7.竜との対話(後)
「ヒュウザ! 本当に、ヒュウザなのか!」
「正確には、その残りカスだがな」
「ストップ!」
今にも竜帝――カグラに襲いかかろうとする蒼の古竜を、ユウトは一言で止めた。
「お、おう。すまねえ。つい……」
「まあ、実際は大丈夫だったでしょうけど」
ゴウレイと言葉を交わしながら、ユウトはちらりと背後を窺う。
思った通り、エグザイルがカグラの前に出て壁になろうとしていた。あの岩巨人なら、古竜の突進も食い止めていたことだろう。むしろ、やり過ぎを心配しなくてはならない。
「というか、ヒュウザって名前だったんだ」
「さてな、久し振りすぎて忘れちまったよ。まったく、後輩にいじられる材料になっちまってるじゃねえか、おい」
カグラの体で喋る竜帝ヒュウザ。
もちろん、それに慣れたわけではないが、地の宝珠から出てきた竜帝の残留思念がカグラの体を借りているのだと、状況を理解することはできている。
「長いことゴウレイの霊気を浴びて場が整えられていたことが幸いしたな」
「どこでも、好きなときに出てこられたわけじゃないと」
恐らく、残留思念ではあるが、竜帝自身この状況は予想外だったに違いない。
見通していたのは、カグラをこの地に導いた竜神バハムートだけだろう。
「ああ、後輩。心配しなくていいからな。ちょいと巫女の体を借りてるだけで、用事が終わったら熨斗を付けて返してやるよ」
「こっちにも、熨斗とかあるんだ」
単なる翻訳の関係かもしれないが、現実離れした状況のせいで変なことを考えてしまう。
「ゴウレイも元気そうでなによりだ」
「おうさ。さっき、死にかけたけどな」
ガハハハハハと、蒼の古竜が豪快に笑う。大音声と震動にヨナが顔をしかめるが、おかまいなしだ。
「俺が死んだ後、みんなにも迷惑かけちまったな。すまねえ」
「仕方ねえさ。生きている以上は死ぬ。ゴウリンだってそうなっちまった」
奇妙な形ではあるが、遙かな時を越え再会を果たした竜帝と古竜。
まるで犬が甘えるかのように、ゴウレイは鼻先をカグラの肉体に押しつける。竜帝はそれを受け止め、屈託のない笑顔を浮かべて巨大な上顎から鼻を撫でてやる。
「これ、いい話……ってことでいいの?」
「カグラさんの状態を除けば……かな」
「そこは、心配ないと思うわ」
ひそひそと語り合うラーシアとユウトの間に、アルシアが割って入る。
別に、嫉妬の気持ちがあるわけではない。仕える神は異なるが、同じ司祭としてカグラの気持ちは分かる。だから、説明するのは自分の役目だと思っただけだ。他意はない。
「神とは異なるけれど、竜帝もそれに劣らぬ英雄なのでしょう。ならば、その魂を我が身に降ろすことは誉れよ。驚いてはいるでしょうけど、嫌がってはいないはずよ」
それはもちろん、カグラが無事意識を取り戻すことが前提ではある。
だが、ユウトはその点を心配してはいなかった。
根拠は、竜帝への信頼という薄弱なものだったが……蒼の古竜ゴウレイと子供のように戯れる姿を見ていると、疑うのもバカらしくなる。
それに、神が自らの信徒を無為に危険へ追いやるはずもない。
そんな視線を感じたからではないだろうが、ぽんぽんとゴウレイの鼻先を撫でた竜帝は、ユウトに向き直った。
「さて。名残惜しいが、こうしていられる時間も長くはねえ。聞きてえことに、答えようじゃねえか」
「ワドウ・レンカが人の宝珠を使えるのは分かる。でも、天の宝珠まで自在に使ってたのは、どういうわけだ?」
「直裁で良いじゃねえか。さすが、後輩だな」
竜帝ヒュウザが、カグラの顔でニヤリと笑う。
カグラがカグラであったなら、絶対にしない表情だ。
「最初に言ったろ? 宝珠は、使えば使うほど魂と馴染んでいくって」
「ああ。最後には竜人になるって話だろう?」
人を食ったような表情を浮かべる竜帝に、ユウトは素直に答えた。下手に口答えしないほうが、話はスムーズに進む。ユウトは、ラーシアとの経験でよく知っていた。
「そんでな、どれかひとつの宝珠に馴染むと……」
「……と?」
「他の宝珠を吸収して、同化させることができる」
「合体するのかよ」
「まあ、簡単に言うと、そういうこった」
簡単に言われてしまったが、重大な情報だ。
事前に知っていたからといって有効な対策が取れたかどうかは分からないが、それでも、知っているといないとでは意識が違う。
「というか、欠陥じゃないか、それ?」
管理者一人に認められれば、あとは強引な手段で宝珠を回収できる。
これでは意味がないとまでは言わないが、抜け道が広すぎやしないだろうか。
「さっき、自分で言ってたろうが。竜帝は欠陥システムだってよ。まあ、俺は誰にも継がせるつもりはなかったんだから当然なんだが……」
竜帝が、カグラの体で遠くを見る。
死後の争乱には、防げなかったことも含め、やるせないものがあるのだろう。
その無念を知ってか、蒼の古竜ゴウレイが説明を引き継ぐ。
「天の宝珠、地の宝珠、人の宝珠。これらは元々、ひとつの秘宝具天地人の宝珠だったんだぜ。原初の形に戻ろうってだけだ。当たり前の話だろ」
「……ま、そういうこった。天の宝珠に所有者がいないのもまずかったな」
人の宝珠で人心を操っていたのには、宝珠とより深くつながるという動機もあった。これで、あの異常なまでの人心操作の秘密。その一端が判明したと、言っていいだろう。
ユウトは思案気に指で唇をなぞる。
「確か、最終的に竜帝は本物のドラゴンになったんだったか」
「ああ。だが、それは失敗だったな。だから、俺は宝珠にそうなる前の俺を残したんだろうぜ」
肉体と精神は相互に影響しあう。
肉体が人とかけ離れてしまったら、人のための政治はできない。
それが、リ・クトゥアに訪れた破局の原因だったのかもしれなかった。
「つまり、下手するとドラゴンになったワドウ・レンカとやり合うわけか……」
自分で口にしておきながら、その想像は愉快な未来予想図とは言い難かった。
思わずと言うべきか、当然と言うべきか。そこはユウトにも判断が付かなかったが、ヨナの顔をまじまじと眺めてしまう。
「ん?」
「いや、ドラゴン相手になりそうなのに、平然としてるから」
不思議そうにするユウトに、ヨナはいつもの無表情で返す。
「ドラゴンだから殺るわけじゃない。殺なるならやる。殺るからやる。相手は問わない」
「アルシア姐さん……」
「じっくり。帰ったら、じっくり教育しましょう」
ヴァルの子供に悪影響が出たら大変だわと、アルシアが小さく。しかし、何度も首を振る。
「まあ、頑張って」
ラーシアもユウトの腰のあたりを叩いて激励する。
なにしろ、肩には手が届かないので。
「あっ、ははははは。後輩のところは、面白えな!」
「普通でいたいんだけどなぁ」
ユウトは頭をかいてぼやくが、すぐに本分へと立ち返る。
この話題を引っ張ると、自分への非難があがるのは――不本意ながら――明らかだった。
「とりあえず、ワドウ・レンカを倒すのは変わらないとして……」
残る心配は、レイ・クルスの動向。
はっきり言ってしまえば、古竜たちのことだ。
「ワドウ・レンカとレイ・クルス。この二人には、少数精鋭で当たるべきだ」
「はっきり言うな、おい。ゴウレイ、足手まといだって言われてるぞ」
かつての親友、竜帝ヒュウザにからかわれ、蒼の古竜は顔を背ける。
人間のような反応に、ユウトは笑いをこらえた。ラーシアは、遠慮なく笑った。
「まあ、あの醜態を見せたあとじゃ、なにを言っても無駄だわな。仕方ねえ。情けない限りだが、引っ込んでるぜ」
それで良いんだろと、蒼の古竜ゴウレイが高い位置からユウトを見つめる。
「その代わり、俺たちが責任を持って対処します」
「ゴウレイ、そんなに気を使うことはねえさ。地の宝珠で、いろいろやってるからな」
「……恩返しということで」
竜帝の言葉に、ユウトも乗っかった。実際、お互い様と言ったところではあるのだ。
「そいつは済まねえ。とりあえず、俺みてえに先走らないよう、他の奴らにも言っておかねえとな」
「それは助かります」
足手まといとまでは言わないが、不確定要素が少ないのは間違いない。
もっと準備に時間がかけられる状態なら、他の古竜たちも含めた共同戦線を張ることもできたかも知れないが、ドラゴンと協調するのは難しいだろう。
「ああ、そうだ。俺が預かっている地の宝珠。これが、ワドウ・レンカに吸収される危険性はない?」
「そいつは大丈夫だろ。かなり、後輩と馴染んでるからな」
「かなりなのか……」
今後のことを考えると不安は残るが、今は良しとするしかない。
「ユウトくん、大丈夫よ。相手のプラスにならないのであれば、私たちがなんとかしてみせるわ」
「そーそー」
「やる」
「いっそ、相手に塩を送ってもオレは構わんがな」
そんなユウトに、仲間たちが一斉に声をかける。
多少、不安になる発言がないでもなかったが、ユウトは笑顔を取り戻した。
そして、再びカグラの体の中にいる竜帝の残留思念へと問いかけようとしたところ……。
「ん? ああ……。そうか……。分かったぜ」
なぜか、虚空を凝視しながら独り言を発していた。
「ああ、すまねえ。時間切れみてえだ。これが、今生の別れってヤツになるな」
「……そうですか」
カグラの体を通して喋れなくなるだけではない。宝珠の中にあった思念も消える。
竜帝の伝説はリ・クトゥアでこれからも語り継がれるだろうが、ヒュウザという個人は、完全に消滅するのだ。
「そんな顔をするもんじゃないぜ。俺は、何百年も前にいなくなった人間なんだからよ」
「ヒュウザ……」
「ゴウレイも、達者でやれよ。ゴウリンも心配してたぜ」
「まったく、アイツは世話焼きすぎなんだよ……って、ゴウリンもっ!?」
「じゃあな、さようならだ」
ヒュウザは答えず、カグラの顔で、カグラは絶対にしない人を喰ったような笑顔を見せる。
「最後の最後に、なにを」
「くくく。後輩は良いな、おい。なに、ゴウリンの魂の欠片が残ってたみたいで、さっき喋ったんだがよ」
心の底から愉快そうに説明を始める竜帝。
そのカグラの肉体が、金色の光に包まれていく。
「この巫女の嬢ちゃんに、俺とゴウリンの力だけ残して逝くぜ」
「ちょっ、どういうことだよ」
「熨斗を付けて返すって言っただろ」
ニィと口角だけ上げて笑う。
次の瞬間、カグラが身に纏った光が収縮したかと思うと、一気に弾けた。
黄色の霊気が青の洞窟を染め上げ、視界を奪う。
それにも構わず、ユウトはカグラへと駆けよって倒れる寸前でなんとか抱き留めた。呼吸はある、問題はなさそうだ。
「そういう叙述トリックは要らねえんだよ!」
ユウトが絶叫するが、答えはない。
当然だ。もう、残留思念も残っていない。完全に消え去ったのだから。
しかし、ユウトは、にんまりと笑う竜帝ヒュウザの顔をありありと思い浮かべていた。