9.破軍
縮小更新で、ご迷惑をおかけしました。
なんとか、書籍化作業が終了しましたので通常ペースに戻ります。
書籍版ともども、よろしくお願いいたします。
「くははははは。有象無象め、薙払うぞ」
「すっかり神気取りかよ」
「とんでもない。ボクは神だよ」
「……事実だけに、胡散臭さが際立つなぁ」
ラーシアとともに空から戦場を見下ろしながら、神の階に足をかけた大魔術師――ユウトは、しみじみと言った。
リ・クトゥアに《瞬間移動》した直後、ユウトたちは《飛行》の呪文で天を翔け、戦場の上空に到達した。
「これは……」
神の視点で戦争を目にしたカグラは、自分でも不思議なほど衝撃を受けていた。
眼下でぶつかり合う、ふたつの軍勢。
一方は一糸乱れぬ動きで攻め立て、他方は連携もままならず押されている。
一方は一切の高揚もなく機械的に殺し、他方は欲望をむき出しに暴力を振るっている。
故郷が。それも、見知った土地の近くが戦場になっていることに不安を感じているのか。
侵略者であるワドウ軍に負けていることに、呆然としているのか。
大勢の人が死んでいることに、動揺しているのか。
風が運んでくる、おびただしい血臭に当てられてしまったのか。
そのすべてが要因のようで、すべて違うような気がする。
結局、カグラはなにも言えずに、自分で自分の手を掴んだ。震えが収まれば、気分も落ち着くと信じて。
そんな竜人の巫女の様子に、アルシアが気づく。死と魔術の女神の愛娘は、カグラへと近づこうとし、力不足を悟った。
「ユウトくん」
夫の名を呼ぶと、振り返った彼に視線だけで異常を伝える。
真紅の眼帯をしていた頃にはできなかった、意思の疎通。
それが通じたことに感慨を抱く間もなく、ユウトはカグラの目の前に移動し震える手に、自らの手を重ねた。
「カグラさん」
「ユウト……さま……」
不躾なのは百も承知だが、この場合、百の言葉よりも雄弁だった。
合わせた目と手で、心配ないことを。そして、どうにかすることを伝える。
「申し訳ありません……。いえ、ありがとうございます」
完全に不安が消えたわけではないだろう。
けれど、カグラはぎこちないながらも笑顔を浮かべた。
手を自ら離そうとは、絶対にしなかったが。
「むうぅ……」
「ヨナ、だめよ?」
寝起きで機嫌の良くないアルビノの少女が、噛みつかんばかりにしているのを、アルシアがそっと制する。既に契りを交わした余裕というわけではないが、カグラの気持ちも分かるだけに同情的だった。
そう。同情だ。ユウトには、カグラを心配する気持ちしかない。だから、許容できるとも言えた。
「ユウトは、なんていうか、たまに突然、踏み込むよね」
「優しさだろう。後先考えていないようではあるが」
「そういうとこがさー。なんて言うの? ああ、面倒だから死ねばいいのに」
「ラーシア、おっさん、聞こえてんぞ!」
さすがにカグラから離れ、男どもに抗議するユウト。
しかし、風に揺れる柳の枝のように手応えはない。ユウトも、それでラーシアとエグザイルが感じ入るなど思ってはいなかった。
いつものことだ。
もっとも、あまり慣れていないカグラだけは、目を丸くしていたが。
「聞こえてたって良いしー? 陰口のつもりなんか、さらさらないしー?」
「堂々と悪口言うのも、どうなんだよ」
「ボク個人の感想です」
「なら、仕方ないか」
仕方ないはずがないが、深入りするのは良くない。
まずは、根本的な要因を取り去らなければ。
「とりあえず、この戦争を止めるぞ」
ユウトは、決断を下した。
ヴァルトルーデがいたら、そうするだろうという決断を。
「まず、地の宝珠を使って両軍を分断する。そうしたら、いろいろ試してワドウ軍の洗脳を解こう」
こうなることを見越して、精神に作用する効果を遮断する呪文をいくつか用意してあった。
それを試す間、エグザイルやラーシアにはワドウ軍の本陣を攻略してもらい、なにか有益な情報がないか捜索してもらう。
「ちょっと、待った」
この作戦に対し、ラーシアが異を唱える。
「宝珠ってやつの力は、温存しといたほうが良いんじゃない?」
「そりゃ、できるならそれに越したことはないけど……」
普通の戦争であれば、《星石落雨》で近くに隕石を降らせ、意思を挫くという方法が使える。しかし、あのワドウ軍に効果があるとは思えない。
「まあまあ、急所を狙えるってことはさ。急所を外せるってことでもあるわけさ」
「新技ある。ふたつぐらい」
恐らく、神力解放を念頭に置いているのだろう。
ラーシアに続いて、ヨナまでもが、眼下の戦争を止められると自信を持って言う。
もちろん、無駄に人死にを出すことなくだ。
「まあ、多少の事故はあるかもしれないけどさ」
「任せて」
「任す。でも、エグザイルのおっさんとアルシア姐さんには、本陣へ行ってもらうからな」
悩む素振りも見せず、ユウトは作戦を変更した。
そして、危険な役割を振られたはずのアルシアはこともなげにうなずき、エグザイルは鮫のように笑う。
その光景を見て、思わずカグラはぽかんと口を開けていた。
展開が早すぎて、飲み込めない。
けれど、その反応は、少し、早かった。
「覚悟はしていたことだが、こうも醜態を晒すとはな……」
小高い丘に張った陣から戦況を俯瞰し、ヒウキは吐き捨てるように言った。いらだちをぶつけられた馬上鞭が、みしみしと音を立てる。
「度し難いとは、このことよ」
苦戦は承知の上だったが、だからといって、許容できるわけでもない。
かつてユウトと一騎打ちをして敗れ、その後、一介の武将からゴジョウの街周辺を支配する豪族へと、心ならずも成り上がった“劫炎”のヒウキ。
何者かによって暗殺された旧主に成り代わり、一帯を治めることになった真竜人。
豪族に成り上がってからの歩みは順調とも盤石とも言えなかったが、ここまでの危機に見舞われたこともなかった。
北方より、雲霞のごとく押し寄せたワドウ軍。
人の宝珠に認められたと称し、竜帝の後継者として服属を迫った。
その独善的な宣言が受け入れられるほど、戦乱の歴史は短くも浅くもない。仮に、ワドウ・レンカが本当に竜帝の後継者だったとしても、一戦もせず頭を垂れることなどありえない。
むしろ、ワドウ軍を打ち破り、宝珠を奪えば、自らが次代の竜帝として名乗りを上げる好機となる。
そう考えるのが、リ・クトゥアの常識だ。
とはいえ、ワドウ軍が強大であることは、偵察をするまでもなくはっきりしている。
そのため、周辺の豪族たちが連合して決戦となったのだが……。
既に、味方は崩壊の手前にいた。
決して烏合の衆ではないものの、連携もなにもあったものではない。それぞれ持ち場を定め、対抗するだけ。総大将を誰にするかともめるぐらいならばと、ヒウキも納得した作戦ではあった。
だが、じりじりと劣勢に追いつめられるにつれ、いらだちだけが募っていく。
装備に大きな違いがあるわけではない。
真竜人と半竜人の比率も変わらない。
軍法も同じだ。言葉合戦こそ成立しなかったものの、石や矢を放ち、槍を合わせ、騎馬が突進する。戦の流れは変わらない。
ゆえに、ヒウキの胸で大きく育った違和感は、兵の精神そのもの。
「やつばらめ! 死を恐れぬのではない。死をなんとも思っておらぬのだ!」
鯨のひげを加工した馬上鞭が、無惨に砕け散った。
近習たちが怯えた表情――真竜人であるため、非常に分かりにくい――を浮かべるが、ヒウキは一顧だにしない。矢継ぎ早に指示を飛ばしながらも、心中には、ただ憤りだけがあった。
鬨の声も上げず、粛々と進軍するワドウ軍。
劣勢になっても怯まず、一方、優勢であっても沸き立つことはない。
横槍を入れられても一切動じず、兵を伏せても粛々と対処する。
そして、作業のように命を刈り取っていく。
「これが、戦か!」
ヒウキが吼える。
指揮を取らねばならないため、戦場に立てぬ己の境遇に。
そして、人知の及ばぬ力を戦場に持ち出した敵への憤りに。
だが、その感想は、少しだけ早かった。
空に、小さな。けれど、無数の光がきらめく。
太陽の下に雪が降れば、あるいは、そんな光景になるかもしれない。
だが、違う。
それは雪ではない。鏃だ。太陽の光を反射した鉄の欠片だ。
それが、頭上。否、天空から一斉に降り注ぐ。
それは、正確にワドウ軍へのみ突き刺さっていた。
「おおおっっ!!」
続いて、太陽が落ちてきた。
正確には、太陽と見紛うばかりの巨大火球だ。
それもまたワドウ軍に落下していくが、矢の雨とは違い、影響がないとはいえない。
凄まじい爆風が戦場に吹き荒れ、陣幕が吹き飛ばされる。
それに翻弄されながら、ヒウキは仁王立ちし――再び吼えた。
「アマクサか!」
反射的に出てきた名。
根拠など、なにひとつない。
なのに、ヒウキは疑っていなかった。
実のところ、それは誤りだったのだが……。
しかし、真実の一端を掠めてはいた。
「神力解放」
眼下の戦場ではなく、さらに上空へ向けて弓を引き絞るラーシア。
未だ真なる神にはあらねど、定命の者では決して持ち得ぬ霊気がその身から立ち上り、複合短弓へと集中する。
「《矢林弾雨》」
ラーシアの卓抜した弓の業。
それをサポートする理術呪文。
両者が神としての力で統合され、この草原の種族の勇士だけの秘跡となった。
放たれたのは、わずか一本の矢。
だが、次の光景を目にした者は、信じられまい。
鋭い放物線を描いた矢が落下した瞬間ぴたりと止まり、無数に増殖した。数百、いや、数千か。数えきれるものではない。
無数としか言えない矢の豪雨が、地上のワドウ軍へと降り注ぐ。
阿鼻叫喚……とは、ならない。
自由意思を奪われたワドウ軍は痛みにも鈍感で、むしろ、ヒウキら豪族連合のほうが驚愕し、動きも止まる。
とはいえ、動きが止まったのはワドウ軍も同じだ。
ある者は腕を貫かれ武器を取り落とし、またある者は足を貫かれその場に縫い止められる。
「神力解放」
そこへさらに、アルビノの少女が精神力を解き放つ。
「ヨナ……?」
そのただ事ではない重圧を受けて、ユウトが恐る恐る問いかける。反射的に、カグラを背中にかばいながら。
「《フレアバースト》――ディヴァイン」
答える気がなかったのか、それとも、その余裕がなかったのか。
とにかく、小型の太陽と見紛うばかりの巨大火球が、ずんと地上に落下し、遅れて光が弾け、さらに遅れて爆音と爆風が空中にまで届く。
「《セレリティ》」
しかし、それで終わりではない。
一発だけでは戦場全体をカバーできなかったため、自らの時流を早めたヨナが、続けて行動する。
「《フレアバースト》――ディヴァイン」
まったく同じ巨大火球が、さきほどとは離れた位置に着弾した。
結果は、同じだ。
地上は、地獄と呼ぶのも生ぬるい状態。
息苦しいのは、精神的なものか。それとも、酸素が一気に燃焼したからなのか。
それでも、ユウトは確認せずにはいられなかった。
「あの、ヨナ……さん……?」
「ふう……。まんぞく……」
最近、料理の道に目覚めたヨナだったが、やはり、これが天職だと言わんばかりにアルビノの少女が満面の笑みを浮かべた。
そうじゃない。そうじゃないんだと、ユウトは首を振る。
「大丈夫なんですか、あれ?」
「だいじょうぶ。みねうち」
「……見た目は派手だけど、気絶するだけってことでいいのか?」
「そう」
見た目からは信じられないが、ヨナが言うのならば、そうなのだろう。
それに、威力をあげるのではなく、非致傷化するのに神力解放を使用するのが、ヨナらしいと言えるのではないか。
「そう思おう」
終わりよければすべて良し。
死者が出ていないのだ――恐らくだが――誰に、文句を言われることがあるだろうか。
いや、ない。
「……おっさん、アルシア姐さん。頼んだ」
こうなると、もう、誰も止められない。
否、万全であったとしても、真実巨人となったエグザイルは止められまい。
本陣を急襲した岩巨人は容易く制圧に成功する。
あらかじめ、そう命令されていたのか。敗北を悟った司令官は自決を試みたが、しかし、死と魔術の女神の愛娘を前にして、それが叶うはずもない。
破竹の勢いで進撃してきたワドウ軍は、わずか数名の冒険者によって完膚なきまでに粉砕された。
この人たち、ソレスタルなんちゃらみたい……。