幕間 異世界観光記、あるいはある女医の受難
結局、5000文字ぐらい書きました……。
「おお! これは、すごいっ! 中世ヨーロッパみたいだ!」
「……まあ、そうだろうねぇ」
愛娘の結婚式も終わり、旅立つ新郎新婦を見送った後のこと。
三木朱音――実質的にはすでに天草朱音だ――の父、三木忠士は移動のために繰り出したファルヴの街並みを見て興奮を隠せずにいた。
そんな子供のような夫を、口調とは裏腹に微笑ましそうに見守る恭子。
結婚式で着た留袖から、スラックスに薄手のブラウス。そして、ベージュのカーディガンを羽織った彼女からは、スマートで知的な印象を受ける。
「そんなに興奮するものではないよ。変な目で見られているじゃないか」
医師として海外の都市に滞在した経験もある彼女からすると、この異世界の街並みも完全に目新しいものではない。極論だが、オランダ村だのと銘打ったテーマパークと、外観は変わりないと思っている。
しかし、素朴というと語弊があるかもしれないが、現代にはない歴とした生活感が存在した。そのリアルこそ、ここが異世界と信じるに足る部分だろう。
「おお。あれ、ドワーフかな。ドワーフだな。髭すごい! ほんとに見ると興奮するね、恭子さん」
「さて、私にはなんのことだかさっぱりだな」
時折すれ違う、人間だが人間ではない人々。
夫は大興奮だが、恭子としては実に頭の痛い問題だ。
いや正確には、詳しく知りたくなってしまう。
もし彼らが急病にかかって、その場に居合わせたら。専門外などとは言っていられないではないか。
しかし、それも今さらだろうか。
エグザイルと初めて会ったときに思い浮かんだのが、「あの体にメスは通るのか? 手術になったら、どうする?」という心配だった。職業病と笑われるのがオチだから、誰にも言ったことはないが。
「くっ、一眼レフを貸したのが悔やまれる……ッッ」
コンパクトタイプのデジタルカメラを構えて本気で悔しそうにする夫の姿を見て、恭子はふっと笑った。
いつも通りの彼に安心したというよりは、今は観光中だということを思い出したのだ。
見れば、愛犬を連れたお隣の天草夫妻も、黒髪の美女の案内を受けながら普通に楽しんでいた。こちらへの移住を計画しているだけあって、ある程度慣れているのだろう。
ユウトの母春子はいつも以上にうきうきとしているし、父の頼蔵は……まあ、表面上はいつも通りだ。むしろ、目に見えて楽しそうだったら、そっちのほうが恐ろしい。
ともあれ、同じようにというのは難しくとも、楽しまなければ損だ。
「それにしても、随分清潔な街だね」
「うむ。そこはユウトが腐心していたところだな」
「さすが現代っ子だ」
お腹を大きくしたヴァルトルーデの解説に、恭子は素直ではない反応を返した。
しかし、ユウトがほめられたと勘違いしたヴァルトルーデは、得意げに説明を続ける。
「そのため、ユウトは呪文で基礎を作ったのだ」
「呪文で」
恭子はオウムのように言葉を返しつつ、自らが育んできた常識との折り合いをつけようとし……。
「まあ、深く考えるのはやめよう」
そもそも、目の前にいる義理の息子の嫁が腕を斬った傷が魔法薬とやらで治った瞬間に、細かいことはいいんだと割り切ることにしたのではなかったか。
「ああ、あの建物は素敵だな」
「あれは、美神の劇場。美と芸術の女神リィヤが下賜されたものだ」
「ソウカ。ソレハスゴイナ」
女神が下賜した。
要するに、神託の形を借りて神殿かなにかが造ったということなのだろう。そうに違いない。
アカネの要望――土下座せんばかりの――が通って看板が一時撤去されたため、まさか、ここで実の娘が脚本を書いた劇が上演され、あまつさえ奇跡を起こしたなどとは想像もしない三木恭子だった。
ユウトとアカネの両親を歓迎する意味を込めた異世界観光ツアー。
実のところ、ファルヴは目的地ではなかった。
それどころか、馬車鉄道でハーデントゥルムへ移動するための移動経路にすぎない。
結果として、その馬車鉄道が、恭子にとって最も心休まる時間となった。
「ねえ、コロちゃん。これは、どういうことなんだろうね?」
天草家の愛犬コロを胸に抱きながら、遠い目をする恭子。地球では女医として活躍する彼女だったが、その面影はどこにもない。
少なくとも、現実を見ていなかった。
馬車鉄道での短い旅は、風景も新鮮で、同行したラーシアの語りも軽妙。
ハーデントゥルムに到着した後も、忠士が言っていた「中世ヨーロッパ」風と現代風のファッションが混在する風景は奇異に映ったものの、割合余裕があった。
それは港に到着してツバサ号に乗り込むまでも同様で、恭子は自らのスマートフォンで撮影するほどに回復していた。
それが雲散霧消したのは、ツバサ号が海に潜ってからのこと。
そう、潜ったのだ。船が。
これが潜水艦であれば驚くことなどなかっただろう。しかし、美しい船だが、これは帆船だ。船が海中を目指したら、沈没船だ。
にもかかわらず、船――ツバサ号――の周囲は透明な皮膜のようなものに覆われ、海中を当たり前のように進んでいる。呼吸だって、なんの問題もない。
予期せぬダイビングに、忠士も春子も子供のようにはしゃいでいた。
あの頼蔵ですら、興奮を隠しきれない様子。
それも当然だろう。
遙か天空から注ぐ光が水の中で揺らめき、数多の魚が群れとなって泳ぐ光景は幻想的と表現するのも控えめだ。水族館など比ではない。
だが、その感動に乗り遅れた恭子は、コロとの会話に専念していた。
安全なのだろう。
そこは信頼しているが、実はロープウェイですら苦手な恭子だ。理屈も分からないスペクタクルを前に、現実逃避をしてもやむを得ないのではないか。
「キョウコ殿には、少し退屈だったか?」
「いや、そんなことはないぞぅ」
やや挙動不審気味に、それでも矜持を保ってヴァルトルーデへと答える。
「そうか。このあと、もっとすごいものが見れるからな。期待してほしい」
「もっと……?」
海中クルーズが目的ではなかったのか。
ずり落ちかける眼鏡を押さえようとし――コロを抱いているため、それは果たせない。
いったん下ろすか。
そう考えた恭子だったが、不意に光が遮られ、中断を余儀なくされる。
「お、着いたな」
「あれは、島……か?」
見上げながら言う恭子だが、それがあり得ないことに気づいていた。
水深数十メートルの海を行くツバサ号。
その頭上を丸々塞ぐ海面に浮遊する物体。そんな島があるはずがない。
「さあ、これから帝亀アーケロンとのふれあいコーナーだよ!」
操舵室から顔を出しながら、楽しそうにアナウンスをするラーシア。
恭子は知らぬことだが、アーケロンを次なる収入の柱に育てようとしているのだから、それも当然だろう。
「そうか。それは、楽しみだ……。ははははは……」
船を丸飲みする島よりも巨大な亀と遭遇し、実際に船ごと丸飲みにされ、そこから一気に外へ排出される。
これから、そんなアトラクションを体験するとは、まだ想像もしていない三木恭子だった。
「恭子さん、大丈夫?」
「大丈夫だよ、忠士くん。なんの問題もない」
「本当に……?」
「なぁに。かえって、免疫がつくってものさ」
ハーデントゥルムの港へと戻ってきた一行。
次は食事だということで――順番が逆でなくて本当に良かった――また徒歩で移動をしている。
そんな中、忠士は心配そうに恭子の背中を撫でる。
だが、恭子は毅然とした態度を保っていた。表面上は。
「うちのバカ娘と新しい息子さんには、お礼を言わないとね……」
「個人的には、結構楽しかったって言っておくよ?」
恭子から逆プロポーズを受け結婚した二人だが、忠士もこういう部分は意外とたくましい。
だからこそ……と言えるのかもしれないが。
ヴァルトルーデたちは、恭子のことは忠士に任せ、ややゆっくりとした歩調で次の目的地へと向かう。
目指す先は、玻璃鉄城。
ロンドンのクリスタルパレスにも似たきらびやかな建物。
しかし、今日はその美しさを覆い隠して余りある物体が横たわっていた。
「なんだね、あれは」
今度ばかりは、恭子だけでなく忠士も。
いや、天真爛漫な春子や不機嫌な表情が初期値の頼蔵ですらあっけにとられた。
当然だ。
ガラスの城から、鱗に覆われた巨大な生物――ドラゴン――が見下ろしているのだから。
「よくできているな」
「ラーシア……あなたね……」
感心するヴァルトルーデに、あきれるように言うアルシア。
その言葉のニュアンスを十全に把握できたとは言えないが、どうやら作り物らしい。
来訪者たちが、はっとして再度ドラゴンを観察する。
だが、レプリカというにはあまりにも生々しかった。今にも動き出し、咆哮をあげてもおかしくない。
「うん。ちょっとドラゴンの骨と鱗を持ってきて作ったよ。ぶっちゃけ、張りぼてだね」
「ああ。だが、意外と楽しかったな」
その工作に協力したということなのか。
エグザイルが、重低音の声で振り返る。
「ユウト抜きで、あれをあそこまで持ち上げるのはなかなか難儀だった」
「いや、助かったよ。ドラゴンフェアをやるから、その宣伝を兼ねてバーンと派手にやりたかったんだよね」
「ドラゴンフェア……?」
その声は、誰が発したものだったか。
少なくとも、意識をした人間は誰もいなかった。
「ん? 気になる? なるよね?」
「今度、客引き用の特別メニューとして、ドラゴンステーキを出すことにしたのよ」
「あっ。ボクの台詞を!?」
突如乱入してきた癖っ毛の少女が、場をかき乱す。
「あ。どうも、ラーシアくんの妻です。おほほほほ」
「これはご丁寧に」
動じない――あるいは真っ先に回復した――頼蔵が、代表して挨拶を交わす。
春子もにこやかに笑っているが、忠士でさえも「ドラゴンステーキ」の響きに我を忘れ、常識人である恭子は絶句していた。
「100歳ぐらいの若いドラゴンの肉なら、結構イケルってことが研究の結果分かったんだ」
「狩ってきた」
子供のような二人――ラーシアとヨナ――が胸を張って得意げに言う。
恭子は、もう、理解を放棄した。
「それは楽しみだね。だけど、悪いけど日本人の舌は肥えてるよ?」
「それでこそ! さささ。中に入って、美食男爵監修ドラゴンステーキを食べてみてよ!」
案内されたのはレストランではなく、開放的なフードコートのような場所。
三木夫妻は、ヴァルトルーデと同じテーブルに着いた。
ほどなくして、鉄板に乗せられた肉の塊が運ばれてくる。
パンやスープも一緒だが、やはり、ドラゴンの肉に視線が集まった。
ステーキと聞いて連想するような形ではなく、巨大な塊を輪切りにしたもので、中心には骨がある。
表面はこんがりと焼け、トマトソースだろうか。赤いソースがかけられていた。
「美味そうだ」
最初に手を出したのは、ヴァルトルーデ。
まったく躊躇せず、フォークを突き刺しナイフで切り分け口に運ぶ。
その粗野だが美しい所作に見とれていた恭子は、少し遅れて
「なるほど。そう来たか」
第一印象は、鶏肉。
上手く処理したのだろう、臭みはなくさっぱりしている。
噛み応えもあるが、これは筋張っているのではなく肉質に起因するものか。よく噛めばその分、旨味が出てくる。
脂の旨味に限って言えば、和牛などに劣るだろう。
だが、それは比べる分野を間違えているのだ。
ドラゴン。
恭子にとっては空想上の生き物であり、どんな生態をしているのか想像もつかない。
だが、その肉は、肉を食べているというプリミティブな満足感を刺激するものだった。
「すごいなー。味はよく分からないけど、感動してる!」
「感動というか、あれだね。上品に食べさせるよりは、丸焼きではないが、もっと野卑でも良いのではないかな」
「なるほど」
恭子の品評に、ラーシアが神妙にうなずく。
どうやら、ようやく普段のペースを取り戻せたようだった。
――しかし。
「前に食べた恐竜っていうものより、美味いな」
それも、ヴァルトルーデの感想を聞くまでのこと。
うちの子供たちは、いったいなにをしているのか。
いや、楽しそうだから良いのか? よく分からなくなってきた。
結局、三木恭子の揺り戻しは、異世界旅行が終わるそのときまで続くことになった。
これにて、第一章終わり。
第二章は、作中でちょっと時間が飛びます。
また、募集させていただいたユウトとヴァルトルーデの子供の名前も発表となります。
ご応募、ありがとうございました。