8.イスタスの大祭(中)
ヨナのラーメンには心底驚かされたユウトたちだったが、いつまでもその場に留まるわけにはいかなかった。
純粋に商売の邪魔になるとか、ヴァルトルーデが何杯でも食べようとするとか、理由はいろいろあった。だが、他にも回るべき場所がいくらでもあるというのが一番の理由だ。
「でも、劇場にはいかないわよ?」
腕を組む……というよりは、ユウトの左腕を両手でがっちりと掴みながらアカネが言う。半ば体重を預けるような格好で、黒竜衣越しでも、その熱と柔らかさは感じられた。
歩きにくいし周囲の視線も気になるが、プラスかマイナスかで言えば、プラスだろう。
「劇場に行くという話はしてないけど……」
「それに、私たちなら、わざわざこのタイミングで行く必要はないのではなくて?」
なぜか必死なアカネへ、ユウトとアルシアから否定の言葉が投げかけられる。
特別扱いというわけではないが、望めば好きなタイミングで貴賓室を借り切ることもできるのだ。というより、一般の客席に紛れ混んだら劇場側にとっても迷惑だろう。
無料開放され混雑する大祭の時期に、無理をさせることはない。
その理屈は、アカネも分かっていた。
分かっていてなお、来訪者の少女は言葉を重ねる。
「観劇だけじゃなく、様子を見に行くのもNGなんだからね」
「アカネさん、なにもそこまで……」
ユウトを挟んで反対側を歩くアルシアが、率直に疑問をぶつけた。
アカネは、注目を浴びることを忌避している。
それはアルシアも理解していた。
だが、『亡国の姫騎士と忠義の従士』は、アルシアから見ても素晴らしいものだった。
恥ずかしがる必要など、どこにもないではないか。早く、続きを見たいとすら思っている。
しかし、素直な称賛は、作者へは届かない。
「続きはいつ完成ですかって、催促されるのよ……」
いや、届かないというよりは、跳ね返されたと言うべきか。
「お、おう」
注文があるうちが華じゃないか。
そんなありきたりのフォローは、淀んだ瞳のアカネへは通じそうになかった。
「では、次はどこに行くのだ?」
そんな事情などお構いなしに先頭を進んでいたヴァルトルーデが、唐突に立ち止まる。
両手に花を抱いているユウトとは異なり、彼女は両手に肉や魚介の串焼きを抱えていた。
妊娠中だから、二人分食べないと……というわけでは、もちろんない。
先ほどラーメンを食べた分もあわせても、まだヴァルトルーデの一人分には足りないぐらいなのだから。
「フォースアラインの大会も開かれるようだが、見学していくか?」
ダイエット不要な聖堂騎士へ向けられるアカネからの羨望の視線には気づかず、この花嫁広場で開催予定のイベントを口にするヴァルトルーデ。
フォースアラインはブルーワーズで人気の高いカードゲームで、配布されたカードで決められた役を揃え、高得点を目指す。どんな村にも最低一組はあり、農閑期には盛んに行われている遊戯だ。
そのため、ヴァルトルーデもルールぐらいは知っている。嘘が吐けないうえにポーカーフェイスもできないため、ルールを憶えたてのユウトにも惨敗した程度の腕前ではあるが。
金をかけるのが一般的だが、イスタスの大祭ではポイントを競い合う方式を採用している。その代わり、上位入賞者には賞金が出ることになっていた。
「いや、知り合いも出ていないからな。見たいなら、別にそっちでも構わないけど」
ヴァルトルーデより強いユウトではあったが、特にはまっているというわけでもない。積極的に観戦したいとは思っていなかった。
もっとも、彼がもう少し情報を持っていれば選択結果は違っていたはずだ。
たとえば、フォースアラインの大会に、子供のようにしか見えない金髪と黒髪の夫婦が参加しているという情報を得ていたならば。
しかし、未だ完全な神ならぬユウトたちは、そこまでの情報を持ち得ない。
「そうか。では、闘技場へ行くのだな?」
「あっちは、エグザイルのおっさんの仕切りだからな」
参加できない――というよりは、させられない――ヴァルトルーデに、ストレスが溜まるだけかもしれない。そう思ったのだが、本人はまったく気にしていないようだ。
その辺りは、さすがに吹っ切れたのだろう。
ユウトはそう思ったのだが、アルシアの意見は違った。
「どうやら、ユウトくんといろいろ見て回れる嬉しさで、細かいことは忘れているようね」
「そんな。いくらヴァルだからって、そこまで単純じゃ……」
その推理に、ユウトは首を横に振って反対する。
最も付き合いが長いアルシアの見立てとはいえ、それはあまりだろう。
「なにをしているのだ、三人とも。時間は有限だ。早く行くぞ!」
いつの間にか、ヴァルトルーデの両手から食べ物が消えていた。
身重のはずだが身軽なヴァルトルーデが、ユウトの背後に回り、その背をぐいぐいと押していく。
まるで、子供のよう。
だが、筋力は子供どころか、ドラゴンにも匹敵する。当然ながら抗することもできず、ユウトたちは神の台座へと押しやられていった。
「勇人、素直な感想をどうぞ」
「……こういうところも、可愛いと思う」
「それはそれは……。でも、あたしとしても、わりと同意なのよね……」
困ったものだと、視線を交わすユウトとアカネ。
しかし、もっと困った事態になるのは闘技場に到着してからだった。
「相変わらず、勇壮だな!」
最上階の貴賓室から筋肉のぶつかり合いを目にするヴァルトルーデの表情は、ごちそうを前に「待て」と命じられた犬のようだ。
眼下のフィールドで行われているのは、岩巨人たちの伝統競技ラ・グ。
投手役がボールに見立てた岩塊を投げ、打者役の岩巨人が棍棒で打ち返し、それを捕球した別の岩巨人が打者役がいる場所へと駆け出し――乱闘となる。
筋肉は軋み、骨は折れ、血が流れる。
だが、それに怯むことなく。むしろ、それでボルテージが上がり、フィールド内も観客たちも熱狂の度合いが増していく。
例外は、ヴァルトルーデを除いたユウトとその配偶者たちぐらいのものだろう。
「相変わらず、わけの分からんルールだな……。バットもボールもいらねえだろ。まあ、殴り合いに必然性を持たせたいだけのルールなんだろうが……」
「ルールはともかく、ヴァルはうずうずしてるみたいだけど?」
「……ヴァルが飛び入り参加しなければ、それで良いわ」
ユウトが岩巨人の無茶苦茶さにあきれている一方、アルシアは達観していた。
この貴賓室からだと、本当に飛んでいくことになってしまう。
ファルヴの大武闘会で優勝したユウトの下へ飛んでいったときのように。
「まったく、私を聞き分けのない子供のように。もう何ヶ月もしたら、私は母親になるのだぞ? そんなことをするはずがあるまい。うずうずもしていない。ただ、血が沸き立つだけだ」
珍しく長広舌を振るって、ヴァルトルーデが反論する。
しかし、それが成功しているとは言えなかった。
「俺としては、妊娠しているとかに関係なく、参加は見合わせてほしいんだけどな」
「……アルシアやアカネは仕方がないにせよ、ユウトはもう少し盛り上がっても良いのではないか?」
「魔術師に無茶言うなよ」
身を乗り出さんばかりに観戦していたヴァルトルーデが、納得がいかないと言わんばかりに頬を膨らます。
愛らしさと美しさが入り交じった聖堂騎士は至宝と表現すべきものだったが、それと言い分を認めるかどうかは別問題。
「なにを言うのだ。理術呪文も、立派な戦力になるだろう。むしろ、戦略の幅が広がるのではないか?」
「いや、戦略って」
力こそパワーと言わんばかりのラ・グに戦略もなにもないだろう。
そう反論しかけたユウトは、なにかに気づいたように神妙な表情になる。
「……ありえるな」
普通に考えれば、あの場で呪文を使用するなど反則だ。そもそも、使おうとも考えないだろう。
普通は。
しかし、岩巨人とラ・グが普通なはずがなかった。嬉々として新要素を受け入れることだろう。
「まあ、そこは気づかなかったということで……」
ラ・グの新境地を開いたかもしれないそのチャレンジは、しかし、実行されることなく闇に葬られた。
「それにしても、修練場でのイベントはやけに多いわね」
若干不穏になりつつある雰囲気を察したアルシアが、さも今思いついたかのように話を変える。
「ラ・グのほかは、ミニ武闘大会に、修練場のアスレチックを使ったイベントだな! 来年こそは、私も参加するからな」
「来年なら、大丈夫……なのかな?」
来年にはとっくに子供が生まれているはずだが、その後、どの程度したら体調が戻るかまでは、ユウトの知識にない。
答えを求め、フィールドで繰り広げられている暴力と血の競い合いから、隣に座るアルシアへと視線を移動させる。
「そのときには、私が診断するわ」
「なら安心だ」
「だから、診断結果が不許可だった場合には、頑張って止めてちょうだいね」
「安心だけど、責任重大だ……」
とはいえ、ヴァルトルーデだ。案外、出産した翌日から元気に動き回るような気がしないでもない。
「ん?」
よく分かっていなさそうな顔で、ヴァルトルーデは首を傾げる。
「そういうことなら、産むのは双子か三つ子が良いな」
「……あたし、ヴァルのそういうところ、凄いと思うわ」
子供は何人でも欲しい。
しかし、妊娠の度に行動が制限されるのはいかんともし難い。
ならば、一度に何人も産めば良い。
その理論に、アカネはあきれるのではなく感心していた。
「勇人、頑張らないと!」
「俺が頑張って、どうにかなる問題なのかなぁ……」
「……えっと、名付けとか?」
「そういえば、向こうへ行ったときに名付けの本とか買って、候補をいくつか考えてみたんだよな」
「ほう。そうなのか」
ユウトへと向き直り、興味津々とヴァルトルーデが瞳を輝かす。
視線は、アルシアからも感じられた。
「まあ、まだ意味とかは置いといて、こっちでも向こうでも通じる名前をいくつかピックアップしただけだけど……」
軽いプレッシャーを感じながら、ユウトは携帯電話を取り出した。
そして、メモ帳アプリを呼び出して候補を読み上げる。
「音だけだと、カイ、クルト、レオなんてのが良いかなって。漢字にすると、『魁』って字でカイとか」
「島田魁の魁ね」
「大きくて堂々としてるとか、先駆けの意味だったりとかだな」
今読み上げたほかに、女の子の名前も含めて発表していく。
その間、ヴァルトルーデもアルシアも無言で聞き入っている。ラ・グと観客の喧騒が遠くから聞こえてきて、ユウトは不思議な感覚に囚われる。
「――もちろん、俺一人で全部決めるわけじゃないけど、まあ、たたき台としてね」
「いや、謙遜することはないぞ。どれも、良い名ではないか」
「気に入ってくれたのなら――」
「候補にするだけでは忍びない。やはり、双子か三つ子が良いな!」
「お、おう……」
話が変わったようで、変わっていなかった。
闘技場から、ユウトは天を仰ぐ。
空は青く、そこを赤火竜パーラ・ヴェントが苛立たしげに遊弋していた。