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番外編その1 ラーシアのラーメン残侠伝

注意!

番外編ですが、かなり緩い話になります。

本編最終話から続けて読む場合は、雰囲気が違いますのでご注意ください。

 ラーメン激戦区。

 東京。いや、山手線内に限っても、池袋、高田馬場、新宿など数多く存在する。


 日本の国民食と呼ばれて久しいラーメン。


 味か、手軽さか。

 なにが、人をそこまで魅了するのか。


 誰に聞いても、理由は分からないだろう。いや、ひとつに絞ることなどできないと言うべきか。

 星の数ほどの店が、それぞれの個性で勝負する。

 味噌、醤油、トンコツ、塩。細麺、太麺、中細麺、中太麺。つけ麺、油そば。

 それは、個々の思想の衝突であり、生き様(スタイル)のぶつかり合いであった。

 

 店主が思い描く理想を客にぶつけ、客はそれを賞味し、ジャッジを下す。

 美味さの下に、すべては平等。


 勝者は栄えて行列は伸び、敗者には閑古鳥が鳴き撤退を余儀なくされる。


 新陳代謝の激しいラーメン業界。

 雑誌などのメディアに寄稿するライターのほか、一般の人間による批評も活発だ。


 その界隈に、最近になって謎の批評家が現れた。


『透き通るような鶏ガラスープは、飲みほしてしまうのがもったいないほど美しい。でも、飲む。美味い。さっぱりして良いけど、鶏油増しが最高』


『伊勢エビつけ麺。ネタ枠? と思ったが、味噌と伊勢エビの味が高次元で融合している。濃厚なスープは癖になりそう。関係ないけど、味玉が美味しい』


『いわゆる魚介系。麺も、スープも、具も絶品。しかし、どことなく迷いが感じられるような……? いや、美味しいけどね?』


『まず、濃厚な鶏白湯スープに驚く。とろりとして甘みがあり、やみつきになる美味しさ。麺もそれには負けていないが……一番美味しかったのはサイドメニューの鶏めしだった。微妙に納得いかない。悔しい、でもおかわりしちゃう(もぐもぐ)』


 味の評価は的確。

 だがそれ以上に、ミニブログへ投稿される頻度が異常だった。


 最低でも、一日に十杯。下手をすると、それ以上のレビューが写真付きでアップされるのだ。すべてがその日に食べたものではないにせよ、尋常なペースではない。

 話題性に惹かれ、自然とフォロワー数も増えていく。


 そのアカウントのアイコンは、ニット帽を目深にかぶった子供の写真。

 アカウント名は、ラーシアといった。


 店も客も知るまい。

 世界に誇るラーメン文化が、異世界にまで広まりつつあるなどとは。





「というわけで、ユウト」

「……前置きをすっ飛ばしてきたな」


 ロートシルト王国南方、イスタス公爵領ファルヴ。

 ヘレノニア神より下賜された城塞で執務に励むユウトが、胡乱な目つきをラーシアに向ける。


 話の内容は、まだ分からない。


 分からないが、なにか頼みごとをしようとしているのだとは分かる。理屈ではなく、直感で。

 そして、ラーシアの頼みごとは厄介事とイコールだ。これは、直感ではなく経験で分かる。


「まあ、聞くだけ聞くけどな」


 しかし、ユウトは仕事の手を休めて、ぐっと伸びをした。

 レイ・クルスの大虐殺に端を発する絶望の螺旋(レリウーリア)事変。


 旧ヴェルガ帝国領から悪の相を持つ亜人種族は消え去り、準備していた連合軍を派遣することで残ったモンスターも一掃された。

 すべて消え去ったのは、レイ・クルスに殺害されたからではなく、行方不明の女帝ヴェルガが暗躍しているのは間違いなかった。

 だが、赤毛の女帝の行方を追うには、人手が足りない。いや、空白地となった旧ヴェルガ帝国領を治めるだけで精一杯というべきか。


 ユウトも、この一ヶ月は忙殺されていた。

 ヴェルガの動向を探るということで――成果はなかったのだが――旧ヴェルガ帝国領の統治から外れることはできたのだが、クレスを引き抜かれたのが痛かった。


 クレスはエルドリックから副王に任命され、タイドラック王国に編入した旧ヴェルガ帝国領の一部を統治する大役を任されたのだ。

 祝福しつつも、ユウトだけでなくクロード老もその損失に深い深いため息をついていた。


 そのため、ユウトも仕事のほかはアカネのフォロー――実は絶望の螺旋事変における陰のMVPだったと言われても、混乱するしかなかった――ぐらいしかできずにいたのだ。


 世界の危機というのも生やさしい大事件だったが、一ヶ月もすれば、その後始末にも終わりは見えてくる。


「さっすが、ユウト。話が分かる」

「俺が暇になったタイミングを狙ってたくせに。よく言うぜ」


 図星を突かれたラーシアは、しかし、まったく悪びれない。


「実はね、修業に行きたいんだ」

「……しゅぎょおぉ?」


 うさんくさそうに、ユウトは露骨に表情をゆがませた。


 なんの修業か分からない。

 だが、ろくでもないことは分かる。これまた、理屈ではなく直感で。


 長いかどうかはともかく、濃い付き合いだから。


「うん。地球に」

「地球に」

「ラーメンの」

「ラーメンの」


 つまり……。


「地球でラーメンの修業をしたい……と」


 ユウトのまとめに、ラーシアは天真爛漫としか言えない笑顔でうなずいた。


 殴りたい、その笑顔。


 だが、こめかみを押さえながらも、ユウトはこらえた。こう見えて、二児の父。あと半年もせずに、もう一人増える。落ち着いてしかるべきなのだ。

 それに、ユウトでは草原の種族の勇士に一撃を加えるなど不可能。あっさり回避されて、よりストレスが溜まるのは火を見るよりも明らか。


 だから、ユウトは言葉での攻撃を選んだ。


「バカじゃないのか?」

「そう。言ってみれば、ラーメンバカ……かな」

「そうか」


 選んでも、無駄だった。

 ユウトは悟った。悟らざるを得なかった。


「リトナさんとディノは、こっちに残るってことで良いんだよな?」

「うん。リトナは賛成してくれてるよ」

「……そこまでして、ヨナに認められたかったのか」

「のれん分けしてもらうには、まだなにかが足りないんだ。その足りないなにかを、探しに行きたいんだよ」


 ラーシアが遠くを見つめた。

 芝居がかった動作に、ユウトの意識も遠くなる。どうして、なぜこんなことになったのか。なにがいけなかったのか。


 のれん分けなんて関係ないから、勝手に店を出せば良いじゃないか。

 そう喉元まで出かかったが、ラーシアとヨナにしか分からない世界なのだろう。理解できないことを、逆に喜ぶべきかもしれない。


 ユウトの自問自答は続く。


 だが、止めることができないのは分かっていた。


「一ヶ月だけだぞ」


 そう条件を付けるので精一杯。


 また、さすがに、ユウトが――そして、アカネも――ついていくことはできないため、現地の組織にバックアップを依頼せざるを得なかった。

 依頼された賢哲会議(ダニシュメンド)は驚いた……というよりは困惑しただろうが、最高顧問の要請には完璧に応えてくれた。





 そして、瞬く間に三週間が過ぎ去る。


 行列が絶えない有名店にも、新進気鋭の新興店にも、場末の無名店にも、ラーシアは足を運んだ。そして、すべてのラーメンを食べ尽くした。


 理想を追い求めたラーメンがあった。

 逆に、先鋭化しすぎてやりすぎと言いたくなる一杯も多かった。

 業務用の麺やスープを組み合わせただけで、意外な味を演出した店もあった。


 短時間でこれだけ食べ尽くせたのは、ユウトとレンに頼んで《悪鬼の胃袋(オーガズ・ストマック)》という理術呪文を魔法薬(ポーション)にしてもらい、服用していたから。

 石でも砂でも消化できるという悪食になるが、時間制限がある今回は非常に助かった。


 しかし、そこまでしても、ラーシアは理想の味に出会えずにいた。


 どれも、それぞれに美味しかった。

 だが、目指すべき道とは違う。違うのだ。


「屋台……か」


 ラーシアがその店に出会ったのは、行き詰まりを感じつつあったその頃だった。


 拠点にしているアパートへの帰り道。気まぐれで通った夜の公園に、その屋台はぽつんと存在していた。


 客は一人もいない。ただ、提灯が赤々と輝き存在を誇示している。営業許可を取っているのかも怪しい。せいぜい、酔っぱらいが気まぐれで食べるような、ただの消耗品としてのラーメンでしかないだろう。


 店構えを見るだけで、食べなくても味の想像はつく。


 にもかかわらず、明かりに誘われる蛾のように、ラーシアはふらふらと屋台に吸い込まれていった。


「うちは、ラーメンしかないぜ」


 丸くて堅い、所々錆びた椅子。

 それに腰を下ろした途端、無愛想な言葉が飛び出した。


 メニューはひとつ。ビールすら置いていないようだ。

 せめてつまみにできれば多少不味くても許せたのだが、それも叶わないようだった。もっとも、ラーシアにアルコールを提供する店は皆無だろうが。


「じゃあ、それひとつ」


 そんな落胆はおくびにも出さず、ラーシアはうなずいた。

 不味ければ、金だけ払って帰ればいい。


 さりげなく出された冷水を口にしながら、そんなことを考えていたが……が。


 そんな考えは、すぐに消え去ってしまった。


 額は広く残った髪も白髪になった、還暦近いだろう店主。

 だが、動きは機敏で、いっさいの無駄がない。


 麺を茹で、湯の中を泳がせ、湯切りをするのにも。

 専用の蒸し器のような器具からどんぶりを取り出し、たれを投下してスープを注ぐのも。

 そして、麺とスープが合わさり、具を乗せていく手つきにも。


 何万、何十万回と繰り返した職人の研鑽が見て取れた。


「お待ち」


 節くれ立った手で差し出された、一杯のラーメン。


 見た目は、場末のラーメン屋で出てくるものと変わらなかった。


 茶色い醤油ラーメンは、むしろ、支那そばと表現したくなるほど古くさい。

 具も、薄いチャーシューにゆで卵、メンマ。それに、申し訳程度のねぎ。


 意外性の欠片もない、見ただけで想像できる味。


「……いただきます」


 記録用にスマートフォンで写真を撮ることも忘れ。

 ラーシアはレンゲでスープをすくった。


 そして、一口。


 草原の種族(マグナー)の目が、驚愕に見開いた。


 思わず、店主と目が合う。

 店主は、してやったりと笑っていた。


 けれど、ラーシアに余裕はない。

 続けて、麺を、チャーシューを、はふはふとかき込んでいく。

 熱い、熱いが、それが箸を止める理由にはならない。むしろ、それが快い。途中で挟む冷水も、また良い。


 麺もスープも具も。

 それを単独で取り出したなら、なんの変哲もない一素材に過ぎない。


 だが、それらが一杯のどんぶりを形成した途端、そこに宇宙が生まれる。


 調和。そう、調和しているのだ。自己主張せず、かといって譲らず。ただ一杯のラーメンを完成させるため、手を取り合って調和している。


 味噌、醤油、トンコツ、塩。細麺、太麺、中細麺、中太麺。つけ麺、油そば。


 世にバリエーションは多々あれど、すべては美味いラーメンを生み出すための手段に過ぎず。


 真実美味いラーメンは、ここにあった。


「弟子にしてください」


 気づけば、その場で頭を下げていた。


「カカカ。あのラーシアさんに、そこまで言われると、悪い気はしねえな」

「え? なんで、ボクのことを……?」

「俺は、あれよ。いわゆる、フォロワーってやつよ」


 改めて、店主の顔を見る。

 はげ上がった額に、白い髪。

 それは、ミニブログのアイコンで目にしていた。 


「ああ、そう言うあなたは! よくリツイートしたりいいねしてくれる、カミレスさん!?」

「頭を見ながら言うんじゃねえよ」


 スマートフォンと見比べながら言うラーシアに、店主は恥ずかしそうに笑う。


「これはどうも、初めまして」

「おう、初めまして。なんか、変な感じだな」


 期せずして執り行われた即席オフ会。

 このチャンスを逃さず、ラーシアはぐいぐいと弟子入りを迫る。


「故郷で、ラーメン屋をやりたいんです。どうか、弟子にしてください」

「そうかい。まあ、あの食べっぷり、ただのマニアじゃねえとは思っていたが……」


 さりげなくラーシアのコップに水をつぎながら、店主が考え込む。


「それでよ、俺のこのラーメン食って、どう感じたよ?」

「大人が食べても、子供が食べても美味しい。そんなラーメンかな?」


 実のところ、ラーシアも深い考えがあって弟子入りを志願したわけではなかった。

 ただ、ドラゴン、亜神、悪魔諸侯(デーモンロード)、神、絶望の螺旋(レリウーリア)と戦い、生き残ってきた直感が告げていた。


 これこそ、追い求めていたものだと。


「麺もスープも具も、見た目は普通だけど恐ろしく手間をかけている。それなのに、ここに主張せずすべてが集まって……。そう、うるさくないんだ」

「……そこまで理解してくれたのは、あんたが初めてかもしれねえな」


 火を落として、店主は語り始める。

 嬉しそうな悲しそうな表情で。


「俺も昔は、有名なラーメン屋のオーナーでよ。弟子も、支店もたくさん抱えてたもんさ。それで毎日毎日ラーメンこさえては、理想の味を研究よ」


 新しい素材、新しい技法。

 儲けも時間もつぎ込んで、究極の一杯を目指す。


 だが、ある日。


「全部、無駄に感じちまったんだな。装飾ばかりでごてごてした、つまらないもんに思えちまったのよ」

「それで、これに行き着いた……」

「そういうことよ。まあ、突然こんなもん作っちまったから、息子に店からは追ん出されたけどな」


 本物を追い求め、本質に行き着いた。

 それ以外をそぎ取ったその一杯は、侘び寂びの極致と言えるかもしれない。


「こいつは地味だぜ。ただ当たり前に美味い。それだけだ。苦労の割に、報われねえ。そいつは、俺が実証済みだ」

「もちろん。理想に出会えたのに、そこから目を背けるわけにはいかないよ」

「そうか、そうか」


 店主は嬉しそうに笑い――不意に、眼光を鋭くした。


「なら、お前さんの本気を見せてもらおうか」

「本気を……?」

「ああ。今の本気の一杯。そいつを俺に食わせてくれ。試作品は作ってるんだろ? 匂いで分かるぜ」


 そこまではっきりと言い当てられては、ごまかすこともできない。

 いや、これはチャンスだ。


「じゃあ、明日の夜に」


 ラーシアは、力強くうなずいた。





 かんかんかんかんと、軽々に階段を上る音が夜の静寂に木霊する。


 ラーシアは、賢哲会議が用意した隠れ家へと飛び込むようにして帰ってきた。


 六畳一間の時代を感じさせるアパート。フローリングではなく畳敷き――それも日焼けして擦り切れた――で、風呂もない部屋。

 賢哲会議がセーフハウスとして確保していた一室で、ラーシアはこの三週間ほど寝起きしていた。


「よーし。やるぞ!」


 お世辞にも、優れた住環境とはいえない。それでも、冒険者であるラーシアには充分。なにより、コンロの火力が高いのが良かった。決め手と言っても良い。


 台に乗って、ラーシアが作業を開始する。

 換気扇の回る音が、無遠慮に響き渡った。


 まずは、鶏ガラの処理だ。


 沸騰したお湯で、色が変わる程度にさっと下ゆで。

 その後は、水で洗いながら血合いなどを除去していく。


 それを水から、じっくりと煮出すのだ。


 もちろん、匂い消しとして、ネギの青い部分やニンニク、ショウガ。それに、タマネギとニンジンも入れる。さらに、旨味を足すために昆布と干ししいたけも。

 

 手慣れた作業でスープの用意をしたあとは、タレの研究だ。


 理想のラーメンを見失っていたとはいえ、ヨナの店で培ったベースはある。

 醤油、みりん、砂糖、酒。それに昆布を足して作っていくのだが、この配合が難しかった。


 醤油は試行錯誤の末に薄口醤油と決めたが、未熟さもありスープの濃さが一定にならないため、タレの濃さもなかなか決まらない。


 麺も、ブルーワーズでの営業を考えれば手打ち以外に選択肢はない。体格の問題で難しいところだが、これも乗り越えなくてはならない壁。


 研究研究研究だ。


 それが苦しく、楽しい。


 具体的な目標ができたため、ラーシアのモチベーションも鰻登り。睡眠や食事が不要になる神術呪文《肉体保全(サスティン)》を魔法薬にした物――最盛期のユウトでさえ、手を出さなかった――を摂取し、文字通り不眠不休で作業を進めた。


「……へへへ。これで、どうだっ」


 夜に始めた作業は、結局、翌日の日が沈む頃まで続いた。

 しかし、その甲斐あって納得の出来だったのだろう。


 ラーシアは、とても良い笑顔だった。


 しかし、その納得の一杯を店主が口にすることはなかった。


 勢い込んでラーシアが公園へ行ったそこには、無惨に破壊された屋台だけが残されていた。





「さっさと秘伝とやらを教えてくれよ、この頑固ジジイ。俺たちだって、好きで蹴ったり殴ったりしてるわけじゃないんだぜ」


 ラーシアが弟子入りを希望したラーメン屋台の店主。

 彼は、ヤクザの事務所に連れ込まれ、床に転がされていた。


「だから言ってんだろ、そんなもんあったらとっくに教えてるってよ。……くっ」


 そんな状況でも、店主の反骨精神は折れない。

 腹を蹴られ、床でくの字になっても、それは変わらなかった。


 しかし、腕を後ろ手に縛られていては、抵抗もそれが限度。

 いや、屈強なヤクザ二人に囲まれては、仮に自由に体が動いても逃げ出すことは不可能だろう。


 今蹴りつけたのは、粗暴で大柄な男。

 その男とコンビを組むのは、髪をオールバックにした、サングラスをかけて顔に傷のある男。


 事務所にいるのは、この二人だけ。しかし、事務所の外や建物の周囲には、構成員が配置されている。誰にも近づかないし、邪魔もない。


 だからといって、悠長にして良いというわけでもなかった。仕事は迅速に行わなければならない。


 サングラスの男が、店主の髪を掴んで上半身を上げさせた。


「おいおい、髪は止めてくれよ。死ぬまで残しておくつもりなんだからよ」

「息子さんの店が、火の車なんだからさ。教えてあげれば、良いじゃない。ね? うちらみたいなヤクザに金を借りてるぐらいなんだからさ。過去は水に流して、助けてあげようよ?」

「もう、息子たちの店だ。俺が口出しする問題じゃ――」

「うっせぇ! とっととしゃべれ!」


 そこで、激高した粗暴な男が、背中を踏みつぶした。

 サングラスの男は表情ひとつ動かさず、店主を諭す。


「大怪我しないうちにね。しゃべったほうがいいよ。なにせ、身内に売られたようなものなんだ。警察だって助けに来てくれたりはしないんだからさ」

「助けならいるよ。ここにね!」


 鍵がかかっていたはずの事務所の扉。

 それが、豪快に開け放たれ、ひょいと子供が姿を現した。


 賢哲会議を動かし店主の居場所を突き止めたラーシアが、単身乗り込んできたのだ。


「なんだぁ、ガキがなんでこんなところにいやがるんだ。それに、外の連中はなにやってやがんだぁ」

「悪いけど、これでもボクは成人してるんだよ」


 粗暴な態度は演技ではなく、素だったようだ。 

 まるでサッカーボールでも相手にするかのように、ラーシアを蹴ろうとするが……。


「いでえぇぇぇっっっ」


 次の瞬間、ふくらはぎから短剣(ダガー)を生やし、その場に崩れ落ちる。


「あと、外の連中はみんな旅立ったよ。夢の国にね。黄泉の国には行ってないと思うよ、きっと」


 暴力を生業にしてきた男が、それを超える本物の暴力に制圧された。


 次に行われるのは、蹂躙だ。


「まあ、大人しくしてなよ」


 あまりの事態に、店主は目を丸くする。だが、ラーシアは動じない。

 汚物でも見るような目で大男を一瞥し、その小さな体躯で首を絞めて落としてしまった。


「どうやら、見た目通りでは――」


 サングラスの男は、相棒が気絶しても動じない。

 あくまでも冷静に、懐から銃を取り出そうとし……。


「やるの?」


 腹に刃を突きつけられ、硬直した。

 いつの間に、ラーシアが近づいてきたのか。まったく分からなかった。


 いくつもの暴力を経験してきた男が、恐怖に震える。


 そう、恐怖だ。


 鉄火場など、いくつも経験している。顔の傷も、伊達ではない。


 にもかかわらず。

 否、だからこそか。


 怖い恐い怖い、恐かった。

 ニット帽をかぶった子供が、心の底から恐かった。


「無駄なことは、しないほうが良いと思うんだけどな」


 明るい、春の風のように弾んだ声。

 少なくとも、店主にはそう聞こえた。


 だが、サングラスの男には、死刑宣告にしか聞こえなかった。


 殺される殺される殺される殺される。

 なにをしても、しなくても。

 殺される殺される殺される殺される。


 だが、一寸の虫にも五分の魂があるように、サングラスの男にも意地があった。漫画や映画ではないのだ。事務所が素人の襲撃でつぶされるなど、ありえない。 


 震えるような声音だったが、なんとか言葉を絞り出す。


「け、警察を呼んでも無駄だ……」

「警察? そんないいところになんか、突き出してやんないよ」


 しかし、それは無駄だった。無駄な努力だった。

 とはいえ、気に病む必要はない。


 なにをしても、逆転の芽などない。ただ、それだけの話なのだから。


「それより、いつまでボクの師匠を掴んでるのさ」


 銀光一閃。

 サングラス男の腕が切り裂かれ、血と悲鳴がほとばしる。


 しかし、ラーシアはそれには構わず師匠と思い定めた店主の拘束を解く。


「遅くなって、ごめん。おかげで、髪が……」

「心配するな。こいつらは、まだ生きてる」


 場違いな冗談を言い合い、事務所に笑い声が響きわたる。

 この状況で冗談を言い合えるとは、店主も相当に肝が据わっていた。


「いってててて、笑わすなよ。すまねえな。怪我が治るまで、修業はつけられそうにねぇ」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。なんとかするから。息子さんの店も含めてさ」


 ユウトからもらった時間は、あと一週間。

 時間は無駄にできない。

 ここは、魔法薬の使いどころだろう。息子の店は、賢哲会議に投げればいい。


 店主は、もう、大丈夫。


 さて、残りはこっちだと、ラーシアは腕を押さえるサングラス男に向き直る。

 和解の条件を突きつけるために。


「こっちが指定した銀行口座に、毎日50万円振り込んで。期間は……とりあえず一年間で。その先は、改めて決めようかな」


 有無を言わせず、ラーシアは要求を叩きつけた。

 これは、交渉ではない。


 ――判決だ。


「もし、支払いが遅れたり、誰かを泣かせて作った金だったりしたら……分かるよね?」


 店主がいるため、これ以上、手荒な真似はできない。

 だから、声と表情と。そして、雰囲気とで伝える。

 神と悪魔を相手にしてきた冒険者のオーラで伝える。


 もし反抗したら分かるな……と。


「お金がない? 高利貸しに連絡したりすると、いいんじゃないかな?」 

「う、うう……」


 自らの100倍。いや、比較もできないほど修羅場をくぐってきたラーシアの迫力に押され、サングラス男は壊れた機械のように首を上下に振り続けた。





 そんな「ささやかな」アクシデントがありつつも、一ヶ月にわたるラーシアの修業は終わりを迎えた。


 ファルヴへ戻ってきたその日。

 城塞の食堂兼会議室で、ラーシアとヨナが二人きりで相対していた。


 卓上には、ラーシアが作り出した渾身の一杯。

 たったの一週間ではあるが、濃密な修業をこなし。

 地球。いや、日本に比べれば劣悪な材料事情ではあったが、ブルーワーズで作り上げたラーシアのすべてを凝縮した一杯だ。


 ヨナは、それを無言で食べ続けていた。


 ヨナとラーシア。二人が喉を鳴らす音だけが、部屋に響き渡る。


 しかし、それも長くは続かない。

 一杯のどんぶりは無限の可能性を秘めているが、提供できる中身は有限だ。


「ふう……」


 沈黙を破ったのは、満足げなヨナの吐息と、どんぶりを置く音。

 思わず、ラーシアは体を前へ傾けた。


「ど、どうよ?」


 緊張に、声がやや上擦る。

 地球での試食は、問題なかった。もちろん、ヨナに出す前に味見もしている。


 だが、それとこれとは話が別だった。


「おいしかった」

「よっし!」


 ラーシアは思わず腕を突き上げ、歓声を上げた。


「でも――」


 それを無感動に眺めながら、ヨナは続ける。


「――のれん分けは認められない」

「……ですよねー」


 非情な宣告。

 にもかかわらず、ラーシアはさばさばとそれを受け入れた。


「やりすぎ。これはもう、うちの店の味とは言えない」

「ここは任せて先に行けって格好良く死ぬところで、ほんとに倒して追いついちゃったみたいな」

「そういうこと」


 ヨナがうなずき、ラーシアがいたずらをとがめられたときのように笑う。


 ヨナが開発したのも、同じ醤油ラーメン。


 しかし、両者は似て非なる物になってしまった。同じ看板で提供することなどできないほどに。


「だから、ラーシアは別の店を出すべき」

「やっぱ、そうなるかぁ」


 いささか計画とずれてしまったが、仕方がない。

 今はそれよりも、ファルヴにおける食のオーソリティであるヨナに認められたことを喜ぼう。

 そして、まずは、師匠と同じように屋台でも出そう。


 種族特有の切り替えの早さで、ラーシアは次なる目標に目を向ける。


「よっし。じゃあ、やるかぁ」

「こっちも負けない」

「ボクだって」


 草原の種族とアルビノの少女が、がっちりと握手を交わす。


 それは、このブルーワーズにおいて、新たな文化が生まれた瞬間だった。





 巷間でささやかれる、ひとつの噂がある。

 とある草原の種族が、ラーメンという異世界の麺料理を提供する屋台を出しているという噂が。


 その屋台は、ファルヴや、ハーデントゥルム、メインツといったイスタス公爵領のみならず、ロートシルト王国の王都セジュールやフォリオ=ファリナでまで、店を出すことがあるという。


 そして、あるメニューの注文は、裏仕事――暗殺など――を依頼する符牒となっている。そんな噂も流れていた。


 ある夜。

 それは、冷たい風が吹く夜だった。


 噂を聞いて、すがるような瞳で屋台を訪れた少女がいた。


 噂通りの屋台があったことに、驚きと安心を感じ。

 同時に、本当に噂通り仕事を受けてくれるのか。次なる不安が芽生えた。


 少女は、怯懦を振り払うようにぎゅっと拳を握り、震える声で注文をする。


「ごめんください。あの、『ネギラーメンをください。麺と玉子は堅めで』お願いします」

「……なるほど」


 噂通りの草原の種族の店主が、じっと少女を見つめる。


「若い身空で人を殺したいほど憎むのは、余程の事情がありそうだ」

「それは……」

「分かった分かった。事情は聞くし、なぜ分かったのかも話すよ。でも、まずはうちの自慢の一杯を食べてからだ」


 寒い夜には、なによりのごちそうだよ。

 そう人好きのする笑顔を浮かべ、草原の種族は麺を茹で始めた。

お待たせしました、番外編となります。

次の番外編は空白の一年間にあった、ヨナとレンが大人になっちゃう話になると思います。


本当はもう少し早く更新するつもりでしたが、せっかくなので新作の公開に合わせようかなと思っていたら……新作の書きためがなかなか進まないという。

新作は、二作品用意していたりします。

タイトルは、「人形転生-カカシから始まる進化の物語-」と「プリンセス・アライヴ―異世界のお姫様が俺の料理で魔力補充―」の予定です。

早めに公開できるよう頑張ります。

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― 新着の感想 ―
[一言] ラーシアが引く屋台のサイズ… 馬か魔法でなんとかするんだろう! 考えたら負けだな!!
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