10.竜は蘇る(前)
「ユウト、なんか顔色悪くない?」
「ああ……」
「寝てない?」
「まあ、そんなところかな……」
決戦の日。ユウトたちは朝食を摂るため《不可視の邸宅》の広間に集っていた。
悠長なと言われてしまいそうだが、《祝宴》の呪文で生み出された食事は士気を高揚させ、耐久力も高まり、毒や病気への耐性をも与える。
この〝朝ご飯〟は、ユウトたちの冒険に欠かせない儀式だった。
「へー。ユウトだけが寝不足で、アルシアたちは大丈夫なんだ」
黙々と鱒のムニエル――五皿目――を口に運ぶ岩巨人の横で、草原の種族が下卑た笑いを浮かべる。
食事よりも重要だと、ユウトをからかおうとした瞬間。
「ラーシア」
死と魔術の女神の大司教が名を呼ぶ。
名前を呼んだだけだ。
にもかかわらず、冷や水でも浴びせられたかのように首をすくめ、粛々と食事に戻った。
イタズラ好きで軽佻浮薄が服を着て歩いているようなラーシアでも、命は惜しい。
「あの……。ユウト様……申し訳ありません」
「いや、まあ、そこは俺が悪いというか、俺が解決しなくちゃいけない問題というか……」
頭を下げるカグラへ意味が分かるような分からないようなことを言って、ユウトは無理やり笑顔を作った。
そして、白く柔らかなパンを噛み千切る。面白がって、ヨナがそれを真似をした。
「結論は出なかったけど、折り合いはついたから大丈夫さ」
「まあ、あれだよね」
大人しく食事に戻っていたラーシアが、懲りずに口を開く。
「今日は、寝不足で凶暴なぐらいがちょうど良いかもね」
「……そうなると、たっぷり寝てるヨナはどうなるんだよ」
凶悪とまではいかないが、きつく鋭い視線でラーシアをにらみつけるユウト。
けれど、アルシアに比べたら、どうということもない。この草原の種族が動じるはずもなかった。
「でも、睡眠時間充分であれだとしたら……?」
「夜更かし厳禁にしよう」
「ん?」
リ・クトゥアで目覚めた瞬間に軍勢ひとつを無力化したヨナは、頬に朝食を詰め込んだまま可愛らしく首を傾げた。
「というわけで、行ってきます」
「ああ……。だが、その前にひとついいか?」
朝食を終え、支援呪文もかけ準備万端整えたユウトたち。
最後に蒼の古竜ゴウレイに声をかけ決戦へと赴こうとしたところ、深刻な様子で呼び止められた。
「もしかするとあの野郎、『竜の秘術』の亜種を使ったかもしれねえ」
「『竜の秘術』? 亜種?」
「ああ。俺たちが金銀財宝を集めてるのは、なにも趣味や伊達や酔狂ってだけじゃねえ」
「……え?」
ユウトは、一瞬、立ちくらみをしたのかと思った。
実際、気付いたときには立ち位置が一歩前に出ていた。恐らく、いや、確実にふらついたのだろう。
それほどまでに、衝撃的だった。
「ほんとにぃ?」
「こいつは、驚いたな」
「まさか、そんなことがあり得るというの?」
アルシアなど、平静を失いかけている。
だが、その反応も大げさとは言えないだろう。
ドラゴンが財宝を集めるのは本能だ。
それが、疑うことなき世界の常識だったのだから。
「……おめえさんらにどう思われてるかってのはよく分かったが、今は脇に置いておくぜ」
困ったように――なんとなく、感情表現が理解できるようになってきた――言うゴウレイが、改めてその大きな口を開く。
「この財宝は、理術呪文でいう触媒になる。俺たちが死の直前、より高次の霊的存在に生まれ変わるための秘術のな」
「なるほ……ど。そう、そうか。その発想はなかった……」
代表的なところでは、金貨2万5千枚。日本円に換算すると2億円に相当するダイヤモンドを触媒にする《大願》だろうか。
逆に言えば、《大願》ですら金貨2万5千枚程度でしかない。長き時を閲してきたドラゴンの財宝を触媒とする秘術。その奥深さも分かろうというものだ。
「といっても、必ず成功できるわけでもねえんだがな。失敗したやつぁ、無念を抱えて他の同胞が眠る墓場へ飛ぶのさ。そいつらの魂と一緒になって、いつの日か高次存在になれる日を夢見てな」
世界の秘密の一端が明かされた瞬間だった。
大賢者ヴァイナマリネンですら、知っているかどうか。
「高次の霊的存在というのも気になるけど。凄い気になるけど、でも、この秘術を使ったら、物質的には死ぬんじゃ?」
「ああ。だから、亜種なんだよ。いや、竜帝になるための儀式そのものが亜種なんだがな」
まどろっこしいと、蒼の古竜が苛立たしげに首を振り回す。
「つまりあれだ。わざとかどうかは知らねえが、性質の悪い魔法具を触媒に使ってるんだろうぜ」
「それが、生まれ変わるワドウ・レンカにも影響していると?」
「そういうこった。おぞましく、そして、強力なドラゴンになることだろうよ。俺たち以上のな」
「…………」
「あー。先に破壊しようと思っても無駄だぞ。そっちにも、なんかそういう呪文があんだろ。それと一緒だ」
落胆はしない。けれど、不本意な先読みをされたと、ユウトは口をとがらす。
とはいえ、それも一瞬。
助言に頭を下げ、決意を口にする。
「やることは変わらないけど、慎重にやらせてもらいます」
情報を集める段階も、話し合いの時期も終わっているのだ。
警戒はする。
だが、打ち倒すという方針は変わらない。
「……まったく。俺の出番が来ないよう、しっかりやりやがれ!」
あきれたと言うよりは自棄気味に発したドラゴンの咆哮を出陣の合図に、ユウトたちは戦場へと転移した。
「待っていたぞ」
「こっちも、準備が色々あってな」
《瞬間移動》の呪文により、ワドウ・レンカの本拠地マザキに現れたユウトたち。《飛行》の呪文により、重力の枷からは解き放たれていた。
風が舞う上空で、外套をはためかすレイ・クルスと対峙する。
彼我の間は10メートルといったところか。
言葉を交わすには遠すぎるが、戦闘には適度な距離。
地上にある闇の塊――ワドウ・レンカ――を背景に、善と悪とが向かい合う。
「だが、間に合ってるだろ?」
「いや、予定通りだ」
その言葉を待っていた――わけではないだろうが、闇の塊が鳴動する。
それは産声だ。
新たなる竜帝の。同時に、新たな時代の。古き世に終わりを告げる、次の秩序の誕生だった。
闇色の卵に亀裂が走り、内部から漆黒よりもなお黒きドラゴンが這い出ようとする。
だが、それを素直に待つユウトではない。
「カグラさん!」
「はい。黄竜の加護を!」
赤竜の加護では、《祝宴》の効果と重複してしまう。事前の打ち合わせ通り、カグラは黄竜の加護を放射してユウトたちにまとわせる。
損傷への耐性を得たエグザイルが、レイ・クルスへと突撃する。
「神力解放」
空を翔けながら、岩巨人の肉体が徐々に巨大化していく。種も仕掛けもトリックもない。
神としての力と魔法具の能力を解放し、炎をまとう巨人が生まれた。
「ぬぅおおおおおっっ!」
咆哮一閃。
持ち主に合わせてさらに大型化した、巨大スパイク・フレイル。錨よりも巨大な先端が、まるでミサイルのようにレイ・クルスへ飛ぶ。
巨大化したからといって、決して鈍重ではない。
並のドラゴンを凌駕する膂力で放たれた一撃は、猛禽の如き勢いで臓腑を抉る――かのように見えた。
「それは、一度見た」
だが、レイ・クルスも堕ちたとはいえ英雄だ。
動いたようには見えなかった。
にもかかわらず、水平に飛ぶスパイク・フレイルの先端はレイ・クルスを通過した。
最小限の動きで見切ったと気づいたのは、当のエグザイルとラーシアだけ。
鮫のように笑ったエグザイルは、綱を引き戻すかのようにスパイク・フレイルを操作して黒衣の剣士に追撃を放つ。
「内臓ないから、《理力の弾丸》!」
魔法の短杖から純粋魔力の矢玉を放ったラーシアだったが、あくまでも牽制。エグザイルのというよりは、スパイク・フレイルのサポートに過ぎない。
「それも、知っている」
レイ・クルスは避けなかった。
三条の矢をその身に受け、小揺るぎもしない。
ただ、鎧の中からなにかが弾けたような光が溢れる。
「護符かぁ!」
無念の声をあげるラーシア。
詳しい種類までは分からないが、ダメージを肩代わりする護符により無効化されたことは分かる。そう何度も軽減できるものでもないだろうが、向こうの準備がそれだけとは限らない。
「ドラゴンは、やっぱ、良い物持ってるね!」
「なに。殴り続ければ、いずれ死ぬ」
それが真理だと証明するかのように、引き寄せたスパイク・フレイルの先端をレイ・クルスへと狙いを定める。
往路に劣らぬ勢いで背後から迫る……が。
「エルドリックほどではないが、俺も守勢巧者だぞ」
振り向きもせず、生命啜りで受け止めた。
巨大化して山のような体躯となったエグザイルの一撃を、涼しい顔で受けきった。
「さて、次はこちらの番――」
「神力解放」
黒衣の剣士がゆらりと動き出した瞬間。
そんなことは関係ないと、ヨナが神力刻印を発動させた。
標的はレイ・クルス――ではない。
狙いは、地上で今にも闇の繭から飛び立とうとするワドウ・レンカ。
「《サイクロニック・ブラスト》――ダブルエンハンサー」
超能力者の少女が生み出した破壊の暴風。
万物を薙払い、有象無象を区別することなくもたらされる力の大渦。
善悪正邪の性質とは無関係に荒れ狂う暴力。
破壊神もかくやという無慈悲な。あるいは、慈悲深い絶滅の奔流。
「グァアアアアッッッ!!」
それが闇の塊に到達する刹那。その身を守っていた繭を内部から崩壊させる、漆黒の吐息が放たれた。
否、吐息ではない。光線だ。
それは、触れるものすべてを消滅させた。
闇の塊を消滅させ、大気を消滅させ、破壊神の暴威を消滅させ。
最後には、漆黒の光線そのものも消滅した。
「……やる」
いつもは無表情なアルビノの少女。
敵を認めるかのように、ニィと笑った。