11.竜は蘇る(後)
「ユウト、大丈夫かなー?」
「大丈夫ではないだろうな」
眼下でレイ・クルスと打ち合うユウトをちらりと見てから、まるで他人事のようにラーシアが言う。
それに応えるエグザイルも、言葉だけ見れば素っ気ない。それどころか、もしユウトがレイ・クルスと互角以上にやりあえるのであれば次はオレが相手をしてもらわねばと、全身に力をみなぎらす始末。
ユウトが聞いていたら、「俺の周囲には敵しかいねえ」と天を仰いだことだろう。
「だから、とっとをあれを始末するぞ」
「ま、そだね」
見上げると、そこには邪竜帝ワドウ・レンカがいた。
天空を泳ぎ回り思う存分咆哮をあげた邪竜帝は、爛々と輝く両眼で小さき者どもを睥睨している。
挑戦者を待ち受ける王者のような風格を漂わせて。
「おっ。なんか、上から目線だ」
「気に食わんな」
「あんまりチンピラみたいなことは言いたくないんだけど……完全に同意」
空の。そして、リ・クトゥアの支配者を自認するかのように君臨する、邪竜帝ワドウ・レンカ。
言葉は発さず、態度で自らが王者であると表明する。
その10メートルほど手前で、ラーシアが弓を構えて停止した。
「ムカツクからやっちゃうよ! 神力解放」
早めにこちらの決着をつけなくては、ユウトが危ない。
そんな本音はおくびにも出さず、邪竜帝の態度が気にくわないからやるのだと、神力刻印を起動させる草原の種族。
「《死神の牙》」
神としての力を使用するが、矢を無数に増殖させ雨のように降らせたのとは違う。いつものように、《狙撃手の宴》で急所を射抜くのでもない。
いつもより時間をかけて、一射・二射・三射と矢を放つ。
最初はなんの変哲もない矢に過ぎなかったそれは、標的――邪竜帝に近づくにつれ黒い光を纏い、数十倍の大きさとなって同じ色の竜身へ迫る。
無論、邪竜帝ワドウ・レンカがそれを黙って見ているはずもなく、それひとつでラーシアの数倍もある鈎爪を振るって打ち落とす。
「ウオオオォォォオンンッッッ!」
だが、防御したはずの邪竜帝が苦鳴の声をあげた。
見れば、ただの矢が爪の尖端を抉り、そのまま突き刺さっている。
質量の差を考えれば、絶対にあり得ない結果。
しかし、奇跡をもたらすのが神の力。
《死神の牙》は因果を逆転させる。
急所を貫くのではない。ラーシアの放った矢が刺さった箇所が、急所となるのだ。
ゆえに、邪竜帝はもがき苦しむ。
「ついでだよっ!」
その矢は邪竜帝のみならず、眼下でユウトと刃を交えるレイ・クルスにも矢を放つ。
ワドウ・レンカの様子までは観察できていなかっただろうが、気配で脅威を察したのだろう。生命啜りで切り払おうとはせず、レイ・クルスはユウトから離れて回避を試みる。
「甘い甘い」
しかし、その程度で神の一矢を避けきれるはずもなく、追尾してきた矢に土手っ腹を貫かれた。
ただ剣を振るう人型の鞘に過ぎないため傷はすぐに修復されたが、ダメージが皆無というわけでもない。
「まったく、手厚い介護だ」
「助かった!」
一本程度では倒しきれないものの、ユウトが態勢を立て直すには充分。
それを見届けたエグザイルが、接近戦を挑むため、あえて邪竜帝の眼前に躍り出る。
神力解放中のエグザイルは、やはり巨大。
それでも、邪竜帝ワドウ・レンカの頭部と同じ程度の大きさでしかない。彼我の大きさを比べれば、巨象に挑む人間のようなもの。
だが、それを無謀と考える者は、エグザイルを知らない。
蜘蛛の亜神イグ・ヌス=ザド、全知竜ダァル=ルカッシュ、タラスクス。
自らよりも巨大な存在との戦闘など、何度も経験している。むしろ、望むところ。
「ヌッオオオオオッッッ!」
むしろ、神力解放により焔を纏い巨大化した自分についてこられるかと、スパイク・フレイルを叩き付ける。
邪竜帝は、やはり鈎爪で討ち祓おうとし、今度は真っ正面からぶつかり合った。
力と力が衝突し、拮抗し。
大が、小に敗れた。
その勢いのまま、エグザイルはスパイク・フレイルで邪竜帝の頭部を強かに打ち据える。不可侵と思われた漆黒の鱗が弾け飛び、血が流れる。
「血は赤いのか」
然したる感慨もなく、単に事実を確認したという態で岩巨人がつぶやく。
この程度では倒しきれないかと、鮫のように笑いながら。
「グッッオオオオォォォオンンッッッ!」
その獰猛な笑みに、邪竜帝は咆哮で応えた。
そして、絶対者の顔を傷つけた不埒者を、長大な尾をしならせ強かに打ちつける。
アダマンティン製の自律稼働する盾が割って入るが、完全に止められるはずもない。破壊されることこそなかったが、あっさりと弾き飛ばされ、邪竜帝の尾がエグザイルの胴を薙ぐ。
岩巨人の体が曲がり、巨大な口から胃液が吐き出された。
だが、それだけ。
「うおおぉっ!」
わざわざ近くに来てくれて好都合だと、エグザイルは尾を脇でホールドした。
逃がさない。
続けて、そのままの体勢でスパイク・フレイルを器用に操り邪竜帝へ打ち込んでいく。
何度も何度も。
杭を打つかのように。
無造作に、力強く。
「ウオオオーーンッッ」
猛った邪竜帝が巨大な口を開き、そこに闇が集まっていく。
漆黒の球体が口腔内で膨れあがり、それが限界に達した瞬間、吐息が放たれた。
天と人の宝珠が感応し、儀式で消費した触媒の性質も加わった、世界で唯一邪竜帝ワドウ・レンカのみが持つ消滅の光線。
天の宝珠により物質を。
人の宝珠により精神を。
つまり、存在の根本を消し去る無の吐息。
自らの尾が消えても構わないと、それを掴んで離さない岩巨人へ放った。
これで、エグザイルの生命活動は終了することだろう。
邪魔さえ、なければ。
「神力解放」
それを迎え撃つ、破壊の神。
ヨナが五指を開いて手のひらをかざす。
そこに、邪竜帝の吐息と同じように力が集まっていく。
使える力はすべて使い、放つは常の倍をさらに倍にしたかのような、圧倒的な破壊。
「《ディスインテグレータ》――マキシマイズエンハンサー」
破壊。破壊。破壊。すべてを破壊する緑色の光線、否、光の束が無の吐息と衝突する。
破壊と消滅の激突。
破壊が消滅を破壊するのか。
消滅が破壊を消滅させるのか。
極東の地で、力と力が。意地と意地がぶつかり合う。
力が弾け、光が弾け、世界が弾けた。
「きゃあぁっ」
爆心地からは離れているはずのカグラが悲鳴をあげる。吹き飛ばされそうになるのを、アルシアの肩に掴まってなんとか免れた。
だが、それは術者のヨナの側にいたため、ましなほう。
その余波だけで、大地は抉れ、街は崩壊し、頭上を覆っていた暗雲は晴れ――
「倒しきれない……」
――そして、邪竜帝は見るも無惨な状態となった。
鱗がそこかしこでめくれ上がり、養生に失敗した芝生のような状態だ。全身の至る所から血が流れ、雨となって地上に降り注いでいる。
それでも、行動に支障はないようだ。アルビノの少女をにらみつけてから、八つ当たりとばかりにお互いを拘束したままだった岩巨人へと牙を伸ばした。
「《死神の牙》」
その牙が触れる寸前にラーシアが頭部を弾き、エグザイルは辛くも脱出する。
「邪竜帝ワドウ・レンカ、あきれた生命力だな」
「いや、全身傷だらけで言う台詞!?」
「問題はない」
衝突の余波は、エグザイルにも区別せず襲いかかっていた。
邪竜帝ワドウ・レンカに負けず劣らず、傷のない箇所を探すほうが難しい。
だが、破壊と消滅の衝突から引かず、邪竜帝を拘束したからこそ痛撃を与えられたとも言える。
「むしろ、一回死んだほうが良かったな。《克死の天命》で元に戻る」
「生き返れるのは一回だけなんだし、大事にしなよ」
致命傷を受けた際に発動して、完全に傷を癒す第七階梯の神術呪文《克死の天命》。一度きりのうえ、この破壊と消滅の衝突にも有効だったかは怪しい。
下手をすると癒すべき傷ごと消え去っていたかもしれないというのに、エグザイルはいつも通りだった。
「非常識だな、まったく」
「お互い様だろッ」
頭上の戦い――と、表現して良いものか迷いはあるが――を横目に見つつ、ユウトはレイ・クルスと切り結んでいた。
当然ながら、劣勢。
未だ刃は黒衣の剣士に届かず、逆に黒竜衣は切り刻まれている。その程度で済んでいるのは、アルシアやカグラの支援のお陰だ。
怪我をする度に治してもらっているが、今も二人とも悲痛な表情をしているのだろうなと、ユウトは苦笑する。
だから、賭けに出よう。
夕食のメニューを決めるよりも軽く、ユウトは切り札を出した。
「レイ・クルス」
「どうした? 命乞い――」
「パス」
あろうことか、ユウトはレイ・クルスに向けて長剣を放り投げた。
バスケットボールでも、もう少し丁寧に扱うだろうというほど、無造作に。
黒衣の剣士は、反射的に手を伸ばしてしまった。
軽率にも程がある行動。
あるいは、武器の収集癖があった〝不殺剣魔〟ジニィ・オ・イグルに復活させてもらった過去と関係があるのかもしれない。
それを確かめる術はないが、レイ・クルスが剣に触れた瞬間、ユウトは迷うことなく合い言葉を唱えた。
「投射」
以前、ペトラに譲った知識神の槍。
今回ユウトが使用していた長剣は、それと同種のもの。ひとつだけ事前に込めておいた呪文が発動すると同時に、爆散した。
呪文の威力に、魔法具が耐えられなかったのだ。
自身を代償に放たれた呪文は、触れたものの魔力を一時的に消失させる《絶魔光線》。
神力解放した状態で蓄積したそれがレイ・クルスへ向けて飛び――黒衣の剣士に触れた瞬間、打ち消された。
「やっぱ、魔封じの護符か」
ラーシアの《理力の弾丸》が無効化されたときから目星を付けていたのだろう。理術・神術問わずに呪文を打ち消す――合計の階梯数に制限はあるが――強力な魔法具は、それゆえに有名だ。
「分かって、近接戦を仕掛けてきたのだと思っていたのだがな」
それにユウトが応えるよりも早く、アルシアが動く。
「我らが愛が永久なることを、ここに誓う――《絶魔光線》」
事前の打ち合わせ通り、現場では名前を呼ぶことすらなく、結婚指輪から同じ呪文を発動させる。
これにはレイ・クルスも対応できず、再び光線に射抜かれる――が、護符によって呪文の効果は打ち消され同じ結果となる。
しかし、無駄に呪文を重ねたわけではない。
「分かってるさ。そいつも、限界だろ?」
「だが、その状態でどうするというのだ?」
今のユウトは長剣を手放し、呪文書は《大魔術師の縮地》を使った後に無限貯蔵のバッグに仕舞っている。
それを準備する間に、レイ・クルスも態勢を整えることはできるだろう。
例えば、魔封じの護符がひとつだけとは限らない。もうひとつだされたら、最初からやり直しになる。
「我らが愛が永久なることを、ここに誓う――《光翼襲撃》」
もちろん、すべて織り込み済みだ。
こうなることを見越してアルシアに込めてもらっていた、神術呪文における最大の攻撃呪文を解き放った。
万色の光が乱舞して天使の翼にも似た形となり、レイ・クルスを包み込む。
そこから逃れることもできず、神聖なる力の奔流が黒衣の剣士を苛んだ。
「……しぶといな」
「勝因は愛の力などと言われては敵わんからな」
光輝く翼が晴れると、そこには傷だらけになりながらも、戦意衰えぬレイ・クルスの姿があった。愛の力であれば自分の方が上だと、言わんばかりにユウトとアルシアをにらみつける。
「こいつは、長丁場になりそうだな」
すべてではないが、切り札は出してしまった。
あとは、地道に戦っていくしかない。
だが、その直後。
ユウトの予想は、あっさりと覆された。
「ユウト、待たせたな!」
美しい影が、天から降ってきた。
魔法銀と思しき板金鎧に、同じく籠手と一体化した魔法銀の盾。
見憶えのある装備を身につけた美影身が、これまた見憶えのある波打つ剣――熾天騎剣を思いっきり振り下ろす。
「《雷光進軍》」
位置エネルギーまで加わった渾身の一撃に、誰一人として反応できない。
生命啜りが半ばから折れ――いや、断ち切られてレイ・クルスの姿が消えた。
人鞘を維持できなくなり、そのまま魔剣の残骸が地上へ落下する。
それを一瞥し、ヘレノニアの聖女は剣を鞘に収めた。
だが、それは次の戦いの始まりに過ぎない。この程度では終わらない。
「エグザイル、止めはもらうぞ」
「ずるい!」
なぜかエグザイルではなくヨナが反応したが、返事も聞かずに、飛行の軍靴で美しき聖堂騎士は飛ぶ。
ユウトも慌てて追うが、追いつかない。《大魔術師の縮地》を使用すれば間に合ったのだろうが、思いつかないほど動揺していた。
「選定」
そうとは知らぬ美しき聖堂騎士は、邪竜帝ワドウ・レンカの眼前に立つと熾天騎剣を抜き放った。
《鋭刃》、《聖化》、《巨刃》、ドラゴンへの《絶種》。
ありったけの魔化を選び、邪竜帝ワドウ・レンカと相対し。
「聖撃連舞――七閃」
そして、一瞬で終わらせた。
巨大化した刃が漆黒の鱗を斬り裂き、巨体を輪切りにする。あまりにも鮮やかすぎる切り口は、血が噴き出すことすら許さない。
八つに分割されたワドウ・レンカは苦悶の声をあげることもできず。
いや、むしろ満足げに邪竜帝の巨体が塵と消える。
「ふう……。終わったな」
美しき乱入者が今度こそ本当に熾天騎剣を鞘に収めるのと、ユウトが追いついたのは同時だった。
「ヴァルトルーデ!?」
なんで、どうして、どうやって、どこから。
様々な疑問が渦巻き、なにを言ったらいいのか。なにを言うべきなのか分からない。
そんなユウトの様子をどう解釈したのか。
ヴァルトルーデは、まず釈明から入った。
「大丈夫だ。万一のこともきちんと考えてあったのだぞ」
そう言って、ヴァルトルーデは右手をかざした。
その腕にはめられていたのは、金剛石が三連に連なったブレスレット。
「ああ……。なるほど……」
アカネに贈ったのは、装着者を致命的な災厄から三度だけ守る守護の指輪。
ヴァルトルーデのブレスレットは、それと同じ能力を持つ魔法具だった。
「さすがに、お腹の中の子供は装着者ではない……ということはありえないからな……」
あきれや怒りを通り越して感心してしまった。
この手があったかと、思わずうなずきすらしている。
ユウトたちが、思いつかなかったのも無理はない。
無茶や危険から遠ざけようとしていたユウトたち。一方、無茶や危険を冒したうえで、自身と子供に危難が及ばないようにと考えていたヴァルトルーデ。
根本的に発想が異なるのだ。
「金剛石は欠けていないな。まずは、良かった」
「というか、どこにあったんだよ……」
「パーラ・ヴェントから借りたのだ」
ヴァルトルーデが天を指さす。
そこには、遙か西から飛んできた空中庭園ルミナスの姿があった。
どうやら、あれに乗ってファルヴからここまでやってきたらしい。
ユウトの口から乾いた笑いが漏れる。
「ところでユウト。なにか言うべきこと、もしくは、やるべきことがあるのではないか?」
「……やりたいことなら、あるよ」
ヴァルトルーデの。最愛の人の催促に負け、ユウトは彼女を抱き寄せる。
そして、自らの欲望にも負け、強引に唇を奪った。
あとはエピローグでEpisode15終了です。
さすがに今日は間に合わなかったので、明日も更新して終わらせます。