4.前哨戦
「古竜を殺した……か。証拠はあるのか?」
「ないな。魂なら生命啜りが吸収したが、見せられるものでもない」
リ・クトゥアを見守ってきた五つの古竜。
その一頭を滅ぼしたと宣言したにもかかわらず、レイ・クルスは完全に自然体だった。
だからというわけではないが、ユウトも、それ自体は疑っていなかった。
リ・クトゥアの住人に対してならともかく、ユウトたちにそんなことを言っても、ブラフにもならない。
それに、古竜はヨナが時折狩ってくるようなドラゴンとは格が違う存在ではあるが、レイ・クルスが勝てない相手とも思わなかった。
「しかし、いきなり殺すとは、古竜に認められないって自覚はあったんだな」
「なに。不遜にも品定めしてやるなどと言ってきたからな、相応に対応しただけよ」
ゆえに、無駄とも言える問いは、ワドウ・レンカの反応を見るためのもの。
レイ・クルスとワドウ・レンカの目的は、必ずしも一致しないことが分かっている。果たして、これが両者の合意によるものか確認したかったのだが……。
ワドウ・レンカは、黙して語らず。
表情ひとつ動かさず、この状況でも立ち上がる素振りひとつ見せなかった。
これでは、レイ・クルスの行動を黙認している程度しか分からない。
(まあ、ワドウ・レンカ自体、なにを考えてるのかよく分からない相手だが。まさか、人の宝珠の副作用ってわけでもないだろうけど……)
ともかく、ここは思案のしどころだ。
「それにしても、俺をこっちに呼びたがったわりには、竜帝にならないのなら帰れなんて勝手すぎないか?」
アカネに見せられた昔のロボットアニメみたいだと、レイ・クルスには絶対に分からない例えを出して挑発する。
もちろん、この程度で乗ってくるとは思えない。だが、考える時間を稼ぐことはできるはずだ。
「あいにくだな。用があるのは、地の宝珠だ」
「なら、俺を呼ばずに、取りに来れば良かったじゃないか」
「魔術師どもと違って、易々移動できるわけではないのでな」
「その割には、古竜を倒して今帰ってきたって感じだったが……。見慣れないマントは、空を飛ぶだけか」
「……目ざといな」
呪文も使わずに魔法具を見抜かれ、さすがのレイ・クルスも警戒を強める。
だが、ユウトからすると簡単な選択問題に正解した程度の感慨しかなかった。
魔法具作りには一定のルールがある。そのひとつが、身につける部位と効果の近似。移動を素早くする効果を持つ魔法具を作る際、ブーツであれば容易だが、ネックレスやヘッドバンドにするのは困難が伴う。
さらに、レイ・クルスが――戦士がと言い換えてもいい――必要とする能力はなにかと考えれば、飛行能力のあるマントを手に入れたのだろうと推測は可能だ。
そんな子供だましでレイ・クルスを煙に巻きながら、ユウトは考えをまとめていく。
命題は、カグラをかばいながら、レイ・クルスとワドウ・レンカの二人を倒せるか――だ。
ワドウ・レンカの力は未知数だが、レイ・クルスについてはファルヴ大武道会で得たデータがある。まさか、また《絶魔領域》で無効化できるはずもないだろうが、エグザイルであれば互角以上に渡り合える。
そうなれば、残りは数と火力で押し切れるはず。
(天の宝珠という、イレギュラーがなければ)
加えて、あれからレイ・クルスがどう成長しているか分からないという不確定要素もあるが……。
ここで逃げ出すようなら、どこで戦っても同じだ。
「おっさんはレイ・クルスを押さえてくれ。ラーシアは自由に。他は、いつも通りだ」
ユウトの指示に従い、エグザイルが猛然と突進する。広い評定の間も、岩巨人がスパイク・フレイルを振るえば狭苦しい空間になる。
その巨体でレイ・クルスやワドウ・レンカから後衛を覆い隠す。いつもなら前線に出るのは聖堂騎士の役目。エグザイルは、スパイク・フレイルのリーチを活かして距離を取っていたが、無論、最前線でパーティの壁となることもできる。
それも、攻撃を受け止めながら、敵を破壊する壁に。
エグザイルの突撃にあわせて、ユウト、アルシア、ヨナは距離を取った。カグラを背中にかばうのは、残念ながら、ユウトではなくアルシアの役目だったが。
「《狙撃手の宴》」
好きにしろと、ある意味信頼されているラーシアが先手を取った。
素早く弓を引き、立て続けに六本の矢を放つ。
ただし、狙ったのはレイ・クルスではなくワドウ・レンカ。
「内臓がないやつは、大っ嫌いだっ!」
嫌いならそっちから倒せよと言いたくなるが、関わりたくもないという意味での嫌いであれば、それも当然かと思い直す。
それほど、ユウトには余裕があった。
相手が弱いわけでもなく、軽く見ているわけでもなく、視界が広いという意味で。
だから、ワドウ・レンカが軍配を手に取り、なんの感情も交えずに一振りしたところも目撃していた。
「風よ」
所有者の命に応じ、軍配から。否、はめまれた宝珠から突風が吹く。
評定の間を吹き荒れる暴風が何条もの光となって襲いかかる矢を吹き飛ばす――ことはできなかった。
「ぐっ」
勢いを弱めることしかできず、ラーシアの矢は薄片鎧を貫いた。
「ちっ」
だが、急所からは逸れ。あるいは、そこまでの深手を負わすことはできず、ラーシアが露骨に舌打ちする。行動が素早いだけに、敵の未知の能力に遭遇するの確率が高い。その点も含めた、苛立ちだった。
「あれは、人の宝珠じゃなかったのか?」
カグラが語っていた、管理者が緊急時に宝珠を使用する手段。
ワドウ・レンカの一族には軍配が伝わっていたようだが、他の宝珠でも使用できるということなのか。だとしたら、そのつもりはさらさらないが、地の宝珠は絶対に奪われてはならない。
「ユウト、細かいことは倒してからでいい!」
「随分な自信だ」
背後にいるユウトの戸惑いを察したエグザイルが、それをぬぐい去るかのようにスパイク・フレイルを振るった。
上からではなく、下から。
多少の広さはあるとはいえ、錨のように巨大な武器を使用するには不足としか思えない。10メートルも届く鎖が付いているとなればなおさら。いや、この空間自体がエグザイルには狭すぎる。
だが、エグザイルの膂力の前には、そんな常識など無惨に破壊されるだけ。
スパイク・フレイルは、鮫の背びれが海面を切って進むが如く、板の床を破砕しながらレイ・クルスへと迫っていく。
「随分と重たいな」
物理的にも常識を破壊する一撃は、しかし、生命啜りによってがっちりと防がれてしまった。
「そうでもない」
その返答は、謙遜でも嫌味でもない。
事実だと証明するかのように、今度は天井を破壊しながらスパイク・フレイルを振り下ろす。
打撃。
追撃。
さらに、追撃。
エグザイルが発生させた暴風にも似たそれは、レイ・クルスの仮初の肉体までは届かなかったが、確実に押し込んでいく。
「エグ、ちょうど良い。神力解放」
二人の距離が離れたのを確認し、ヨナが力を解放。神力刻印が額に浮かぶ。
「《サイクロニックブラスト》――エンハンス・ダブル」
威力が強化され、さらに倍加した超能力の嵐が評定の間。否、屋敷全体を包み込み、荒れ狂う。
超大型の台風が、局所的に発生したらこうなるのだろうか。屋敷は軋みを上げ、数秒後には抵抗虚しく破断し、かつて屋敷だった物体が空へと巻き上げられていく。
壁も床も天井も。構造物すべてが亜神の力により砕かれ、廃墟が生まれた。レイ・クルスが積み上げた財宝も、どこへ散らばったものか見当もつかない。
「《大魔術師の盾》」
「《神の城塁》」
ユウトは自前の防御呪文で破壊の嵐から身を守り、アルシアは第八階梯の神術呪文で創出した白く清浄な光の結界で、カグラとヨナをともに包み込む。
エグザイルとラーシアは、自分でなんとかするだろう。
投げやりなのではなく、信頼だ。
「あー。これで、やりやすくなったね」
「そうだな」
実際、二人とも瓦礫のなかで平然としており、同じく惨禍を免れたレイ・クルスとワドウ・レンカを油断なく見つめていた。
これだけの破壊を現出させながら、お互いに無傷。
もちろん、ヨナに味方を傷つける意図などなく、屋敷の崩壊も副作用に過ぎない。本命は、敵である二人の破壊にあった。
けれど、それは叶わない。
ワドウ・レンカが持つ軍配から放たれた光が二人を覆い、やはり、無傷でこの場に立っていた。
逆に言えば、生半可な手段では、神の力が上乗せされた《サイクロニックブラスト》に抗うことなどできない。
宝珠の力を再認識すべきところだが、アルビノの少女にとっては、それどころではない。
「むかつく……!」
「……天の宝珠は、ワドウ・レンカの手中か」
渾身の一撃を無効化されて憤るヨナの抗議は聞き流しながら、ユウトは厄介さに眉をひそめる。
今のところは押し込んでいるが、ワドウ・レンカとは違い、こちらの地の宝珠は使い放題とはいかないのだ。天の宝珠が攻撃に使われたら均衡が崩れるかもしれない。
「まあ、その分は、俺が働けば良いか」
天の宝珠による防御がいかほどのものか。
小手調べとして、《時間停止》から《差分爆裂》四連発でも叩き込んでやろう。
過激な方針を定め、呪文書へと手を伸ばしたそのとき。
「グアアアアッッッンンッッッ」
天に紺碧のドラゴンが飛来した。
威嚇するように銀灰色の吐息を放ち、苛立たしげに咆哮する巨大なドラゴン。
吐息は天空に向けられていたが、それにもかかわらず冷気が地上にまで伝わってくる。その体躯は、赤火竜パーラ・ヴェントにも匹敵するだろう。
年を経る毎に成長し、その限界は存在しないのがドラゴンという種族。
年齢を重ねる程に力を得るのがドラゴンという生命。
つまり、あの青竜は、ユウトやヨナが相対してきたなかでも抜きん出て強大な存在ということになる。
「あれは、まさか」
「カグラさん、知っているんですか?」
「蒼の古竜ゴウレイでは……」
リ・クトゥアの伝承に謳われる五つの古竜がひとつ。
竜帝の覇業に力を貸し、その死後は、一線から退きながらも乱れるリ・クトゥアを外敵から守護してきた伝説の存在。
その伝説が、顕現した。