4.宝珠の管理者(後)
「しかし、人の宝珠はともかく、天の宝珠を奪ったというのは、穏やかじゃないですね」
すべて集めれば竜帝の後継者になるとされる三つの宝珠。
そのふたつまでが、ワドウ・レンカという男の手にある。
それ自体は、自分がどうこう言うことではない。感情感知の指輪をはめた、傍らにいるアルシアは否定するかもしれないが、ユウトは、そう考えている。
天の宝珠を受け継いだのではなく強奪したということは、このスイオンに認められなかったということでもある。
しかし、それでワドウ・レンカの思想や性質を判断するのは、短絡的に過ぎた。疑心暗鬼に駆られているわけではないが、スイオンを全面的に信頼して良いかも分からない。
(ヴァルだったら、とりあえず突っ込んでから考えそうだけど)
愛する妻の美貌を思い出し、ユウトの肩から、すっと力が抜ける。
まだ、なにも決まってはいないのだ。今はただ、虚心に耳を傾ければ良い。
ヴァルトルーデのお陰で、簡単だが重要なことに気づけた。ユウトは、わずかに口角を上げる。
「経緯を話してください。でも、手短に」
詳細に聞きたいところだが、タイムリミットが迫っている。難しい条件だったが、ベッドの上で正座をし、正面からこちらを見つめる竜人の司祭はこくりと頷き、前に突き出た口を開いた。
「ワドウ・レンカは、リ・クトゥア七島の最北、天枢島に存在するワドウ国の王でしたが、竜帝からの啓示を受けたと人の宝珠を手に、軍を興したのでございます」
天枢、天キ、天セン、天権、玉衝、開陽、揺光。これが、リ・クトゥアを構成する主要な島々の名だ。
カグラたちと出会ったのは開陽島であるため、天枢島とはかなり距離が離れている。ワドウ国も、その王の名も、ユウトが知らないのは当然と言えた。
「でも、宝珠を根拠に天下統一というのは、あながち間違った行為ではないのでは?」
「いかにも。当初は、歓迎的な空気もございましたが……」
それは次第に薄れ、やがて、忌避感と恐怖へ変わっていったのだとスイオンは言う。苦々しいと言うよりは、心底悔しそうに。
「ワドウの支配地域は、表面上、諍いなく平和のように見えまするが、その実、精神的な意欲の減退により命じられたことに諾々と従っているに過ぎませぬ」
「地の宝珠は、大地を操るから人の宝珠は……」
「いえ、それは誤解にございます」
ユウトの言わんとするところに気づいたのだろう、怒りをにじませるスイオン。
その興奮した様子に、アルシアが反応する。
「気が立っているようね。もう、話は、終わりに……」
「いや、失礼つかまつった。某、落ち着いてござる」
「……まあ、もう少しだけ」
「分かったわ」
思いの外簡単に、アルシアは引き下がった。
もしかすると、いつでもドクターストップをかけられることを示したかったのかもしれない。
「本来、人の宝珠は人と人の相互理解を深め、人心を安んじる力を持つ秘宝具にござる。決して、人間らしさを奪い取り、奴隷とするためのものではござらん」
「要は、使い方次第ということか……」
当たり前と言えば、当たり前の話だ。
むしろ、この話の焦点は、天の宝珠の管理者であるスイオンが非道と憤るような使い方を許している人の宝珠の状態にあるのだろう。
「宝珠に残る竜帝の思念は、それを止めようとしないのか?」
「竜帝陛下の思念……ですと……?」
「いや、知らないのなら良いです。話を進めましょう」
どうやら、管理者も知らないことだったようだ。
思えば、ジンガからもカグラからも、そんな話は聞いたことがない。条件があるのか、それとも、他の宝珠には残っていないのか。
スイオンはおもちゃを取り上げられた子供のような表情をしていたが――ドラゴンに近い顔だが、表情はそれなりに分かる――今は、時間がない。
「それで、ワドウ・レンカとやらは、どの程度の勢力になっているんです?」
「……ワドウ国の兵たちにも人の宝珠の力が及んでいるのか、士気が高く、死兵の如く苛烈な戦い振りに各地で押されておりまする」
元々、根城のあった天枢島は元より、ほど近い天キ島、天セン島はすでに勢力圏内。天権島も、陥落間際だという。
「占領地の反乱は、人の宝珠で押さえられる。下した勢力の兵士も、人の宝珠を使えば、自分の勢力に加えられる」
軍勢が、ねずみ算のように増えていくわけだ。しかも、人の宝珠により、統制もされているのだろう。
既存の軍が対抗できるはずもない。
アカネがいたら、「ゾンビ映画みたいな状況ね」と言い出しかねない。少なくとも、そんな益体もない想像をしてしまうほど、とてつもない事態だ。
横で話を聞いているアルシアも、あまりのことに、ぽかんと口を開けていた。
「いかにも、ご推察の通りでござる」
そして、スイオンも憂鬱そうに肯定した。
「さらに、ワドウ・レンカには懐刀とも言える黒衣の将軍がおりますれば」
どうやら、人材も不足はしていないらしい。
話を聞く限り、ワドウ・レンカの覇道に障害はないように思えた。
「某の住まいは天権島にございましたが、ワドウ軍の歩みは噂よりも早く。情報を集めることも、逃げることも叶わず、ワドウ・レンカのその手で、天の宝珠も奪われてしまった次第にござります」
無念の一言では言い表せないのだろう。
屈辱に身を震わせ、あまりにも強く噛みしめたためか、口の端から一筋の血が流れ出る。
「アルシア姐さん」
ストップをかけようとしたアルシアを、ユウトは一言で止めた。
ワドウ・レンカの話を聞くまでは体調を優先してもらうつもりだったが、こうなっては一通り話を聞き終えるまでは頑張ってもらわなければならない。
「ワドウ・レンカに宝珠を奪われたあとに神託を受け、隙を見て逃げだした……というところですか?」
「……恥ずかしながら、その通りでござる」
「そうか……」
その逃避行は苦難の連続であったのだろう。
同情ではなく尊敬すべきだが、しかし、ユウトの胸に疑念が湧く。
その逃亡は、ワドウ・レンカが意図したものという可能性はないだろうか。地の宝珠の後継者――ユウト――を自らのもとへおびき寄せる算段ではなかったか。
無念と恥辱でいっぱいになっているスイオンの姿を視界に入れながら、ユウトは、そんな勘ぐりをしてしまう。
この策の特徴は、成功しても失敗しても、ワドウ・レンカには、なんら損がないことだ。
「しかしながら、ワドウ・レンカにも弱みはござる」
「俺が、地の宝珠を持っていること?」
「それに加えまして、リ・クトゥアに住まいし、五つの古竜に未だ認められておらぬこと。さらに申さば、天の宝珠も、奪われたのみ。ワドウ・レンカを後継者とは認めますまい」
ユウトは黙ってうなずいたが、内心、納得はしていなかった。
確かに、一部の魔法具や秘宝具は、所有者と認められるための条件が存在するものもある。
だが、人の宝珠を使用している以上、宝珠に認められるなんらかの適性があるか、あるいは、その条件を無効化する手段を持っていると考えるべきだろう。
また、古竜の承認にしても、それは確かに次代の竜帝となるために必要なプロセスなのだろうが、リ・クトゥア全土を支配し、人の宝珠で縛ってしまえば、そんなものは関係ない。
問題は、人の宝珠の力が、どの範囲に、どれくらいの時間作用するのか。そして、古竜が座して見守るだけなのかといったところか。
もし、人の宝珠による支配に限界があるのであれば、そこでワドウ・レンカの攻勢は一段落する。
有力な将軍もいるようだから、それで終わりではないだろう。しかし、普通の戦場が戻ってくれば、一方的な展開も終わりを告げるに違いない。
古竜の動きは、まったく読めない。
人の世には干渉せず、ただ竜帝に相応しい者が現れたらお墨付きを与えるだけ。もしそうなら、古竜の存在は計算から排除せざるを得ない。
逆に、世を乱す者に誅伐を与えるような存在なら、そろそろ動き出してもおかしくはないはずだ。
ドラゴンとなると、ユウトたち――特に、ヨナ――相手には歯が立たない印象もあるが、本当に古き存在であるならば、話は違ってくる。
それに、そもそも、気軽にドラゴンを倒すユウトたちがおかしいとも言えた。
単純に人の宝珠を使って支配地域を広げているだけならば、古竜が集まったら鎧袖一触してしまえるだろう。
「不確定要素が多すぎるな……」
あまり興奮させたくないため後回しにしていたが、スイオンから、ワドウ・レンカと直接会った際の印象を聞くべきだろうか。
そもそも、人の宝珠で人心を縛っているということだが、民の暮らし向きも、兵の戦い振りも具体的なところは分からない。
今の話だけで、ワドウ・レンカをどうすべきか結論が出せそうになかった。
実際に、行くしかないのか。
ヴァルトルーデが、子を身籠っている、こんな状況で。
「とりあえず、スイオンさんが脱出したあと、さらにワドウ・レンカの支配地域は広がっていると見るべきでしょうね?」
「……認めるのは口惜しい想いがございますが、そう考えるべきでござろう。そう、西から来たという、黒衣の将軍。彼の者の手腕も――」
「ちょっと、待った。西? 西から来た?」
リ・クトゥアの西とはつまり、このロートシルト王国の周辺。
そちらからやってきた、黒衣の将軍。
黒衣の男。
「ユウトくん……」
「まさか……。いや、そんな短絡的には……」
「心当たりが、ございますか?」
不思議そうに聞くスイオンに、ユウトは曖昧にうなずいた。
「黒衣の将軍。彼の者の名は、レイ・クルス。戦上手に加え、万夫不当。抵抗する者には一切の容赦をせぬ戦い振りにて、悪鬼羅刹と恐れられてござる」
レイ・クルス。
黒衣の剣士。堕ちた英雄。復讐者。剣とともに生き、剣とともに滅びる者。
「その名を、ここで聞くことになるとは……」
それ以上は、ユウトもアルシアもなにも言えない。
そのタイミングを見計らったかのように、時計塔の鐘が鳴る。
この日の面会は、こうして幕を閉じた。
 




