5.天ニ生キル者ニ狂ヲ発ス
先週、先々週と更新減で申し訳ありませんでした。
今日から完結まで、毎日更新の予定です。
なにも、すべての神が黒衣の剣士レイ・クルスと剣姫スィギルの追放劇に見入っていたわけではなかった。
「《雷霆雷撃》」
エフィルロース神が秘跡で二人を縛り上げた最中、ヘレノニア神が生み出した雷雲が、《時流獄鎖》に囚われし絶望の螺旋の直上に現れた。
絶望の螺旋が通常時間に復帰した瞬間、稲光を起こすそこから数百の雷光が打ち据えることになるだろう。
それに続き、数多くの神々と天使たちが、また、数多の光球を生み出した。
火炎・冷気・雷撃・音波・強酸・猛毒・精神。
あらゆる属性の攻撃が、絶望の螺旋を包み込む。
さらには、草原の種族の種族神タイロンが無数の短剣を投擲し、狩人の守護神が矢を放つ。数多の使徒たちも、それに追随した。
やっているのは、ユウトと同じ。《時間停止》で時を止めた後、時間差で炸裂する《差分爆裂》を複数発動させるという連携技。
具体的な例を出さずとも、その威力は折り紙付き。
しかし、これは規模が違う。
そのひとつひとつで一軍を消し飛ばせるような攻撃が、絶望の螺旋の周囲に集まっているのだ。
それが一気に弾ければ、どうなるか。
レイ・クルスとスィギル。それにヴァイナマリネンを見送ってから、きっかり一分後。ユウトたちは、それを体験した。
まず、光と音が一緒に生まれた。《時流獄鎖》の効果が解けたと気づいたのは、その後のこと。
色とりどり――本当に様々な色彩が入り乱れ、そうとしか言えない――の光が乱舞し、視界を埋め尽くした。とっさにまぶたを閉じたが、それ越しでもまぶしさを感じる。
同時に、つんざくような轟音が頭を揺らした。
凄まじいまでの爆撃音。すぐ隣にいるヴァルトルーデがなにか話をしているようだが、ユウトは一言たりとも聞き取ることができなかった。
光と音のスペクタクルが一段落すると、次に訪れたのは衝撃だ。
空気が固形化しているのではないか。そう思えるほどの圧力がユウトたちの全身にかかる。かなり離れた位置にいて、なおかつ神々の庇護下にあるというのにこれだ。爆心地の状況は推して知るべし。
「すごいすごい」
ヨナも無邪気にはしゃぐというものだ。
しかし、まだ終わりではない。
煙が晴れ大気の沸騰が収まって状況が分かるようになったが、絶望の螺旋は当然のように健在。
螺旋状にねじくれた千の腕。
全身に無数の黒点が穿たれた巨人。
雲霞の如き雑多な蛇の群れ。
いくつもの海洋生物が入り混じった合成生物。
とぐろを巻く羽虫の集合体。
実体を持たぬエネルギーの影。
次々と幻影にも似た姿を変え、滅びの触手を四方八方に伸ばしていく。
「征くのである!」
あれだけで倒せないことは、神々も織り込み済み。
咆哮をあげたレグラ神が、徒手空拳で先陣を切る。
続けて、森の乙女エフィルロースが細剣で、ドゥコマース神が巨大な鎚で、竜神バハムートが爪と牙と尻尾で、岩巨人の神“銀の登攀者”ネムサクが棍棒で。
数え切れないほどの神々とそれに続く天使たちが、絶望の螺旋へと殺到していった。
その中でも出色の活躍を見せているのが、意外にもエフィルロースだ。
まるで失態を償おうとするかのように、細剣で触手をなぎ払い、茨で絶望の螺旋を縛り付ける。
「ふっ。ボクらが、手を下すまでもないようだね」
知識神ゼラスと死と魔術の女神トラス=シンクに庇護されながら、ラーシアが芝居がかった口調で言った。
その一言で、場の空気が一気に弛緩した。
ムードメイカーの面目躍如といったところか。
「うん。そうだな。前向きなのは良いと思うぞ」
「もちろんさ。ポジティブ!」
ユウトが苦笑しつつ応じると、ラーシアはさらにハイタッチでもしそうな勢いで声をあげる。
その間にも、魔術を得意とする神や天使たちが、遠距離から攻撃や支援を続けていた。
「この想像を絶する光景を前にして……さすが、ラーシアね」
この中では最も信心深いアルシアが、呆れ半分、感心半分で息を吐く。
だが、圧倒され続けたこの状況で、落ち着くきっかけになったのも確かだ。
お陰で、幼なじみ。いや、同じ男と結ばれた同輩の様子に気づくことができた。
「まさか、あの中に飛び込んでいこうなんて考えてはいないわよね、ヴァルトルーデ」
「お、おおう」
いつもの愛称ではなく名前全体で呼ばれ、聖堂騎士は動揺する。
図星を突かれているから、ではないはずだ。
「……そ、その注意なら、ヨナにするべきではないか?」
「だいじょうぶ。ユウトかアルシアから、いいって言われない限り手を出さない」
「……うっ」
ヨナにすら負けている。
それに気づき、ヴァルトルーデがショックを受ける。もっとも、熾天騎剣から手を離そうとはしていなかったが。
「惜しいな」
「ヴァルが突っ込んだら、エグも一緒に行けたもんねー」
「というか、二人とも。それよりも、さっきの自己犠牲みたいな真似止めろよな」
いろいろあって今思い出したとユウトから注意が飛ぶものの、二人とも目を目を合わせようとしない。
ユウトがなおも追及しようとしたその時にも、眼下では、神々の戦いが続いている。
これが地上で行われていたら、いや、天上であっても、地は裂け、天は悲鳴をあげるような激戦。リィヤ神の書き割りがなければ、周辺一帯は人の住めぬ地になっていたに違いない。
今のところ神々が押し気味ではあったが、もちろん無傷ではいられない。
人だろうと、神だろうと。触れただけで消滅せしめる絶望の螺旋の触手を相手にしているのだ。
攻撃を避けるには神器を使い捨てにせざるを得ない。それでも消滅させられた四肢が出てくる。それを自ら切り落とし再生させていた。
それも、神だからできること。
天使たちは、力及ばず滅び去る者も多い。
だが、まだ前哨戦に過ぎない。
「このままなら、いけるのではないか?」
「そう信じたい……けど……」
神々すら傷つき、死の危険をはらんだ激戦は続いている。
その最中に言って良いことなのか迷いつつ、ユウトは口を開く。
「これでなんとかなるんなら、封印で済ませてはいないよな」
その指摘は、正鵠を射ていた。
そして、それが分からぬ神々でもない。
神々は、過去の経験から絶望の螺旋が正面から戦って駆逐できる相手ではないと分かっていた。なんとか異次元の牢獄に繋ぐことはできたが、それだけしかできなかったのが動かぬ証拠。
「貴様らの力、我に捧げよ」
しかし、神々も全知全能ではないが、無為無策でもない。
悪の相を持つ神の頂点、悪神ダクストゥムが、すべての神に号令をかけた。
絶望の螺旋に挑みかかる前衛と、後方で攻撃や支援をする神々の中間に腕組みをして立つ。
威風堂々。
その態度は、悪神ではあるが、神々の王と呼びたくなる威厳に満ちていた。
「――心情はどうあれ、協力は惜しみません」
最初に動いたのは、太陽神フェルミナだ。
古代の巫女のような装束で利き手を一振りすると、ダクストゥムの背後に日輪が生まれる。
「なんとまぶしい……」
ヴァルトルーデが、おそれおののくように言う。
確かにその日輪は、太陽の苛烈な一面だけを集めたかのようだった。
そこに、神々が放出した魔力が集っていく。
「滅びるのは貴様だ、絶望の螺旋!」
力が満ちるのを感じているのだろう。ダクストゥム神が、不敵に微笑む。その傍らでは、自らも力を注ぎながら、悪の愛妻ベアトリーチェが恍惚というにはいささか淫蕩過ぎる表情を浮かべていた。
力が高まるのを感じ、エフィルロースたち前線の神々がばっと離散する。
それにあわせて、ダクストゥム神が力を解き放った。
「《運命創出》」
悪の主神とでも言うべきダクストゥム。
日輪を吸収したその悪神の指先から、周囲を圧倒する光線が放たれた。
白光。
光芒。
衝撃。
熱量。
無音。
世界の創造にも等しい力が集まり、絶望の螺旋へと叩きつけられる。
書き割りの世界が揺れ、それを維持するリィヤ神が美と芸術の女神らしからぬ苦悶の表情を浮かべた。アカネの功績により地上に芸術を愛する心が広がり力が増していなかったら、ここですべてが終わっていたかもしれない。
それほどまでのこれは、ただの攻撃ではない。
絶望の螺旋を滅ぼすための手順のひとつ。
核を引っ張り出す。いや、正確には創り出す。それを崩壊させれば、絶望の螺旋も滅ばざるを得ない。そんな一点を創造する。
ラーシアが神力刻印で行なった、急所を突くのではなく突いた場所が急所だったという因果の逆転にも似た。しかし、それを遙かに超える運命改変。
この戦いは、もはや物理的な力も魔術の冴えも及ばぬ領域。
運命を操作し、制したものが勝利を掴むのだ。
「――――――――ッッ」
声にならない声が、絶望の螺旋から放たれた。
それは人知を。否、神の認識さえも超えた産声だ。
千変万化の不定形だった絶望の螺旋が、歪み、こねられ、ねじくれてひとつの形を取っていく。
それは、地球に見えた。
いや、実際には似ても似つかない。球体が惑星に見えただけなのだろう。灰色で、血管が浮き出たような形が露わになり、ユウトの背に悪寒が走る。
変化は、まだ止まらない。
球体が歪み、こねられ、ねじくれて上部に人の上半身が生えてきた。
生命力も活力もなにも感じられない。不死の怪物の不気味さすらもない。
完全に無機質な塑像の女だ。
だが、見てくれなど関係ない。
これが、絶望の螺旋の核。
これで、絶望の螺旋を打ち倒すことができる。
レグラ神が徒手空拳で、森の乙女エフィルロースが細剣で、ドゥコマース神が巨大な鎚で、竜神バハムートが爪と牙と尻尾で、岩巨人の神が棍棒で。
そして、ヘレノニア神が百と一の神剣で。
数え切れないほどの神々とそれに続く天使たちが、絶望の螺旋の核へと殺到していった。
それを迎え撃つ絶望の螺旋の核。
その下半身に当たる球体から無数にねじくれた触手が飛び出し、天上に住まう者たちを滅びへと誘う。
神話の、それも終末神話を連想させられる、壮絶な光景。
核といっても、決して弱体化しているわけではない。
未だ神々の損失は一柱もないが、接近するためだけの間に滅び去った天使たちは数百では利かない。
それでも、核を現出させられて変質はしているのだろう。
今までは絶望の螺旋のねじくれた触手に触れられていただけで、神々であっても四肢を失い再生せねばならなかった。天使たちなど、それだけで消し飛んでいた。
しかし、ダクストゥム神によって存在を書き換えられた今は、天使たちであっても数発は耐えられるようになった。
それは単に、触れただけで消滅――蘇生すらできない――から、触手の攻撃で死を与えられたなら消滅させられるに変化しただけなのだが。
「フ、ハハハハ。斬り刻め! 刺し貫け! 叩き潰せ! 神威を示せ! 暴力を讃えよ!」
自らの力が契機となり、善悪関係なく神々が動いている。特に、兄弟神であるヘレノニアが。
それは、悪神ダクストゥムの自尊心を満たすに充分だった。小生意気な大魔術師がぽかんと眺めているのも、愉悦を感じずにはいられない。
実際、神々の軍勢による総攻撃は、それだけの迫力があった。
触手の攻撃をかいくぐり、絶望の螺旋の核に取りつくと大陸が。いや、世界がひとつ滅び去るほどの攻撃を見舞っている。
あの絶望の螺旋が。滅ぼすことなどできずに封印するしかなかった絶望の螺旋が押されていた。
いや、それどころではない。
球体は欠け、塑像の女もボロボロに傷ついているではないか。
勝利は目前。
哄笑をあげ、勝利を確信するダクストゥム。
だが、それは他ならぬ絶望の螺旋によって遮られた。
「アアァア――――――――――――ッ」
高く、意外にも美しい声。
いや、脳が声と認識しているだけで、それはただの音に過ぎない。
「どういう……こと……だ?」
けれど、その効果は絶大だった。
目の前の光景が信じられないと、ヴァルトルーデが目をむいた。
それも当然。信じられないのは、皆同じだ。
森の乙女エフィルロースが細剣をレグラ神へと向け、その分厚い筋肉を刺し貫く。
レグラ神も負けてはいない。腹筋で細剣を掴んだまま、エルフの女神の顔を歪むほど強かに殴りつける。その勢いで、腹筋から細剣が抜け、第二ラウンドが始まった。
突如として始まった同士討ち。
善の神が悪の神を。
悪の天使が善の天使を。
善の神が善の神を。
悪の神が悪の神を。
虚ろな瞳で、明らかに正気を失い。否、狂気に陥り、天上に住まう者たちが相争う。
レグラ神に顔を殴られたエフィルロース神は歯をむき出しにして威嚇する。目から口から血を流しての咆哮には迫力があったが、力の神には通じない。
逆に叫び声を上げて威嚇し、森の乙女の白く細い首を掴んでへし折った。
あっけなく。森の乙女エフィルロースは。神は、死んだ。
滅びてはいないものの、復活にはかなりの時間がかかるだろう。
それも、絶望の螺旋の出方次第では、どうなるか分かりはしない。
「なんて、こった……」
ユウトも、それを呆然と見つめることしかできなかった。
そして、狂気は伝播する。
後衛に控えていた神々までもが、ついに同士討ちを始めた。無事なのは、咄嗟に防御幕を展開したゼラス神、トラス=シンク神、リィヤ神など幾柱もない。
また、正気を保ったと言っても、それだけ。防御と治療が精一杯で、攻勢に転じるなど夢のまた夢。
天ニ生キル者ニ狂ヲ発ス。
核をむき出しにした――創造したことで、露わになった絶望の螺旋のもうひとつの本質。
狂気。
それが、神々に牙をむいた。
ヴェルガ様登場までたどり着きませんでした。
許してください。次回から大活躍ですから。