3.二度目の大祭(後)
「いやー。ほのぼのするわねぇ」
「まあ、基本的には同意するけどな。あと、それ、さっきのクレスたちのことじゃないよな?」
美神の劇場。
その舞台正面に設えられたバルコニー席で、ユウトたちは観劇の真っ最中だった。
ユウトとアカネは立派なソファに座って。ヴァルトルーデとアルシアは、それぞれ子供を抱いてバルコニーの縁に立って。
アカネが悠然としていること。それに、赤子を連れていることからも分かるように、上演されているのは本職による演劇ではない。
舞台にも、観客席にも、どこかほんわかとした空気が流れている。
アカネの新作脚本のお披露目は、明後日から。
今日は、初等教育院の子供たちによる芸術発表会だ。
そのため、客席には保護者たちしかいない。それが、いっそ牧歌的とすら言える雰囲気につながっていた。
当然、子供たちを優先することに不満は出たのだが、珍しく強権を振るって抑え込んだ。情操教育の重要性を優先した……というよりは、子供たちに様々な経験をさせたかったというのが一番の理由か。
その想いがどの程度通じたかは分からないが、最終的には美と芸術の女神リィヤの神託が下り、丸く収まった。
芸術を愛し、生み出す者はすべて我が愛し子。
そのリィヤ神は、そんな理屈を振りかざして保護者限定の観客席に陣取っているかもしれない。
「ほら、カイト。白いお姉ちゃんが出てきたぞ」
露台の縁に立つヴァルトルーデが、抱き上げた我が子の腕を取って左右に手を振らせた。
「ユーリも、ヨナのことが好きなのね」
嬉しいが、将来が少し心配になる。
そんな声音で、アルシアがつぶやいた。
しかし、そんな母の心配など知らぬげに、ユーリはきゃっきゃと舞台へ声援を送っている。
「ふっ、はははは。今日も大漁だ! アジトへ戻るぞ」
「へい!」
馬に乗った盗賊の頭が、金貨の袋を掲げながら部下たちに号令をかける。馬は、ヨナが《アストラルストラクチャ》の超能力で作り出したもの。意のままに操れるし、精神物質でできているため、持続時間が切れたら勝手に消滅する。
それも含めて、演劇とは思えない迫力だった。
数十人いる部下の盗賊たちも、一人馬に乗ったお頭のあとを一糸乱れずに追って舞台を周回する。あわせて、陽気に歌いながらなのが学芸会っぽいとユウトは微笑む。
原作は、アリババと40人の盗賊。
それをアカネがアレンジし、責任者であるレンの父テルティオーネが監修したものだ。
「うわぁ。ほんとにヨナちゃんがお頭やってるのね」
「似合ってちゃいけないはずなのに、はまり役だなぁ」
オペラグラスを覗きながら、ユウトとアカネが驚きとあきれの声をあげる。
ヨナといえば盗賊を退治する側だが、ドラゴンを倒した後は案外あんな風に威厳がにじみ出ているのかもしれない。
「しかし、私の見間違いでなければ、ヨナが大きくなっているように見えるのだが」
「ヴァルが見間違うとかあり得ないだろ」
ユウトはソファから立ち上がると、カイトを抱くヴァルトルーデの横――アルシアの隣でもあるが――に入り込んだ。
「実際、ヨナは成長してるよ」
アルビノの少女の行動は相変わらずだが、成長期なのか、それとも、レンとともに急成長した事件の影響なのか。かなり背が伸びていた。
それでもユウトの目から見れば子供であることには変わりないのだが、健やかな成長は嬉しく、そして、寂しさもある。
「そうね。もう、おんぶするのも大変になったものね」
「やろうと思えば、まだまだ行けるけどね。単に、俺の背中はカイトとユーリのものになっただけだからね」
「ごめんなさい。そうだったわね」
全部分かっているわよと言わんばかりに、アルシアが柔らかく微笑む。
その笑顔から逃れるように、ユウトはカイトとユーリを順番に撫でていった。
「良かったな。お父さんは、おまえたちに操を立てているようだ」
ヴァルトルーデにまでからかわれたユウトは、逃げるように舞台上へ視線を移動させる。
そこで、気になるものを発見した。
「あれ? アルシア……姐さん」
最近は、二人きりだと名前だけで呼ぶことのほうが多かった。
だから言い間違えたというわけではないが、少し驚いて思わず出てしまったのだろう。
舞台は、最初の山場。
ヨナこと盗賊の頭が「オープン・セサミ」と合い言葉を唱え、財宝が姿を現すシーンに突入していた。
その金銀財宝の輝きに、観客席からどよめきが起こる。
それも当然。
すべて、本物なのだから。
「作るぐらいなら、持ってきたほうが早い」
そのヨナの主張に反論できる者はいなかった。テルティオーネも、「ちゃんと管理しろよ」としか言わなかった。
そして、ユウトも持ち出しには了承を出している。
だから、驚いたのは、そこにではない。
40人の盗賊の中に、見知った子供がいたのだ。
「確かあの子、ムルグーシュ神の大聖堂にいた」
「ええ。元気に通っているわよ」
アルシアと因縁深い、今となっては目を持たぬ生物たちの守護神へと零落したムルグーシュ神。
かつて、その信徒たちが神に捧げるために集めた盲目の少年少女たちがいた。
アルシアは彼らに手ずから治療を施し、トラス=シンク神殿に孤児院を併設して大切に見守ってきた。
彼らの中でも年長の者は、孤児院から初等教育院へ通い、今日この舞台に立っている。
それも、一人だけではない。何人もがだ。
アルシアは、ヨナの保護者としてだけではなく彼らのためにも足を運び、元気に歌い演じる子供たちの姿をダークグレーの瞳に焼き付けている。
そんなアルシアを、ユーリと一緒に、ユウトは背後から抱きしめ祝福した。
ユウトたちが最後に訪れたのは、神の台座にある力の神の闘技場だった。
これ以上の遠出は、様々な意味で難しい。あとは、個別に顔を出す予定だ。
ただ、今回に限って言えば、移動は楽だった。
ヴァイナマリネンが飛行船でファルヴの城塞に乗り付け、それに半ば強制的に乗船させられ目的地へ赴いたからだ。
ヴァイナマリネンとドラヴァエルたちが共同開発した飛行船。
先端が尖った長細い円柱状で、尾翼もついている。大きさは違うが、初めて見た時にユウトやアカネはミサイルを連想した。
外部の枠組みには、鉄に比べて非常に軽い魔法銀を惜しげもなく使用し、気嚢にはヴァイナマリネンが新たに作成した呪文で精製した浮遊用ガスを詰めている。
そして、動力源にはレシプロエンジン。
明らかに、オーパーツである。
ブルーワーズの文明レベルで作成できるものではない。いや、あってはならない。
だが、地球から取り寄せた技術資料とドラヴァエルたちの技術力。それに、地球にはない素材と呪文の力で強行突破した。
正直、ユウトとしては認めたくない代物だ。
しかし――
「勇人も、大体同じことやってるのよ?」
――という意見もあり、とりあえず黙認することにした。
量産できるものではないし、ヴァイナマリネンも技術を拡散するつもりはない。加えて、大賢者の莫大な財産の半分以上を費やした結果でもある。
真似はできないし、できるものでもない。
それに、子供のようにはしゃぐヴァイナマリネンの様子を見ると、強くは言えなかった。
けれど、ユウトにはひとつだけ心配があった。
今回は初めてではないのだが、飛行船に乗ると、カイトとユーリが妙に嬉しそうなのだ。
空を飛ぶという、普段はできない経験にはしゃいでいるのか。
それとも、操船するヴァイナマリネンの髭を引っ張るのが楽しいのか。
どちらにしろ、我が子の将来が気になるユウトだった。
「おお。間に合ったようだな」
「それは良いけど……凄い光景だな、これ」
そうして闘技場の貴賓室に到着したユウトたちだったが、目の前には、また非常識な光景が広がっていた。
フィールドの片側。いや、ほぼ全面を埋め尽くすのは思い思いの武装に身を包む戦士たち。
間近に迫った対ヴェルガ帝国征伐戦に備え、力の神の修練場で訓練を積むクロニカ神王国から派遣された義勇兵たちだ。
一人一人が一騎当千――とまでは言えないが、戦場で充分活躍できる技量はあり、士気も高い。
それに対するは、エグザイルたった一人。
「ぬッッ、おおおおっ!」
にもかかわらず、強大な錨のようなスパイク・フレイルが振るわれる度、金属鎧に身を固めた戦士たちが宙を舞う。
鎧袖一触とは、まさにこのことか。フィールドの中央に陣取る岩巨人に攻撃はおろか、近づくことすらできはしない。
観客たちは絶句し、次いで興奮のるつぼに変わる。
これは、訓練だった。
多対多のではなく、圧倒的な個の力にいかに対抗するか。
対抗ができなくとも、経験を積ませるだけで、いざという時に違いが出る。
それを見越した、訓練だった。
カイトとユーリをアルシアとアカネに預け、貴賓室から食い入るようにそれを見つめるヴァルトルーデ。
彼女が、ふと思い出したように言う。
「そういえば、勝ったほうと私が対決するのだったな」
「いや、そんな話はない」
ユウトの言うとおり。もちろん、そんな話は、ない。
「いえ。ヴァルのことだから、本気でそう思っているのかもしれないわ。嘘は吐かないもの」
「アルシアさん、いくらなんでもそれは……ありえる?」
子供たちをあやす妻たちの言葉は聞かなかったことにし、ユウトはヴァルトルーデの説得を試みる。
「というか、勝ったほうって100パーセント、エグザイルのオッサンじゃねえか。二人でやり合ったら、絶対にエスカレートして真剣勝負になるだろうが」
説得というよりは、事実の指摘か。
「それは、当然だろう?」
「そこで、なんで胸を張って言うのか……」
あるいは、ただのぼやきか。
「ぬう……。少しだけ。少しだけでいいから。この闘技場なら、怪我も治るだろう?」
「まあそうだけど……」
ここで認めてしまうと、なりゆきでまた武闘会が始まってしまう。それは、なにがなんでも阻止しなければならない。絶対に。
しかし、上目遣いに迫られると無下にもできない……。
「……分かった。イスタスの大祭の最終日。最後のイベントとしてねじ込もう」
「おお! ユウト、愛しているぞ!」
感極まったヴァルトルーデが、ユウトの胸へと飛び込んでいく。
「調子が良いな。子供たちの教育に良くないぞ」
と言いつつも、ユウトは頬が緩むのを抑えられなかった。
「結局、認めちゃうのね」
「……仕方がないですね」
アカネとアルシアもあきれ顔だが、こればかりはどうしようもない。
平和で、満ち足りた時間。
一ヶ月も待たずにあんな大事件が起こるなど、この愛おしい日常風景からは、想像することもできなかった。