4.王子様、働く(後)
機器トラブルがありましたが、なんとか間に合いました。
活動報告やツイッターで遅延連絡をご覧になられた方は、お騒がせいたしました。
「過労から来る風邪……か。まあ、ゆっくり休むしかないな」
「ごめいわくを……ごほっ」
朝起きたときは怠いだけとしか感じていなかった体調不良は、昼過ぎになってさらに悪化していた。
のどの痛みに発熱。そして、寒気。飲ませてもらった水――ただの水だ――が、とても美味しかった。
誰だろうと、まず風邪を疑う。
そのうえ、先に帰ってしまったが、アルシアも同じ診断を下している。疑う余地など、どこにもなかった。
風邪などいつ以来だろうかと、ぼーっとする頭でクレスは記憶をたどる。
しかし、体調のせいか、それとも本当に憶えていないのか。思い出すことはできなかった。
「気にする必要なんてないさ。仕事のカバーは、クロードさんとダァル=ルカッシュにお願いしたから。ゆっくり休むと良い」
当たり前のユウトの言葉。
しかし、クレスはそれをまともに受け取ることはできなかった。
情けなくて、クレスはユウトに背を向ける。
大きくはないベッドがきしみ、すぐ目の前に壁が迫った。
クレスは、ファルヴの街にある宿屋の一室を借りて、一人生活していた。
ユウトから委細を任されたクロード・レイカーは、自らの権限で城塞に部屋を用意しようとしたのだが、クレスは特別扱いになると断ったのだ。
冒険者生活で慣れているからと自ら何軒か宿を回り、食事の味でここを選んだ。ファルヴ自体が新しい街なのでどの宿も建物は綺麗で、他に選びようがなかったというのもある。
部屋には、今まさにクレスが寝ているベッド。物入れとして使うチェスト。それに、簡素な書き物机程度しかない。その机の椅子は、ユウトが使っていた。
診察を終えたアルシアが先に宿を出たのは、薬を処方するためだけでなく、部屋の狭さにも原因の一端はある。
一国の王子が使うには、明らかに狭すぎる部屋。
けれど、クレスは質素であることに満足感を抱いていた。
「……情け……ない、です」
いつまでも背中を向けていられないと悟ったのか。
寝返りを打って、天井を見ながらクレスが途切れ途切れにつぶやく。
体調不良にあえいでいたクレスを発見したのは、この宿の12歳になる娘だった。
いつもなら朝食の提供を始めると同時に降りてくるクレス――娘の目から見れば、まさに王子様のような――が、いつまで経っても起きてこない。
そこで、意を決して様子を見に来たら――というわけだ。
この経緯だけで、情けなさに拍車がかかる。
実は、クロード・レイカーから、クレスになにかあれば城塞へ真っ先に知らせるよう言い含められていた宿の主人が通報し、ユウトとアルシアがやってきたのだった。
風邪を引いた程度で大事になった。
多くの人の手を煩わせてしまった。
それも含めて情けない。
体調管理など初歩の初歩。冒険者時代なら、あり得ない失態だ。いくら、レラの無茶な修業に付き合ったという実績があったとはいえ、過信しすぎた。
恥ずかしい。
恥ずかしいが、熱のせいか、思考がそれ以上まとまらない。様々な想いが雲散霧消していく。
眠れそうで眠れない中途半端な状況。
氷水で濡らした布を額に当ててくれるユウトの動きを、ぼーっとしながら目で追てしまう。
「そんなに思い詰めることはないさ」
看病をしつつ――薬が来るまでの臨時だが――ユウトは、柔らかな声でクレスを慰める。
実際、大した問題だとは思っていなかった。
それどころか、不器用だとは思うが、自分よりも立派だと評価さえしている。
「俺だって、ヒューバードのベッドとアルシア姐さんの《祝餐》がなかったら、同じことになってただろうからな」
転んだ経験がなければ、痛さを知ることはできない。
そして、痛さを知れば慎重に歩く術を憶える。
何事にも、必要な経験というものがあるのだ。
クレスは、ひとつ成長をした。
そうほめているのだが……。
(う~ん。通じていない気がする)
正論のはずだが、クレスに納得した気配はない。
なにを語るかではなく、誰が語るかによって説得力は違う。今回は、その例に当てはまってしまったようだった。
「そういえば……。この前、ダァル=ルカッシュに言われました。俺とあなたを比べても仕方がないと」
だから、言われていることを理解できず、納得もできないのか。
そんな想いを乗せて、クレスはダァル=ルカッシュと話した内容をぽつりぽつりと語り出す。
体調に問題があれば止めようと思っていたユウトだったが、結局、その熱意に負けて最後まで聞き終えてしまった。
「どういうことか、分かり……ます……か?」
「どうもこうも、言ったままじゃないか?」
難しいことなんか言ってないだろうと、ユウトが不思議そうに応える。
「俺ならこうした、クレスならこうしたなんてのは意味がない。今、その問題に取り組めるのは自分だけなんだから。そこに能力の優劣なんて無関係だ」
噛み砕いて言われたら、反論の余地のない正論に聞こえる。
だが、それは綺麗事でもあった。
「本当に……そう……でしょうか? 少なくとも、誰かになりたいというあこがれは、間違っているとは……思えないです」
「間違ってはいない。でも、自分にない物を求めるのは危険な場合もある」
首筋の汗を拭いてやりながら、ユウトは言葉を探す。
言うべきか、否か。
「ダァル=ルカッシュは、過ちを犯した。なかったことになっているけど、気にしてるんだろうな」
「過ち?」
結局、ユウトは少しだけ迷ってから、ダァル=ルカッシュが全知を求めて狂える全知竜となった経緯を語る。
すべての知識を求め、しかし、受け止めきれず狂気に陥ったことを。
まさに、過ぎたるは及ばざるが如しだ。
「自分は自分にしかなれない。無理に上を目指せば、不幸になる……」
初めて聞いた話に驚きを隠せないクレス。
自分よりも遙かに能力があるダァル=ルカッシュでさえも、失敗をしている。
それは、クレスに新鮮な驚きを与えていた。
「向上心までは否定しないだろうけど、まあ、そういうことかな。完璧な物ほど脆いわけだ」
「では、自分の手に余る事態になったら、どうすれば……」
「仲間がいるだろ」
はっと、クレスがベッドの中で身じろぎをする。
「まあ、俺も仲間みたいなもんかな。抱え込む気持ちも分かるけど、王様になるんなら他人にやらせないと……って、これは、自分で気づかないといけないことだったかも。エルドリック王に小言を言われそうだ」
「王……王になるなら……」
「王様じゃないけど、うちのヴァルなんて俺たちに任せきりだ」
「……確かに」
ファルヴに滞在したのはまだ一ヶ月にも満たないが、それは分かる。
熱っぽい頭でも、分かる。
「アルサス王も、宰相にかなり委ねてるし。冒険に連れていけってわがまま言うし」
「そんな……」
大武闘会で直接対戦しただけあって、密かにアルサスへあこがれを抱いていたクレス。
その意外な話を聞いて、一瞬、体調のことも忘れた。
「信じられない」
「王様なんて、方針さえ誤らなければ実務はそこそこで良いのさ。俺の故郷の世界にいたとある皇帝なんて、官僚の仕事を取り上げて全部自分で決定してたけど――」
「それが、当たり前だと思いますが」
「――長生きはできなかったな」
ヴァイナマリネンへの授業で復習した内容を、柔らかな笑みを浮かべながら伝える。
さすがに、「エルドリック王も、そこまで勤勉じゃないだろ?」とは言えなかったが。
「それでも……」
「ま、頑張るのは良い。ただ、それなら将来のことも考えながら頑張ったほうが良いんじゃないかな」
「どんな王になりたいのか……」
祖父は、滅んだ故国を再興した英雄王だ。
父は、そんな祖父を支える道を選んだ。
クレスは、英雄である祖父エルドリックにあこがれ、王座を継ぐため英雄を目指した。
だが、もう、あこがれだけではいられない。
「俺は……。それでも、できる限りいろんなことに関わりたい……と、思います」
「そうか。なら、必要なのは勉強。憶えなくちゃいけないのは、重要度と優先度を決めて取捨選択すること。あとは、部下に気持ちよく仕事を任せられる度量も要るな」
前途多難だと、ユウトは笑う。
中庸、どっちつかずかもしれないが、最も困難な道でもある。
「さて、あんまり俺が独占してると怒られるから。そろそろ、退散するよ。俺がいちゃ、気も休まらないだろうしな」
「怒ら……れる?」
クレスには応えず、ユウトは立ち上がり部屋の扉を開けた。
「クレス……」
「サティア……」
その向こうに、薬が入った布の袋を持って、クレスの冒険者仲間だった魔術師の少女サティアが立っていた。
ただの冒険者仲間が南方遠征にまで同行するはずもない。
どういう関係かまでは分からないが、クレスを任せて問題ないだろう。アルシアも、同じ判断をしたからこそ薬を託したのだ。
というより、彼女にクレスのことを教えたのはユウトだった。
「お大事に。あと、念のため最低二日は休むように」
たぶん聞いているだろうという目算で声をかけ、ユウトはサティアと入れ替わりに部屋を出る。良いことをしたなという、満足感を抱きながら。
まあ、あとは上手くやるだろう。野となれ山となれだ。
(なるほど。ヴァイナマリネンのジイさんは、こんな気分だったのか)
ジイさんのイヤガラセが、なくならないはずだ。
新たな知見を得たユウトは、自らの仕事をこなすため執務室へと戻った。
宿の入り口で待っていたアルシアと、二人で連れ立って。