが《ウォール・オブ・フレイム》に焼かれた。黒曜石のように黒く美しい鱗が、熱に耐えかね焼け焦げていく。


 だが、それで致命傷を負うほど柔ではない。

 復讐の炎を両眼に湛え、黒曜石の鱗を焼く痛みに耐える。


 そう。耐えられるだけの余裕が黒天竜ブラックスカイドラゴンにはあった。


 一人を戦闘不能に追い込み、もう一人も満身創痍だ。自爆するような戦術に付き合う必要などない。《ウォール・オブ・フレイム》で焼かれたのは業腹だが、抜け出すことはできる。ここから飛び立ち、また上空から急襲すれば、どうとでも料理できる。


 しかし、その黒天竜ブラックスカイドラゴンにとっては完璧な作戦は、セシルの一手により机上の空論へと変えられてしまった。


「逃がさないの」


 自ら押しやった黒天竜ブラックスカイドラゴンを追って炎の壁に隣接したセシルは、ためらう様子も見せずに炎の中に手を突っ込んだ。

 そして、翼の付け根をむんずと掴み、黒天竜ブラックスカイドラゴンをその場に押しとどめる。


 まともな……少なくとも、正気でできる行動ではない。神明裁判もかくやといった光景。


 事実、セシルは、怒りで頭が真っ白になっていた。


 怒りの対象は、もちろん、黒天竜ブラックスカイドラゴン――ではない。


 修業の一環とはいえ、相手の縄張りへ踏み込んだのはこちらだ。排除しようとしてきた黒天竜ブラックスカイドラゴンの行動は非難できるものではない。


 セシルの怒りは、自分自身へと向けられていた。クルトを守れなかった自らへの憤りに、文字通り身を焼かれている。


 つまり、これは完全に八つ当たりだ。


 武器はすべて地面に放り捨て、素手でドラゴンに組み付くセシル。その全身には、今までになく力がみなぎっていた。


(ちょっ、セシルなにやってんの!?)


 生き返らせればいい……などと考えつつ、その寸前で介入するつもりだったラーシアは、セシルの行動に度肝を抜かれていた。

 思い切りがいい娘だとは思っていたが、ここまで頭のねじが飛ぶ娘だとは思っていなかった。というか、炎の中でドラゴンに組み付くのを予想しろというほうがおかしい。


 ただでさえも炎の壁があるというのに、さらにその中で組み付かれては誤射の可能性が出てしまう。


 それでも、隙があったら黒天竜ブラックスカイドラゴンを撃ち抜こうと弓を引き絞り待機していると――あの時の視線を再び感じた。


(こっちは取り込み中だよ!)


 八つ当たり気味に、視線の発生源――遥か上空――へ矢を放った。いつもの習慣で、素早く六連射。それは木々の隙間を抜け高く高く飛んで消えていく。


 どうなったのかは、分からない。矢を放った瞬間に謎の視線も消えたので、確かめようもない。


 加えて、業を煮やした黒天竜ブラックスカイドラゴンが身をよじらせたため、気にする余裕もなくなった。


 黒天竜ブラックスカイドラゴンは大きく長い口をこれでもかと開き、口内が焼けただれるのも関係なく雷鳴のごとき吐息(ブレス)を放つ。


「ゴオォオオオオンンンッッ!」


 本来、ドラゴンの吐息(ブレス)攻撃は自由に何度も放てるものではない。どうしても補充まで時間がかかる。

 しかし、重傷を負った生命の危機により、即座に補充が完了した。これもまた、ドラゴンの特性のひとつ。


 つまり、セシルの行動はドラゴンを追い詰めることに成功したのだ。


 それで、強烈な反撃を受けることになったにせよ。


「うっ、うう……」


 再び吐息(ブレス)攻撃を受け、セシルは黒天竜ブラックスカイドラゴンを掴む腕を離してしまった。

 久々に炎の壁から姿を現したが、指と言わず、手と言わず。腕の半ばまで炭化している。それでも組み付き続けていられたのは、宿星(フェイト)による加護があったからか。


 それでも、明らかに限界は近い。

 足下は覚束ず、武器は地面に落としている。吐息(ブレス)攻撃に耐えられたこと自体、奇跡に近い。


 ただ、その瞳だけは爛々と闘志に輝いていた。


 それに恐れをなしたわけではないが、セシルという拘束状態から脱した黒天竜ブラックスカイドラゴンは、焦げ付いた翼を懸命に動かして戦場を離脱する。


 それはひとえに、突然現れた――黒天竜ブラックスカイドラゴンの主観では――ラーシアの存在にあった。

 虚空へ矢を放った他はなにもしていないが、まともにやり合えば勝てる相手ではない。逃げるのは業腹だが、死ぬつもりも毛頭なかった。


 そんな黒天竜ブラックスカイドラゴンの判断までは分からないが、セシルは呆然と飛び去った方角を見つめ――どさりと地面に倒れ込んだ。


 それを契機に、ラーシアが動き出す。


「クルト! セシル! 生きてるね!?」


 気絶したクルトから魔法薬(ポーション)を飲ませようとしたが、《ウォール・オブ・フレイム》に焼かれているセシルのほうが危ない。

 あっさりと方向転換をしたラーシアは、炎の壁をすり抜け(・・・・)無傷どころか煤ひとつ付けずにセシルの下へと駆け寄った。


 そして、彼女を引き摺り出そうとし……それには、炎の壁を通過させる必要があることに気付く。


「って、このまんまじゃダメじゃん。ええい、《破魔(ディスペル)》」


 呪文や、その効果、創造物を打ち消す第三階梯の理術呪文、《破魔(ディスペル)》。それを巻物(スクロール)から発動し、炎と砂の壁を同時に消し去った。


 炎の壁をすり抜けるのではなく、最初からこうすべきだった。ラーシアも、それなりに動転しているようだった。


 二人に魔法薬(ポーション)を――無理やりだが、何本も――飲ませ、外套(マント)や毛布をかけて回復を待つ。


「どうなって……」

「逃げられた……の」


 ほどなくして、クルトとセシルが意識を取り戻した。

 こんなシチュエーションでなければ、昼寝から目を醒ましたとしか思えない。ドラゴンに抉られた傷も、火傷も。最初からなにもなかったかのように綺麗になっていた。


 ただ、血塗れで壊れた服や焦げた鎧が激闘を雄弁に物語る。


「セシル、無事で……」

「クルト……」


 目を醒ました二人が、お互いの無事を確認し合う。


 しかし、喜びとはほど遠い。


 クルトは呆然とし、セシルは悔しそうに唇を噛む。


 今にも泣き出してしまいそうなセシル。

 クルトは、彼女へと手を伸ばし……しかし、その資格はないとでも思ったのか、抱き寄せることなく虚空に手を彷徨わす。


 慰めよりも、気分を変えること。


 それが自分にできることだと、クルトは無理やり笑顔を作って、ラーシアを見つめる。


「まさか、ドラゴンと戦うことになるとは……。というか、先生。なんで異世界から来たのにこういうのあっさり見つけちゃうんです?」

「成長すればクルトも分かるようになるよ」

「いや、それは……」

「お宝の在処が、直感的にね!」

「そういうことだったんですか!?」


 なにかそういう職能(パワー)……ではなく、理術呪文を使ったのかと、クルトは納得した。


 だが、事実は異なる。

 ラーシアは、呪文など使用していない。言うなれば、冒険者の勘というやつだ。長くやってると、そういうのってなんとなく分かるよ? と、いう程度の説明しかできない。


 そのため、ラーシアは話を変え、二人の状態を確認する。


「二人とも、体におかしいところはない?」

「大丈夫なの!」


 セシルが勢いよく立ち上がり、その場で思いきりジャンプをして問題ないとアピールする。

 動きに切れもあり、顔色も良い。強がりではなく、実際に元通りのようだ。


 クルトも、恐る恐る立ち上がると、肩や腰を回して丁寧に動きを確かめる。こちらも、問題ないようだった。


「それはなによりだ。今回は、ボロボロになったけど、よく頑張ったと思う」


 うんうんとうなずきながら、ラーシアは今回授業のポイントをまとめる。


「キミたち『ネクスト・ウォーカーズ』の弱点。それはずばり、空を飛ぶモンスターへの対抗手段が薄いことだったんだ」


 上空の敵への唯一の攻撃手段である弓は、決定打にならなかった。

 クルトの壁も、しっかりとした地面の上にしか設置できない。


 仲間に使徒の宿星者(アストレア)がいれば、回復をしてもらいつつ戦うことが可能だったろう。あるいは、智慧の宿星者(レサト)がいれば、遠距離の攻撃手段がもっと充実していたはずだ。


 しかし、どちらも存在しない。


 だから、地上に降りてきたところを逃さぬように、セシルがあんな無茶をしなくてはならなかった。そして、それでも足りずに、逃がすことになってしまった。


 二人が二人だけでやっていくつもりであれば、避けて通れない壁だった。それも、越えられなければ、死を覚悟しなくてはならない壁だ。


 実際に、今、死にかけた。


 そして、そんな経験は、この先、何度でもある。その一回目が、ラーシアの目が届く範囲だったことは、この上ない幸運だ。


「さて、教訓も得たことだしブラウ村へ――」

「先生」

「おししょーさん」


 修業は充分と切り上げようとしたところ、真剣で力のこもった声で制された。


 何事かと思って見上げてみれば、そこには神妙な顔つきをした生徒たちがいた。最悪、トラウマになることも覚悟していたというのに、二人の瞳に怯懦の色はない。


 やる気のある生徒はいいものだ。


 ラーシアの相貌に、鮫にも似た――それこそ、エグザイルのような――凶暴な笑みが浮かぶ。


「よし! じゃあ、次は、ドラゴンぶッ殺し講座だよ! いぇいっ!」

「分かったの」

「すぐ準備します」


 ラーシアのテンション高い宣言を受けて、堰を切ったように『ネクスト・ウォーカーズ』が動き出す。

 セシルは焼け焦げた革鎧(レザーアーマー)のまま、地面に落とした武器を回収。クルトは、鈎爪で斬り裂かれボロボロになった服を予備に着替える。


 そして、即座に出発した。


 殺すのなら、早いほうがいい。


「ドラゴン狩りをするなら、やっぱり巣穴を狙うのがベストだね。というか、そうしないと財宝を取りっぱぐれるからね」


 なんのためにドラゴンと戦うのか。

 それが、一発で分かる台詞とともに、森の下生えを踏み分けて奥へと進んでいく師弟。


 先頭は、ラーシアではなくセシル。黒天竜ブラックスカイドラゴンが逃げ出した方向は、しっかり憶えていた。

 そちらへ進むと、程なくして地面や木々に血が垂れているのを発見する。あとは、それをたどっていけばいい。


 重傷に追い込んだドラゴンを追って、巣穴を目指す。

 

 ユウトとリ・クトゥアへ行ったときも、そんなことがあったなとラーシアは懐かしく思い出していた。


「そもそも、ドラゴンは強力なモンスターだけど、必要以上に恐れる必要はないよ。殴れば死ぬからね」

「先生、講座のわりに大ざっぱすぎます」

「でもでも、実際に殴って追い返したのよ?」

「そうだったんだ……。でも、殴るのは必要条件でしかないのでは……」


 問題は、どうやってこちらの刃を届かせるかだ。


 それを議論し、レクチャーする余裕があるのは、縄張りの中に危険なモンスターが存在していないから。実に皮肉な話だった。


「まず、ドラゴンは飛ばせないこと。飛ばれると戦うのが面倒になるし、逃げられる可能性も出てくるからね」

「それがまず、僕たちには難しいんですけど……」


 実際に逃げられたので、ラーシアの言いたいことは分かる。それが実質的に、見逃されたという状況だったとしてもだ。


 しかし、『ネクスト・ウォーカーズ』には、空を飛ぶことはもちろん、ドラゴンを地面に叩き落とし、繋ぎ止める術も――少なくとも、今は――ない。


「簡単じゃないか。なら、飛ばれる前に決着をつけよう」

「というわけで巣穴に向かっているのね、おししょーさん」

「そういうこと。ドラゴンも、今は傷を治そうとしているところだろうからね」


 ドラゴンの巣穴は洞窟が一般的だ。

 それでも、自由に飛行できるスペースが存在する場合もあるが、巣穴からさらに逃げ出すことはありえない。


 そこには、命よりも大事な財宝が、山のように積み重ねられているのだから。


「でも、ドラゴンの巣穴なら罠もあるのでは?」


 不安そうにクルトが指摘した。

 ラーシアたちが、火砕竜(ブラストドラゴン)に支援呪文を無効化され全滅させられたというエピソードを憶えていたのだろう。


 だが、ラーシアは心配しすぎと否定する。


「油断しちゃ駄目だけど、あのぐらいの大きさなら大したものはないはずさ」


 一般的に、ドラゴンは年を経るほど成長し、理術呪文に精通し、悪辣になっていく。逆に言えば、まだ牛馬程度の大きさでしかない小型のドラゴンであれば、神経質になる必要もない。


「それにね、ドラゴンの巣穴には自分専用の裏口ってのがあるんだよ」

「なるほど! そこから入れば、変な罠はないって寸法ね!」

「いやそれって、飛べないと行き来できないのでは?」


 積極的なセシルと、慎重なクルト。

 足して割ればちょうどいい。


 だから、二人なのだろう。


 そんなことを考えながら、しばらく森の中を進んでいくと――


「あっ、なんか怪しい岩山なの」

「確かに、露骨に怪しい……」


 ――木々が切れた円形の空間に、セシルが言う通り垂直に切り立った茶褐色の岩山があった。クルトが指摘した通り、場違い……とまでは言わないが、曰くありげである。


「クルトとおししょーさんは、ここで待ってて。様子を見てくるのよ」

「……大丈夫?」


 心配と言うよりは不安そうに確認するクルト。しかし、隠密行動では足手まといにしかならない。


「気をつけてね」


 それを自覚しているクルトは、セシルを見送ることしかできない。だが、セシルにとっては、それで充分だった。


 身を屈めながら、周辺の木々で遮蔽を取りながら大回りに近づき、素早く岩山へと取りつく。慎重で、しかし足取りは弾んでいた。


「適材適所だね。これからも、こんなことはいくらでもあるよ?」

「でも……。はい、そうですね」


 心配だが、無理やり納得するといった風情のクルト。


 ユウトなど、ラーシアが先行して偵察するのが当たり前だと思ってるというのに、健気なことだ。ユウトも、これぐらい殊勝なら……と考え、ラーシアは途中で顔をしかめた。


 いや、嘘だ。そんなユウト、気持ち悪い。


 そうこうするうちに、行きと同じルートでセシルが戻ってくる。


「あっちに、入り口があったの」

「ありがとう。行ってみよう」

 

 案内に従って岩山へ近づくと、やや傾斜になった道の先にぽっかりとした空洞があった。その入り口は、あの黒天竜ブラックスカイドラゴンよりも二回りほど大きい。 


「念のため、逃げられないように、塞いだほうが……」

「うん。それがいいと思うよ」


 ラーシアに肯定され、安心したようにクルトが職能(パワー)を発動させる。


「《ウォール・オブ・サンド》」


 そして、何枚もの砂の壁が洞窟の入り口塞いだ。あの黒天竜ブラックスカイドラゴンであれば破壊も不可能ではないだろうが、足止めには充分。

 邪魔になれば、解除も可能だ。


「問題は、“裏口”がどこにあるかだけど……」

「あるとしたら、岩山の上だと思うの」

「そりゃそうだよね」


 どこか、登りやすい道はないか。


 垂直に切り立った茶褐色の岩山を観察するクルトの膝が、背後からかっくんと曲げられた。


「ほわっっ!?」


 そして、バランスを崩したところで襟首を掴まれる。


「セシィ!?」

「わ、わたしじゃないのよ?」

「じゃあ――」


 犯人の名を言うこともできず、クルトの体は上に引っ張られた。そのまま、ぐんっと加速する。


「ちょっ」


 目の前に、茶褐色の岩山が迫る。クルトが思わず目を閉じた瞬間、浮遊感に襲われた。


「おおおおおおっっっ」


 為す術なく運搬されているその姿は、遠目からは風にたなびく流れ旗のように見えた。しかし、本人からすると、そんな暢気なものではない。


 自らの意思に依らず命を他者に握られ、行動の自由はない。というより、ここで自由を与えられても、落下するだけ。

 宙に浮いていて、岩山で体がこすれそうになっている。


「もう、どうにでもなれぇっっえ」


 最終的に、クルトが到達したのは無だった……が、体感はともかく、実時間は大した長さではない。


「とうちゃーく!」

「僕、生きてる……?」


 だから、平たくなった岩山の頂上に降り立ったときには、自分の無事が信じられなかった。ドラゴンと相対したときよりも、ある意味で命の危機を感じていたのだから。


「ずるいの」


 そんな状況にもかかわらず、遅れて追いついてきたセシルに不満をぶつけれるクルト。これには、温厚なクルトも不機嫌にならざるを得ない。


「ずるいって言うなら、セシィもやってもらえばいいじゃないか」

「違うの。わたしがクルトを運びたかったのよ」

「絶対にダメ!」


 問答無用の拒絶に、セシルが唇に人差し指を当て、頬も膨らませて不満をアピールする。だが、クルトが受け入れることはない。

 文字通りの意味で命がかかっているのだから、必死だ。


「さて、いちゃいちゃする前に、“裏口”を探そうか」

「誰のせいですか、誰の」


 当然クルトが抗議するものの、それが通じるラーシアではない。本当に反省させたければ、少なくともリトナとアルシア。それに、エリザーベトが必要だ。


 クルトは早々に折れるしかなかった。


 そして、そのクルトも参加しての“裏口”探しが始まった。


「この穴から、ドラゴンが見えるの」


 しかし、今度も見つけたのはセシル。


「この娘には、野性的な勘でもあるのかなぁ」

「昔から、かくれんぼの天才だったんです」


 身長ほどの高さがある岩の上部分が穴になっており、そのすぐ下に黒天竜ブラックスカイドラゴンが眠っていた。

 貨幣を中心とした財宝をベッドにして。


 ただし、そこまでは軽く見積もっても10メートルはあった。


「ほうほう。こいつは、ビンゴだね」


 にやにやと笑いながら、「さあ、どう攻める?」と弟子たちに問う。


「どうって……」


 クルトは攻略法を考えるが、良いイメージが思い浮かばなかった。


 はっきり言ってしまえば、天井に穴が空いているようなものだ。ここから飛び下りるのは、無謀極まりない。

 かといって、矢を射かけても、《ウォール・オブ・ファイア》で囲んでも、とどめを刺せるとは思えなかった。


「この“裏口”を塞いで、表から攻めるべきじゃないですか? さっき塞いじゃいましたけど、解除は簡単にできますから」

「なるほど。セシルの意見は?」

「もちろん、ここから突っ込むの」

「いやいやいやいや」


 高さは10メートルはあるのだ。ロープを垂らして下りるにしても途中で気付かれたら終わりだし。


「クルト、わたしは矢なの」

「セシィ、いきなりなにを……」


 戸惑うクルトを真っ直ぐに見つめ、セシルは続ける。


「どんな獲物だろうと、飛んでいって仕留めるのよ。だけど、そのためには、誰かに。ううん、クルトに撃ってもらわないといけないの」


 どこまでも純粋で屈託のない瞳。


 それに、クルトは昔から逆らうことができなかった。


「……分かったよ。でも、無謀だと思ったら協力しないからね?」


 その言葉を聞き、セシルはぱぁと花が咲くような笑顔を浮かべ、クルトに抱きついた。


「ちょっ、セシィ……」


 少年の狼狽など気にかけず、セシルは抱きついたまま作戦を説明する。


「わたしが飛び込んだら、巣穴に壁を作ってほしいの」

「ああ……。なるほど、そういうこと……」


 いや、説明などという高等なものではなかった。それでも通じるのはさすがというべきか。蚊帳の外のラーシアは、気を利かせて席を外すなどということはしない。腕組みしてじっと見つめるだけだ。


「それで、戦闘が始まったら“裏口”の穴も塞いで」

「いや、それは……」

「大丈夫、念のためなの。弱ってるんだから、一撃で仕留めてくるのよ」

「……分かったよ」


 くっついていたセシルを――多大な努力を払って――引きはがし、クルトが了承した。


 あとは、実行あるのみだ。


「まあ、死んでも生き返らせたげるから気楽にやっといで」

「できれば、死ぬ前になんとかしていただけると大変ありがたいんですけど!」

「じゃあ、死なないように頑張ろう」


 正統な非難を正論でかわし、ラーシアはセシルの背中を押した。


「じゃあ、行ってくるのよ」

「心の準備もなし!?」


 ひらりと穴の縁に立ったセシルが、戸惑いなく巣穴へと身を躍らせた。


 クルトはセシルを慌てて追いかけ、腹這いの状態で遥か下。巣穴の中に、砂の壁を立てる。


「《ウォール・オブ・サンド》!」


 しかしそれはあまりに細長く、石柱のよう。

 だが、これも壁だ。ただ、細長いだけで壁だ。そもそも、砂なのだ。石柱であるはずがない。


 同じような壁を、少しずつ低くして用意し、即席の階段を作っていく。


「ナイスなのクルト」


 細長い砂の壁に着地したセシルは、立ち止まることなく次の壁、次の壁へと飛び移る。


「《蹂躙突撃ブラック・フューリーズ》」


 その途中で、氷柱巨象(アイシクルマンモス)との戦いでは、頭から抜け落ちていた武技を使用した。


「《ウォール・オブ・サンド》」


 そのタイミングで、クルトが砂の壁で“裏口”を塞ぐ。


 これで、完全に一騎打ち。


 しかし、セシルは、《蹂躙突撃ブラック・フューリーズ》の発動を忘れなかったことしか頭にない。


 きっと、クルトも褒めてくれるだろう。


 それを想像し、自然と相好が崩れる。まるで、待ち合わせ場所へと走る乙女のようだった。


 しかし、その先に待ち受けていたのは黒光りする、牛馬ほどの羽が生えたトカゲ。到底許せるものではない。


 《蹂躙突撃ブラック・フューリーズ》による加速は、黒天竜ブラックスカイドラゴンに気付かれることなく。そして、深い眠りで傷を癒すドラゴンへとたどり着いた。


「《急襲一刺(バックスタッブ)》」


 一番低い砂の壁から飛び移り、両手でラーシアから借りた湾曲鉈刀(ククリ)を振り上げる。


 狙い――急所は、黒天竜ブラックスカイドラゴンの瞳。


「グウウゥウ」


 不穏な気配を察し、黒天竜ブラックスカイドラゴンが目を開く。


 その視界を、鋭い刃を振りかぶった人間のメスが占拠する。


「やあああっっっ!」


 不意を突いた鋭い一撃に――


「《星撃(バッシュ)》」


 ――闘士の宿星(レグルス)からもたらされた破壊の一撃が加わった。


 まぶたと眼球の間にある薄い防護膜を貫き、柔らかな眼球に刃を突き立てる。


「ガアアアアッッッッッ」


 確かな手応え。


 だが、まだ致命傷には至らない。


「ギャアアアァァァンンンッッ!」


 悲鳴とも威嚇ともつかない声をあげ、黒天竜ブラックスカイドラゴンが真っ直ぐに飛んだ。“裏口”を目指して。


 だが、セシルが飛び込んだ“裏口”は、既に《ウォール・オブ・サンド》でふさがれている。

 鼻面から突っ込んだ黒天竜ブラックスカイドラゴンは、硬い砂に弾き返され、地面へと叩き付けられた。


 それでもなお、黒天竜ブラックスカイドラゴンは止まらない。


 今度は、“表口”目指して低空で飛び続ける。片眼と平衡感覚を失った、不安定な状態で。


 その頭の上で、セシルは翻弄され続けていた。


「のおおぉぉっっぉおおおっっ。でも、絶対に離さないの!」


 ラーシアから借り受けた湾曲鉈刀(ククリ)は、魔化はされていないが名工の手による逸品(マスターワーク)だったようだ。

 氷柱巨象(アイシクルマンモス)のときのように折れはせず、しっかりと目に食い込みセシルの体重を支えている。


 岩山を登ったときのクルトではないが、ドラゴンに突き刺さった流れ旗のようだった。


 それがまた、黒天竜ブラックスカイドラゴンをいらだたせる。痛みに屈辱に身をよじって地面へ体をぶつける。


「ちょっと、大人しくするのよ!」


 暴れ馬に翻弄されているというよりは、激流に飲まれていると表現したほうが適切か。


 暴走飛行するドラゴンが“表口”へとつながる通路に入り、瞬く間に終点へと到着する。クルトが《ウォール・オブ・サンド》で塞いだ終点に。


 黒天竜ブラックスカイドラゴンは苛立たしげに体を回転させ、胴体を砂の壁に衝突させた。


「オオオオオオゥゥゥゥゥ!」


 脱出したいのか、それとも、セシルを振り落としたいのか。あるいは、単純に、痛みで狂っているだけなのか。

 どれが正解かは分からないが、黒天竜ブラックスカイドラゴンの暴走はさらに激しくなる。


「いい加減に止めなの……《双爪レッド・タロンズ》!」


 瞳に刺さった湾曲鉈刀(ククリ)を無理矢理引き抜き、もう一方の瞳へ叩き付けるように素早く二度突き刺した。


「ガアァァァッァァッァッアアアアアアッッッ」


 それに合わせるかのように、黒天竜ブラックスカイドラゴンは再び砂の壁へと突っ込んで、ぶち破り、鼻先が洞窟の外へ出る。


 黒天竜ブラックスカイドラゴンが自由を取り戻した。あとは、その翼を空へ大きく羽ばたかせるだけ。


 そのはずなのに、そこで、動きが止まった。


「終わった……の……?」


 半信半疑といった様子で、セシルが湾曲鉈刀(ククリ)を引き抜く。


 それが引き金だったかのように、黒天竜ブラックスカイドラゴンの体が光に包まれる。


 それと、クルトの襟首を掴んだラーシアが岩山の頂上から下りてきたのは同時だった。


「おめでとう。たった今から、キミたちは竜殺し(ドラゴンスレイヤー)だ!」


 その宣言と同時に、万能触媒(レジデュアル)がごろりと転がった。

 小さな果実程度のサイズだが、『ネクスト・ウォーカーズ』にとって、初めての。そして、大きな大きな勲章だった。


「……死ぬかと思ったの」

「すごいよ、セシィ!」


 今度は、クルトがセシルに抱きついた。

 それを一歩も動くことなく受け止めたセシルは、満面の笑みでクルトを横抱き――いわゆる、お姫様抱っこ――にして、踊った。


「さっきのゾウと、このドラゴン。そして、キミたちの間には共通点がひとつある」


 そんな二人を祝福しつつ、ラーシアがいつもより引き締まった表情を浮かべて口を開いた。


「生きているものは、殺されれば死ぬ。その意味では、あいつらもキミたちも変わらないのさ」


 だから、臆することはない。


 そう笑って言って、ラーシアは修業を締めくくった。

黒天竜(小)「最後は残念な結果に終わりましたが、この作品で一番登場人物を追い詰めたドラゴンだと自負しています。是非、次は勝ちたいですね」


というわけで、このシリーズはあと2話以内で終わります。

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