2.帰還と報告
「師匠ーーッッ!」
「うおっ。テンション高いな、ペトラ」
一人、《瞬間移動》の呪文でハーデントゥルムの港へやってきたユウト。
単なる偶然か、それともなにかの導きがあったのか。ユウトが出現したのは、ツバサ号が停泊している場所の目の前。
ツバサ号の純白で優美な船体が視界に入った瞬間。
既に下船していたらしい。ペトラが、猛然と抱きついてきた。まるで、久々に飼い主と再会した犬の尻尾のように、アッシュブロンドのサイドテールが揺れる。
「師匠、師匠、師匠、せんせーーーい!」
「ちょっと、待て落ち着け」
全身を押しつけるようにして、喜びを表現するペトラ。
ユウトは、押し倒されないようにするのがやっと。いや、それも無駄な抵抗かもしれない。南方への航海中、レラに鍛えられたペトラは長足の進歩を遂げていた。
そこに、ユウトと再会した喜びが重なったのだ。恐らく、数十秒もすれば、抵抗虚しくのしかかられてしまうことだろう。
久々に会った弟子は、成長していた。
できれば、精神的にも成長してほしかった。
以前は、ここまであからさまなスキンシップは取らなかったことを忘れ、ユウトは苦笑を浮かべる。
「だって、こんなに早く師匠に会えるなんて思っていなかったですから」
「やれやれ。俺でこれなら、真名に会ったら、どうなることか……」
「え? 真名さんですか?」
予想していなかった友達の名前を聞き、ペトラが首を傾げる。
「ああ。そっちもいろいろあっただろうけど、こっちもいろいろあってな」
「なるほど~」
南方遠征では本当にいろいろあったので、ペトラは、それで納得してしまった。
その隙を逃さず、ペトラの肩を二、三回労るように叩いてから、ユウトは彼女を優しく引きはがす。
「それで、戻ってきたのはツバサ号だけ? イブン船長たちは? あと、リ・クトゥアからの漂流者がいるって話だけど?」
とにかく状況を確認したいと、矢継ぎ早に質問をするユウト。
焦っているというよりは、曖昧な部分をはっきりさせたいという気持ちのほうが大きい。それと同時に、余裕を失っているのも確かだ。
地の宝珠に残留思念として残る竜帝から伝えられた異変に、根拠が産まれたようなものなのだから。
「ツバサ号だけで先行しました。残りの船も、数日中には到着する予定です」
「なるほど」
クレスもこちらに近づいてきて、ペトラの代わりに答えてくれる。
どうやら、地上に降りたのはクレスとペトラの二人だけのようで、連絡をくれたラーシアもいない。本業が忙しいのだろう。
そのクレスも、肌が日に焼け、一層精悍になっていた。
落ち着いた面持ちから、困難を乗り越えた末の成長を感じる。
「とにかく、無事に帰ってきてくれて嬉しいよ」
満面に笑みを浮かべ、ユウトはクレスに握手を求めた。
「……はい」
クレスは驚き、次いで感慨深そうに手を握る。
その様子をうらやましそうに眺めていたペトラだったが、弾かれたように二人の間に割り込んで存在を主張する。
「私も、がんばりました!」
「分かった、分かった。話なら、あとでちゃんと聞くから」
そう。あとでだ。今ではない。
まずは帰還を心から労ったユウトだが、急いで報告すべき事態が発生したことも理解している。それも、《伝言》では伝えきれない事態だ。
「盛大に歓迎したいところだけど、リ・クトゥアでなにか起こっているのなら、俺にも無関係じゃない。先に、その漂流していたっていう人に直接話を……」
「それが……」
「まさか、もう?」
「いえ、生きてます。衰弱していましたが、命は取り留めています」
「それは良かった」
単純に、生きていてくれて良かった。
それに加えて、アルシアに負担をかけずに済んだという安堵で、ユウトは軽く息を吐く。
「ということは、まだ話ができるような状態じゃないということかな?」
「はい。船医の診断では、安静にしたほうが良いと。今は、ミルシェさんがついてツバサ号の船室で眠っています」
ペトラとパーティを組んでいた、太陽神フェルミナの司祭ミルシェ。彼女のことは、ユウトもよく知っていた。
もちろん、アルシアには及ばないが、それは比較対象が悪いだけ。小康状態を保っているようだし、ミルシェに任せておけば問題はないだろう。
「分かった。よく助けてくれた。ありがとう」
アルシアを呼んで、今すぐ呪文で回復させることは可能だ。
しかし、リ・クトゥアからの漂流者をいつ助けたかまでは聞いていないが、それなりに時間が過ぎていることは間違いない。
ならば、ある程度、自然回復に委ねたほうが、長期的に見れば体には良いだろう。
それに、話の内容によっては、精神的な負担が発生することも考えられる。となれば、やはり、自然な回復を優先すべき。
非常時となったら、その限りではなくなるだろうが。
「ところで、街のほうが賑やかですが、なにかあったんですか?」
「そうか。そこからだな」
ユウトは優先順位を整理し、クレスとペトラの二人に告げる。
「疲れているところ悪いけど、まずは情報交換といこうか」
ユウトは、クレスとペトラだけを連れてファルヴの城塞へと帰還した。
リ・クトゥアからの漂流者はハーデントゥルムの施療院に収容し、経過を見ることにしている。明日にはアルシアにも診断してもらい、その後の予定を決めることになる。
「はあ。イスタスの大祭ですか……」
「そう。目的は、飲み食いして、騒いで、消費する。それだけだ」
「ストレートな」
カグラはメインツにいるため、ユウトが自分でハーブティーを淹れ二人をもてなす。
まずイスタスの大祭について説明をしていると、いつもの執務室にまで、騒ぎの喧騒が聞こえてくる気がしてきた。
「楽しそうです!」
「ああ。楽しんでくれたら、俺も嬉しい」
応接スペースのソファに座りつつ、控えめに言うユウト。だが、盛況ぶりはわざわざ確かめるまでもない。街にいるだけで、伝わってくるはずだ。
「ヴァルトルーデたちには俺から伝えるから、そっちの話も聞かせてくれ」
メインツで別れた妻と婚約者たちには、既に《伝言》の呪文で事情を伝えてある。そうして、しばらくメインツで過ごしたあと、馬車鉄道でファルヴへ戻ってくることになった。
祭りの期間中に仕事をするのは、自分だけでいい。
ユウトは、そう割り切っていた。
「じゃあ、私が活躍したお話を!」
「それよりも漂流者の話が先だろう」
あきれたようにクレスがペトラを押しとどめる。
彼の冒険者仲間であるサティアが同席していたら、「これだから、クレスは……」と言われかねない態度だったが、どちらかというと、ユウトの認識もクレスに近い。
「悪いけど、まずは、リ・クトゥアの話を把握しておきたい」
「師匠……」
「あとで、ちゃんと時間取るから」
ペトラをなだめつつ、ユウトはクレスに話を促す。
言質を取られた格好だが、ユウトも、そしてペトラも気づいていない。
「まともに話ができない状況だったのですが……」
懐から帳面を取り出したクレスが、それに目を落としながら語り出す。
「それでも、うわごとで意味が分かる言葉がいくつかありました」
ファルヴという地名。それに、ユウトの名前。
それは別個のものではなく、ファルヴに住むアマクサ・ユウトという人物を意味しているようだった。
「それから、宝珠。あと、違っているかもしれませんが、ワドウ・レンカという名称も繰り返し出ていました。でも、イブン船長も誰も、聞いたことがありませんでした」
「俺も同じだな……。なにか持ち物から、分かったことは?」
ユウトの確認に、クレスは首を横に振って答える。
「ドラゴンを象った聖印だけしか。他は、わずかな食料と水だけでした」
確かめられた情報は、これだけだと。
「なんか、あやふやな情報で、申し訳ないですけど」
「いや、空振りならそれで良い。いや、そっちのほうが良い、かな」
まとめた情報を伝え終えたところ、自分でも曖昧で情報量もないと気づいたのだろう。
しかし、しゅんとするクレスに、ユウトは笑顔を向ける。
「宝珠、ワドウ・レンカ、そして、俺か……」
ワドウ・レンカという人間――人名であればの話だが――は知らないが、逆に、ユウトの名前はリ・クトゥアでは、誰も知らないはずだ。
知っているのは、一騎打ちをしたヒウキぐらいのものだろう。
そのヒウキにしても、ユウトが地の宝珠を受け継いでいることは知らないはず。
しかし、知る手段がないかといえば、それも答えは否だ。
「神託か、あるいは他の宝珠からの情報か……」
考えに沈むユウトを、ペトラとクレスが不思議そうに眺めるが、大魔術師は気にした様子もない。
ただ、自らの思考に意識を集中させる。
どの神と特定はできないが、ユウトが地の宝珠の後継者となっていることは、神々が知ろうと思えば簡単に把握できる情報だろう。
そして、相応しい理由があれば、その情報を自らの信徒へ託すことも充分あり得る。
さらに言えば、地の宝珠を守ってきたジンガとカグラの兄妹は、竜神バハムートの司祭でもあった。
件の漂流者も竜神の信徒であり、その加護のお陰でリ・クトゥアからこちらまで漂流することができた。こう考えることもできるのではないか。
すべては、地の宝珠の後継者であるユウトに会うために。
ただの推測。
偶然にすぎない。
まったく、的外れの可能性だって高い。
それが、常識的な判断。
「まあ、覚悟はしておくか」
しかし、そんな常識など関係ないと。
ユウトは、軽く笑った。