11.竜は蘇る(中)
竜が生まれた。
闇色の竜が。
繭を破る直前、破壊神の鉄槌に匹敵する災禍に見舞われた闇色の竜。
しかし、それを実力で脱した竜は、己が存在を誇示するかのように長大な体をくねらせ天を駆ける。
その姿は、四足に翼を兼ね備えた――率直に言えば蜥蜴のようなドラゴンとは違う。
黒曜石よりも黒く硬い鱗に覆われた肉体は、長く優美。翼がないにもかかわらず自在に空を飛び。いや、まるで空を泳ぐかのようだ。
鹿にも似た双角は、その巨体に比せば小さく見える。だが、実のところ、ユウトの身長を倍にしても届きはしないだろう。
ユウトが知る地球の竜――もちろん、想像の産物だが――であれば宝珠を掴んでいるはずの手は空いているが、代わりに、掌にあたる部分には人と天の宝珠が埋め込まれていた。
「グアアアァァッンッッッ!!」
自らを満天下に知らしめるかのように、闇色の竜が吼える。
吐息ではない。吼えただけだ。
ただそれだけで大気は軋み、大地はひび割れ、天に暗雲が垂れ込める。
人知を超えた災害。
具現化した暴威が、そこにいた。
「呪いの魔法具も含め、リ・クトゥア中から集めた財貨や黄の古竜の遺産も再誕の儀式に注ぎ込んだからな」
誰もが息を飲む中、レイ・クルスが予想通りだとほくそ笑む。
その視線は目の前で対峙するエグザイルを越え、背後で指揮を執るユウトを射抜いていた。
「禍々しき邪竜帝ワドウ・レンカの誕生だ」
「竜帝が生まれためでたい席の割には、ギャラリーが俺たちだけしかいないけどな」
渋い表情を浮かべながら、ユウトが負け惜しみのように言う。
ワドウ・レンカが竜帝として蘇る前にレイ・クルスを倒す。あるいは、ワドウ・レンカが繭から出た瞬間に撃破する。
それほど期待してはいなかったが、どちらの作戦も成功とはほど遠い結果に終わったのだ。恨み言のひとつも言いたくなる。
これで、次の作戦に移らなくてはならなくなったのだから。
「その点は、心配をする必要はないぞ」
「別に心配はしちゃいないが……。まさか、人の宝珠でなにかするつもりなのか」
「いや、既にやっている」
レイ・クルスが頭上の邪竜帝を見上げる。
「グアアアァァッンッッッ!!」
それに呼応してではないだろうが、邪竜帝ワドウ・レンカが再び吼えた。
その咆哮が轟くと同時に、右の掌に埋め込まれた宝珠が閃光を放つ。それは一瞬の光とはならず、どこまでもどこまでも広がっていった。
「人の宝珠は、心をつなげ相互理解を深める……だったか。それを暴力的なまでに拡大すれば、一度支配した人間に同じ光景を見せることなど容易いそうだ」
興味なさげにレイ・クルスが言う。
この戦いは、ワドウ・レンカが人の宝珠で支配したリ・クトゥアの民に中継されるのだと。
無謀なまでに支配領域を広げていたのは、このためだったようだ。
「実に禍々しい光景だな。なんなら、逃げ帰っても構わないが」
「冗談にしては面白くないし、本気だとしたら……いや、やっぱり冗談にしか聞こえないな」
「そうでもないのだがな……」
にべもない大魔術師の返答に、黒衣の剣士は初めて戸惑いの表情を浮かべた。
愛する者を取り戻すことに、すべてを捧げたレイ・クルス。彼にとって、ユウトたちとの戦闘は復讐とは直接関わりのない無駄な遭遇。
ゆえに、逃げ帰っても構わないと本気で口にしていたはずなのだが……。
「本気でそう思ってるんなら……。レイ・クルス、あんたがどこへなりとも行けば良い。こっちが見過ごすかは、別の話になるけどな」
「そうか。俺自身気づかぬうちに、戦いを求めていたということなのだろうな」
「そいつは、オレも望むところだが――」
巨大化したエグザイルは残念そうに言って、全身に炎と黄の霊気をまといながら上空へと飛び立った。
「――残念ながら、オレじゃあない」
「そういうこと」
エグザイルに続き、ラーシアまでも邪竜帝ワドウ・レンカ目がけて飛翔する。途中で、カグラの霊気の効果範囲から抜けたがお構いなしだ。
通常の立ち会いであれば、戦場からの離脱など簡単に許されることではない。
しかし、ラーシアは元よりエグザイルもレイ・クルスとは10メートル近く離れている。阻止することはできなかった。
それに、レイ・クルスにとっては損のない取引だ。
後衛――ユウトたちへの道が開けたことを意味するのだから。
もちろん、ユウトもそれは理解している。
分かったうえでの作戦だ。
「《大魔術師の縮地》」
呪文書から切り裂いた8ページがふたつのグループに分かれ、ユウトの足下へと吸い込まれる。虹色の輝きを放つ靴を打ち合わせると、その瞬間、ユウトの姿が消えた。
瞬きすれば見落としていただろう刹那。ユウトは、レイ・クルスの背後に出現した。
長剣を振りかぶって。
「悪い……とは思わないが、俺で我慢してもらうぜ」
「精々、楽しませてもらうとするか」
そちらを見ようともせず、レイ・クルスは死角からの一撃を回避した。エグザイルの攻撃も凌ぎきったのだ。付与呪文で強化されているだろうとはいえ、ユウトの腕前では当然の結末。
それは、ユウト自身が分かっていた。
今度は長剣を横に振るって、とにかくレイ・クルスに当てようと試みる。
「ほう、これは」
背後を振り返った黒衣の剣士は反撃のため生命啜りを構え――しかし、それが振るわれることはなかった。
「やぁっ!」
鋭い気合いとともに放たれた一撃は、まるで予知でもしていたかのようにレイ・クルスの動きに合わせて伸びてきた。
構えはなっていない。
素人同然だ。
それでありながら、剣閃は鋭く狙いも正確。生命啜りでは受けきれないと見た黒衣の剣士は、反撃のことなど考えず回避に動く。
「ちっ」
レイ・クルス――人の形をした鞘と紙一重といったところを長剣が掠め、ユウトが悔しそうに舌打ちをする。
「ちぐはぐだが、それが妙味になっているのか」
黒衣の剣士と名高いレイ・クルスでも、油断はできない。
少なくとも、簡単にあしらって邪竜帝のフォローに回るということはできそうになかった。
「それだけで挑むほど、バカじゃないがな」
身体能力を底上げする《猿の如く》など各種の付与呪文。行動の先読みを可能にする第九階梯の理術呪文《第六感》。
それで底上げされた攻撃は、一流の剣士にも匹敵した。また武器も、ユウトが付与呪文をかければ、ただの包丁が伝説に謳われる装備と同等になる。
しかし、それを振るうのは剣の術理を理解していない魔術師。
その不協和音とでも言うべき組み合わせが、レイ・クルスの直感を狂わせる。
「だが、慣れてしまえばどうということはない」
「知ってるよ!」
とはいえ、結局はフェイントの一種に過ぎない。
一流の剣士しか引っかからない陽動だが、レイ・クルスは超一流だった。
「この程度で、終わってくれるなよ」
「跳躍せよ!」
空中であっても地上と変わらぬ鋭い踏み込み。
飛行の外套を翻しながら生命啜りを突き出すのと、ユウトが跳躍したのは同時だった。
《大魔術師の縮地》は、術者に短距離の瞬間移動能力を与える理術呪文だ。効果時間は精々一戦闘中といったところだが、思考と移動が直結するのは強力この上ない。
「そう、甘くはないか」
鋭い突きから空中で反転し、背後へ生命啜りを横薙ぎにしたレイ・クルスが獰猛な笑みを浮かべた。
またユウトが背後を取ると予測して振るわれた漆黒の刃は、大気を斬り裂いただけに終わる。
「《本質直感》がなかったら、終わってたかもな」
魔剣に空を切らせたユウトは、最初にいた場所――アルシアやカグラ。それに、次の一撃へ向けて精神集中しているヨナの側に戻っていた。
「追いかけるのは、あまり趣味ではないのだがな」
「普段から追いかけてばっかりだからか?」
返事をすることなく、レイ・クルスが空を翔る。ユウトへ向かって一直線に。
避けるなら避けるでいい。そのときは、背後の女たちを血祭りに上げる。そんな突撃だ。
一方、ユウトは動かない。
逃亡も迎撃もせず、ただ片手で長剣を構えてレイ・クルスを待ち受ける。
「その身を以て、確かめてみるがいい!」
「《大魔術師の盾》」
空けていた反対側の手で、ユウトは不可視の盾を出現させた。
理術呪文における最強の防御壁。それで弾き返したところで、反撃をするつもりなのか。そう考えると、背後のアルシアたちを餌にしてレイ・クルスの動きを限定したようにも考えられる。
真相は不明だ。
「うおおおおおっっっ!」
漆黒の刃と不可視の盾が衝突し、閃光が迸った。
「押し返せ!」
「押し切れ!」
意地と意地のぶつかり合い。
ユウトは奥歯を噛みしめ、レイ・クルスは獰猛に笑う。風が逆巻き、レイ・クルスの外套とユウトのローブがはためいた。
「ユウトくん!」
「ユウト様!」
二人の声援が、戦場に響き渡る。
だが、光が収まったその瞬間、声援は悲鳴に変わった。
ガラスが割れるような音とともに、生命啜りが、ユウトの肩を斬り裂いた。
「ほう」
否、斬り裂いたかのように見えた。
カグラの黄竜の加護、ユウトが付与した《魔装衣》の呪文。そして、アルシアが手ずから縫い上げた《黒竜衣》により減衰され、強かに打ち据えられただけで終わる。
とはいえ、剣で切られたのではなく、鉄の棒で殴られたといった違いでしかない。
「くぅっ」
「《完全治癒》」
「《治癒》」
アルシアとカグラから素早く治癒呪文が飛び、ユウトの傷を癒す。
「なるほど。手厚い看護だ」
「これくらいないと、黒衣の剣士と一騎打ちなんてしてられないぜ」
「一騎打ちと言う割には、女を侍らせているようだが」
「ハンデだろ」
「男の甲斐性ということにしておくか」
「それはそれで認めたくはないけどなっ」
ユウトがレイ・クルスを蹴り飛ばし、再び二人は距離を取る。
「大武闘会の意趣返しをさせてもらうとしようか」
「オレまで復讐の対象にされちゃ敵わねえな。それに、随分と楽しそうだ」
「当然だ」
辟易とした表情で疲労を隠すユウトとは対照的に、レイ・クルスは涼しい顔だ。
「向こうがどう思っているかは知らんが、俺はエルドリックとヴァイナマリネンの友だぞ」
「……やっぱ、ジイさんだけでも連れてくるべきだったか」
そうぼやきながら、ユウトは剣を構えた。




