番外編その5 歩いてたら異世界にたどり着いちゃったので、新米冒険者の師匠になりました その7
また一万文字越えちゃったの……。
「さっ、連れてきたよー」
雪が降り積もる山道。
そこを駆け下りてきた草原の種族が、雪山の中腹にある台地へ飛び下りた。一瞬の遅滞もなく再び駆け出したラーシアは、まだ幼い少年少女の横を通過しながら、後ろを指さす。
「さあ、打ち合わせ通りやってみよう!」
白い息を吐き出しながら言ったラーシアの様子は、雪遊びをしている子供のように見えたが……もちろん、違う。
ラーシアが指さした先には、長身痩躯の怪物がいた。
洞窟巨人。
ラーシアに比べると3倍近く大きい。弟子であるクルトやセシルと比較しても、倍はあるだろう。胴体は酷く痩せているが、対照的に手足は長く、筋肉が異常に発達している。
体の表面は、沸騰した水のようにでこぼこしており、ゴムのような弾力のある表皮は強靱。
悪食で、際限なく食べる。人里近くに洞窟巨人が棲み着いたなら、数日以内に全滅してしまうはずだ。
一人残さず、食い殺されて。
太陽の光を苦手とし、その名の通り洞窟を住処としている。規模は、多くても数名程度の小集団だ。
炎や酸にも弱い。しかし、それは炎や酸で焼かれない限り死ぬこともないという意味でもあった。
また、その巨躯にもかかわらず、動きは意外なほど俊敏。
さすがにラーシアには及ばないものの、引きずるほど長い腕というバランスの悪い体ながら、猛烈な勢いでこちらに迫っていた。
異形の巨人が迫ってくるのは、実際に体験してみると、想像以上の重圧だった。
思わずといった調子で、クルトが白い息とともに不満を吐き出す。
「先生! いったい、なにをやらかしたら、洞窟巨人をあんなに怒らせられるんですか!?」
「う~ん。ユウトに教えてもらった、パルティアンショットをやってみたら、超怒った」
パルティアンショットとは、弓騎兵が、敵との距離を一定に保ちながら攻撃する戦術である。徹底的に白兵戦を避け、追われれば逃げながら、相手が撤退すれば追撃をしながら矢を放つ。
ラーシアのためにあるような戦法だ。
洞窟巨人は大切な教材なので命中はさせなかったものの、だからこそ、怒りをかき立てるに充分。
「分からないけど、分かりました」
パルティアンショットと言われても理解できるはずがないクルトは、とりあえず、「ユウト」という人を恨むことにした。
ハーレムを作ったうえに、新人育成で奈落に放り込むなんて、とんでもない鬼畜に違いない。
理不尽だが、気持ちは分かる。よりによって、あの洞窟巨人と対峙する羽目になったのだから。
人を貪り喰らう、不死身の怪物。
それだけで恐怖を抱くに充分。そもそも、宿星者とはいえ、自分たちのような新米冒険者が相手をするようなモンスターではない。
下手をしたら、死にかねない。
いや、食い殺されかねない。
しかも、今回の授業でメインになるのは、クルトだった。
思わず、ぶるりと身を震わせた。
寒さもあるが、それだけではない。責任感と恐怖に押しつぶされそうになる。
「だいじょうぶよ、クルト」
そんなクルトに、セシルが声をかけた。
その声も表情も、いつになく真剣。
常に笑顔を浮かべていた口元はきゅっと引き締まり、厳しい視線で洞窟巨人を射抜いている。
「お師匠さんに言われた通り、やりましょう」
「――そうだね、セシィ」
セシルに諭され、クルトの頭がすっと冷えた。
そうだ。作戦通りやれば勝てる……かどうかは分からないが、相手に飲まれてなにもできないのでは、それ以前の問題。
パシンッと、両手で頬を叩いて気合いを入れる。
ここで挫けているようじゃ、セシルと一緒にいることなんかできないのだ。
「僕の準備はいいよ」
いつも通りのクルトの声を聞き――このときだけは、少しだけ嬉しそうに微笑んで――宿星者の少女が走り出す。防寒用の外套を翻り、弓を背負っているのが分かった。
革鎧を身につけたセシルが、洞窟巨人を迎え撃つ。雪肌を反射する光で、両手に構えた湾曲鉈刀が鈍い光を放った。
雪が降り積もる台地でも、セシルの動きは鈍ってはおらず、寒さの影響も感じられない。
雪自体が違うのかもしれないが、やはり、連星の宿星者は、とんでもない身体能力を誇っているようだ。
だが、ラーシアはそれに驚くことも感心することもなかった。
(う~ん。魔法具じゃないただの外套とか、久々に見るなぁ……)
いや、驚いてはいたが、その装備にだ。セシルが、これくらい動けることは分かっていた。当たり前のことに、感心する意味などない。
「ガアァアアアアッッ!」
威嚇するかのように、鈎爪を生やした五指を開いて両腕を振り上げる洞窟巨人。かすっただけで致命傷となりかねないが、セシルは怯まない。
怖くなどなかった。
お師匠――ラーシアに指摘されて気付いた、クルトが無条件で絶対に自分と一緒にいるわけではないという可能性。
それに比べたら、洞窟巨人など物の数ではない。
「《消失連撃》!」
右手に穿たれた、衛士の宿星。
手袋越しに刻印が浮き出て淡い光を放つと同時に、セシルは下段に構えていた湾曲鉈刀を跳ね上げた。
洞窟巨人も、両手を叩き付けたが――間に合わない。
「ガアァアアアアッッ!」
湾曲鉈刀に顔面を深々と切りつけられ、悲鳴ではなく、怒りの声を上げた。
しかし、これで終わりではない。
そのとき、セシルは既に洞窟巨人の正面にはいなかった。雪の上を転がって視界から消えると、即座に跳ね起きてバックブロー気味にもう一方の湾曲鉈刀を突き立てた。
怒りに真っ赤に燃えた洞窟巨人の瞳では、その動きを捉えることは不可能だった。
衛士の宿星がもたらす、第一階梯の武技《消失連撃》。
目潰しの一撃目と、そこから素早く移動して追撃を放つ、二段構えの武技。
「ヌォオオオオッッッッ!」
その衝撃で、洞窟巨人がばたりと雪肌に倒れ込んだ。
いつものように追い討ちをしかけ――ようとし、セシルはすんでのところで踏み止まる。そして、反対側へ飛び退った。
「クルト!」
「《ウォール・オブ・フレイム》」
洞窟巨人から離れたセシルの合図と同時に、待ち構えていたクルトが炎の壁を出現させた。
ただし、いつものように真っ直ぐにではなく、洞窟巨人を取り囲む――塀のように。
その周囲の雪が溶け、内側にいる洞窟巨人を焼く。ゴムのようなでこぼこの表皮がただれていくのが、炎越しにも見えた。
これは、壁としてクルトも納得できる使い方だった。「逃げられないよう、上に蓋できない?」などと言われていたら、また瞳から光が消えていたかもしれないが……。
とにかく、今まで、動く相手を壁に入れようとしていた自分が恥ずかしくなるほど簡単で効果的だ。
弱点である炎に包囲された洞窟巨人は、よろよろと立ち上がるのが精一杯。《消失連撃》による衝撃は思いの外深かったようだ。
「《ウォール・オブ・サンド》」
そこへさらに、炎の壁を砂の壁が取り巻いた。
恐らく、セシルが弱らせていなかったら、この《ウォール・オブ・サンド》が完成する前に突破されていたことだろう。それでも大きな損傷は与えられたはずだが、それだけで終わり。
しかし、二段構えの障壁となれば話は違ってくる。
「ガアァッァ、オォォオオンンッッッ!」
我慢をすれば抜けられた《ウォール・オブ・フレイム》の向こうには、頑強な《ウォール・オブ・サンド》。
それでも、洞窟巨人は諦めない。
あえて火中に飛び込みよじ登ろうとするが、表面の砂が崩れるだけで登攀は叶わなかった。いや、時間をかければ乗り越えられたかもしれないが、炎の壁がそれを許さない。
ならばと、そのまま砂の壁を叩き壊そうとするが、綻びは見せるものの、すぐに壊れるほど脆くもなかった。
死にたくない。いや、苦しみから逃れたいと、洞窟巨人は狂ったように叩き、叩き、必死に叩き続ける。
だが……。
――やがて、それも途絶えた。
雪山を沈黙が支配する。
「クルト、やったの!」
「うん。やったよ、セシィ!」
ぴったり一分後、喜びが爆発した。
ただのモンスター ――悪の相を持つ種族のため、万能触媒にはならない。そもそも、死体は燃え尽きているはずだ。
けれど、そんなことは関係ない。
セシルが一直線にクルトへと駆け寄り、新米冒険者たちは抱き合った。
(いやぁ、美しい光景だねぇ……)
それを、好々爺のような視線で眺めるラーシア。なんだかもう、これだけで満足してしまいそうだった。
ただ、光景の美しさとは別に、やはり、この地の環境は異常だ。
遠くでは、火口――いや、氷口か――から、雪や氷の塊が噴出している。この台地までは届かないが、氷口近くでは吹雪同然になっていることだろう。
その余波で、冷たい風が山頂付近から吹き下ろされる。
ここは、三人が初めて出会った森を抜けた先にある氷山。灼熱の溶岩ではなく、凍てつく氷雪が沸き立つ狂った山。
これも、源素の混沌に侵蝕を受けているがゆえの自然現象。
ラーシアの目には異常に映るが、北の辺境では当たり前の光景だった。
そのラーシアが、わずかに緊張する。
(ん? なんか、見られているよう……な?)
具体的な根拠があったわけでないが、ラーシアは直感的に周囲を――そうとは見えないように――観察した。
けれど、なんの気配も感じられなかった。
気のせいか、それとも、既に消え去ったのか。
(次あったら、きっちり追い詰めよう)
二度は許さないと獰猛な鮫のように笑い、ラーシアは生徒たちの下へ駆け寄る。
「よくやった!」
そして、二人を褒め称えた。
「クルト、セシル。キミたちに足りなかったのは、ずばり連携だ。支援――助け合いじゃない。連携だ。この意味は分かるね?」
「はい」
「たぶん……なの」
抱擁を解いた教え子たちの返答に、うんうんと、満足そうにラーシアはうなずく。大丈夫、セシルに関しては――あまり――高望みしていない。その分、クルトが考えればいいのだ。
「壁の可能性……。今なら、先生が言っていた意味が分かります」
実行してみれば、なぜ、こんな簡単で効果的なことをやらなかったのかと不思議なぐらい。
だがそれは簡単で、ラーシアの言う通り連携を意識していなかったから。二重の壁も、抜け出されたらそれで終わり。
その足りない一手をセシルに提供してもらうという視点が欠けていたのだ。
彼女のほうが優れているという劣等感で。
だが、それも、完全にではないが、払拭された。
充実感とともに、クルトは愚者の宿星の刻印が穿たれた右手をぎゅっと握る。寒さも気にならなかった。
紫毒海月を倒したときとも、また違う。あのときは、本当に《ウォール・オブ・フレイム》を置いただけだった。
でも、今回はもっと能動的に動いて戦果を上げた。
自分もやれるという自信と確信。
そして、誇らしさ。万能感にも似た、初めての感覚がクルトを包み込む。
「はい、調子に乗らなーい」
しかし、それも長くは続かない。続けさせてくれない。
「あいたぁっ。なにするんですか、先生……」
弓で――軽くだが――頭を叩いてきたラーシアへ、恨みがましい視線を向けるクルト。
「この程度で、満足しちゃダメだからね」
「あははー。クルト、怒られてるの」
「あ、そういえばセシルも、ダメなところがあったんだった」
雉も鳴かずば撃たれまい。
そのことわざの見本になったセシルが、頭を押さえつつラーシアを潤んだ瞳で見つめる。
いたずらをして、怒られる寸前の犬のようだ。
それにシンパシーを憶えたわけではないだろうが、さすがに、そんなセシルに追い打ちをかけることはできなかったようだ。
ラーシアが、弓をしまいながらセシルへ言う。
「なんで、攻撃したあと、なんにもしないでぼーっとしてたのさ。洞窟巨人が脱出してきたら、どうするつもりだったの?」
「クルトなら、そんなことにはならないのよ」
「クルトが好きなのは分かったけど、ちゃんと、万一のことを考えて動くこと」
「……はぁい」
不承不承なのは、自覚のある証拠。
それはいいが、注意してばかりでは生徒たちのやる気を殺いでしまう。
それに、セシルが「クルトが好き」という言葉を否定しなかったせいで、優秀なほうの生徒が挙動不審になっている。
「ま、逆に言うと、それしか言うべきところはなかったんだけどね」
「やったわ! やったわ、クルト! おししょーさんに、褒められたわよ!」
「……まあ、ぎりぎり合格ってところだと思うけどね」
セシルは喜色満面。クルトは平常心を保っているように見えたが、無意識にぎゅっと拳を握っている。
ラーシアは、そんな二人から視線を外して、氷雪を噴き出した山頂付近を面白そうに見ていた。
「ところで、二人とも」
「おししょーさん、なに? ご褒美くれるの?」
「ある意味、ご褒美かなぁ」
そう言ったラーシアが指さしたのは、遥か上空。
「ん?」
「……って、ええええ!?」
氷雪に紛れて、巨大な――それこそ10メートル以上はありそうな――塊が降ってきた。
ラーシアは悠然と。二人はあたふたと、落下点――まだ残っている炎と砂の壁――から距離を取る。
直後、ずどんっと、ほとんど固体化した重たい音を立て、台地へと降り立った。踏みつぶされて、《ウォール・オブ・フレイム》と《ウォール・オブ・サンド》が消滅する。
その震動だけで、飛び上がってしまうほど。同時に雪崩も起こったが、幸いにして小規模で、影響を被るほどではなかった。
「オオォオンンッッッッッ!」
長い鼻を振り回し、産声を上げるモンスター。
「まさか、今度はあれと……?」
恐る恐る。しかし、答えをほぼ確信した様子で、クルトが問うた。一縷の望みに賭けた仔羊の願いは、あっさりと裏切られる。
「次は大物とやらせるつもりだったし、ちょうどいいじゃん」
「ちょっと、大物過ぎなのだわ!」
氷柱巨象。
体高は、洞窟巨人の倍はあるだろう。四本の長い牙は、見るからに凶悪。長い毛の代わりに、氷柱が全身を覆っている。
氷の精霊皇子の眷属である氷柱巨象。
恐らくは、源素の混沌の影響だろう、矮小なる人間たちへ憎しみにも似た視線を向けていた。
「だけど、やるしかないのよ!」
セシルの決断は早かった。ラーシアへ泣き言など言わない。これが、新米とはいえ、辺境に生きる冒険者のメンタリティなのだろう。
理不尽は当たり前に降ってくる。それを嘆いても、諦めることはしない。
再び、湾曲鉈刀を抜き放って氷柱巨象へと突撃する。
考えなしの行動のように見えたが、今回は違う。
相手がこうも巨大なサイズでは壁で取り囲むことはできない。進路上に壁を配置しても、容易く突破されてしまうことだろう。
つまり、セシルが片を付けるしかないのだ。
それが分かっているから、クルトも止めない。
「オッ、オォオオンンッッッッッッ」
一人、巨象に立ち向かうセシルをあざ笑うかのように、氷柱巨象が咆哮する。体の大きさは比べるべくもなく、力も生命力もどちらが上かなど言うまでもない。
氷柱巨象の生きとし生けるものを憎む瞳が、憐憫と愉悦に歪んだ。
けれど、問題はない。
セシルは一人ではなく、もう、セシルの無事と活躍を祈っているだけのクルトではないのだから。
「オオォオンンッッッッッ!」
長い鼻を振り上げて、後ろ足だけで立ち上がる氷柱巨象。それだけで、大きさが何倍になったように見えた。
しかし、これはただの威嚇ではない。
着地すると同時に、全身を毛のように覆っていた氷柱が水平に立ち上がり、矢のように四方八方へと解き放たれた。
当然、正面のセシルへも。
「おおうっ」
あの巨体でありながら、近接戦をする必要がない。
これには、隠れ身で生徒たちや氷柱巨象の意識の外にいたラーシアも驚く……というよりは、感心する。
ひとつは、氷柱巨象の不可思議な生態に。
もうひとつは、まるで待ち構えていたようなクルトに。
「《瞬間造型》」
氷柱――いや、もはや氷の槍か――を発射した氷柱巨象と、突撃を続けるセシル。
両者の間を、刹那、炎の壁が遮った。
なおもセシルは止まらず、炎の壁へと突っ込んでいく。
その寸前、氷柱が炎の壁と衝突し、耳を塞ぎたくなるような轟音が響き渡った。氷柱と《ウォール・オブ・ファイア》はお互いに消滅し、蒸気だけが痕跡として残る。
だが、一瞬の防御には充分だった。
蒸気のスクリーンを駆け抜けたセシルは氷柱巨象へさらに近づき、クルトは続けて壁を作る。
「《ウォール・オブ・サンド》」
なぜか、氷柱巨象の横に。
不可解な行動に見えたが、セシルはいつも通りの満面の笑み。存在するのが当たり前といった風情で、セシルは砂の壁を駆け上っていった。
階段状になった《ウォール・オブ・サンド》を。
そう。階段ではなく、階段状だ。これは階段ではない。高さの異なる壁を並べただけなのだ。
その頂点に達したセシルが大きく空中へ飛び、体を大きく伸ばしてひねる。美しい放物線を描いて落下する途中、セシルは気付いた。
「こうして見ると、ちっちゃいの」
上から見れば、氷柱巨象も掴めるほどの大きさだ。
なら、倒せない道理はどこにもない。
クルトが聞いていたら、「その分、あっちからこっちは、もっと小さく見えるんだからね!」と大慌てで否定していたことだろう。
しかし、それをセシルが理解できるかどうかは疑問だったし、彼女の真実は決まった。
巨大だからと、敵わないことなんてひとつもない――と。
「《急襲一刺》」
落下しながら、抱影の宿星からもたらされる、第一階梯の武技を発動させる。死角からの不意打ちは、回避不能の一刺しだ。
それを、どこに突き立てるのか。
上空から、氷柱巨象を見下ろしながら、セシルは考える。
どこに突き刺せば、この“獲物”を仕留められるのか。
――眉間。
両目と鼻の付け根の間。そう、その位置がいい。
そこが、急所。そこが、弱点。そこが、一番ダメージを与えられる場所。
それが、分かった。
説明できるものではない。本能的なものだ。
そして、戦士の本能は絶対に信用できる。
「《星撃》」
その確信とともに、セシルは急降下しながら氷柱巨象の眉間へ湾曲鉈刀を突き立てた。
左手に穿たれた闘士の宿星の刻印が、手袋越しに浮かび上がる。
ぞぶりと分厚い外皮を裂き、生命を貫く感触が伝わってきた。
武器を通して破壊の霊気を送り込む、第一階梯の武技、《星撃》。
それは確かに効果を発し、氷柱巨象の眉間へ破壊の力が注ぎ込まれ、氷柱を纏った巨象が苦痛に悶え苦しむ。
「やったの!」
手応え充分。
セシルがこのまま止めを刺そうと、さらに深く傷を抉ろうとしたそのとき――
「……あれ?」
――湾曲鉈刀が根元からぽっきりと折れ、セシルがバランスを崩して宙に投げ出された。
しかも、運悪く荒れ狂って大きく跳ねていた氷柱巨象の鼻と激突してしまう。
「あぐぅ……ッッ」
いくら身体能力に優れたセシルでも、空中ではかわしようがない。
巨木のような鼻で地面に叩き付けられて、そのまま、雪肌を低くバウンドして転がっていく。
「セシィッッ!」
「ぐっぅぅうっ……」
氷柱巨象の側に落下して、踏みつけられるよりはましだった。
そんな慰めは、セシルの状態を見れば意味などない。
いつも快活な笑顔を浮かべていた相貌は苦痛に歪み、革鎧越しに腹を押さえてのたうち回っている。
口の端からは血が流れ、落下の際にかばったせいだろうか、片腕はあらぬ方向に曲がっていた。
(武器が折れるかもしれないってこと忘れてた……。ボクのミスだね)
魔化された武器は、基本的に折れず・曲がらず・刃こぼれもしない。すっかり、それに慣れきったラーシアの常識は、武器とは即ち壊れない物と変化してしまっていた。
頃合いだ。
そう判断したラーシアの手が矢筒へと伸び――途中で、止まった。
「《ウォール・オブ・サンド》」
クルトは、逃げ出しも、ラーシアへ助けを求めもしなかった。
毅然として――足を震わせながらも――氷柱巨象をにらみつけながら、セシルの周囲を砂の壁で取り囲んだ。
「こっちに来いよ、この……ええと……ゾウ!」
大切な幼なじみを守るための壁を築いたクルトが、氷柱巨象を挑発する。
まったく悪口になっていなかったが、効果はあった。
ドンッドンッと地響きを立てて、氷柱巨象が迫ってくる。直接その足で、その牙で始末を付けたほうがいいと判断した……わけではない。
急所を穿たれ狂乱状態になった氷柱巨象の瞳からは、理性が完全に失われていた。
目に付いたモノを破壊する。その衝動に突き動かされていた。
雪庇が崩壊し、遠くから雪崩が起きたような音が聞こえてくる。
そんな中で、クルトは恥も外聞もなく後ろを向いて走り出した――いや、逃げ出した。
距離があるためすぐに追いつかれることはないが、背後から聞こえてくる足音と足から伝わってくる震動を感じながらの逃走は肉体以上に精神に来る。
「《ウォール・オブ・フレイム》」
時折、壁を出現させて足止めを狙ってはいるが、足止めにもならない。
一応、ダメージは与えているようだが、狂乱状態に近い氷柱巨象へどの程度痛撃を与えているのか分からない。
「はぁっ、くそっ、こんなところで……」
この寒さだというのに汗だくで、足も上がらず、息も絶え絶え。怪我はしていないのに、満身創痍。足を止めれば、待っているのは死だけ。
その重圧に背中を押されながら、クルトは雪山の台地を必死に走った。絶対にセシルへ目を向けさせないように注意をして。
走って。
走って。
走り回って。
「はぁはぁはぁ……」
ついに、行き止まりへ追い込まれてしまった。
いや、追い込まれなくても同じことだったかもしれない。
「もう、無理……」
気力と体力の限界に達し、雪の上にへたれこんでしまうクルト。
単星といえども、宿星者。
人並み以上の体力はあるはずだが、重圧のかかる状態での全力疾走は並大抵のものではない。
それに――
「《双爪》」
――ようやく、相棒が復活してくれたのだ。
安心して腰が抜けても、仕方がない。
「オォオッッッンンンンンッッッッッ!」
背後から弓で射抜かれ――しかも、二発も――氷柱巨象が雄叫びを上げ体の向きを変える。
その狂乱した瞳の先には、泥だらけになりながらも凛とした赤い髪の少女がいた。
魔法薬を飲んで復活し、砂の壁の上から矢を射かけるセシル。
「これで終わり……なのっ!」
再び、《双爪》――衛士の宿星の第一階梯の武技――の加護で、続けざまに矢を二発放つセシル。
それは過たず、眉間に刺さったままだった湾曲鉈刀と同じ場所に突き刺さった。眉間を中心にひび割れ、ひびが広がっていく。
「オオオオオオッッンンンンンンッッッッッ」
遠く、遠く。どこまでも響いていく咆哮。
それが終わりの合図。
不意に、氷柱巨象が動きを止める。
ひび割れが淡い光を放ち、巨体が徐々に崩壊していき――最後には、万能触媒へと姿を変えた。
「やった……」
「今度こそ、本当にやったの……」
クルトとセシル。
二人がつかみ取った勝利だった。
「はぁ……。ほんと良かった」
その勝利を見届けたラーシアが、どこからともなく姿を現した。
いつもはマイペースな草原の種族も、このときばかりは安心した様子を隠そうともしていない。
「よくやった! 怪我は平気?」
「うん。魔法薬飲んだから平気なの」
「そっか。その分は、ボクの魔法薬で補填しよう」
「それよりも、なにかご褒美が欲しいのよ、おししょーさん」
「そだね。ボクの万能触媒で、なにか買ってプレゼントしよう」
言ってはみたものの本当にもらえるとは思ってもいなかったのだろう。セシルが目をぱちくりさせて驚きを露わにする。
いつもは遠慮がちなクルトも、疲労困憊でなにも言わない。
そんな生徒たちを誇らしげに見ていたラーシアが、ふと思いついたように口を開く。
「そうだ。せっかくだから、二人に名前を付けよう」
「名前?」
「うん。二人でやっていくんなら、パーティの名前があったほうがいいでしょ」
ヴァイナマリネンたち百層迷宮を突破した英雄たちは、パス・ファインダーズ。王国最大の冒険者集団にはハックマスターズ。
必ず付けなければならないわけではないが、有名な冒険者集団には名前が付いている。
ちなみに、ヴァルトルーデたちに関しては、「なんか、わざわざ名乗るのも、自意識過剰っぽくて恥ずかしくないか?」というユウトの意見が尊重され、特に名乗っていない。
これは、彼らの活動が〝虚無の帳〟に対してのものがメインで、広く知られてはいなかったこと。
黒妖の城郭を破壊し、活躍が知られるようになった頃には叙爵されていたという事情もある。
「そ、そんな。おししょーさん、無理……じゃなくて畏れ多いのよ」
「そ、そうですよ。いらな……じゃない、僕たちなんかまだまだで」
顔を見合わせ、それで意思疎通をしたかのように同時に声をあげる。
露骨に、不安そうな二人。
もちろん、ラーシアがそんな空気を読むはずがなかった。空気を読めと懇願されたら、逆に、あえて読まないタイプだ。
「そうだね……。『ネクスト・ウォーカーズ』というのは、どうだい?」
そのパーティ名を聞き、どちらともなく、ほっと息を吐く。
なんとなく、ちなんでいるところは気にかかったが、思っていたよりも――あるいは、覚悟していたよりも――ずっとまともなネーミングだった。
これは、望外の喜びと表現していいだろう。
「なんで、二人とも緊張してたのかな?」
「だって……」
「それは……」
そもそも、“ホライゾンウォーカー”師匠に名前を付けられると知って、喜ぶほうがおかしいのではないか。
その正論は、しかし、セシルですら口にすることはできない。
「よーし。今回のテストは合格。次は、ネクスト・ウォーカーズの弱点を攻めてくからね!」
雪山にもかかわらず、ラーシアは、とても生き生きとしていた。
そういえば、友人がホライゾンウォーカー師匠に素敵な愛称を付けてくれました。
これからは、『ホラ師匠』って呼んであげてください。