番外編その2 大人になっても
活動報告やツイッターでお伝えしていましたが、4万ポイント&3000万PV突破していました。
そのお礼というわけではありませんが、番外編を更新します。
時系列的には、アカネとの結婚式から少し経ってから。
予告していましたヨナとレンの体が成長してしまった話ですが……2万文字越えてしまいました。
どうしてこうなった。
「ゆゆしき事態が起こっている」
ロートシルト王国の南方、イスタス侯爵領の都ファルヴ。
急速な発展を遂げる都市の片隅でひっそりと営業する『レンの魔法薬店』で、アルビノの少女が問題を提起した。
「えっと……。なんの……こと……?」
深刻そのものといった声と表情だったが、店主であるハーフエルフの少女には危機感が伝わらなかったようだ。
カウンターの向こうで、なにか問題があったのだろうかと、可愛らしく首を傾げる。それと同時に全身を包み込むような長く艶やかな金髪が揺れ、木の葉型の耳がまろび出た。
まさに、純真無垢を体現しているかのような反応だった。
「センパイたちに、なにかありましたか?」
魔法薬店の店員にして、店主のレンに弟子入りした異世界から来た少女。秦野真名が、相棒であるマキナを小脇に抱えながら聞いた。
完全に、騒動の中心はセンパイ――大魔術師にしてイスタス侯爵領を差配するユウト・アマクサだと断定している。
根拠はない。
だが、それは概ね真実でもあった。
「教授が早々下手を打つとは思えませんが……あっ、そういうことですか」
「マキナ、なにか気づいたの?」
「ええ。簡単な話です」
知識神と死と魔術の女神により生を受けたマキナが、主人の問いを肯定した。AIに相当する――しかも、かなり高度な――存在にもかかわらず、人間の機微にも長けている。
タブレットのスピーカーから聞こえる声は人工音声のはずだが、どこか得意げだった。
「教授と女騎士は新婚ですね」
マキナが教授と呼ぶユウトと、女騎士――これは、実際に叙任されてる――と呼ばれるアカネ。
二人の結婚式が執り行われたのは、ほんの数週間前のこと。ユウトにとっては三回目ではあるが、新婚といって差し支えない。
「まさか、お二人が喧嘩を?」
それこそあり得ないのではないかと、真名は否定する。根拠はないが、今になってあの二人が仲違い――それも、ヨナの言葉が真実であれば「ゆゆしき事態」――など考えられない。
ヴァルトルーデやアルシアも含め、真名には彼女たちの関係が良好に見えていた。
「いいえ、逆です」
「逆?」
「やることをやって……いえ、やり過ぎているのでしょう。それで、声でも漏れて――」
板が飛んだ。
否、真名がマキナを投げたのだ。
ガンッと硬い物がぶつかる音が響き渡り、タブレットが隣室に転がる。
レンは驚きで目を一杯に見開き、言葉も出ない。
「ご主人様!? なにをするのですか!?」
「お仕置きです」
「いくら戦闘用といっても、液晶の強度は……」
「大丈夫です。ちゃんと保護カバーを貼ってありますから」
「過信しすぎです!」
店舗スペースからつながる、レンと真名のプライベートスペースへと投げ捨てられたマキナ。それと言い争いをする真名。
ヨナとレンへの教育的配慮が行きすぎた結果であるが、当の少女たちはぽかんとそれを眺めていることしかできない。
「軽い冗談ではないですか……」
「反省しなさい」
結局、マキナは別室で放置されることになった。
「話の腰を折って申し訳ありませんでした」
隣室への扉を勢いよく閉じた真名の発言で、話が再開する。
なにがあったのかと、聞けるような雰囲気ではない。
とはいえ、それを気にするようなアルビノの少女ではない。
「ユウトの相手が増えすぎている」
それを受けて、何事もなかったかのように、ヨナがいつも通りの平坦な声で言った。
ユウトがアカネと正式に結婚することで一段落……かと思いきや、それを待っていたかのようにカグラたちのアプローチも始まったのだ。
もちろん彼女たちなりのであり、まずは距離を縮める段階という迂遠な段階ではあるが……。
ヨナとしては、それを座視しては将来に禍根を残すと言いたいらしい。
「急がば回れ。千里の道も一歩から」
しかし、その主張を受けたレンと真名の反応は鈍かった。
「ヨナちゃん……。それを私たちに言われても困る……よ……?」
無関心ではいられないが、積極的に関与もできない。
そんな心情で、レンがあたふたと否定する。
「それは確かに……」
所属する賢哲会議にユウトの愛人であると偽ってブルーワーズへ来ている真名も同様だ。
恋愛は自由……とまでは思い切れないが、ユウトが拒んでいないのであれば、どうすることもできない。
しかし、ヨナもそれは理解している。なにより、カグラたちを排除したいとか、そういう話でもない。
「協力してほしい」
「なんの……?」
「ユウトに、アピールする」
「協力はやぶさかではないですが……」
真名の懸念も、もっともだ。
既に三人と婚姻関係を結んでいるユウト。それだけならば、いかにも好色に思えるが、相手はヴァルトルーデをはじめとしていずれも妙齢の美女。若いというよりは幼いヨナが、ユウトの守備範囲外なのは明らかだ。
「分かっている。だから、大人になる魔法薬を作りたい」
普段よりも真剣な表情で、ヨナは自らの希望を口にした。
こうして、ヨナに押しきられるように開始されたプロジェクト。
しかし、その開発は――当初から懸念されていたとおり――難航を極めた。
「でも……そんな呪文……ない……よ?」
すべては、レンのこの一言に集約される。
少なくとも、レンが知る限り魔法薬として加工可能な第三階梯以下の理術呪文に人間の成長を促すような呪文は存在しなかった。
似た効果を持つ呪文として体のサイズを巨大化させる呪文は存在するが、レンが求める成長――あるいは老化――するようなものではない。
また、変身系統の呪文は、種族そのものを変更するので、これも条件に合わない。幻術で姿を変える手段もあるが、これも不適切。
単にユウトを誘惑するだけであれば、他にアプローチはあった。
だが、ヨナの言う「大人になる」とはつまり、「将来こんな美人になるのに、ないがしろにしすぎではないか」と、ユウトへのアピールするのが目的なのだ。
ともあれ、既存の呪文に存在しないのであれば、魔法薬作製も不可能。
それでも、三人は試行錯誤を続けた。
ヨナが思いがけない熱意を発揮したというのもあるし、この程度の困難は最初から織り込み済みだったというのもあるだろう。
なにしろ、既存の呪文でどうにかなるのであれば、わざわざ魔法薬を作製する必要もない。ヴァイナマリネンに頼めば、喜んで――本当に大喜びで――都合を付けてくれるのだから。
当初はあまり乗り気ではなかったレンも、ヨナが協力することで魔法薬と超能力の融合という思わぬテーマに遭遇することとなり、俄然意欲的に取り組むようになった。
一方、真名は助手というよりは雑用。より正確に表現するならば、傍観者になってしまっていた。
二人の研究には修業を始めたばかりの真名ではついていけないし、そもそも大人になる魔法薬自体に興味を抱けなかったというのもある。
それでも二人に付き合っているのは、その熱意にほだされたからだろう。もちろん、無茶をしないようにという監視の意味もあるが。
(それに、センパイは一度どれだけ愛されているか知るべきですね)
別にユウトが薄情だと思っているわけではない。逆に、今のヨナの求愛にほだされるようなことになったら、軽蔑するだろう。
それでも、ヨナ――あるいはレンも――が不眠不休で頑張るほど愛されているという自覚もないに違いない。
その辺り、相手が子供だと思って軽んじているのではないか。
そもそも、もの凄く愛されているという自覚がないから、敵――ヴェルガ――に囚われるのである。まさに、ゆゆしき問題だ。
二人の研究に付き合うことで、真名にも義憤めいたものが芽生えていたのだった。
参加者が皆、徐々に正気を失いかけていったことを示す証左であろう。
「名目上愛人であるご主人様が言っても、あまり説得力がないように思えますが」
「それはそれ、これはこれです」
心に棚を作った真名が、おやつを持って作業場へと足を踏み入れる。
この日も、学校が終わってから真っ直ぐ魔法薬店を訪れたヨナとレンが作業中だった。開発も佳境に入っているらしく、休憩を取るのも忘れているようなのだ。
「そろそろ休憩に――」
その瞬間、爆発音とともに白い煙が室内を覆い尽くした。
「……またですか」
けれど、真名は動じない。爆発に煙に震動。すべて、この一ヶ月間に経験済みだ。慌てず騒がず、おやつを載せたトレイを机上に置いて換気を行う。
「……やった」
「……成功……だね……」
煙が晴れると、ふたつの人影が露わになる。
ただし、真名の記憶にあるより、それはずっと大きい。
「やはり、超能力で変質させるという方向性に誤りはなかった」
煙の中から現れ、淡々と勝因を語る白皙の美少女。
状況を忘れ、しばし見とれる。
同性である真名が息を飲むぐらい、その相貌は美しかった。
その日も、ユウトは執務室で仕事をしていた。
アカネとの結婚式から二ヶ月弱。ヴァルトルーデやアルシアのときもそうだったように、彼の仕事量に変化は訪れなかった。
新婚なのだから仕事量を減らせば……というのは至極もっともな意見ではあるが、世の中にはできることとできないことがある。
なにしろ、最近は通常業務のほかに、ヴェルガ帝国討伐を見据えた業務まであるのだから。これは、各所との調整や折衝が必要で、ユウトにしかできない仕事だ。
一方、忙しいという意味ではアカネも同じだった。
ヴェルミリオや演劇関連など、様々な仕事を抱えている。それも、アカネにしかできない仕事を。
それでも、夜には自由時間を確保できている。ヴァルトルーデやアルシアも含め、夫婦間のコミュニケーションは問題なかった。
大過なく日常を過ごしていると言っても過言ではないだろう。
今、この瞬間までは。
「ユウト!」
「ん? 誰だ?」
背後から突然声がしても、そのこと自体にユウトが動じることはなかった。ヨナが《テレポーテーション》で部屋に入ってくるのは、珍しくもないのだ。
ゆえに、違和感を抱いたのは、聞き覚えのある。だが、記憶にあるそれとは微妙に異なる声。
その違和感が気になりつつも、ユウトは身構えることを優先した。いつものパターンなら、このあとはヨナが飛び込んでくる。
気を抜いていたら、共倒れになってしまう。
しかし、今日は相手が違った。
「うあぁっ」
想定していたよりも、大きく、重たく。そして、柔らかな感触。
突然それにのしかかられ、ユウトはバランスを崩した。椅子が軋みを上げ、傾いていく。
横転。
(なんだ? なにが起こってる?)
内心ではらしからぬ狼狽を見せながらも、ユウトは無意識に相手へ腕を回し、きつく抱き寄せて衝撃に備える。
「くっ」
強かに背中を床に打ち付け、息が漏れた。
少し遅れて、上からも衝撃が来る。内臓が圧迫されるが、しかし、かばうことには成功したようだと安堵が先に出た。
それは良い。それは良いのだが、かばった相手が問題だ。
「……ヨナ、だよな?」
「もちろん」
ユウトを押し倒した美少女が、あどけない笑顔を浮かべて肯定した。
確かに、その笑顔にはアルビノの少女の面影があった。白い髪も肌も赤い瞳もヨナのものだ。
しかし、それ以外の何も彼もが変わっていた。
幼く愛らしかった顔立ちは、すっかり成長した大人の色香を放っている。高い鼻筋に、すっきりとした鼻梁。眠そうだった目はぱっちりと開き、赤い瞳が宝石にも負けない輝きを放っている。
端整で、非の打ち所がない造型。街ですれ違ったなら、絶対に振り返らずにはいられない。
思わず抱き寄せた肢体は、細いが抱き心地は悪くない。
ユウトの足を挟んでいるヨナの成長したふとももは、やはり細いのだがむっちりとした感触を無造作に与えている。
なにより最も変わっているのは――ユウトはまだ意識していないが――遠慮なく押しつけている双球だ。
真っ平らで膨らみなどまったく見られなかったそこが、ヴァルトルーデは当然比べるまでもなく。あのアカネさえも超え、アルシアをも凌駕するほど成長していた。
張りがあり、それでいて人体の一部とは思えないほど柔らかい。一種の芸術品と評しても構わないだろう。
ユウトは知らないことだが、かつてヨナは「十年でアルシアを超える」と宣言していた。
いみじくも、それを果たしたことになる。
「どう?」
ユウトの肩に手を置いて体を離しながら、得意げな――そこだけは子供の頃の面影がある――表情で聞くヨナ。ちょうど、馬乗りになった格好だ。
その声につられ、ユウトはヨナへと視線を移動させ――すぐに逸らした。ただ外しただけではない。顔を横に背け、ぎゅっと目をつぶるほど徹底している。
「重たいからどいてくれ……」
「失礼」
「いやいやいや。それ以前に、自分の姿分かってるのか?」
押し倒され顔を背けたままのユウトを、ヨナは不思議そうに首を傾げる。
見えずとも、その空気は伝わったのだろう。ユウトの胸中を絶望が支配する。
(中身は変わってねえ)
どうやってまでかは分からないが、大人の体に成長したようだ。そこまでは、理解できた。
だからなのだろう。アルシアが見たら感涙にむせぶほど立派に育った体を、サイズの合わない服に押し包んで平然としているのは。
ユウトは、ほんの一瞬だけ見てしまったが、端的に言って衣服としての用を為していなかった。
足はほとんどむき出しで、胸は大きくせり出して隠し切れていない。端的に言って、そんじょそこらの水着よりも大胆な格好。
いろいろな意味で、「マズイ」状態だ。
「とりあえず、着替えろ。話はそれからだ」
「そう言われてみると、きつい」
「言われる前に気づいてほしかったなぁ」
そう、遅かった。
何も彼もが、遅すぎた。
「ヨナ!?」
「ヨナちゃん!? ああ、やっぱり!」
乱暴に執務室の扉が開かれ、押っ取り刀で駆けつけたアルシアとアカネが部屋に入ってくる。
(ああ……。なんと説明すれば良いのか)
謎の美女と化したヨナに押し倒されているユウト。
どんな言い訳をしても無駄な状態。
大魔術師の胸を、絶望が支配する。かつて、どんな強敵――神を相手にしても――抱かなかった感情だ。
「ヨナ、まずはこれを羽織りなさい」
「勇人、大丈夫!? まだ、押し倒されただけね?」
あに図らんや、まったく非難を受けることなく、逆に心配されるユウト。
まるで、ユウトが被害者――とらわれのお姫様――であるかのような扱い。
「それはそれで、納得いかねえ」
そんな抗議の声は、残念ながら、誰の耳にも心にも届かなかった。
ユウトに馬乗りになっていたヨナが、アルシアの手により連行されてから三十分。
執務室に、いつものメンバーに加えて当事者が全員そろっていた。
「センパイ、申し訳ありませんでした……」
「まさか、レンまで……」
まず真名が頭を下げたが、謝罪の言葉はユウトの意識を通り抜けていく。
それほどまでに、成長したハーフエルフの少女の姿は衝撃的で、魅力的でもあった。
大急ぎで用意した服は、なんの変哲もない若草色のワンピース。だが、美しく成長した今でも、全身を包む込むほど長い金色の髪の前には、どんな衣装も霞んで見える。
身長はユウトよりも頭ひとつ分低いが、手足はすらりと長く抱きしめれば折れてしまいそうなほど華奢。現実感が乏しいとすら感じられるスタイルの良さが、妖精らしさを際立たせていた。
しかし、妖精といっても、意味合いは今までとは異なる。
従来がフェアリーのような愛らしさを讃えるものだったとすると、今のレンは妖精女王のように神秘的なまでに美しい。
人間とは、根本的に種族が違う。
そんな当たり前の事実を正面から突きつけられた格好だ。
しかし、美しさに感銘を受けてばかりではいられない。厄介な問題が存在していた。
「これは、師匠にどう説明したものか……」
執務机に頬杖をついていたユウトが、思わずといった調子で心配事を口にする。
ユウトの理術呪文の師にして、レンの父親であるテルティオーネ。
娘への態度は一見冷淡のようであるが、溺愛しているのは――少なくともこの場にいる全員にとっては――明らかだ。
良くも悪くも、どんな反応を見せるのか。予想ができない。
「お兄ちゃん、ごめん……ね……」
思わず考え込んでしまったユウトへ、レンが申し訳なさそうに。そして、泣きそうな声で謝った。
「いや、レンは悪くないから」
「そう。ユウトが、悪い」
ユウトを押し倒した直後、アルシアとアカネに連行されたヨナは、アルシアの服を着せられていた。
アカネであれば喜んで着せ替え人形にしそうなところなのに、地味な服装をさせているのは、なぜか。
それは極めて簡単な単純で、ヴァルトルーデは当然。アカネの服でさえも、今のヨナにはサイズが合わなかったのだ。
では、アルシアであれば問題がなかったかというと、そういうわけではない。
「お腹のところは余裕があるけど、胸がきつい」
「……お約束とはいえ、あたしの服でそれを言われてたら即死だったわ。ヘルメットがあっても」
「ヘルメットは分からないけど、実に複雑な話ね……」
幸いにして、そんな事情を知らないユウトは、責任転嫁してくるヨナをにらみつける。
「ヨナは、少しは反省しろ」
「うー。レンにだけ甘い」
美しく育ったヨナが、その外見に反して子供のように拗ねながらユウトにしなだれかかる。いや、アルビノの少女としては、軽く抗議をしているだけなのだろう。甘えているだけとも言える。
しかし、今のヨナがそうしていると、誘っているようにしか見えなかった。
容姿はまったく異なるが、どことなくヴェルガを思い起こさせる。
「離れなさい」
「いや」
押し問答を始めるユウトとヨナ。
それを横目に、ヴァルトルーデが口を開く。
「それで、なにがどうしてこうなったのだ?」
反応するのも大人げないが、心穏やかではいられない。
身重のヴァルトルーデが、今のヨナでも及ばぬ美貌を微妙に曇らせ話を本筋に戻そうとした。
「そうだな」
真っ先に賛成したのは、エグザイル。
しかし、それ以上はなにも言わない。
床にどっしりと座ったエグザイルは我関せず……とまではいかないが、成り行きを見守るつもりのようだ。ラーシアも同じだが、それは黙っているほうが面白くなりそうだからだろう。
頼りにならないが、ぶれないので対処はしやすい。
そんな親友たちのことは意識から外し、ユウトは、この場で最も中立的と思われる真名に、事情の説明を求める。
加えて言えば、無防備に抱きつこうとするヨナを振り払うのに忙しかったのだ。
「……真名、頼む」
「分かりました。でも、複雑な経緯はありませんよ」
マキナからの補足も交えつつ、真名が説明を始めた。
ユウトを振り向かすため、「大人になる魔法薬」を開発し、成功したこと。
その直後、ヨナが《テレポーテーション》で姿を消したこと。
行き先は告げなかったが、ユウトの下であろうと直感し、アカネへ《伝言》の呪文で警告をしたこと。
「なぜ、ユウトに《伝言》を送らなかったのだ?」
「間に合わないと思ったので」
「それもそうか」
質問を口にしたヴァルトルーデが、納得してうなずいた。
「警告を受けても、ボクは同じことになったと思うな」
「そうだな。オレも賭けるなら、そっちにする」
ユウトとしては実に納得のいかない話だったが、どこからも抗議は上がらず淀みなく説明が続く。
といっても、語るべきことはもうほとんどない。
「あとは、師匠の服を慌てて用意して駆けつけただけです。すべては、遅きに失したわけですが」
「大人になる……いや、成長する魔法薬か」
話を聞き終えたユウトが、腕組みをして考え込んだ。
端的に言ってしまえば、それは老化する呪文だ。成長と老化は、現象としては同じなのだから。
しかし、ユウトもどんな呪文でそれを可能にしたのか見当もつかなかった。
改良される以前は、《加速》という呪文の副作用で加齢が起こっていたらしいが、当然ながら無関係だろう。
あとは、呪いの一種とも考えられるが、メリットだけ享受できるようにコントロールできるとは思えない。
「そいつは凄いな。どうやったんだ」
純粋な興味でヨナに聞いたが、アルビノの少女は良い顔をしない。端麗な相貌を不満げに膨らませ、唇を突き出す。
それで、なにを求められているのか分かった。
(催促されてからだと嘘くさくなるけど……)
そうは思いつつも、ユウトは率直な感想を口にする。
「いや、うん。ヨナもレンも綺麗になるんだな。びっくりした」
「お兄……ちゃん……」
「結婚したくなった?」
恥じらうレンに対し、ぐぐっと食いつくヨナ。
空気を読んだ末の発言だが、綺麗という言葉に嘘はない。それがヨナにも伝わったのか、胸を押しつけるようにしてユウトへ近づいていく。自然と、ユウトは壁際へと追い込まれていった。
「それとこれとは、話が別だろ」
「なんで?」
「なんでって……」
まだ子供だろうと言い掛け、今のヨナには当てはまらないことに気づく。
しかし、中身は変わらないのだ。おいそれと、迂闊なことは言えない。
「嫌い?」
「嫌いじゃないけど……」
精神的にも大人になったら考えよう。
そう言うべきなのだろうが、肉体的に大人になったヨナを前にすると、それも不誠実な気がする。
結局、ユウトは妻たちに助けを求めた。
「なるほどねぇ」
「肯定はできませんが、理解はできなくもないわね。そこが厄介なのだけれど……」
「どうしたものか」
しかし、ユウトの配偶者たちの反応は違っていた。
複雑そうではあるが、決して否定的ではない。
目論見が外れ、ユウトが精神的にも物理的にも追いつめられていく。
「ふははは」
そこに突然、笑い声が轟いた。
声の主は、ラーシア。
ヨナも何事かと動きを止め、その隙にユウトが脱出する。
「これで、子供キャラはボクだけの専売特許だね!」
「え? そこで競争とか確執あったのかよ」
それは、ユウトも初耳であった。
「いろいろあるのさ。いろいろとね」
「できれば、知りたくなかったなぁ」
ユウトとラーシアの軽口で、場の空気がいつも通りの雰囲気に戻った。
ヨナも、これ以上の追求は逆効果と判断したのか、ユウトから離れてアルシアの胸へと飛び込んでいく。
「ヨナ……」
いつもなら軽く受け止められるのに、よろめいてしまう。
だが、それは決して不快ではなかった。
「……こんなに早く、子供の成長を実感するなんてね」
その横で、ヴァルトルーデもうんうんとうなずく。
アカネとしてはいろいろ言いたいこともあったが、とりあえず飲み込んだ。
「……それで、いつ元に戻るんだ?」
「え……?」
ヨナは平然としているが、レンはあわあわと慌て出す。
持続時間や戻る方法のことを、まったく考えていなかったのだ。
「……呪文を打ち消す呪文で、元に戻せるのでは」
「ああ。まさか、そういうことですか?」
最初からそのつもりだったという真名に対し、その胸に抱かれたマキナが、なぜ気づかなかったのかと悔恨の声をあげる。
「超能力もミックスしてるから、それじゃ無理」
マキナの言葉を受けて、製作者であるヨナが、なんでもないことのように言う。
これには、誰も彼もが絶句してしまう。
「待て待て、やってみなくちゃ分かんないだろ」
そんな中、一番初めに立ち直ったのはユウトだった。一番必死だったとも言えるかも知れない。
「お兄ちゃん……私に呪文を使って……」
「任せろ」
執務室の中央に一人佇むレンへ、ユウトは呪文書から9ページ引き裂き呪文を唱える。
「《魔力解体》」
術者のレベルによほどの開きがない限り、これで魔法の効果は消去されるはず。
しかし、その希望は数分も経たずに失望に変わる。
「やっぱ、駄目か……」
「どうし……よ……」
第九階梯の対魔術呪文。理術・神術を問わず、呪文や魔法具への究極の対抗手段。
にもかかわらず、ヨナが言った通り、レンの姿は元に戻ることはなかった。妖精女王と呼ぶにふさわしい美貌に、憂慮ではなく焦りと危機感が浮かぶ。
「永続というか一瞬というか、回復呪文みたく効果が発揮した瞬間に終了している呪文なのか?」
続けて《魔力感知》を使用しつつ、ユウトは心の中で自らの推測を否定する。レンからもヨナからも、なんらかの呪文が働いていることが感じられた。
まだ、効果は継続している。
しかし、《魔力解体》で解除できなかったとなると、持続時間が終了するのを待つしかない。
「でも、それがいつかまでは分からないな……」
《魔力感知》を終了させたユウトが、無念そうに首を振った。
この「成長」の魔法薬、非常に高度であることは否定しないが、それに加えて雑然とし過ぎている。恐らく偶然の産物で、再現は難しいのではないか。
さらに、超能力まで混ぜたとあっては、ユウトにもお手上げだった。
理術呪文と超能力は別物。これは揺るがぬ世界のルールだ。同じ現象を引き起こすことはあるが、似て非なるもの。
超能力者が希少ということもあり両者が交わることはほとんどなく、ユウトにも同様の事例が思い浮かばない。
知識神の図書館の司書である黒い魔女ニースに確認を取ってみるつもりだが、期待薄だ。
あとは神力解放を試すかどうかだが……効果がありすぎるとレンの理術呪文の行使に支障が出る可能性も考えられた。
ユウトは、そんな推測を皆に伝える。
「勇人、いつ頃効果が解けるかって目安もわかんないの?」
「ああ。今この瞬間に戻るかも知れないし、もしかすると一ヶ月後か、一年後か……」
「十年後だったりしたら、効果が切れてもわかんないわね」
アカネの指摘に、ユウトは曖昧な苦笑を浮かべた。
そうなる可能性も否定はできないということらしい。
「とりあえず、ヨナとレンのフォローをアルシア姐さんと朱音。それから、真名に頼みたい。俺は、師匠に説明をしてくるよ」
「む。ユウト、なぜ私が除け者なのだ」
「ヴァルには自分の体を優先してほしいというか……」
「適材適所よ、ヴァル」
「そうか……」
アルシアからさり気なく戦力外通告されたのも気づかず、ヴァルトルーデは納得する。
実際、これが一番効率的な形だ。
「うー。まだ、きせいじじつのこうちくが終わってない……」
「はいはい。ヨナちゃん。その辺も話し合いましょうね」
アカネが大きくなったヨナの背中を押し、執務室から退場していく。その際、ユウトに向けて片目を閉じて合図をした。信じていいのだろうか。
(信じるしかねえか……)
これから、どうなるのか。
考えても仕方がないが、考えざるを得ない。
とりあえず一息つこうとしたそのタイミングで――
「いやぁ、楽しくなってきたね!」
――草原の種族の強引なまとめが、人の減った執務室に響きわたった。
「ユウト、一緒にいてもいい?」
「いいけどよ……」
騒動のあった翌日。
それでも執務は休めないユウトの傍らに、美しく成長したヨナがいた。
ユウトとしては驚くべきことに、適度な距離を保って。
自ら椅子を持ち込み、書類を処理するユウトの隣から手元をのぞき込んだり、横顔を見たりと、邪魔をしないように静かにしていた。
気になることは気になるが、そうしていると、外見にふさわしい落ち着きを手に入れたかのように思える。服装も落ち着いたもので、昨日のべたべたしようとしてきた態度とは一線を画していた。
(アカネやアルシア姐さんに、なにを吹き込まれたんだ……? まさか、無理にくっつこうとすると嫌われるから、大人しくしてチャンスをうかがいなさい……とかじゃねえよな)
考え事をしていても、書類に目を通す速度は変わらない。
もっとも、その推測が正解だったと知ったなら、さすがに手を止めることになっただろうが。
ヨナのアピールを阻むことは困難と判断したアカネとアルシアは、その方向性を変えることで対応しようとしたのだ。そのアルシアすら凌駕し、ヴェルガを思わせる肉体的な接触は控えさせ、精神的にほだすという方向に。
万が一のアクシデントも防げるし、実際、ユウトに対してはそのほうが効果的である。
当初は物足りないのではないか、飽きたら引っ付いてやろうと考えていたヨナだったが、今ではアカネとアルシアを見直していた。
ほとんど時間をかけずに書類を読み、いくつかに分類していくユウト。
たまに手の調子を気にしながら、署名していくユウト。
本人も気づかずに、独り言を発するユウト。
内容を吟味するとき、無意識にあごに手をやるユウト。
たまにヨナのことを意識し、なんでもないと仕事に戻るユウト。
どれも、ヨナの知らないユウトだ。
ヨナは時間を忘れて、ただ眺めていた。
そうして、カグラが淹れてくれたコーヒー――ヨナのことは、思ったよりは驚いていなかった――がなくなった頃。
思わずといった調子で、ヨナが声をあげる。
「あ、計算が違う」
「ん? どこが?」
ユウトが振り返ると、こちらに身を乗り出していたヨナの豊かな……というよりはたわわなと表現したくなる胸と衝突した。
柔らかく、弾力のある、巨大な物体。
慌てて離れようとするが、それでは傷つけるかもしれないとユウトは自制し、なんでもないように振る舞う。
「悪い、悪い」
「……もっと触る?」
「すみません、ごめんなさい。で、どこの計算が違うって?」
ユウトではなくアカネだったら陥落していただろう誘惑を振り切り、ユウトは書類に目を走らせた。
「そこ」
「……確かに。銅貨と銀貨の換算の時にミスったかな?」
クロード・レイカーが育て上げた書記官たちは優秀だが、無謬とはいかない。この手の計算間違いは、稀にだが、存在していた。
「ありがとう。助かったよ」
暗算で正しい値を導き出し、修正。
それを満足げな顔で見守っていたがヨナが驚くべきことを口にする。
「見てるだけじゃつまんないから、手伝う」
「マジで?」
「うん」
「……じゃあ、出納関連だけ任せようかな」
今の一件で分かる通り、ヨナの基礎的な知力は非常に高い。それこそ、アルシアにも匹敵するほど。
そんなアルビノの少女が領地経営に直接携わらなかったのは、簡単に言ってしまえばやる気の問題だ。
それがクリアされたのであれば、即戦力として採用するのも当然。
もっとも、すぐに飽きるだろうとも思っていたのだが……。
「……終わった」
「頑張ってくれたなぁ」
意外と言うべきか、なんというべきか。
割り当てた書類を、すべて処理してしまった。これには、ユウトも驚きを隠せない。
「明日もがんばる」
しかも、まだやる気は潰えていないらしかった。
嬉しい誤算ではあるが、なぜか、少し寂しさも感じてしまう。
「明日は学校な」
「えー」
「明日は、俺も用事がある」
「むー」
「でも、まあ、今日は助かったよ。ありがとうな」
感謝の言葉とともに頭を撫でようとし――すっかり成長したヨナの姿を前に、手を止めてしまった。
代わりに、執務机に忍ばせていたチョコレートバー――非常食になるなと地球から輸入したが、甘すぎて数が全く減っていなかった――の包みを開き、ヨナにくわえさせた。
「思ってたのと違う。でも、おいしい」
子供のようで、しかし、紛うことなく大人のヨナ。
そのギャップに、ユウトは戸惑うしかなかった。
「ユウトーー」
翌朝、城塞から出かけようとするユウトが、背後からかけられた声を受けて立ち止まる……ことなく、逆に駆けだした。
「甘い」
しかし、背後から近づく影のほうが速かった。短いストライドなど、ものともしない。
たんたんたんとリズムを刻みながら、走り幅跳びの選手のように跳躍。
「そしてなにより、速さが足りなかったね」
その小さな人影は美しいフォームで、すたっとユウトの肩に飛び乗った。
「ラーシア、おまえは……」
身体能力か、技術か。どちらが凄いのか分からないが、肩に乗られても衝撃どころか重さも感じない。だからといって、歓迎できるはずもなかった。
しかし、ラーシアはユウトの非難の視線など、どこ吹く風。
「ほら、ヨナを肩車したりおんぶしたりできなくなって、寂しいかなって思ったからさ」
「余計なお世話すぎるわ」
もちろん、ユウトは寂しさなど感じていない。
いないが、どことなく不機嫌そうに、ラーシアをにらみつける。
「というか、そのつもりなら、なんで俺の肩に立ってるんだよ。曲芸か」
「いやー。かといって、ほんとに肩車とかおんぶしたら、ヨナに怒られるかなって」
「ラーシア、よく分かってる」
そこに現れたのが、ちょうど学校へ行くところだったヨナだ。
当然と言うべきか、二日経っても、大人になった姿から変わっていなかった。
そのアルビノの少女が、無表情に。しかし、嬉しそうにユウトへと駆け寄ってくる。
「ちょっ、無理だからやめろ」
だが、ここで言うことを聞くヨナだったら、元々こんなことにはなっていない。
胸を上下に揺らして助走をすると、三段跳びの要領でユウトの背中めがけて飛び上がる。
「あ、それじゃ頑張って」
事態をややこしくした張本人は、被害を避けるために飛び降りた。ユウトには、ラーシアを止めることも追いかけることもできない。
同様に、ヨナを受け止めることも。
(このパターンも二度目だぜ。まるで成長の跡が……いや、成長してるからこうなってるのか)
飛び込んでくるアルビノの少女諸共、地面に転がるユウト。
背中を打った衝撃で息が詰まり、押し倒され体が圧迫されていた。
「いったたた……。ヨナは怪我してないか?」
そんな状態でも、真っ先にヨナの心配をする。
なかなかできることではなかったが……。
「解せない」
「体格を考えろ」
しかし、ヨナはユウトを押しつぶしながら、首をひねっていた。まるで、簡単な計算の答えが合わないかのように。
そして、ヨナにとって「解せない」事態は、学校――初等教育院でも続いた。
教室に姿を現したときには、クラスメートに囲まれ「さすが姉御だ、大人になってるぜ!」、「ヨナヨナすごぉい」、「ヨナちゃん、きれい……」といった反響にご満悦だった。自然と自尊心が満たされ、優越感に浸ってしまう。
一方、ユウトから事情を知らされていたテルティオーネは、じろりとヨナを一瞥しただけ。これは、成長したレンを目の当たりにしたときと、ほぼ同じ反応だ。
「解除方法を考えずに作るバカがいるか」
口に出して言ったのは、これだけだった。翻訳をすると、「良くやったが、詰めが甘い。次からは注意しろ」ということになる。決して、怒ってはいない。それどころか、ほめていた。
「ヨナ坊、後ろ行け」
そんなテルティオーネの一言で、授業が始まる。
「分かった」
ヨナとしても、むしろ望むところだった。
ヨナは初等教育院に遊びに行っているようなもので、授業などほとんど聞いてはいない。ただ、高い視点から真面目に勉強するクラスメートを眺めるのは、少し勝手が違っていた。
どういうわけか、胸がざわつく。
先ほどまでの優越感は、急速にしぼんでしまった。
それは、休み時間になってサッカーをしたときにも続いた。
長い足と、周囲を圧倒する身体能力。そこから繰り出されるドリブル突破と強烈なシュートはギャラリーを湧かせたが、同じピッチにいる子供たちはたまったものではない。
「姉御、ちょっと無理です」
「むうぅ……」
満場一致で、ヨナは審判にさせられてしまった。
「解せない」
気を取り直して、放課後。
自転車で街に繰り出そうとしたが、子供用の自転車は、今のヨナにはあまりにも小さすぎた。
それでも遊ぶことはできただろうが……ヨナは逃げ出すように友人たちに別れを告げる。ひとつひとつは小さなことだったかもしれない。
だが、かみ合わない歯車がもたらす不協和音に、ヨナは耐えられなかった。
「……つまんない」
超能力で空を飛ぶヨナから漏れた言葉。
それを聞く者は、誰もいなかった。
ヨナが学校で不満を溜め込んでいた頃、ユウトはレンの魔法薬店を訪れていた。
といっても、店自体は休業している。ユウトが訪れたのは、「成長」の魔法薬を解除するための方法を探すためだった。
「煙なぁ。聞いたことねえな」
奥の作業スペースで、レンと向き合い様々な資料や試薬を精査していたユウトがお手上げだと呟きをもらす。
ヨナとレンが作った成長の魔法薬を分析し、二人を元に戻すための手がかりを得ようとしていたのだが……初手でつまずいていた。
「うん……。びっくりした……よ」
体が成長しても、しゃべり方までは変わらない。
それでも、ユウトの前だからか、普段よりもはっきりとした調子で感想を口にした。
「たぶん、ヨナちゃんの力の……せい? お陰だと思う」
「せいで良い、せいで」
ヨナをかばうレンに微苦笑を浮かべつつ、レンは実験メモに目を通す。
主に、レンと真名がまとめていたものだ。日本語とこちらの言葉が混じっていたが、翻訳能力のお陰で違和感なく読み進めることができた。
ちなみに、そのレポートをまとめた真名は、また別のレポート作成に四苦八苦している。
今頃、城塞の自室で賢哲会議に提出する報告書を一所懸命作成していることだろう。
つまり、今はユウトとレンの二人きり。
しかし、ユウトに緊張した様子はなかった。レンも同じだ。
それは、昔同じようなことをしていたから。短い間だったけれど、ユウトとレンは二人で魔法薬の改良を行なっていたのだ。
少なくとも、レンにとっては、懐かしくて嬉しいシチュエーション。緊張を感じている暇などなかった。
「やっぱり、超能力の部分をどうにかしないと解除は難しいか」
「そう思う……よ」
「まったく、ヨナめ……」
トラブルばかり起こしてという憤りが半分。もう半分は、新しい分野を開拓したかもしれないという感心が半分。
この期に及んでも、ユウトはヨナに甘かった。
「でも、それを除けば煙状の魔法薬にはいろいろ使い道がありそうだ」
「うん」
「一朝一夕じゃものにはならないだろうけど、良い研究テーマになると思うぞ」
「私にできる……かな?」
「新しい技術の開発には、能力だけじゃなくて優しさが必要なんだよ」
「そう……なの?」
「ああ。その点じゃ、俺の知る限りレンが一番だ」
そう言って、美しく成長したハーフエルフの少女の肩に手をおく。
実際、倫理面ではレン以上の人材はいない。
望んだ方向とは違っていたが、ユウトにほめられレンが相好を崩す。妖精の微笑みは、ユウトの疲労すら溶かす可憐さだった。
「ねえ……。お兄ちゃん……も、私が、元に戻ったほうが……いい?」
「そうだな……」
突然の話題転換。
そのこと自体よりも、ヨナと違って戻りたがっていたようだったレンからの思わぬ問いに、ユウトは即答できなかった。
常識的に考えれば、きちんと成長したほうがいいに決まっている。急な成長は、必ずどこかで歪みが出るものだ。
「まあ、レンなら大丈夫かな」
そこまで考えておきながら、ユウトが口にした結論は正反対だった。
「どうし……て?」
「振り回されてないからな」
大人になって戸惑いは見せているが、それだけだ。
レン自身は、変わっていないように見える。
変身願望は誰にだってあるだろう。今の状況がレンの望むものであれば、無理強いをするつもりはなかった。
「いろいろ調べてはいるけれど、レンがそのままでいたいって言うんだったら力になるよ」
「ヨナちゃん……は?」
「あのままは、やばすぎる」
レンと対照的に、今のヨナは肉体と精神の乖離がひどすぎる。今は新鮮で楽しそうだが、遠からず破綻することは目に見えていた。
「でも、俺の意見を言わせてもらえば、レンも元に戻ったほうがいいと思うな」
「どうし……て?」
今のこの姿は、ユウトには気に入らないのだろうか?
急に、レンの胸に不安がもたげてくる。
「嫌でもそのうち大人になるんだ。急ぐことはないさ。それに、あんな美人になるんだって、思いながら過ごしたほうが楽しくないか?」
「美人……?」
「美人だろ」
「ほんと……に?」
「ああ。びっくりするぐらいな」
それが本心からの言葉だと、レンには分かった。
不思議なほどの安堵が、彼女の全身を包み込む。
「そっか……。そう……なんだ……」
正直、どう思われているか不安だったのだ。
それが一気に解消され、妖精の女王めいた美貌に、花が咲くような。否、花を咲かせるような笑顔が浮かぶ。
さしものユウトも、作業の手が止まり、暫時見惚れる。
「十年後か……二十年後か……分からない……けど。楽しみにしてて、ね……」
その直後、レンの全身が淡い光に包まれた。
「レン!?」
ユウトが驚き椅子を倒して立ち上がるが、レンは笑顔でそれを制した。
「だいじょうぶ……だよ」
その言葉通り、光が徐々に小さくなっていく。レンの姿とともに。
ほんの数十秒で、時間を巻き戻したかのように、少女へと戻っていく。
ユウトはなにがトリガーだったのか分からず見ていることしかできない。けれど、レンには確信があるようだった。
「ヨナちゃんのところに行って……あげて……。お兄ちゃん……の……正直な……気持ちを伝え……たら。ヨナちゃんも、きっと元に戻る……よ」
だぼっとした服に全身を包まれながら、レンはあどけなく微笑んだ。
「つまんない……」
何度目かになる、ふてくされたようなつぶやき。
超能力で宙に大の字になって浮かびながら、ヨナはもやもやした気持ちを持て余していた。
いつもなら、こんなときはドラゴンでも狩っているところだ。
しかし、今日はそんな気にもならず、空の上でふて寝をしている。
もしかすると、期待していたのかもしれない。
「面白くなさそうな顔してるな、ヨナ」
――ユウトが来てくれるのを。
「ストーカー?」
「地上からでも、浮いてるの見えたぞ」
まったく、どこでそんな言葉を憶えてくるんだとぼやきながら、ユウトもヨナの隣で横になる。夕暮れの空が目にしみた。
「……で、大人になってどうだ?」
「こんなはずじゃ、なかった」
自分勝手ともとれるヨナの言葉。
けれど、紛れもなくアルビノの少女の本音だった。
「大人は、もっと楽しいと思ってた」
良いこともあった。それは確かだ。
時折、ユウトから熱い視線を向けられたことは、アルビノの少女の自尊心を大いに満足させた。
しかし、それなのにユウトとのスキンシップは減った。というよりも、露骨に避けられている。解せない。
だからこっちから抱きつきにいったら、ユウトがつぶれてしまった。まあ、これはユウトだから仕方がないのだけど。
他にもいろいろあるが、とにかく不便だ。
なにより……。
「大人になったら、ユウトが結婚してくれると思ってた」
ユウトのことは見ずに、そう不満をぶちまける。
拗ねているのだろう。
そういうところは変わらないなと苦笑を浮かべつつ、ユウトは口を開いた。
「結婚は別にして、悪かったと思っているよ」
格好だけ大人になっても結婚なんてできない――とは言わず、ユウトは謝罪の言葉を口にした。
ヨナは、まだ子供だ。それは間違いない。
けれど、子供扱いをしながら、冒険の場では一人前として接した。それだけの実力があったからではあったが、それが間違いだったのだ。
大きな冒険が終わり、領地経営という新たな冒険に身を投じた過程で、ユウトたちは結婚をし、家庭を持った。ユウトたちは、進んでいった。
にもかかわらず、ヨナだけは子供だからと置いてけぼりにしたのだ。不満に思っても仕方がない。
「ごめんな、ヨナの気持ちも考えないでさ」
「……よくわかんない」
「……だよな」
ただし、この部分は、ヨナも意識しているわけではなかった。だから、そこを謝るだけでは意味がない。
「待ってるよ」
ユウトはくるりと体を回転させ、大きくなったヨナに覆い被さるようにして正面から目を見つめる。
赤い瞳が、きょとんと視線を返してきた。
「十年か、何年か。ヨナは心変わりするかもしれないけど、俺は待ってるよ」
「ユウト……」
「だから、焦る必要はないさ。ゆっくり大きくなればいいよ」
誰にも、ヴァルトルーデにもアルシアにもアカネにも。誰にも相談していない。
だが、心配もしていなかった。
「ユウト……」
その言葉の意味を理解し、ヨナの赤い瞳が潤む。
「まだ、子供で良い」
そう泣き笑いを浮かべたヨナの白い髪を、ユウトは優しく撫でた。
子供の頃にそうしていたように。
すると、レンの時のように、ヨナの体が光の粒子に包まれた。
ヨナとレンの二人を成長させた魔法薬の持続時間は、望むまで。
今、その効果が終了したのだ。
「代わりに、大きくなったらユウトをもらってあげる」
そう言ったヨナは、いつも通りの姿で、いつも通りの無表情だったが……。
ユウトには、感情豊かな微笑みに見えた。
「というわけで、持続時間は『対象が望むまで』だった」
レンとヨナの成長騒動が解決した、その日の夜。
夫婦の寝室に、ユウトと彼の妻たちが集まっていた。
全員、ナイトウェアを身にまとっており、リラックスした様子だ。
「そういうことでしたか」
床の敷物に座ったアルシアが、顎に指を当て納得の表情を浮かべる。眼帯を外した彼女は、目を閉じてヨナの様子を振り返っていた。
元のサイズに戻ったヨナは、確かに嬉しそうで満足そうでもあった。
ユウトの説は、恐らく間違いないのだろう。
だが、そのユウトの説明には疑問が残る。
「で、勇人はどうやってヨナちゃんとレンちゃんを満足させたわけ?」
「ん? なぜそうなるのだ?」
アルシアの隣で目が据わったアカネの追及に、妊婦だから――というわけではないが、一人ベッドに座っているヴァルトルーデが疑問の声をあげる。
「二人とも、不便さが楽しさを上回っただけではないのか?」
ヴァルトルーデらしからぬ、論理的な回答。
同時に、ヴァルトルーデらしい、純真な回答。
それに、隣り合うアルシアとアカネが顔を見合わせる。
「この辺が、あたしたちのヴァルには勝てないところよね」
「ユウトくんが惹かれたのも、そういうところなのでしょうね」
「なんだかよく分からんが、照れるな」
風評被害……とは言えないが、飛び火しそうになっているのは間違いない。誰しもが、ヴァルトルーデのように剛胆ではないのだ。
ゆえにユウトは沈黙を選ぶ。
けれど、鳴かないキジだって、撃たれるときは撃たれるのだ。
「それはそれとして、勇人がなんかやったのよね?」
「ノーコメントで」
「へぇ……」
疑惑の視線が、ユウトへ集中する。
正直、レンに関してはトリガーがなんだったのか判然としないが、ヨナのほうははっきりしている。
そして、アルビノの少女のためにも、その秘密を口にすることはできなかった。それで周囲の見る目が変わったら、健全な成長に影響が出かねない。
「それ、事務所を通せばいいの?」
「ノーコメントはノーコメントだ」
冗談めかしてはいるが、アカネからの本気の追及。
それでもひるまず、ユウトは同じ台詞を繰り返した。
新婚夫婦の視線が空中でぶつかる。
「ふっ。仕方ないわね」
意外にも、先に折れたのはアカネだった。
「まあね。本気で秘密にするつもりなら、ちょうど今日持続が切れたってことにすればいい話だものね。それを考えれば――」
「……あ」
その手があったかと、ポンと手をたたくユウト。正直、その手はまったく考えていなかった。
「ユウトくん……」
「勇人……」
アルシアとアカネから、あきれたというよりは、哀れみに近い視線を向けられる。
「正直と言うべきかしら……」
「安心と言うべきじゃない?」
常時こんなに間が抜けているわけではない。相手にもよるのだ。
「いや、あれだ。なんかこう、みんなには嘘をついてごまかそうという発想が、そもそも出てこなかっただけだから。相手がヴァイナマリネンのジイさんだったら、全力で適当なことを言ってただろうし」
「うんうん。すばらしいことだな」
必死に言い訳をするユウトに、感じ入ったようにうなずくヴァルトルーデ。アルシアは眼帯を外した眉間を押さえ、なにも言えなくなっている。
となると、自然、ツッコミはアカネの役目だ。
「というか、似たもの夫婦なの? バカなの? 爆発するの?」
「あんまり爆発とか言うとラーシアが火薬の調合に乗り出しそうな気がするんで、止めてもらえます?」
「そーね」
これで、ユウトへの追及は沙汰止みとなった。
しかし――まったく禍根を残さなかったかというと、そういうわけではない。
十年後、彼の息子たちの初恋は、美しく成長したヨナへと捧げられ――そのすべてが玉砕するなど、このときのユウトは、想像してもいなかった。
【お知らせ】
来週07/30に書籍版6巻が発売されます。
ロリヴェルガ様も出てきたりしますので、是非お買い上げのうえ、確かめてみてください。
あと、新作も苦戦しつつ進めていますので、その頃にはお知らせできれば良いなと思っています。
それでは、今後ともよろしくお願いします。
その際に告知できれば良いなと思っております。