1.最後の出撃
今回から、ラストエピソードの最終章に突入です。
「さすがジイさん。いてくれてると思ったぜ」
頂上会議を即時散会とし、ファルヴへと戻ったユウト。
自らの執務室へ《瞬間移動》した大魔術師が、にやりと笑った。余裕がない状態で浮かべた、無理やりな笑顔。
それでも笑えているのなら、上出来だ。少なからず余裕を取り戻したということでもあるのだから。
「余計な防御呪文がなければ、帝亀の背に乗り込んでやったのだがな」
応接スペースのソファにどっかりと座ったヴァイナマリネンが、憎まれ口を叩く。
「まったく、心配のしすぎだろう」
「それだけの重要人物がそろってたってことだよ」
相変わらずの二人だが、この非常時には頼もしく感じられた。
「さて」
しかし、いつまでも大賢者と遊んでいるわけにもいかない。
ユウトは周囲を見回して、確認から始める。
「……とりあえず、俺が最後でいいのかな?」
「ああ。待っていたぞ」
ヴァイナマリネンとユウトの間にすっと割り込んで、ヴァルトルーデが帰宅した夫を迎え入れる。
それは、夫の帰りを待ちわびた妻というよりは、戻ってきた主人に対して散歩をねだる犬のようでもあった。
そんなヴァルトルーデを制し、アルシアもユウトへと近づく。
「まず、軽く食事にしましょう?」
まだ昼食を摂っていないだろう――頂上会議が順調なら、終わってから食事会だった――ユウトに、トレイに乗せたサンドイッチとコーヒーを差し出す。
ヴァイナマリネンが《伝言》を送ったタイミングから逆算していたかのように、コーヒーからは、湯気が立っていた。
それをありがたく口にしながら、しかし、ユウトは時間を無駄にしようとはしなかった。
「んで、ジイさん。状況を詳しく説明してほしいんだけど。たぶん、二度手間になるとは思うけどさ」
「大丈夫。ユウトがいないうちに話を聞いても仕方がないからね。ボクたちも、詳しい話は聞いてないよ!」
「ああ。そういうことだ」
「ただ、壊すだけ」
ラーシア、エグザイル、ヨナ。
三人のいつも通りの――まるで成長していない――言葉に、ユウトは思わず笑みを零す。ただ、コーヒーの苦さが、より一層増した気はした。
この執務室にいるのは、以上の7人だけ。
アカネは呼んでいない。子供たちの世話を頼んでいるのだろうが、彼女の不在こそ、この切迫した事態を象徴しているとも言えた。
「じゃあ、改めて聞かせてもらおう」
最後のサンドイッチをコーヒーで流し込んでから、ユウトは立ったままヴァイナマリネンを正面から見つめる。
「レイの動向を直接確認したわけでも、あやつと言葉を交わしたわけでもない」
ゆえに、絶対確実な情報とは言えない。
そう前置きをしたうえで、大賢者は語り始める。
「情報の出所は、まさに動き出した諸種族の王の軍勢よ」
「なるほど。ということは、又聞きか……」
ヴァイナマリネン自身、今回の帝国征伐に公的に関わってはいない。
しかし、やはり気になるのだろう。
独自に動いていることはユウトも把握しており、その一環で情報を得たようだ。
「そういうことになるな」
ユウトの発言に、ヴァイナマリネンがあっさりと首肯する。
気を悪くした様子もないのは、大賢者も同じ認識だから。
証言者自身が誤った情報を信じていた場合は、どうしようもない。
「でも、わざわざ知らせたってことは根拠があるわけだ」
「ふんっ。話が早すぎてつまらぬな」
かつて、女帝ヴェルガから称賛されたユウトの察しの良さ。
ヴァイナマリネンは、それを面白くないと鼻を鳴らした。
そんな大賢者に任せていては話が進まないと、ユウトから食器を受け取ったアルシアが、片付けの手を止めて口を開く。
「今回の件で神託を得ようと儀式を試みたけれど、無効化されてしまったわ」
「失敗でも、分からないのでもなく、無効化……か」
今まで、レイ・クルスの動向は「分からない」状態だった。その生死も含め、神々にも分からない。いわば透明な存在。
とはいえ、地上の事象に関しては制限を受けるため、神々は全知でも全能でもない。
アルシアやセネカ二世でも神の意思を完全に理解はできないため、受け手の問題もある。
だが、今回は、それとは違う。
端的に言えば、妨害されたのだ。
神託の妨害など、同格の存在でしか為し得ない。
「ジイさんの《念視》も同じ?」
「ああ」
髭を揺らして短く答えるヴァイナマリネン。
そこに、忌々しいという雰囲気はない。ただ、静かな確信があった。
「レイ・クルスの背後に、神と同格の存在がいる」
精霊皇子と亜神と、そして神とも戦ってきたユウトたち。
そんな彼らにとっても、導かれた結論は驚くべきものだった。
しかし、それも一瞬のこと。
ヴァルトルーデは好戦的な笑顔を浮かべ、ユウトは考えに沈む。
「レイ・クルスは、リ・クトゥアで目的を達していた……ということ……?」
だから、ワドウ・レンカのサポートに徹していたのか。
レイ・クルスにとっては、邪竜帝すら余録に過ぎなかったのかもしれない。
「むう。一撃で倒さずに、白状させてからにすべきだったか」
「いや、あのときは妊娠中だったんだからな」
ヴァルトルーデのあまりといえばあまりな台詞に、ユウトはかなり真剣な調子で否定の言葉を投げかける。
下手をすると、カイトやユーリになにかあったかもしれない。
それを思うと、ベストではないがベターな結末ではあったのだ。
しかし、今となっては、「その時点では」と注釈をつけざるをえない。
「レイ・クルスが帝都ヴェルガにいるとして……」
言葉の上では仮定だが、ユウトはほぼ確信していた。
けれど、その目的が分からない。
「本当にヴェルガの再臨が狙いなのか……」
「それとも、単に人を集めたいだけの嘘なのか、だね?」
後を継いだラーシアの指摘に、ユウトは難しい表情でうなずく。
それは、ヴァイナマリネンも同じだった。
「だが、解せん。ヴェルガがいるだけでレイの目的が達せられるのなら、とっくに行なっていただろうよ」
神に奪われた――彼の視点では――恋人スィギルと再び逢うため、悪の道に堕ちたレイ・クルス。
悪の半神ヴェルガの助力で、それは為し得るのか。
為し得るのであれば、なぜ悪の女帝が地上にいる間に助力を求めなかったのか。
「そこは、ほら。協力してもらうのもただじゃないから、恩を着せたうえで……とかさ」
「そうなると、ある意味で俺たちのせいってことになるな……」
ヴェルガが地上を去ったのは、ユウトの拒絶による。
にもかかわらず、因果は巡りつつあった。
こうしてまた現れようとしているのは、偶然か。それとも、運命なのか。
「いや、それはどっちでも良い。まだ、決まったわけじゃないしな」
そもそも、目的はおろか方法も不明なのだ。
「でも、どうやってヴェルガを再臨させる? まさか、人を集めて生贄に捧げるってわけでもないだろうし……」
「そうなのか? オレはてっきり、そのつもりなのだと思っていたがな」
シンプルそのものの、エグザイルの思考。
「そういえば、ヴェルガの母ベアトリーチェが、悪神を降臨させたときにも多大な犠牲が出たのだったか」
分かりやすい考えにヴァルトルーデも共感したのか、過去の事例を出して可能性を補強する。
「なんにせよ、悪しき行いの匂いがするな」
そのうえで、結論は直感に従って下す。
「呪文で分からぬのであれば、現場に行くしかあるまい」
「やっぱり、そうなるよな……」
現状では、妥当な結論。
しかし、ユウトには気がかりがあった。
「一応、習慣として戦闘用の呪文は準備してるけど……。それなりでしかないんだよなぁ」
今日は、すでに《瞬間移動》も消費している。
ヴァルトルーデたちにかける付与呪文は問題ないが、神力解放を上手く使いつつやりくりするしかなさそうだった。
「世界の危機が起こっとるかもしれんのに、余裕だな!」
そんなユウトの心配に、同じ理術呪文の使い手であるヴァイナマリネンは豪快な笑い声を上げた。
「それはまた、ずいぶんと予定が繰り上がったものね」
会議というほどでもない話し合いを経て、急遽決定した帝都ヴェルガへの強行偵察。
無論と表現すべきか……迷ったのはユウトだけで、ヴァルトルーデ以下、全員がそれに同行することとなった。エグザイルなど、待ちくたびれたと背を伸ばして軽く体を動かしてくると出ていってしまったほど。
そして、肩すかしという意味では、アカネはその最たるものだった。
「えー? それだけかよ」
ヴァルトルーデに次々と呪文を付与していきながら、ユウトは納得いかないと抗議の声をあげる。
呪文やドラゴンのブレス攻撃、猛毒など、様々な障害への抵抗性を高める《抵抗力増幅》。
一部のモンスターが持つ死の視線や《即死の雲》の呪文など、負傷や体調を無視して死という結果を与える効果に耐性を得る《不死者の爪痕》。
火炎・冷気・雷撃・音波・強酸への強力な防護を与える《精霊円護》。
この辺りは“定番”で、使うほうも付与されるほうも慣れたものだ。
「気づいたのよね、最近」
「……なんにだ?」
ベビーベッドで眠る我が子の様子を気にしながら、ヴァルトルーデがアカネに続きを促す。
子供たちは、すやすやと眠っている。将来、大物になるのは間違いないだろう。
「勇人たちなら、大抵の相手はなんとかしちゃうじゃない?」
「まあ、そうかな……」
曖昧に答えつつも、悪い気はしないユウト。
しかし、それは表には出さず、次は盾や鎧などの防具に魔法の防護を授ける《魔装衣》を使用した。
信頼されていると思うと、呪文にも力も入る。
「そう考えると、無事に帰ってくるのは決まったようなもんじゃない?」
「そういうわけでもないと思うけど……」
「その通りだな」
正反対の認識に、ユウトとヴァルトルーデが目を見合わせた。
しかし、ここで否定しても始まらない。ユウトは妻に意見を譲り、もう一人の妻の続きを待つ。
「でもって、勇人たちがどうにかできない事態なら、誰にもどうにかできないわけで……。世界が滅びるしかないでしょ?」
アカネの独特のロジックに、ヴァルトルーデの理解が遅れる。
その間に、ユウトは最後の呪文を使用した。
「極論だけど……まあ、信頼されていると思おう」
使用したのは、呪文そのものを消去する《抗呪特性》だ。《抗呪特性》より前に掛けられた呪文には影響を与えず、逆に《抗呪特性》がかかってからでは味方の付与呪文にも抵抗してしまう。
ゆえに、最後に使用するのが、通例だった。
「そうか。そういうことで、良いのだな?」
「まあ、そう思ってもらったほうが体には良いだろ」
ようやく、アカネなりの激励――こちらは心配せずに頑張ってきて――という言葉だったと気付き、ヴァルトルーデが天使すらも見惚れる笑顔を見せる。
やる気は、充分のようだ。
呪文をかけ終えたユウトは、そんなヴァルトルーデから離れ、ソファに座るアカネへと近づく。
座ることはなく、腰を屈めて視線を合わせ、思いを口にした。
「でも、朱音とお腹の――」
「あ、たんま」
しかし、その言葉は当のアカネによって遮られる。
「……なんだよ」
勢いをそがれ、ユウトが露骨に顔をしかめる。
「ほら。あんまり格好いいことを言うと、フラグになりそうじゃない?」
「……一理あるな」
ふっと、緊張が緩む。
本人は気づいていなかったが、ユウトの表情には、いつもの余裕が戻っていた。
「ああ。まあ、適当に行って帰ってくるよ」
この程度、初めてのことはない。
いつも通り、上手いことやって、そして、戻ってくる。
ユウトは、愛する人にそう告げた。




