1.北を目指して
「俺は、天草勇人。地の宝珠を持つ者だ」
ヒウキに後始末を押しつけ、捕虜となったワドウ軍の隔離も終えたユウト。
最後の一仕事と、地上に向けて演説を始めた。
「このリ・クトゥアに住む者ではないが、人の宝珠を持つワドウ・レンカ。この男の性を確かめるため、舞い戻った」
片手に地の宝珠を持ち、傍らにヨナを置いてユウトが宣言する。
その声は、ファルヴ大武闘会でも使用した拡声の機能を持つ魔法具により増幅され、戦場全体に響き渡った。
「ワドウ軍を撃退したのも、そのためだ」
その言葉を聞き、眼下の軍勢からどよめきが起こる。
手柄を取るようだが、話しをややこしくしても仕方がない。少なくとも、横にいるヨナは得意げにうなずいているので、問題はないだろう。
「ゆえに、すべての戦を停止する」
自分でも偉そうなことを言っているという自覚はある。
だが、それをおくびにも出さず、ユウトは命を下した。
今度は、どよめきは起きない。
誰一人として不満を表明することなく、受け入れられた。
その言葉を伝えた魔法具は《呪術師の手》の呪文によって、宙に浮いている。
いかにも奇妙な光景だが、それを内心にでも指摘する者は、少なくとも地上にはいなかった。
ユウトとヨナは遥か上空におり、地上の人々からは見えない――というだけではない。
誰も彼もが平伏し、声を聞くのみでユウトのことを直視できずにいたからでもあった。
「俺の代理人として、ゴジョウのヒウキを指名する。彼に下賜した剣が、その証だ。ヒウキの言葉は、俺の言葉だと思うように」
ヴァルトルーデなら、もっと堂々と、もっと威厳に満ちて、もっと説得力のある言葉を投げかけていただろう。
この辺が、自分の限界かと、ユウトは内心で苦笑する。
事務能力のないヴァルトルーデは領主らしくないと思うかもしれない。だが、そんなものは周囲でサポートすれば済む話。
生まれついての魅力は、付け焼き刃ではどうにもならない。
もっとも、彼に未来を見通す瞳があれば、苦笑はもっと別の物になっていただろう。
今から数百年後、ユウトが軽い気持ちで渡した玻璃鉄の長剣は、『魔竜王の剣』と名を変え、戦乱の中心となるのだから。
当然、それを知らぬユウトは、ハッタリを利かすことを選んだ。
地の宝珠を仕舞って、代わりに呪文書を取り出す。
「《竜身変化》」
そこから9枚切り裂いた呪文書のページがユウトへと吸い込まれていき、極彩色のプリズムが全身を覆う。
その光の反射は徐々に強く大きくなり、この世界で最も強大な生物の姿となる。
赤竜。
このリ・クトゥアでは、強さと同時に権威の象徴。最も尊ばれ、最も恐れられる存在。
それに変じたユウトは、一度だけ咆哮を放った。
深く、重たく、低い。
どこまでも届く、大気を振るわす竜の咆哮。
それが完全に消える前に放たれた火炎の吐息が、空を焦がす。
ワドウ軍を壊滅させた奇跡に続く、衝撃的な光景。
ユウトの言葉に逆らう気など元々なかったが、これが完全なとどめとなった。
しかし、もはや竜の意識は彼らに向けられることはない。地上の様子など気にすることなく、ドラゴンは巨体を翻して飛んでいった。
アルビノの少女を伴い、北へと。
「あー。慣れないことは、するもんじゃあないな」
「いやいや。良かったと思うよ。『ゆえに、すべての戦を停止する!』とか、日常生活じゃ、なかなか言えないもん」
「誇張するな。『停止する!』とか、そんな風に力は入れてねえよ」
先ほどの演説から10分もせず、ユウトはあっさりと《竜身変化》を解除した。
隣を飛ぶラーシアと言い合うその姿からは、先ほどの威厳は欠片も感じられない。
これが本来のユウトの姿であり、当然、このほうがしっくりくる。
そう思っていても、変わり身の早さにカグラは戸惑いを感じずにはいられなかった。
戦場をあとにしたユウトたちは、《飛行》の呪文を《遠距離飛行》に切り替え、リ・クトゥアの地を北へ北へと進んでいた。
この先となると、リ・クトゥア出身のカグラであっても、未知の土地になる。それはユウトにとっても同じだが、多元大全で情報を得られる分、勝っているだろうか。
もっとも、行き先に関しては、「日本列島でいうと、四国から本州を縦断して、北海道へ行く感じかな」という程度の認識であり、大差はなかった。
「飛んでいくの久々」
「そうね。懐かしい感じがするわね」
「さすが、ユウト様たちですね……」
空の旅など、冒険者以外が経験することはまずあるまい。
一番常識的だと思っていた――実際に、そうなのだが――アルシアの感想を聞き、カグラは感心とあきれの感情を同時に抱いてしまった。
遮る物のない空の旅は順調そのもので、眼下の風景はめまぐるしく変わり、さすがにこの辺りになるとカグラにも土地鑑はないが、かなりの速度で北上していることが分かる。
風は感じるが心地好い程度で、寒さも感じない。空を飛ぶのに慣れていないことから――慣れているほうがおかしいのだが――ユウトに手を引いてもらっているのも、恥ずかしく申し訳ないが、嬉しくないと言ったら嘘になってしまう。
ただ、カグラにも、そして、ユウトにも、それを気にしている余裕はない。
「移動しながらになるけれど、収集した情報を伝えます」
アルシアが、真剣な声音で呼びかけ、ラーシアでさえも聞く態勢に入る。そんな状況では、手を繋いでいることなど、意識していられなかった。
「ワドウ軍は各地に攻め入って勢力を拡大しているのは間違いないようね。リ・クトゥアの半分以上は、既に彼らの版図と見て良いわ」
「半分以上か。そいつは、いい」
敵の強大さに、エグザイルが凶悪な笑みを浮かべる。
それはいつものことなので、ユウトとしても構わなかったのだが……。
「おっさんも情報収集してたはずなのに、なぜ、そこで感心する?」
「細かいことは、気にするな」
「そうね。あと、王であるワドウ・レンカ自身はワドウ国から離れていないようよ」
「動く必要がないのか、動けないのか……」
「そこは、分からないわね」
ユウトの指摘に、アルシアは首を振る。本陣に残された指揮官や指示書。それに、ヨナが作った異世界で正気を取り戻した者たちから聞き取った情報を総合しても、そこは判然としなかったのだ。
とはいえ、考えようによっては有益な情報でもある。
ワドウ・レンカに会うという方針は揺るがないのだ。
こうしてワドウ国がある北へ向かっていられるのも、ワドウ・レンカ自身が本国から動かないからこそ。
「居場所が分かれば、どうとでもなるよね」
ラーシアが邪悪に微笑むのも、それが分かっているからだろう。
「それで、人の宝珠ってやつの能力に関しては、どんな感じ?」
その草原の種族が、空中で仰向けになり頭の後ろで手を組みながら聞いてきた。
アルシアはすぐには答えず、考えをまとめる。
その間に、琴線に触れたのか、ヨナもラーシアと同じポーズを取って虚空に浮かぶ。これには、ユウトもエグザイルも苦笑せざるを得ない。
しかし、カグラはその光景を見ている余裕はない。ただ、申し訳なさそうに情けなさそうにうつむいている。
地の宝珠の管理者の末裔であるカグラだったが、他の宝珠に関しては、伝承以上の情報は持ち合わせていないのだ。
「恐らくだけれど、なんらかの方法で支配をしたあとは、距離も時間も特に制限はないのでしょうね」
「つまり、距離は同じ次元界のみ。持続時間は、永続。解除されても、同じ世界にいれば、自動で再支配。おまけに、対象数の上限もない。まあ、最悪の場合の推測だけど、これは凶悪だな」
「その分、代償も大きいとは思うわよ」
ユウトが並べた人の宝珠の性能に、さすがのアルシアも鼻白む。
正面から対抗するのは難しいだろう。
普通は。
だが、ユウトたちが普通などとは、口が裂けても言えなかった。
「それ、ボクたちが喰らったりしないのかな?」
「それも、なんとも言えないわね」
「一応、いつも通り精神作用に対する耐性は呪文で付与してるけどな」
「じゃあ、考えても無駄だね」
ラーシアが、それならいいやと、屈託のない表情でうなずく。
行き当たりばったりに見えるが、今までもそうやって切り抜けてきた。
「まあ、なんとかなるだろう」
エグザイルも、同じ考えのようだった。
「ところで、レイ・クルスについてはなにか?」
「それが、奇妙なほどなにもなかったわね。最初期は前線に出ていたらしいけれど、今は別の任務に従事しているのか、完全に独自に動いているそうよ」
「不気味だなぁ」
そこに不吉なものを感じたからか、ついユウトの手に力が入る。
「ひゃっ」
突然そんなことをされて、カグラが動揺しないはずもない。
恥ずかしい声をあげてしまうが、咄嗟に、かなり高速で空を飛んでいる今の状況を思い出し、手を振り払うようなことはしなかった。
「ごめんなさい」
「いえ、構いませんから。離さないでください」
「ええっと、いや、はい……」
「ひゅーひゅー」
「小学生か!」
とりあえず、ラーシアにツッコミを入れ――実は、少し助かった――ユウトは、再び真面目な表情に戻る。
「じゃあ、残る問題は、どうやってワドウ国に対処するかだな」
ワドウ・レンカでもなく、レイ・クルスでもない。ワドウ国そのものに対してだ。
この人数で国に挑むなど無謀……などとは、ユウトたちを普通と表現できないのと同じように、今さら誰も言うまい。
それに、パーティ単位で巨大な組織に挑むのは初めてのことではなかった。
〝虚無の帳〟との戦いに似ているなと、ユウトは昔――というほど以前のことではないが、体感的には正しい――を思い出す。
ユウトが立案――というほど、大層な物ではないが――した作戦は、ゲリラ戦をイメージしたものだった。
〝虚無の帳〟の本拠地である黒妖の城郭の地下には、天然の洞窟を利用した広大なダンジョンが広がっていた。
そこは、地水火風の司教が治める四つの区画に分かれており、それぞれ権力争いをしていたのだ。
その対立に乗じて、ユウトたちは徹底的に自らの存在を秘匿し、相手に対策を取らせない状態で各個撃破を繰り返していった。
とはいえ、途中でばれてしまい、暗殺者が送られてきたこともあったのだが。
ちなみに、その暗殺者は、生け捕りにして情報を引き出そうとしたものの、ヴァルトルーデが手加減をしたが当たり所が悪く死亡してしまっている。
「どうする? 黒妖の城郭の地下神殿のときみたく、イヤガラセする?」
「それも、懐かしくて良いけど……。俺たちの存在は、ばれてるだろうからなぁ」
「違うでしょ、ユウト」
話を振っておきながら、話を否定するという暴挙に出るラーシア。
ユウトは草原の種族に胡乱げな眼差しを向ける。
「ヴァルのところに、さっさと帰りたいから、そんなまどろっこしいことはしてられないんでしょ? 良いんだよ。ボクには分かっているからね」
「うぜぇ」
「そうか。そういうことなら、オレも一肌脱がねばならんな」
「おっさんは、暴れたいだけだろ」
「がんばる」
「ヨナは、もう頑張ったよ」
全方位にツッコミを入れたユウトが、さすがに息切れを起こす。
そんなユウトを、アルシアは慈愛に満ちた瞳で見守り、カグラは珍しい光景に目を丸くしていた。
本日で、本作は投稿開始二周年となりました。
去年も同じことを言った気がしますが、こんなに長く続けられるとは想像もしていませんでした。
書籍化し、続刊できているのも、読者の皆様のお陰です。本当にありがとうございます。
もうそろそろ完結というところまで進んでおりますので、最後までお付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。