7.絶望の螺旋(中)
絶望の螺旋を撃退するため、ユウトはゼラス神とトラス=シンク神の下を離れる。
そうしても、大魔術師の心に狂気は生まれなかった。神々が正八角形の力場にこもらなければならないほどの霊気も、まったく重圧を感じない。
それは、仲間たちも。そして、ヴェルガも同じだった。
疑っていたわけではないが、知識神が指摘したとおりの制限――天上に生きる者のみを発狂させる――がかかっていることが証明されたことになる。
片手落ちのようにも感じるが、本来はそれで充分なのだ。
地上に生きる者たちが、絶望の螺旋に抗しうるはずもない。その姿を一目見ただけで、絶望の螺旋と同じ場に存在しているだけで。狂気に陥り、滅び去るだけなのだから。
ゆえに、この場に残ったユウトたちは、例外。
そして、唯一残された希望でもあった。
「神力解放」
冷静さを保つため、軽く息を吐いてから合い言葉を唱えるユウト。すると、右手に刻印が浮かんだ。
開いた呪文書に蒼き星地球が描かれた、ユウトだけの神力刻印が。
その右手で、呪文書から20ページ分、一気にもぎ取った。5ページずつの束を四人――ヴァルトルーデ、エグザイル、ラーシア。そして、ヴェルガ――へ放る。
通常はありえない、単体を対象とする呪文の同時発動。それを可能とする、神力刻印。
「神力解放」
さらに、神――見習い以前で自覚もないが――としての力を解き放ち、効果を増強して呪文を唱える。
「|《星の衣》」
物理的な攻撃を無効化、低減させる第五階梯の理術呪文。
持続時間が短く、事前に使用しておくことが難しい。そのため、習得はしたものの使用したことはなかった。やられる前にやれという戦闘教義で動いてきたというのもあるだろう。
しかし、今日は――もう、何日の前のことのように思えるが――頂上会議だった。
となれば、有力者たちの身を守る呪文は必須とはいえないが準備せざるを得ない。念のための準備が、この状況にぴたりとはまった。
前線で戦う四人の背に、青く光り輝く豪奢な外套が生まれた。
さすがに魔法の武器による攻撃までは無効化できず低減するだけの《星の衣》だが、神力刻印により強化された状態であれば話が違ってくる。
絶望の螺旋の攻撃にも、ある程度は耐えられるはずだ。
「ほう。まるで、英雄のようだな」
「ヴァルは英雄だろ」
質素堅実を旨とするヴァルトルーデが、珍しく煌びやかな外套に心を躍らせる。金がかかっているわけではないし、なにより、純粋に格好良くて気に入ったようだ。
これが終わったら、豪華な芝居がかった衣装を用意するのも面白いかもしれない。最悪、撮影ということで押し切りたい。
「婿殿からの贈り物、しっかと受け取ったぞ」
「そういうんじゃないし。あと、何分もしないで消えるけどな」
それでも嬉しいと、ヴェルガは妖艶に微笑んだ。
漆黒のドレスに、青い外套。それに、炎のように燃える赤毛。その取り合わせは実に豪壮で、女帝の風格が漂っていた。
「神力解放」
続けて、アルシアが冷静に支援を授ける。
トラス=シンクの愛娘の背後に、死と魔術の女神の聖印が浮かび上がった。
「我、ここに神々の威光を示す。悪を討つ為、手にしたる刃に輝きを与えん――《光輝なる刃》」
鎧や、クリーチャーの分厚い毛皮や鱗といった装甲を無効化する第八階梯の呪文。
エグザイルのスパイク・フレイル、ヴァルトルーデの熾天騎剣、ラーシアの複合短弓。そして、ヴェルガの大鎌が聖なる輝きに包まれる。
絶望の螺旋の眷属、蜘蛛の亜神イグ・ヌス=ザド攻略にも活躍した呪文だ。神力刻印により強化されたそれは、今回も必ず役に立つはず。
「じゃあ、やるか」
数十メートル先にある絶望の螺旋の核を見据え、エグザイルが鮫のように笑う。
自ら舌を噛み狂乱状態に入ると同時に、手慣れた様子で神力解放を行なった。
岩巨人の巨体が陽炎に包まれ、次の瞬間、山の如き巨体に変化する。自律稼働する盾も、龍鱗の鎧も、スパイク・フレイルも一緒に。
さらに、大武闘会にあわせて新調した鎧の特殊能力で、巨大化する。炎をまとったその偉容は、天上に住むものではあらねど、神と呼ぶにふさわしい存在だ。
それでも、絶望の螺旋の核には及ばない。精々が、塑像の女の上半身と同じ程度。
だが、エグザイルの闘志は鈍らない。それどころか、当然のようにいや増しに増していく。
「滅びをもたらすモノも、殴れば死ぬようになったんだろう?」
なら、殴って叩いて叩き潰してぶち壊すだけ。
今まで、炎の精霊皇子イル・カンジュアルも、蜘蛛の亜神イグ・ヌス=ザドも、タラスクスも、ムルグーシュ神もそうやって退けてきた。
絶望の螺旋だけが、例外であるものか。
「ヌオオオオオッッッ! オオオオッッッ!!」
一番槍は、エグザイルが取った。《光輝なる刃》をまとったスパイク・フレイルが数十メートルの距離を無にし、絶望の螺旋に命中。砲撃を受けた戦艦のように、絶望の螺旋の核が大きく軋んで揺れる。
衝撃と爆音が収まらぬうちに、宙に舞ったスパイク・フレイルを強引に制御して二発、三発と追撃を仕掛けた。月のように球体が欠け、今や絶望の螺旋は不滅の存在ではないと証明する。
力任せの攻撃は、地上で振るわれていたならば大地を割り街を灰燼に帰していたに違いない。
その威力、その迫力は神々にも劣るものではなかった。
「アァ――――――――ッッ」
だが、絶望の螺旋の核もやられっぱなしではない。下半身にあたる球体部分から無数の――そうとしか表現しようのない――触手を生やした。
まさに、剣林弾雨。視界を埋め尽くさんばかりのねじくれた触手が、エグザイルを貫かんとする。
その瞬間、まずラーシアが動いた。
「神力解放――《矢林弾雨》」
神力の霊気が複合短弓へと集まり、そこから一本の矢が放たれる。
それは、山のように巨大なエグザイルの頬をかすめ、スローモーションのようにその眼前で静止。
そして、数千の矢に増殖した。
一本一本では、ねじくれた触手には及ばない。しかし、三本、五本、十本と集い迎撃し絶望の螺旋の触手を撃ち落としていく。
「神力解放――《フレアバースト》」
続けて動いたのは、ヨナ。
精緻な、芸術と言っていいラーシアの技に比べると、こちらは実に大ざっぱ。
太陽にも似た巨大な火球を投射し、それで触手を焼き尽くす。まるで、害虫駆除でもするかのような傲慢さすら感じる。
しかし、効果も威力も絶大。後ろにいるユウトやアルシア――そして、アルビノの少女自身――まで、爆風で数メートル後退させられるほどの爆炎は、ラーシアの矢ごと触手を焼き払った。
それでもなお。
すべてを消滅させることはできなかった。
何本かの触手が自律稼働する盾を跡形もなく消滅させ、エグザイルへと迫りくる。
「ぬぅっ」
普段ならば当たるに任せる岩巨人だったが、今回はさすがにそうもいかない。
火炎が立ち上る巨体を翻すと、その動きにあわせて《星の衣》が形を変え、体全体を覆った。
果たして、それはしっかりと効果を発揮した。
蒼き《星の衣》はねじくれた触手を弾き――それで空いた穴から別の触手の侵入を許しても、輝く障壁で装着者を守る。
四本のねじくれた触手がエグザイルの両手両足を打ち据えたものの、エグザイル自身は元より四肢が消滅することもなかった。
今も、両手両足は体につながっている。
皮一枚で。
「おっさん!」
「ぐっ……おおおおおおっっっっ!」
ユウトの悲鳴は、エグザイルに届かない。聞こえていない。
痛みは、怒りに変換される。絶望の螺旋への、己への怒りに。
歯を食いしばり放たれる咆哮は、武器を振るえぬ憤りだ。
それが契機になったかのようにして、神術呪文《不屈の契約》が自動的に発動する。それで生命力が回復してなんとか命をつなぎ止めるが、四肢まではつながらない。
「我ら、滅びに抗う者也。汝、滅びを打ち払う者也。慈悲深き紅玉の女神よ、彼を癒し戦う力を与えたまえ――《奇跡》」
四肢を生やす呪文はもっと低い階梯に存在するが、それでは時間がかかる。
ゆえに、アルシアは最上級の神術呪文《奇跡》をもってエグザイルを癒す。
その効果は絶大だった。
無惨に打ち砕かれた四肢が見る見るうちに回復、いや、復元して力を取り戻す。
「おおおおおおっっっっ!」
復活の雄叫び。
スパイク・フレイルを握り直し、エグザイルが再び振り下ろした。
またしても、絶望の螺旋の核が大きく揺れる。
同時に、球体がまた欠け、それを補うために絶望の螺旋の傷口がうごめき、小さな触手が手を取り合うようにして穴を埋めていった。
「選定」
そこでようやく、ヴァルトルーデが熾天騎剣に付与を行う。
選んだのは、致命の一撃を繰り出す《鋭刃》、邪なる者を撃つ《聖化》、剣自体を巨大化させる《巨刃》。そして、神への《絶種》。
さらに、アルシアの《光輝なる刃》の光が、熾天騎剣の波打つ剣身を包み込む。年経た吸血竜の牙を、赤火竜パーラ・ヴェントの灼熱の吐息ブレスで鍛えたアダマンティンの刃で補強した最高の剣 。
ユウトに言われたとおり、物理的にどうにかするための選択だ。
それを絶望の螺旋に叩きつけるため、ヴァルトルーデが聖堂騎士にだけ授けられる呪文を発動させる。
「《雷光進軍》」
ヘレノニア神は休眠状態だが、加護は届いていた。
自らの代わりに滅びを討てと、最も強き信奉者に力を与える。
垂直に飛び上がったヴァルトルーデが聖なる霊気をまとうと同時に、雷光の如き速さで落下していく。
だが、その行く手にはねじくれた触手が待っていた。
「猪のための獣道。拓いてくれようぞ」
姿は変わろうとも、自信と尊大さは変わりない。
くるりとヴェルガが回転し、小さな体が舞い踊った。それと同時に振るわれた大鎌が、草でも刈り取るように触手を切り落としていく。
攻撃対象を変更し、赤毛の女帝へも触手が向かうが、ヴェルガは闘牛士のように《星の衣》を操りことごとくを反らした。
「婿殿の外套を、もっとも使いこなしておるのは妾じゃな」
自慢げにうそぶくその横を、ヴァルトルーデが通過していく。
このとき、二人の胸に去来した想いはなんだったのか。
それは判然とはしなかったが、絶望の螺旋の核にとって災難が起こったことは確かだった。
エグザイルの一撃一撃が砲撃であるならば、ヴァルトルーデの突撃は隕石の落下だ。
《雷光進軍》によって絶望の螺旋の核を穿ち、月のクレーターのような巨大な爪痕を残す。
「ぐっ……。そう、簡単にはいかぬか」
絶望の螺旋に着陸したヴァルトルーデ。その脇腹をねじくれた触手がかすめていた。痛みであれば無視できただろうが、表現のしようもない喪失感に、美しい相貌を歪める。
自動的に致命的な攻撃を防ぐ盾。
ずっと一緒に戦い続けてきた相棒のお陰で軽傷で済んだものの、篭手と一体化したその盾は大きくえぐれていた。
さらに、球体の下半身から無数、いや、無限にねじくれた触手が生える。
むろん、生えただけでは終わらない。
直立したそれが一斉に折れ曲がり、美しき聖堂騎士へと降り注ぐ。
「ヴェルガに、後れを取るわけにはいかんな」
実は気にしていたらしい。
熾天騎剣を構え、ねじくれた触手を軽々と斬り裂き、背後から迫るそれは《星の衣》で軌道を逸らす。
ヴェルガのように、踊るように優雅とは言えない。
しかし、質実剛健で見る者に安心感を与える戦闘だ。巨体のエグザイルより、小回りが利くのも幸いした。
攻撃に回る余裕はないが、致命傷を負う様子もない。
そう。致命傷は避けている。
だが、避けているが、そこまで。
一進一退の攻防が、いつ果てることなく続いていく。
「神力解放――《狙撃手の宴》」
そこに、一本の矢が割り込んだ。
最前まで姿を消していたラーシアが、いつの間にか出現し矢を放ったのだ。間隙を縫ったその一矢は、絶望の螺旋のその核の急所に突き立った。
否、草原の種族の勇士が放った矢が突き刺さったその場所が、急所となったのだ。
痛みにか、衝撃にか。絶望の螺旋の核が、暫時動きを止める。それで余裕を獲得したヴァルトルーデが球体の下半身から離れた。
役目を果たしたと、また隠形により姿を消そうとしたラーシア。
まるで仕返しのように――報復というには、あまりにも大人げない数の――ねじくれた触手が、草原の種族を追う。
ここで、ラーシアは逃げに徹した。
空中でトンボを切り、ぐるぐると急加速と減速を繰り返して、引きつけつつ引き離そうとする――が。
そのうちの一本を避けきれず、つま先に接触してしまう。
それで、右足全体が消し飛んだ。
「ラーシア、今――」
「ボクは、いいよッ」
しかし、ラーシアはアルシアの治療を拒否した。
飛行しているから足がなくても問題ないと、健在さを示すように矢を放っていく。
「よくもっ」
ラーシアのお陰で、ねじくれた触手から脱出したヴァルトルーデ。
絶望の螺旋への、そして自らへの怒りに任せ、塑像の上半身へと斬りかかる。
「囮の役目、ご苦労よの」
その奮闘を横目に、悪の半神が王錫を変化させた大鎌を振るった。
小さくなったヴェルガの所作は、軽快で小気味良い。滅びをもたらすモノであろうと、ユウト以外が触れるのを許可などできぬと、瞬間的に居場所を変えては《光輝なる刃》が宿った大鎌で斬り刻んでいく。
だが、ねじくれた触手は数が違う。
標的がばらけていようと関係ないと、点ではなく面で攻撃を仕掛けてくる。
「《突風》」
そこに、ユウトの理術呪文が飛んだ。
突風で対象を吹き飛ばす呪文を、触手ではなくヴェルガに使用して標的そのものを移動させた。
「婿殿からの愛を感じるの」
「信頼されていないということだろう」
いつの間にか、背中合わせに空中に立つ聖女と女帝。
不本意ながら、本当に不本意だが、お互いの背後を守りつつ、再び塑像の上半身へと迫っていく。
その時。
「アァ――――――――ッッ」
無機質な高音。
それが、塑像の上半身から放たれると、球体の下半身が形を変えた。
球体に円錐状の窪みが生まれ、そこから螺旋のようにねじくれた光線が放たれる。
「婿殿!?」
「ユウト、アルシア、ヨナっ!」
狙いは、ヴァルトルーデたちではなく、数々の支援を行なってきたユウトたち。
そこが要と看破したのか、それともただの偶然か。
万物を滅ぼす光線が、螺旋を描いて迫り来る。
「神力解放」
その前に、ヨナが立ちはだかった。
蓄積してきた精神力を振り絞り、超能力を解き放つ。
「《サイクロニック・ブラスト》――マキシマイズエンハンサー」
精神エネルギーが物理的な圧力を伴って風を巻き上げ、破壊の大渦が生まれる。
「《セレリティ》」
一発では終わらない。
「《フレアバースト》――マキシマイズエンハンサー」
太陽に等しいエネルギーが生まれる。
《サイクロニック・ブラスト》と《フレアバースト》。ヨナの、つまり超能力者が使用できる最大の攻撃、いや、破壊の術が合わさった。
凄まじいエネルギーを内包した火炎旋風。
それが、螺旋の光線と衝突し、激突し、対消滅――は、しなかった。
衝突し、激突し、そして、打ち勝った。
小さなアルビノの少女が放った超能力の破壊攻撃は、滅びの光線を消し飛ばす。
それだけでなく、絶望の螺旋の核そのものもカウンターで滅ぼした。世界を滅ぼすモノを滅ぼした。
「よっし!」
無表情で、しかし、それでも伝わるぐらい嬉しそうにヨナが跳ねる。
絶望の螺旋の核は消え去った。
ヴェルガでさえも、半信半疑ながら、惚けたように辺りを見回す。
それは罠だった。
いや、そのような行動をとらせるだけ、追いつめていたとも解釈できる。
しかし、だからといって慰めにもなりはしない。
絶望の螺旋の核。
上半身だけになった塑像の女が目の前にいた。
ユウトの目の前に。
「ユウトくん!?」
すぐ隣にいたアルシアの悲鳴。
しかし、それは悲劇を演出するだけで、問題解決にはなんら寄与しなかった。
そして、塑像が縦に割れる。
にちゃりと音を立てて開かれたその中に、ユウトは取り込まれてしまった。
またユウトがヒロインみたいと言われそうですが、仕様です。
悪しからずご了承ください。