2.二度目の大祭(中)
「よう、ラーシア。順調そうだな」
アカネを伴い、我が物顔で裏側から入ってきたユウトが、軽く手を挙げ声をかける。
出店の裏側は、まさに戦場。むわっとした熱気が、入った瞬間に漂ってきた。
「まあね。失敗したら、ヨナにどやされるからね」
ユウトを見ようともせず、湯切りをするラーシア。なかなか、堂に入った動きだ。練習もしたのだろうが、才能だろう。
ヴァルトルーデのような派手さはないが、ラーシアの身体能力もそれに劣るものではない。
一行――あるいは、一家――が最初に訪れたのは、花嫁広場の一角に設けられた屋台スペース。
開始直後だというのにかなりの人混みだが、実はまだましなほう。ピークの時間帯には、ベビーカーなど使用できなかっただろう。
その中でも、最も込み合った店。
それが、昨年綺羅星のように現れたラーメンの出店だった。
評判が評判を呼び、今年も開始早々行列ができている。まさに一年振りという飢餓感が、それに拍車をかけているのは言うまでもなかった。
しかし、ヨナたちは別件があり、店には立てない。
そこで、ラーシアとその手下たちの出番となった……のは良いのだが。
「しかし、どうなんだそれは」
「どうって、リトナもハーデントゥルムで忙しいから仕方ないじゃん?」
厨房を忙しなく動きつつ、調理や接客をする手下――当然、ラーシアよりも大きな――たちを監督するラーシア。
だが、その背中には彼にそっくりな赤ん坊が負ぶさっていた。
草原の種族の種族神タイロン。その分神体であるリトナは、こちらも昨年好評で白熱した宝探し大会の運営で大わらわ。
そこで、ラーシアが子守をしながらラーメン屋をやっている。
「まるで昭和ね」
「ああ。まあ、俺たちは昭和を生きたことはないけどな」
しかし、時代劇を見れば江戸っぽいと分かるように、昭和っぽさもなんとなく理解できるのだった。
そんな思いを、顔を見合わして共有するユウトとアカネ。
同時に、ユウトはアカネの表情を観察する。
湯気や匂いでアカネの気分が悪くなるようであれば早々に退散するつもりだったが、顔色は良い。どうやら、大丈夫なようだ。ベビーカーを押して列に並んでいるヴァルトルーデとアルシアが戻ってくるまでなら、問題ないだろう。
ユウトは、そっと胸をなで下ろす。
「しかし、大人しいもんだ」
「まあ、これでも父親だからね」
少し照れて鼻の下をこすりつつ、輝くような笑顔を向けるラーシア。
こうなるまで紆余曲折があったのだが、それを全く感じさせない。
(気持ちは分からないでもなかったけどな)
まったく、兆候はなかった。
にもかかわらず、ある日突然、リトナが「ラーシアくんとの子供よ」と赤ん坊を抱いて現れたのだ。
妊娠も出産も、なにもかもすっ飛ばした子供の誕生。
分神体ならありえるのかもしれないが、覚悟も自覚もないままそんなことを言われてはラーシアならずとも混乱は必至。
DNA鑑定はおろか、血液型による診断もない世界。また、それらを地球から持ち込んだとしても、十全に働く保証もない。
親子関係を客観的に証明する術はなく、最終的には個人の判断に依拠する。
結果、ラーシアは姿を消した。
逃げたのではない。自分を見つめ直す旅に出たのだ。
その旅でなにがあったか語ることはなかったが、一週間後、ラーシアは戻ってきた。
男の顔になって。
それからは、ごらんの通りだ。
「そういえば、ユウト」
「ん?」
「これなら、アカネも食べられるんじゃない?」
そう言ってくるりと振り返ったラーシアの手には、使い捨てのどんぶりではなく陶器の平皿が乗っていた。
麺は同じ物を使っているが、山形に盛られたその上には、錦糸卵、ハム、きゅうり、トマトといった色とりどりの具材が乗せられている。
特に、トマトは南方大陸から持ち帰った種苗を美食男爵が品種改良して育てたものだ。日本で食べる物にも負けていない。
その上から中華たれがかけられ、ご丁寧に辛子まで添えられているそれは……。
「冷やし中華じゃない」
アカネが驚くのも無理はない。
いくらラーメンの出店をやっているとはいえ、逆に冷やさねばならない料理は難易度が跳ね上がる。
「酸っぱいものなら食べられるっていうからね」
「それで冷やし中華か。マメだなぁ」
「まあ、手慰みだよ」
「じゃあ、せっかくだから」
そう言って、おずおずと冷やし中華を受け取るアカネ。
箸を持ち、小さく一口。
「あっ、おいしい」
「呪文使って、冷やしておいたからね」
冷たくさっぱりとした口当たり。
きゅうりもしゃきしゃきとして良い歯触り。トマトはほんのりと甘い。麺もつるりと入っていく。
「合格ね。ラーメン屋でも開けるんじゃない」
「へへへ。アカネのお墨付きをもらっちゃったよ。試しに、やってみようかな?」
「事業拡大とか、これ以上忙しくしてどうするんだ」
イスタス公爵領の裏社会を統べる長がラーメン屋の主人をやっているなど、三文芝居にもなりはしない。
ユウトはそう思ったのだが、ラーシアは満更でもないようだ。
「いやぁ、試作品を食べさせてもらっちゃって悪いわね」
「良いよ、良いよ。せっかく来てもらって食べてもらえないんじゃ、看板に泥をぬるようなもんだからね」
アカネは、ラーシアのそんな様子には気づかない。
「ヴァルやアルシアさんよりも先に食べちゃった。妊婦も悪くないわね」
今の体ではヴァルトルーデのように食べ歩きは難しいと思っていただけに、嬉しさもひとしお。ユウトも一緒だという状況がそれに拍車をかける。
そんなアカネを、満足そうに眺めるラーシア。その背中で、赤ん坊も嬉しそうに笑う。
「ボクもね、そろそろ冒険だ、裏社会だ、世界の危機を救うだ、急所を狙うんだっていう年でもないしさ。店を持って落ち着くってのもありだよね」
「落ち着くのは、ラーシア自身だ。そんな草原の種族がいるか」
反論の余地もない正論。
しかし、ラーシアには届かない。
「リトナも、それがボクの選択ならついてきてくれるって言ってるしさ」
「えー?」
ラーシアが勇士と呼ばれるほどに活躍をしたから興味を持ったのではないのか。
それが、こんな小さくまとまって良いのか。
確かに、草原の種族としては非常に珍しい選択だろうが……。
(いや、種族の本分を曲げてなお、一緒になるぐらいぞっこんってことか? いやいや、ぞっこんとか、今時言わねえよ)
ユウトもまた、混乱していた。
「まあ、とりあえず、あれだ。大祭の間、頑張れよ」
「そうね。お、応援してるから」
そのため、問題を先送りすることにした。
「あ、どうも……」
「偶然だな」
花嫁広場から離れ、美神の劇場へ向かう道すがら。
二組の男女がばったりと、出会った。
一組は、言うまでもなくユウトたち。
一人一杯限定のラーメンを一杯半ほど食べ機嫌の良いヴァルトルーデと、甲斐甲斐しく子供たちの世話を焼くアルシアが先行し、その後ろをユウトとアカネが見守りながら進んでいた。
もう一組は、一年前からファルヴで“修行”をしているクレスと、その元冒険者仲間である魔術師のサティアだった。
しばらく宿暮らしをしていたクレスは、風邪を引いて倒れて以来、半強制的に家を借りさせられサティアと共同生活を送っていた。
いろいろ管理をされているらしいというのはラーシア情報だが、そんな二人だ。連れだって祭り見物に繰り出してもおかしなことはない。
ゆえに、ヴァルトルーデは気楽に声をかける。
「花嫁広場のほうへ行くのか? 結構な人混みだぞ」
「ま、まあ、今日はどこもそんな感じでしょうから……。見回りも兼ねてです」
「そうか」
一方、クレスは少しばつが悪そうだ。
まったく気にしていないヴァルトルーデとは、好対照と言える。
ユウトは、上司に出会って気まずそうなクレスを、数歩離れた位置から興味深そうに眺めていた。特に、「見回りも兼ねて」と言った瞬間のサティアの表情に気づかなかったクレスの今後は気になるところ。
なにしろ、あれから成長したクレスは、ユウトの父頼蔵と並んで、今やイスタス公爵家にとって欠かせない人材となっている。
クロード老人など、若さゆえの成長も込みで、自らの後継者にしようと半ば本気で考えているぐらいだ。
是非とも、プライベートも充実させてほしいところだった。
それなのに、ユウトは動こうとしない。
アカネは、そんな夫を責めるように見つめる。
「勇人、放置しといて良いの?」
「俺たちから言っても、こじれるだろ?」
「それはそうだけど……」
もどかしいと、アカネがユウトの腕を軽くつねる。
「仕方ないな」
……そうまでされては、一肌脱がねばなるまい。
「ああ、そうだ。良いところで会った」
あたかも今思い出したかのような声をあげ、ユウトはクレスへと歩み寄る。
「頼まれていた明後日のチケットだけど、直接劇場に行けば案内してもらえることになっているから」
「え?」
劇場? チケット?
演劇だろうか?
クレスに心当たりは、まるでなかった。
そんなものを頼んではいない。人違いではないか。
クレスが目を丸くして首を振り――
「ペアの良い席だぞ。楽しんでくると良い」
――かけたところで、ユウトに足を踏まれた。
「クレス……」
サティアがきらきらした瞳でクレスを見上げている。
ちゃんと自分のことも考えてくれていたのねと、感激している瞳だ。
こうなっては、いかにクレスといえども否定できるはずがない。
「あの、その……。はい。ありがとうございます」
クレスは、素直にユウトへ頭を下げた。
けれど、まともに行動できたのはそこまで。
当日の予定をどうするか考えているのだろうか、上の空で別れを告げた。
「接待用に残していた席ね?」
充分にクレスたちと距離を取ったことを確認してから、ユーリが座るベビーカーを押すアルシアが確認する。
「うん。余ってたからね。あれなら、父さんと母さんに回そうかなと思ってたんだけど……」
「それだけは許して」
「……まあ、妊婦の精神衛生を考慮して、有効活用してもらおうかなと」
大祭期間中の上演は、まさにプラチナチケット。
だが、スポンサーであり様々な意味で権力者であるユウトたちなら、なんとかなる。
それに、これから向かうバルコニー席は領主専用だ。両親には、そこを使ってもらうという選択肢もある。
「良いことをしたな、ユウト」
そうヴァルトルーデがまとめ、一行は劇場への移動を再開した。