8.式の相談
「まず、根本的な話をしよう」
寝室でアカネと二人きりになったユウトは、真っ白なシーツに視線を固定して言った。
「その格好は、いったいなんなんでしょうか?」
「随分と、表層的な話ね」
うつむき加減のユウトに対し、アカネはやる気と稚気に満ちていた。
楽しくて仕方がない。そんな表情だ。
「いや、あの、その……。脈絡がなさ過ぎではないかと愚考するわけですが……」
「かわいいでしょ?」
照れて敬語になったユウトとは対照的に、悪びれる様子もなくアカネがベッドの上で招き猫のようなポーズを取る。
今にも「にゃーん」などと言い出しそうな姿だが、彼女の格好に相応しいと言えば相応しい。
胸元が開いて猫の顔のように見える下着に、猫の耳を象ったカチューシャを身につけた、今のアカネには。
「にゃー。内緒だよー」
恥ずかしがるユウトに気を良くしたのか、ノリで意味のない台詞を発しながら甘えるように体を擦り付けていく。
大胆で可愛らしく、小悪魔と呼ぶに相応しい所行。
「犬のほうが良かった?」
「いえ、大変結構かと存じます……」
未だユウトはアカネを直視できず、視線を外しながら応えた。
見つめてしまったら、どうなるか。それが想像できない状況ではない。
かといって、押しのけることもできないわけだが。
「勇人も、好きね」
「えー。俺の責任になるのー?」
「嫌いなの?」
「とんでもない」
しかし、目のやり場も含めて、困ったことになっているのは確かである。
特に、真面目な話をしようとしていた今は。
冷静になろうと、ユウトは深呼吸をする。
だが、それで、ほのかに薫るシャンプーの匂いを意識してしまい逆効果となった。
「じゃあ、好きってことで確定ね」
「……好きか嫌いかで言えば」
「なら、好きか大好きかで言えば?」
「…………コメントは事務所を通してくれ」
ユウトは、いろいろな衝動を鉄の自制心を総動員して耐えた。耐え抜いた。
「じゃあ、体験版はここまでね」
「いつ発売予定なんだよ、それ」
ほっとした様子でユウトがつぶやく。実は、自制心も切れかけていたのだ。
しかし、まだ油断せずに目は逸らしたまま、アカネが服を着るのを待つ。
「そうよ。まだ、アルシアさんの分が残っているわよ。この意味が分かるわね?」
「なん……だと……?」
アカネが投下した爆弾に、ユウトは慄然とする。
それは……想像をするだけで。いや、想像した時点で、とんでもないことになってしまう。
思わず、驚愕とともに、目を見開いた。
そのときには、アカネはすでにアッシュグレイのトレーナーとショートパンツというラフな格好に着替えていたが。
「ちなみに、ヴァルの分はないわ」
「それは、まあ……」
身重の彼女には不要だろう。
そうユウトは納得したが、不要という意味では正解だったが、理由は異なっていた。
「ヴァルは、素殴りで充分だから」
「素殴り」
思わず、繰り返していた。
「素材の味を楽しめば良いのよ」
「お、おう」
論評はしないほうが良いだろう。
ユウトは、理性というよりも動物的な直感で、深入りを避けた。
「それで、俺たちの結婚式についてだが……」
「そうね。根本的な話をしましょう」
ユウトの台詞を奪い取り、アカネがベッドの上で横座りをしながら人差し指を立てて問う。
「結婚式する必要、ある?」
「朱音が言うのかよ、それ……」
ユウトも、アカネが結婚式やウェディングドレスに子供のように無邪気な憧れを抱いていないことは分かっている。
それでもなお、アカネから言われるとは考えていなかった。
「雑誌とか買ったりしてたじゃねえか」
「それはこう、勇人の関心を引きたかったというか……」
「小学生男子か」
「だって、ヴァルとかアルシアさんとかヨナちゃんばっかり構って……」
おろおろとアカネが泣き崩れた。
演技あるいは冗談だというのは分かっている。
分かっているが、そう言われると弱い。
「あ。でも、ヨナちゃんはどんどん構っていいわよ。私得だから。私得だから」
「ぶれねえな……」
まあ、冗談は取り合わないとして――冗談だと信じることにして――だ。
「あんまり大げさにしたくないってことで良いのかな?」
「そうね。ヴァルのときみたいになると、大変でしょ……」
「アカネだと、実はヴァルよりもコネクション広いしなぁ」
ヴェルミリオの関係者と、服飾関連。ハーデントゥルムなどの商人たちとも無関係ではない
演劇関係で、劇団やリィヤ神殿とも関わりは深い。
それに、ユーディットが形成した女性貴族のネットワークもある。
国内だけで、これだ。
ここに国外や地球での人間関係が加わると相当の数になり、さらに、混沌度合いも最高潮に達する。
加えて、分神体ではあろうが、神々の出方も読めない。特に、アカネに傾倒している――アカネが、ではない――美と芸術の女神リィヤは、なにをするか分かったものではなかった。
「それが、朱音の生きてきた証。勲章だよ」
「優しい笑顔で責任転嫁された!?」
ユウトとしては、他に言いようもない。
それに、自分のことを棚に上げられるのは嬉しいものだ。
「百歩譲ってあたしの責任だとしても、計画段階でカオスが見えるというのは、どうかと思うのよね。というか、うちの両親になんて説明すれば良いのよ」
「こちら、異世界で出会った神様です」
「我が家の女医さんに、頭切開されるわよ」
「まあ、気が乗らないのなら先送りにしても良いけど……」
少し残念そうに、ユウトが考えを巡らす。
無理強いできるものでもするものでもないので構わないのだが、そうなると将来のスケジュールがなかなか厳しいものになってくる。
「この後、ヴァルが子供を産むだろ? それにあわせて、うちの親がこっちに来るだろ?」
「アルシアさんも、どうなるか分からないわよねぇ」
「それは俺にも分からないが、子供を抱えるだけで精一杯になりそうな」
「あたしも、なにげに結構仕事があるのよね……」
トレーナーのだぼっとした袖口から伸びる細く長い指を折って、残っている仕事と、そこから発生あるいは派生しそうな業務を数えていく。
「確かに、この時期しかタイミングはないかも」
「だろ?」
「どうせ、しばらくしたらまた世界の危機的ななにかが起こって忙しくなるだろうし」
「いや、そうそうは起きねえよ」
起こってたまるかと、ユウトが抗議する。それに、好きで巻き込まれているわけでもない。
だが、そんな幼なじみに対して向けられたアカネの視線は、とてつもなく疑わしいものだった。
「そうね。振り返るのは止めましょう。希望は、未来にあるはずよ」
「いや、そんな目で見られながら言われても……あっ」
忘れていたなにかに気づいたかのように、ユウトは声をあげ、アカネから目を逸らす。
「話してご覧なさい?」
「そういや、来年にはヴェルガ帝国をどうにかする予定だったなぁ……って」
「まあ、あたしとしては、いっそ10年後とかでも年齢的には良いのだけど……ヨナちゃんやレンちゃんに先を越されるのもねぇ」
そこは、複雑なところらしい。
アカネは腕を組み――というよりは、腕で胸を支え――ながら思案する。
「こういうときこそ、雑誌の出番でしょ」
「まあ、ヒントぐらいにはなるか」
地球で買った結婚情報誌を広いベッドの上に並べ、巻頭で特集されていた新婚旅行の記事は飛ばし、二人は並んで寝転びページをめくっていく。
「でも、紹介されてるのは普通に結婚式場でやるヤツだよなぁ」
「それはそうよね。広告を出してるのは、結婚式場関連なんだろうし」
世知辛い分析はともかく、通常の結婚式や披露宴という枠内での“個性”や“ホスピタリティ”による差別化というのがメインだ。
ユウトやアカネの境遇だと、そのまま適用するのはかなり厳しい。
「ドレスには憧れるけど……。実際に自分が式を挙げるってなると、なかなかぴんと来ないわね」
「そこは、あれかな。結局、どっちでやっても、どっちつかずということなのかなぁ」
「そうねぇ。もう、いっそウェディングドレスだけ着れれば、それで良い……みたいな気分になってくるわ」
雑誌のページをめくりながら、アカネがそんなことを言う。
最初にユウトから結婚式を挙げると聞いたときは気分が盛り上がったものの、現実に直面してモチベーションがダウンしてしまったようだ。
「あ、最近はフォトウェディングなんてあるのね」
「フォトウェディング?」
「衣装を着て、写真を撮るだけの結婚式みたいな?」
「それは結婚式と言えるのか……?」
「でも、スタジオだけじゃなくて、ロケーションを決めて外で撮影なんかもできるみたよ」
雑誌のページ――こういう写真を撮るというイメージがちりばめられた――を指さし、アカネが表情を輝かす。
「いっそ、結婚しましたって写真を送るのも手じゃない? 式だけは、本当にこぢんまりとやって」
「いや……。それなら、こうするのはどうだろう?」
アカネのアイディアも悪くない。
だが、ユウトはそれに乗っかる形で提案をすべく、結婚情報誌のページを前にめくって巻頭のハネムーン特集を開いた。
というわけで、結婚式も三度目なのでちょっと変わった形になる予定です。