8.変生
「そういう叙述トリックは要らねえんだよ!」
竜帝の意識が消え、ユウトが八つ当たり気味に叫ぶ。
そのときのカグラは、気がついたらユウトの腕の中にいた……という状況だった。
倒れそうになったところをユウトに助けられ。ユウトに身を預けているのは、不可抗力だ。
一見、それは正しいように思える。
けれど、実のところ、そこにはいくつの虚偽があった。
まず、カグラは気を失ってはいなかった。地の宝珠から出た竜帝の意識を宿してから、黄の古竜ゴウリンの魂の残滓を迎え入れるまで。つまり、最初から最後までずっと、肉体の主導権は失っていたが、なにが起こっているのか把握していた。
もちろん、すべてに理解が及んだわけでも、納得できたわけでもない。
加えて、衝撃的な体験であり、言葉にできない感動も抱いている。
だが、気絶するほどではなかった。
そのため、カグラは今も意識がある。
意識があるのに、ユウトに抱かれている。
いけないと、理性がささやく。
それに従い、離れようとはした。
けれど、肉体が精神を裏切った。
視界には、善の魔術師であることを示す白いローブ。それを通して、ユウトの体温が伝わってくる。こんなに近くで彼の存在を感じるのは初めてだ。
その感触を頬に感じながら、カグラの心臓は持ち主の意に反して早鐘を打っていた。
遠く離れた土地には、ヴァルトルーデとアカネがいるのに。
ここにはアルシアがいて、今も見られているのに。
離れがたいと思ってしまう。
ずっと、このままでいたいと願ってしまう。
今まで素直に認められなかったそんな気持ちを、どういうわけか素直に受け入れることができた。
だが、もう、終わりにしなければならない。
カグラは意思の力を総動員し、ユウトの腕から離れる。実のところ、カグラがユウトに抱き留められていたのは、長い時間とは言えなかった。
その程度の時間では回復しなかったのか、カグラは蹈鞴を踏んでしまう。
それでもなんとか踏みとどまり、ユウトを見つめる。
伝えなければならないことがあるから。
「カグラさん、急に動かないほうが」
「大丈夫です」
再び駆け寄ろうとするユウトを片手で制し、カグラは微笑を浮かべた。
健気で、哀しげな笑顔を。
「陛下から、ユウト様に伝言があります」
「伝言?」
「はい。『全部任せるから、やりたいようにやれ』と」
「無責任な」
任せるもなにも、事態を収拾する実力があるのはユウトたちしかいない。
お墨付きをもらっても、やることは一緒ではないか。
だが、まだ続きがあった。
「後輩……ユウト様から無責任だと言われたら、『竜帝に言われたとおりやっただけだって、全部俺に責任おっかぶせて良いぞ』とも」
「……まったく」
竜帝の遺言に、ユウトは言葉を失った。
それほど深い関わりがあったわけではない。言葉を交わしたのも、数えるほど。
だが、どこを気に入られたのか分からないが、親身になってくれていた。希望を押しつけようとはせず、気遣われていた。助けられもした。
そして、今更ながら気づく。
そんな竜帝とは、もう、会うことも喋ることもできないのだと。
当たり前の事実。
それに気づかなかった程度の関係。
にもかかわらず、ユウトの表情が泣き笑いに変わる。
そんな反応は、理屈に合わない。それなのに、感情が制御できるか、あふれてしまうかの瀬戸際にいる。
「いや、ユウト。こいつは一本取られたね」
そんな状況で、ラーシアがからかうようにユウトを励ました。
「オーダー通り、ユウトのやり方で、きっちり解決しないと」
ただし、離れた場所から。
しかも、カグラと二人きりなのを邪魔しちゃ悪いと、言わんばかりにだ。少なくとも、ユウトがそう考えることは期待しているはず。
それで、ユウトの精神は再起動を果たす。
フォローをされた形だが、しかし、それを素直に伝えるはずもない。
「それはやるさ。ところで、どうして俺を遠巻きにしてるんだよ。離れすぎだろ」
「いや、ボクらの距離感ってこんなもんじゃない?」
「そういえば、そうだな」
「二人が離れていても、心の距離は変わらないということね」
アルシアが、綺麗にまとめた。
「えーー」
「はぁ?」
心底嫌そうな顔をする。
二人、そろって。
「ははははははは。お前さんらは、本当に面白えな。湿っぽい雰囲気にもなりゃしねえ」
最も悲しみが深いはずのゴウレイが、ヨナぐらいなら吹き飛びそうな勢いで笑う。青の洞窟に騒音に近い笑い声が反響し、そのヨナが、本当に吹き飛ばされはしないものの、不快そうに顔をしかめる。
けれど、蒼の古竜に気づいた様子はない。
ドラゴンの感情を表情から読みとるのは困難だが、心底愉快そうにしていた。
「……わざとやってるわけじゃ、ないんだけど」
「んなこた、あたぼうよ。だから、良いんじゃねえか」
気っ風よく肯定されてしまい、ユウトの困惑が深まる。
しかし、悪いことではないかと思い直す。
あの竜帝が、しんみりと送り出してほしいなどと望むはずもない。
それに、他に確認すべきこともあった。
「ところで、巫女の嬢ちゃん。あいつらの置きみやげってのは、いったいなんだったんでい?」
「そこ気になる。火を吹く?」
「吹けるかもしれませんが……」
蒼の古竜とアルビノの少女に迫られ、カグラが後ずさる。
危険度という意味では変わらない一頭と一人だ。それも当然だろう。
「あー。こらこら。詰め寄るんじゃない。ラーシアも、『なら、ユウトが迫れば良いじゃん』とか言わない」
「言ってないのに!」
「言うつもりだったな」
黙って成り行きを見守っていたエグザイルの指摘。
ゆえに、そこには絶大な説得力があった。
「カグラさん。いちいち取り合わなくて良いから、自分のペースで聞かせてくれる?」
そんな和気藹々としている男どもは無視し、アルシアが優しく語りかける。
その対応にカグラはほっとした表情を見せ、考えをまとめてから、遠慮がちに口を開いた。
「竜の威を借りる……霊気を扱う力を与えられたようです」
「霊気か。具体的には?」
ユウトへこくりとうなずき、カグラは説明を続ける。
「黄の霊気は打撃への耐性を与え、赤の霊気は恐怖を退け士気を向上させる……のではないかと。霊気は、他にもありますが」
「……実際に使ってみてもらっても?」
「はい」
カグラが瞑目し、神楽でも舞うかのように右手を振り上げる。
「黄竜の加護を」
その祈りに応え、カグラの体から黄金の霊気が立ち上った。
それは波のように広がりユウトたちを覆う。
「これは、珍しいな」
黄金に染まる体を興味深そうに眺めつつ、ユウトはカグラから離れていった。
皆の視線が集まる中、20メートルほど離れたところで霊気が消える。
そしてまた、カグラへと近づいていくと霊気が全身を覆った。
「カグラさんから、一定の範囲内にいれば加護を得られるみたいだな」
「ふむ。効果のほどは……ラーシアで試すか」
「エグ!? そっとだよ! 高いレストランのウェイターみたいに、そっとだよ! あと、ヨナはステイだよ!」
結果、中途半端な攻撃であれば完全に減衰するほど強力な霊気であることが判明した。
「即死を致命傷にすることはできそうだな」
「うん。わりと、いけるんじゃない?」
「そうだな。いるだけでというのは、大きい」
エグザイルとラーシアが実験結果を口にし、上と下からユウトを見つめる。
そして、正面からカグラも。
「ユウト様。一緒に、連れていっていただけますか?」
「カグラさんさえよければ、もちろん」
ユウトの答えにカグラは安堵し――
「……良かった、です」
――今度は本当に、その場に崩れ落ちた。
「調子はどうだ……と聞いても、もう、無駄か」
ワドウの国の都、マザキ。
ユウトたちとの前哨戦により中心部が破壊されたそこで、レイ・クルスは闇色の塊を見上げていた。
天を衝く――とまではいかないが、10メートルはあるだろう塊。
目を凝らして観察したならば、その表面は水面のように漂っており、不可思議な模様がたゆたっているのに気づくだろう。
耳を澄ませば、不気味で不快な呼吸音のようなものが聞こえてくる。
それは、生物だった。少なくとも、そのなれの果てではある。この先、それがどうなるのか。レイ・クルスにも、分からない。
だから、正確には、ただの塊ではなく繭や卵と称するべきかもしれなかった。レイ・クルスもワドウ・レンカも、そんな定義に感心はなかったが。
「それにしても、皮肉なものだ」
黒衣の剣士は口の端だけを上げる文字通りシニカルな微笑を浮かべ、闇の塊を一撫でした。
この街に、生物はこれひとつしか残っていない。
街の住人は、人の宝珠を使用してすべて追い出した。レイ・クルスは、もはや人の形をしているだけだ。
闇の塊だけが、生物だ。
それを哀しいとは思わない。むしろ、喜劇に近いとすら感じる。
「さて、果たしてなにが生まれるか」
実のところ、レイ・クルスの目的は既に達している。
再びスィギルに出会うためだけを考えれば、もう、この場にいる必要はなかった。
「最後まで、見届けてやろう」
さりとて、いてはならないわけでもない。
なにしろ、この先には一世一代の大芝居が待っているのだ。
最後の劇の出演者が、どちらになるのか。それぐらいは、見届けるべきだろう。