7.愛の重さ、存在の重さ
「俺の愛は、別に重たくはないと思う。普通だろ、普通」
夫と妻たちの話し合いは、ユウトの不機嫌そうな言葉で始まった。
場所は、夫婦の寝室……ではなく、ユウトの執務室。宵の口になって、執務室に集まるのは珍しい。
それは、議題が完全にプライベートではなく、パブリックな部分も含むための選択というだけではなかった。
「……ユウトくん、気にしていたのね」
参加者は、開会の言葉を引きだしたというか、リ・クトゥアでカグラの相談を受けたときに同席していたアルシア。
もう少し気楽に考えたらという意味で、「ヴァルトルーデと同じように愛そうとしてくれるのは、嬉しいとは思っているけれど、重たいわ」と言ったのだ。
しかし、上手く伝わらなかったようで、それが未だに尾を引いている。アルシアは応接スペースのソファに腰掛けながら天を仰いだ。
真紅の眼帯を着けて、心を落ち着けたい衝動に駆られる。
「言いたいことは分かるけど……ねぇ」
もう一人の参加者は、若干挙動不審なアルシアの隣に座るアカネ。
ユウトと同じく異世界――地球の日本――で生まれ育った彼女は、婚約者の言わんとするところを察していた。
誠実で、ユウトらしいと好ましく思う。
だが、しかしだ。
その誠実さを突き詰められると、この一夫多妻というある意味で非常識な状態が崩壊しかねない。そんな、危険な信念でもあった。
あとからユウトとヴァルトルーデの間に割り込んだという自覚のあるアカネからすると、居心地の悪い話になる。
「愛に重たさなどあるのか? いや、私の胎内にいる愛の結晶は、確かに幸せな重みがあるが」
見当違いのうえ、恥ずかしい台詞を臆面もなく言い放ったのはヴァルトルーデだ。
彼女は、ソファではなく執務室に持ち込んだデスクにいた。そのため、ソファに座るアルシアとアカネの視線を真っ正面から受け止める格好になったが、動じる様子はない。
それどころか、なぜ見つめられているのか理解していないようだ。
ユウトは、そんなヴァルトルーデと目を合わせることができなかった。あまりにも、恥ずかしすぎる。
「でさー。ボク、ここにいる必要ある? むしろ、いたくないんだけど」
そして、最後の参加者が口を開いた。
身内という意味ではその通りだが、ラーシアがこういった場に呼ばれるのは珍しい。
逆に、本来の当事者たちが欠席しているが、それは決定権を持つユウトとその妻たちに生殺与奪を委ねたから。その意味では、ラーシアはオブザーバーと言えるかもしれない。
「いたくない? 参加はしたくないけど、盗み聞きはしたいんだろ?」
「それはもちろん!」
臆面もなく応えるラーシアに、ユウトは渋面を向ける。
しかし、草原の種族は扉の横にもたれかかりながら、楽しそうに笑うだけ。気にした様子はまったくない。
そんないつも通りのラーシアだったが、ユウトは追い出そうとはしなかった。
それも当然だ。ラーシアをこの場に呼んだのは、他ならぬユウト自身なのだから。
さらに、ヨナはエグザイルの家に預けてある。今頃、あの岩巨人の家でお泊まりだ。恐らく、エグザイルはヴァイナマリネンに続く麺打ち職人となることであろう。
ユウトは、万全の態勢を整えていた。
「なんとなくだけど、ラーシアは俺の味方をしてくれるんじゃないかと」
「なんとなくぅ?」
「なんとなく。最近、エリザーベト女王がこっちに来ない理由を考えたら、なんとなく味方になってくれる気がした。なんとなく」
「止めて! 深く考えないようにしてるんだから!」
味方というよりは、傷をなめ合っているように見える二人。しかも、その傷はお互いでつけているもの。
そんな不毛な関係のラーシアも含め、五人が集まった理由。
それを、アルシアが語り出す。
「さて。申し込まれたカグラさんとの結婚の件だけれど……」
「勇人、最初からそんな難しい顔をしないの」
「……してないって」
「いや、してたね。絶対に、してたね」
「してねえよ」
ラーシアを邪険に扱うユウト。
そんな夫に、ヴァルトルーデが微笑みかける。
「ユウト、肩の力を抜いたほうが良いぞ」
「……分かったよ」
「あれぇ? ヴァルとボクとで扱いが違いすぎない?」
「ラーシアとヴァルが同じ扱いだったら、いろんな意味で気持ち悪すぎる」
「ひどい! でも、気持ち悪いのは同意!」
狙ったわけではないのだろうが、ラーシアが加わるだけで一気に話が進まなくなる。
埒が明かないと、アカネも進行に加わった。
「実は、ペトラさんやレジーナさんからも、同じような話が来ているのよね」
「むう……」
今度は、否定も渋い顔もしなかった。
代わりに、考え込むかのようにうなりをあげる。
予想はしていたが、いざ現実になると難しいものがあった。
「さすがユウトだね」
「そこは否定しないけどよ……」
「しないんだ」
「俺は、ラーシアと違って正直者なんでな」
以前、ヴァルトルーデから諭されて。そして、リ・クトゥアでカグラから結婚の申し込みを取り下げるという逆説的なプロポーズを受けて。
妻と婚約者が合わせて三人もいる男が、好意を寄せられるはずはない。
そんな常識を捨てることにしたようだ。
「ユウト、進歩したな……」
「ヴァル。しみじみ言われるとへこむんだけど?」
いろいろな意味で、ヴァルトルーデから言われたくはなかった。
ユウトは、背もたれに体を預け、ちょっとだけふてくされる。
しかし、すぐに姿勢を正して口を開いた。
「その上でだ。まあ立場やらしがらみやらいろいろあるんだけど、ひとつ先に言っておきたい」
「へえ。聞きたいな」
「……まあ立場やらしがらみやらいろいろあるんだけど、ラーシア以外のみんなに、言っておきたい」
ラーシアを呼んだのは失敗だっただろうかと少しだけ後悔しつつ、ユウトは妻たち――ヴァルトルーデ、アルシア、アカネ――を順番に見回す。
「確かに、俺には配偶者が三人いる。でも、それは俺の選択の結果だ。あくまでも、俺から言い出したことだ」
「ユウト……」
「ユウトくん……」
「勇人……」
今度は、ラーシアも混ぜっ返したりはしなかった。
それはつまり、複数の妻がいるのは確かだが、だからといって簡単に増やすわけではないという宣言だった。
そして、ヴァルトルーデ、アルシア、アカネの三人は、ユウトが望んで結婚を申し込んだのだとも。
「カグラさんも、レジーナさんも、そしてペトラも。もちろん嫌いじゃない。いや、好きか嫌いかで言えば、好きと言って良いと思う」
今、名前を挙げられた三人が聞いていたら、感極まりそうな台詞を言い放つユウト。
けれど、それには続きがあった。
「でも、彼女たちにはプロポーズをしようとまでは思わない。俺としては、まあ、そういうつもり」
沈黙が、ユウトの執務室を支配する。
嬉しさと、気恥ずかしさと、誇らしさと。それに、申し訳なさと。
様々な、感情がない交ぜになった沈黙。
しかし、そんな雰囲気は、ラーシアには関係ない。
「つまり、好きになったらヴァルやアルシアやアカネとは関係なくプロポーズするってこと……?」
「うん。違うからな」
恐る恐るといった態で物騒なことを言うラーシアへ即答し、危険な芽を摘む。
「んっ。ううんっ」
そんな中で、ヴァルトルーデが唐突に咳払いをした。
気分と空気を入れ換えるため、かなりわざとらしい。
だが、アルシアとアカネに視線でせっつかれては、致し方ない。
「その気持ちは、とても嬉しい。私だけでなく、アルシアもアカネもそう思っている」
「……良かった。また重たいとか言われたら、どうしようかと思った」
実は、ちょっとしたトラウマになっていたらしい。ユウトが、露骨にほっとした様子を見せる。
そんなユウトから、罪悪感でアルシアが目をそらす。
「しかし、彼女たちの気持ちは、果たしてどうなるだろうか?」
「どうって……」
今度は、ユウトが罪悪感で目をそらす。
けれど、それも一瞬。
意を決して口を開きかけたところで、ヴァルトルーデが先に続きを口にする。
とんでもない、棒読みで。
「ああ、なんということだ。そうなると、彼女たちは、好きでもない男との結婚がすぐにも設定されることになってしまうのではないかー」
「……ヴァルに言わせたのは、失敗じゃないか?」
言ったというよりは、言わされているという表現がぴったり。
いやむしろ、台詞を記憶していることをほめるべきだろうか?
「だって、そこは第一夫人だから……ね?」
「気のせいか、都合の良いときだけ本妻だからと言われている気がする」
「気のせいね」
アカネが断言するが、わずかに目が泳いでいる。
「いやでも、ボクには出せない味が出てたと思うよ」
そう論評するラーシアは、しかし、ヴァルトルーデではなくユウトのことを見ていた。
「しかし、そこまでか……」
その視線を感じながら、ユウトは瞑目する。
ヴァルトルーデのお陰で深刻さは薄れたが、内心、驚きを隠せずにいた。
少し、相手の覚悟を甘く見ていたかもしれない。
ユウトは、逆に感心してしまった。
ほとんど捨て身ではないか。
実は、これが真名から告げられた『ちょっとしたアイディア』だった。
ユウトと同じくアカネたちも驚いたが、最終的にカグラ、ペトラ、レジーナも了承した。そして、ヴァルトルーデたちに委ねられたのである。
「むう……」
思わぬ方向からの言葉に、ユウトがうなる。
虚を突かれたと言っても良いだろう。
ユウトがもらわないと、他の男性と結婚しなければならない。それは、彼女たちの社会的な立場やブルーワーズの結婚適齢期からすると、すぐにと言っても良いぐらいだ。
その観点が完全に抜けていた。
それで必ずしも不幸になるとは言えないが、彼女たちの意に添わぬ結婚であることは間違いないだろう。かといって、それが自分のせいというのもお門違いだと分かっている。
分かってはいるが、それで突き放されるほど縁も情も浅くはない。
ユウトも、すぐには考えがまとまらなかった。
「分かった。じゃあ、こうしよう」
そこで、壁から離れ執務室の中央へと躍り出るラーシア。まさに、勇躍というが表現がぴったりで、生き生きしている。
その表情は嬉しげで、「ボクは、この瞬間のために生きてきた!」と全身でアピールしているかのようだ。
「まずは、お友達から始めよう?」
「既に、友達……かどうかはともかく、それくらいの関係だとおもうが」
「違う違う。まずは、かるーく、お付き合いしろってこと。結婚を申し込まれたからって、なんで結婚・オア・ダイみたいになってるのさ」
「いや、死にはしないけどな。子供も生まれるのに……」
言ってから、不吉な言い回しだと気づき、苦笑しつつ首を振る。
「あえて言うけど、俺は忙しいぞ? 今はちょっと落ち着いたから、朱音との結婚式も挙げたいし」
「そこは、別に良いんじゃなーい? あとは、向こうがちょくちょくアピールしてくるでしょ。ヴァルたちも、それでいいよね?」
「そうですね。落としどころとしては、悪くないでしょう」
軽くうなずき、ヴァルトルーデではなく、アルシアがラーシアの案を受け入れる。
「最後の最後で、投げやがったな……」
そう言って、ユウトも受け入れる。
しかし、それどころではない人物がいた。
「というか、勇人。結婚式って、初耳なんだけど?」
朱音が立ち上がり、ぶんぶんと腕を振って驚きと困惑を露わにする。
「それは、まあ、今初めて言ったから」
「やるの……?」
「今じゃないと、やれないと思うぞ」
「……どっちでやるのよ?」
「それも含めて、相談しよう」
「そ、そうね……」
完全に不意打ちを受けた朱音は、顔を染め、それを隠すかのように頬に手を当てる。
そして、微妙に身をくねらせながら、言った。
「やってやろうじゃないの!」
それは、とても結婚式を前にした乙女の台詞とは思えなかったが……やる気には、満ち満ちていた。
前回が、ちょうど500話目でした。
感想欄でお祝いいただき、とても嬉しかったです。
この場を借りて、改めてお礼申し上げます。