7.男の語らい
「魔法薬をですか?」
「うん。供給に関しては問題ないと確認済ですよ」
アカネとヴァルトルーデが入浴しているその頃、ユウトは執務室に戻って書記官のクロード・レイカーと打ち合わせを行っていた。
ユウトは机の上に書類を広げ、クロードはその前で直立不動。
アカネと連れだってレンのもとへ訪れたのは、仕事の一部でもあったのだ。
「税率を下げるので?」
「うちの収入分は」
今の議題は、今年から行う予定の村々からの徴税に関してだ。
帰還予定だったため既に決定していたはずの問題だが、時間ができたため見直しとなった。ユウトの思いつきとも言う。
「税率はそのまま。ただし、徴収した税の一部を健康保険に切り替え、そこから魔法薬を購入する」
「まとめると、そういうこと。ファルヴやハーデントゥルムなら施療院があるから健康保険の意味があるけど、他の場所じゃ無意味でしたからね」
「そこで、租税から購入した魔法薬を、各村に配備ですか……」
「とりあえず怪我と病気用のを数本ずつ配備して、全部で金貨七百枚ぐらいかな?」
主からの提案を確認したクロード老が、考え込む素振りを見せる。
「承知いたしました。調整も説明も必要になりますが、長い目で見れば利益になるでしょう」
「ありがとう」
「しかし、あえて苦言を述べますれば、いささかお優しすぎではありませんかな?」
この世界では――というよりも封建制では――民は搾取される存在だ。もちろん、完全に無力な存在ではなく時に力づくで領主に反抗し、逃散して村を捨てる場合もある。
それでも、厚遇し過ぎではないか、他の領主や王国との軋轢が生まれるのではないか。クロードは、そう指摘している。
「今更ですよ。今のイスタス伯爵領は腫れ物扱いですから? 余所からの移住も制限しているし、文句を言われることなんかありませんよ」
ユウトは笑って、その懸念を一蹴した。
腫れ物扱いなのはユウトが決闘騒ぎで暴れすぎたせいなのだが、心に棚を作ってあるので問題ない。
「それに、わずかな金で命を救えるかも知れない。諦めたくはないです」
「かしこまりました」
魔法薬の仕入先や転売対策なども話し合い、打ち合わせは30分ほどで終わった。
資料を持ったクロードが、きっかりと45度頭を下げて退室する。
「あえて主君に反対する。忠臣の鑑だよね」
「そういや、なんでいるんだよラーシア」
「無視されてるよ、エグ」
「オレは本を読んでるだけだから気にするな」
応接用のソファを占拠している二人の所へ移動する。
「まあ、エグザイルのおっさんは、兵法書を読みたいっていうから分かるけど、ラーシアはこの部屋にいる意味ないじゃん?」
「本なら別の部屋でも読めると思うけど、まあ、いいや」
子供のような体躯のラーシアが、童子には浮かべられない邪悪な微笑を浮かべる。
「ユウトに聞きたいことがあってさー」
「悪い予感しかしないんだけど」
それでも追い出すようなことはせず、ラーシアの対面に腰を下ろした。
深めに座り足を組んで、言葉を待つ。
「ヴァルとアカネと、どっちが本命なの?」
「実は、アルシア姐さんが本命」
「うっわ! なんかテンション上がってきたんだけど!」
「ラーシアは病気だから気にするな」
本から目を上げることなくエグザイルが言う。
「んで、本当のところは?」
「そりゃ、ヴァル子に決まってるだろ?」
多少の照れはあったが、ユウトはしっかりと宣言した。ただし、ヴァルトルーデがいない、男だけの場だから言えること。
本人がいたら……死ぬなとユウトは思う。
「ほうほう」
「フクロウか」
「まあ、俺たちの前で、堂々とあんなことをしたんだ。本命は別と言われても困る」
「エグも、気になってるんじゃん」
「当たり前だろう」
読み進めつつも、あっさり肯定する。
なんだかんだと仲間思いな岩巨人だった。
「ラーシア、気は済んだか?」
「ううん。まだまだ」
「おまえは……」
「じゃあ、アカネはどうなのよ?」
「幼なじみ……だなぁ」
それ以上でも以下でもない。
アカネはアカネだと、正直なところを口にする。
「好きじゃない?」
「分からん。あのままあっちにいたら、なんか流れで付き合ってたような気もするし、そうでないような気もする」
「あいまいだなー」
そう非難しつつも、ラーシアは楽しそうだ。
「ひとつ言えるのは、すべては保留ってことだな」
「なんでさ?」
「俺が残るか帰るかは別にして、朱音は絶対に地球へ帰さなくちゃならないからな。悪いけど、そのためにはいろいろ準備が必要だ」
恋愛に浮かれている場合ではないと言い切って、意志の強さを見せる。
「帰る手段かー。無駄になりそうな気もするんだけど。アカネも、ユウトが残るなら、私もこっちにいるとか言いそうじゃない?」
「いや、それはないな」
言下に否定する。
「そんなことを言ったら、俺は地球へ帰る。だから、朱音はそんなことは言わない」
「ほうほう。これも信頼って言えるのかな、エグ」
「分からん」
眉間の辺りをもみほぐしてから、重厚なバスでエグザイルが言う。
「だが、行ったきりになることはなさそうで安心はしている」
「ボクはそんなことより、引っかき回していろいろ楽しみたいんだけど」
「俺にサークルクラッシャーになれと言うのか……」
二人には通じないぼやき。
「俺たちに構わず、ラーシアが先に身を固めても良いんだぜ?」
「そうしたいのは山々だけど、出会いがないからさー」
「そんなラーシアに朗報だ」
ニヤリと笑いながらユウトが言う。
「ちょっと、ハーデントゥルムに出張しないか?」
「そうだねぇ。なにをさせたいの?」
子供のような笑顔は変わらないが、ラーシアの声に真剣さが加味される。
「ファルヴが澄みすぎて、ハーデントゥルムに犯罪組織の橋頭堡ができかけているみたいでさ」
「ふうん。こっちは神殿関係者も頑張ってるみたいだしね」
《悪相排斥の防壁》には、いわゆる悪人を拒絶するまでの効果は無いし、その内部で犯罪行為を起こす気が無くなる……などということもない。
しかし、ファルヴの犯罪発生率は非常に低かった。
聖女や英雄のお膝元であるという心理的な抑制、早い段階で施行されたヘレノニア神殿による治安維持活動、完全に新しい街であるため地縁を持つ犯罪組織がなかったこと。
さらに、建設ラッシュによる好景気。
様々な要因が重なっているが、為政者としては歓迎すべき状況。
「もちろん、現在の状況が将来までは保証してくれないが悪くはない」
「でも、進出しやすい方に行ったと」
制限をかけている――国外からの移住は原則不可、国内でも、正規の許可証が必要――とはいえ、人手が足りないのは事実。
人が増えれば、ビジネスの匂いを感じるのは表も裏も変わらない。
密入国や密輸から始まり、違法な高利貸し、不当な人身売買など、裏側のビジネスの種も多い。
それを取り仕切るのが、いわゆる犯罪ギルド。地球で言えば、ヤクザやマフィア、ギャングといったところだろうか。
「ぶっつぶせばいいの?」
「目に余るところはな」
「なるほど。これはボクにしかできないねぇ」
ヴァルトルーデに任せたらすべて壊滅しかねないし、それはヨナも同じだろう。アルシアならば、ある程度の分別を期待できるが物理的な実行力に乏しい。
ユウトやエグザイルも、言わずもがな。
「まあ、信頼できる人間がハーデントゥルムにいてくれたら捗るってのもある」
「港町で嫁探しでも頑張ろうかな」
「じゃあ、部下と活動資金だけど……」
「ああ、いらない。いらない。ボク一人の方が効率的だよ」
「協調性のないやつらめ」
「オレまでとばっちりが来ている気がするが」
そんな岩巨人の抗議は聞き流し、ユウトが懐から記章をひとつ取り出した。
長剣に絡みつく巻物。イスタス伯爵家の新しい紋章だ。
「特別監察官――という制度を作った。詳細は省略するけど、まあ、後出しで証拠さえ出してくれれば、強引な捜査もある程度認められるし、現地の衛兵なんかの動員権もある」
「なかなか強権だね」
「領内だけだからな」
「まったく、独裁者は最高だね」
「権力は、使うためにあるのさ」
ヴァルトルーデには見せられない笑顔を交わす二人。
「じゃあ、みんなに話してから、早速行くとするよ」
草原の種族が一所に留まるということを知らない。
そんな世評通りの身軽さで、ラーシアが執務室を出ていった。
「なあ、ユウトよ」
「特別監察官は、俺も捜査対象にできるんじゃないかって?」
エグザイルの問いかけに先回りして答えるユウト。
「まあ、外へのポーズだよ」
「そうか。ユウトが良いのなら、構わない」
微妙にかみ合わない会話。
しかし、真意は伝わっていたし、それで充分だった。
本人にもそんなつもりは無いが、もしかしたらユウトが暴走してしまうことがあるかも知れない。
もしもの時の抑止力として、権力を仲間に預けた。
そんな恥ずかしいこと、口に出して言えるわけがないのだから。
そこは、ブルーワーズで最も北にある宮殿だった。
もし正確な地図を持つ者がいたならば、ロートシルト王国の最南端にあるイスタス伯爵領とは北の塔壁を挟んで等距離にあることに気付くだろう。
その宮殿の主はしどけなく玉座に座り、頭を垂れる臣下たちを輝くようなブルーの瞳で睥睨するしている。
女帝ヴェルガ。
悪神ダクストゥムと人の間に産まれた半神。この地に君臨して、すでに数百年の時を閲している。
その身を包む漆黒のドレスは、彼女の白い肌を包み込む褥のようだ。煌びやかな王冠が載った、業火のように深い赤毛とのコントラストも美しい。
「久しいの、クリューウィング侯爵」
王錫を弄びながら、愉快そうに口の端を上げて久闊を叙する。その表情は淫靡で、声は淫蕩ですらあった。
「南であんな騒動があっては、おちおち寝てもいられますまい」
膝を折ったまま女帝の言葉を受け止めたその男は、絶世の美女を前にしても余裕の佇まいを一切崩さない。
侯爵と呼ばれた男の肌は病的に白く、そして人とは思えぬほど美しい。
爛々と輝く赤い瞳を主へ向け、彼は口を開いた。
「しかし、せっかく目覚めたのですから、少し旅行にでも出ようと思いましてな。許可をいただきに参ったのですよ、マイ・エンプレス」
懐からモノクルを出しながら、長い八重歯――牙をむき出しにして言う。
「何処へ行くつもりじゃ? 噂の異界人の血に興味が湧きでもしたか?」
「まあ、興味はありますがね。男の血は、口に合いませんので」
モノクルをかけた侯爵が芝居がかった口調で、思い通りにならず残念だと嘆く。
「異界人の美女でもいれば、また別ですが」
「では、何処へ行くつもりかえ?」
「そうですな。クロニカ神王国など、良いですな。それから、ロートシルト王国の都、セジュールも」
「ほう。観光のつもりではあるまいな」
「もちろん、そのつもりですが」
人を食ったような返答に、女帝は妖艶な笑みで答えた。
「よかろう。好きにするがよい」
主の許しを得た侯爵は一礼し、その場で霧となって消える。
ジーグアルト・クリューウィング。
呪われし侯爵が王都セジュールの闇に君臨するのは、もう少しだけ先の話になる。
これにて、第一章終了です。
最後の人が暗躍するのは……もう少し後です。




