7.イスタスの大祭(前)
1話で終わらせるつもりでしたが、5000文字を超えても終わらなかったので分割です。
「皆、目一杯楽しんでくれ」
ユウトとの結婚式を執り行った、ファルヴの花嫁広場。
その中央に設えられた舞台上からヴァルトルーデが発した開会宣言で、一週間にも亘る大祭の幕が開いた。
しかし、そこに集まった人々は、あまりにも短い挨拶に戸惑いを隠せないでいる。長々と話を聞きたいわけではないが、これでは拍子抜けだ。
それに、颯爽と舞台から下りていくヴァルトルーデには、羨望と失望の視線も注がれていた。もっと、美しく自慢の領主を見ていたかったという願望もあったかもしれない。
「《火球》」
だが、それを予期していたように、火炎弾が打ち上がった。
「《火炎使い》」
それは広場の上空で弾け、次いでその炎の飛沫ひとつひとつが色とりどりの花火となる。
範囲内に爆炎をまき散らす第三階梯の理術呪文《火球》。それだけでも開会の合図としては充分だが、そこに火炎を操作する第二階梯の理術呪文《火炎使い》を重ねることで、一幅の絵画のような光景を現出させた。
本来の《火炎使い》は、火元から煙を噴出させたり、花火もそれによって一時的な盲目状態を引き起こしたりと、戦場を制御する効果がある呪文だ。
もっとも、昼間ではその美しさもほとんど伝わらず、効果範囲から外れているため花火の閃光も目つぶしにはならない。
「さすが、2秒スピーチのヴァルトルーデね」
「パクリの上に、語呂が悪くねえか?」
「でも、ヴァルは満足そうよ」
「まあ、あれが心からの言葉であることは間違いないからな……」
挨拶を終えた聖堂騎士が得意げな顔で、こちらへ近づいてくる。
それを視界に収めながら、一仕事終えたユウトが、隣にいるアカネとひそひそ語り合っていた。
当然と言うべきか、アルシアも一緒にいるのだが、今も無言で天を仰いでいる。覚悟を決めてダークブラウンの瞳を晒しているが、もちろん花火に見とれているわけではない。
「挨拶ならきちんと考えてある」と、自信満々に言い切ったヴァルトルーデを信じて送り出した結果がこれだ。心中穏やかでないのは、ある意味当然。
通常なら原稿を作ってそれを読ませるところだが、残念なことに、それはできない。というよりは、文字が読めない。そして、ヴァルトルーデの創作言語では、スピーチを作れない。
これが、長きに亘り続くイスタスの大祭の開幕を告げる挨拶として定着することになると知っていたら、アルシアは今以上の後悔に見舞われていたことだろう。
「待たせたな」
「全然、待ってないけどな」
「お約束の台詞なのに、紛うことなき真実なのよねぇ」
即座にスピーチを終えたヴァルトルーデが合流し、これで今日のメンバーは全員揃ったことになる。
それと同時に、時計塔の鐘が鳴った。ヴァルトルーデの挨拶が常識的な長さであったなら、花火と一緒に鳴り響いていたはずだ。
「さあ、ユウト、アルシア、アカネ。私たちも行くぞ。時間を無駄にしている暇はない」
とても妊婦とは思えない軽快さで、ヴァルトルーデが促す。ゆったりとしたドット柄のワンピースを身につけているため、外からも妊婦には見えなかった。
「ヴァル、あなたね……」
「アルシア姐さん。気持ちは分かるけど、ほら」
「……そうね」
憂い顔を浮かべていたアルシアも、ユウトに手を引かれ一緒に歩き始める。
せっかくのお祭りだ。お説教を始めてもつまらない。
そう考えることにしたのだろう、アルシアはユウトの手を握り返し、喧騒へと分け入っていく。
先ほどまで戸惑いを見せていた人々も、花火を開始の合図として移動を開始していた。まずは、祝いの酒を振る舞っている一角を目指す者が多いようだ。
様々な慶事を祝し、神々に感謝を捧げるため――という題目で執り行われることになったイスタスの大祭。
あえて『様々』の部分に関して明言しないようにしているが、そこかしこで行われている乾杯の音頭として、ユーディットやヴァルトルーデの懐妊に、ユウトとアルシアの結婚を祝う言葉が使われていることから、意図は伝わっていると見て良いだろう。
開催期間は一週間と、かなり長い。そのため、無理に休日扱いとはせず、日常に祭りの雰囲気が溶け込むことになりそうだ。
神殿では特別に祭礼や儀式を執り行い、美神の劇場も無料公開されることになっている。
花嫁広場には様々な屋台が建ち並び、噂を聞きつけやってきた吟遊詩人や大道芸人が道行く人を楽しませることになるだろう。
ユウトたちも、いくつかの行事に参加したり、食事会を主催したりと、スケジュールはそれなりに詰まっている。
「まあ、今は開催にこぎ着けられたことを喜ぼう。怒濤のような準備期間だったからな……」
四人揃って目当ての店へ向かいながら、ユウトは未来ではなく現在に思いを馳せる。
「そうね。クロードさんたちは、今頃、疲労困憊なんじゃない?」
「いや、レンと真名に頼んで魔法薬を差し入れてもらっているから、そこは大丈夫」
「……なんだか、そっちのほうがブラックな感じがするわね。こう、どうせ後から生き返るから大丈夫みたいな」
「そ、その分、ボーナスは出してるから」
待遇は良いが、激務。
その逆よりは正しいが、そこはかとなく理不尽さを感じるのはなぜなのか。
「まあ、それはともかくとして」
ユウトは、アカネに追及されるよりも早く、あっさりと現在の疑問を投げ捨て、これからのことを口にした。
「まさか、ヨナが店を出すとはな……」
「うむ。驚いたが、今は楽しみのほうが大きいぞ」
数歩先を進んでいたヴァルトルーデが、太陽というよりはおひさまと形容したくなる笑顔を浮かべて振り返った。
スカートが翻る様が、目にまぶしい。
その光景はあまりにも鮮烈で、吟遊詩人の歌声や、周囲の喧騒が遠くに感じられる。
「食べ歩きをしてきた経験を生かして、美味い物を食べさせてくれるに違いない」
「なんだか、ユウトくんとは別の意味で心労が絶えないわ……」
ダークブラウンの瞳に光輝くヴァルトルーデの相貌を映しながら、それとは対照的にアルシアの心配の種は尽きない。
今も、繋いだままのユウトの手から伝わる体温がなかったら、どうなっていたか分からないだろう。
「せめて、なんの店を出すか教えてくれれば、まだ覚悟もできたのに」
「そこ、覚悟なんだ……。ほら、ヨナとしては俺たちを驚かせたいんじゃないの? それなら、アルシア姐さんには、秘密にするのも当然だし」
「まあ、ヨナちゃんがプロデュースするのなら、変なことにはならないんじゃない?」
アルシアとは反対側で腕を組んでいる状態で、ヨナの舌は確かだとアカネが保証した。
「それもそうだよな。戦闘が絡まなければ、心配する必要もない……はず」
イベントで、自作のラーメンをサポーターに振る舞うサッカー選手もいる。好きこそものの上手なれとも言うし、門外漢に思えても、上手いことやってくれるのではないか。
ユウトは、そう希望を口にした。
そんな彼だが、両手に花どころではない今の状況は、非常に目立つ。
だが、特に照れている様子もなく、平然と周囲の視線を受け止めていた。
下手な反応をしたら、もっと酷い状態になると分かっているのだ。
「確かに、ヨナがラーメン屋を出したら、あれだな。今日はスープの出来が悪いから店を開けないとかやりそうだな」
「黒いTシャツ着て、頭にタオル巻いて?」
「そうそう」
ユウトとアカネの二人しか分からない会話が弾む。
しかし、先を行くヴァルトルーデも、隣にいるアルシアも気にした様子はない。
今ひとつ理解はできなかったが、頭にタオルを巻いたヨナを想像したら、意外と似合っていた。
――というのもあるが、会話に混じれないからと気を揉むほど浅い関係ではなくなったというのが、一番の理由かもしれない。
「そろそろ、ヨナが借りているスペースだぞ」
ヴァルトルーデが、人混みをするする抜けていく。
彼女の頑健な肉体は、身重だろうと関係ないようだ。
「もう、行列ができているみたい――」
繁盛しているようだと、アルシアが少しだけ嬉しそうにする。
いや、甘いところを見せまいとしているだけで、内心は手放しに喜んでいるのではないか。
そうアルシアのことを観察していたから、ユウトは気づくのが遅れた。
「……なんで、ジイさんがいるんだよ」
ヨナが出している屋台。
そのなかで、竹を使って麺を打っているヴァイナマリネンに気づくのに。
「がははははは。驚いただろう」
「驚かせたかっただけだろう!」
ユウトが膝から崩れ落ちなかったのは、両手に花だったから。
もし妻と婚約者の支えがなかったら、行列に並ぶ人たちの前で醜態をさらしていたに違いなかった。
「力が足りなかった」
ユウトたちが来たのに気づいたヨナ――当然ながら、黒いTシャツでも、頭にタオルも巻いていない――が、短距離の《テレポーテーション》でこちらに転移してくる。
そして、ヴァイナマリネンを助っ人として呼んだ理由を簡潔に語った。
「気にすることはないぞ。確かに、白い嬢ちゃんじゃ麺を打つには筋力が足りんからな」
「そういう心配はしてねえけど、ほんとに物理的な意味かよ」
「エグは忙しそうだった」
「大賢者様は、もっとお忙しいんじゃないんですかねえ!」
ユウトが悲鳴にも似た抗議をあげるが、ヴァイナマリネンは呵々大笑するのみ。予想通りの反応が得られて満足だと言わんばかりだった。
「というか、これラーメンの屋台なの?」
ブースの内部では、ヨナのクラスメートたちが忙しなく動いている。
ユウトから離れ、裏からそこへ入っていくアカネだったが、口に手を当て、驚きを隠せないでいた。
「マナに頼んで、使い捨ての器とかフォークを用意してもらった」
「それは良いんだけど……」
再び《テレポーテーション》で舞い戻ったヨナが、無表情で種明かしをする。けれど、アカネはそんな言葉しか返せない。
それは、厨房の光景に圧倒されたから。
ヨナがポケットマネーで購入したのだろう。魔法具のコンロをいくつも使い、麺を茹で、スープを取っている。
スープは鶏ガラと数種の野菜を使って作る本格的な物。チャーシューや煮卵もあり、醤油だれの香りも香ばしい。
「塩湖からかん水を持ってきたり、素材を美食男爵と吟味したり、頑張った」
「そうなんだ……」
ユウトたちが来ても、関係ない。ヨナのクラスメートたちは必死に客を捌き続け、次々とラーメンを完成させていく。
具は、チャーシューと煮卵。それに、ほうれん草やネギといったシンプルな醤油ラーメンだ。
しかし、ヨナの口振りからすると、使い捨ての発泡容器やプラスティックのフォーク以外。つまり、中身はブルーワーズの食材で揃えたのだろう。
このイスタスの大祭の準備期間を、試作に費やしたというのか。
ヨナは、いつも通りの無表情だが、どことなく自信ありげに見えた。
「ふっ。見た目は良くても、味はどうかしらね。私が、直々に見定めてあげるわ」
「望むところ」
「あれ? なんか、変なイベントが始まってないか?」
アルシアと手を繋いだままアカネを追いかけてブース内へ入ったユウトの言葉も、真剣勝負と火花を散らす二人には届かない。
そのとき、誰からともなく悲鳴にも似た歓声があがった。
「ドラゴンだ!」
わざわざ言うまでもない。
だが、言わずにはいられなかったのだろう。
誰もが天を指さし、間が抜けたように口を開けていた。
「ああ。パーラ・ヴェントのパトロールか」
優雅に空を滑空する赤火竜の姿に、誰もが見惚れる。
そんななかでも、ユウトは動じる気配を見せない。
なぜなら、同盟を盾に大祭の開催中、空中庭園リムナスをイスタス侯爵領の上空へと移動させ、定期的に巡回するよう依頼したのは、この大魔術師なのだから。
防犯パトロールとまではいかないが、定期的にドラゴンが上空を舞っているのだ。
祭りに便乗しようとした不心得者も、彼女の咆哮に恐れを成し考えを改めるというものだろう。
そして、そんな状況でもお構いなしに、ヴァルトルーデは一人、行列に並んでいた。
パーラ・ヴェントの姿が見えなくなった頃、ユウトたちもその最後尾へ移動する。
余程練習をしたのか。ほんの10分ほどで、ユウトたちはラーメンを手にすることができた。
顔を見合わせ、無言で一口。
「これは……」
「あの子は……」
「ヨナちゃん、やるわね」
「くっ、最初から二杯頼んでおくべきだったか」
ヨナがプロデュースしたラーメンは、予想以上に美味かった。