6.祭りの準備(後)
クロード・レイカーの性格と人生を一言で言い表すなら、頑固ということになるだろうか。
謹厳実直を旨とし、自らの仕事に一切の妥協を許さない。
その勤務態度は下級官吏の鑑と言えたが、同輩からすると扱いにくい存在でもあった。
手抜きも不正もせぬその姿は、確かに理想だろう。それは間違いないが、誰しも同じことをできるはずもない。それゆえに、理想なのだ。
そのため、ファルヴに来るまでの彼は、勤務態度に一定の評価をされながらも出世とは無縁の存在だった。端的に言えば、煙たがられていた。
ロートシルト王国の王都セジュール。そこで税務に携わっていたクロードは、子供も独立し、妻にも先立たれ、日々の業務を黙々とこなし、引退とその先にある死を見つめるだけの存在になっていた。
そこに、大きな転機が訪れたのは、ほんの数年前。
イスタス伯爵家の家宰に請われ、書記官として赴任することになったのだ。
実のところ、当初は乗り気ではなかった。
もはや自分に先がないと覚悟していたし、評価された勤務態度や能力も、クロードにとっては当たり前のことでしかない。
より相応しい人間に譲るべきだと、生真面目な老人は考えていた。
そこから一転、引き受ける気になったのは、当時のアルサス王子の推薦だと明かされ感激したこと。
もうひとつが、新たな上司となるユウトにあった。
ヘレノニアの聖女の高潔さは、素晴らしい。
だが、それだけでは立ち行かないことをクロードも理解していた。理解してもなお、自らは現実に迎合できなかった。
けれど、ユウトは、さも当然のようにクロードの生き様を肯定した。
収賄や横領を認めない。
職務の効率化。
そして、出自によらず実力で評価すること。
それらすべてを当然だと、受け入れてくれたのだ。いや、あの大魔術師は、最初からそのつもりだった。
実務に加え、その組織作りまで任されたのだ。
老人の血が沸き立つのも無理はない。
一からの組織作り。
健康保険や馬車鉄道といった、前例のない試み。
突然降りかかってくる、新たな事業。
そして、英雄の責務により発生する、領主や家宰の不在。
通常であればありえない、数々の困難。しかし、クロードはそれを乗り越え、屈強な官僚組織を整えるに至った。
彼でなければ成し得なかっただろうが、称賛の言葉を受け取ることはないだろう。
不正をする必要のない報酬を与えるイスタス家の給与体系、ユウトの処理能力、次元竜ダァル=ルカッシュの助力。
これらのひとつでも欠けていれば、どうなっていたか分からない。謙遜ではなく、クロードは本気でそう思っていた。
功績の在り処はともかく、新興貴族とは思えない陣容が整っているのは事実である。
そのため――
「披露宴だけじゃなく、もっと規模の大きなお祭りをやることにしました」
「かしこまりました。詳細をお伺いさせていただけますでしょうか」
――上長である家宰からの無茶な提案にも、眉ひとつ動かさず応えられる下地ができているのだ。
「重要なのは、消費の場を作ることだと判断しました」
ラーシアの話で気付かされた要諦を、クロードにも伝える。
必要なのはイベントであり、ユウトとアルシアの披露宴ではないのだと。
「確かに、その通りですな。いや、最初の要望がそれでしたので、囚われてしまいました」
「ええ。立場上、アルシアとの披露宴ということだと差しさわりがありますけど、ユーディット妃とヴァルトルーデの懐妊。それから、公爵への陞爵や南方遠征の成功なども含めたお祭りなら問題ないですから」
「なるほど」
その通りだと、クロードはうなずいた。
同時に、さすがユウトだと、深く感心する。
否定することは容易いが、そうすると否定の連鎖が発生してしまう。
咳払いをしたユウトは、執務机に腰掛けたまま、直立するクロードを見上げて話を続ける。
「まあ、その辺は適当に布告するとして、できればこれを定期的なイベント――例大祭としようかなと思っています」
通常は、神社で毎年行われる最も大きな祭礼を例大祭と呼ぶが、異世界で定義に囚われる必要もないだろう。
要は、その時々に行うのではなく、祝い事を決まった時期に行うことにする。それが、重要なのだ。
「時期は、いかがいたしましょう。お考えはございますかな?」
定例化する意義は、クロードにも伝わったのだろう。
意外と愛嬌のある笑顔で賛意を示し、具体的な調整に入る。
「南方遠征の船が戻るのは、だいたい一ヶ月ぐらい先らしいから……。それに合わせてで良いかな?」
「そうですな。祭りの期間を長めに取ることも検討いたしましょう」
さすがに、入港を待ってからでは調整が難しい。
自然が相手でもあるし、間に合わなければそのとき……という心構えでいるべきだろう。
最悪、イブン船長らをヨナに迎えに行ってもらうという手段もある。
それに、まずは、計画を立てるところからだ。
「では、イスタスの大祭実行班を組織し、ハーデントゥルム、メインツの代表とも詳細を詰めて参ります」
「まあ、最初だから、そんなに時間もかけられないし、軽くで」
イスタス家の所領で長く執り行われるイスタスの大祭。
その名が確定した瞬間だった。
「しかし、警備の者には可哀想なことになってしまいますな」
「ああ……。アレーナたちがいないんだった」
ヘレノニア神殿の主力は、南方遠征に参加している。
その分、イベントを陰ながら支える衛兵らには、申し訳ないことになってしまう。
「……そこは、やっぱりある程度の期間開催して交代で参加……いや、そうか」
申し訳ないと思いつつ、こればかりは仕方がないと諦めかけたユウトに、天啓が下る。
「心強い同盟者がいるじゃないか」
どうしても警備の人員を減らすことは難しい。
しかし、不心得者を減らすことはできるはずだ。
頭上に疑問符を浮かべるクロード老人を前に、ユウトは一人ほくそ笑んだ。
「さて、やるか」
誰へともなく宣言し、ユウトは秘宝具である地の宝珠を取り出した。
開催が決まったイスタスの大祭。
基本計画を任せることはできたが、それでユウトの仕事がなくなるわけではないのだ。
《飛行》の呪文で飛ぶ彼の眼下には、ロートシルト王国とクロニカ神王国を隔てる山脈がある。
地図上で破線が引かれているそこに、文字通り穴を開けるためユウトは一人訪れていた。
手にした、陽光を受けて輝く、美しい宝玉。魔力を一切感じられなくとも、その姿を目の当たりにするだけで、その価値と重みは伝わってくる。
地の宝珠は、はるか東方の群島リ・クトゥアで、ユウトが託された秘宝具。かつて、その地を統べていたとされる伝説の竜帝が所持していたという三つの宝珠のひとつだ。
しかし、竜帝亡き後は、方々に散逸してしまう。
そうして戦乱の世に戻ったリ・クトゥアだが、三つの宝珠を集め、五つの古竜に認められし者が次代の竜帝となって再び平和を築く――という伝説が、今でも信じられている。
否、外から見れば伝説に過ぎなくとも、リ・クトゥアの民にとっては真実だ。
天・地・人。三つの宝珠のうちひとつを手にするユウトは、しかし、竜帝となるつもりはなかった。一時的に預かっているだけで、ふさわしい人間が現れたなら譲るつもりでいる。
そんな自分が宝珠の力を借りることに葛藤もあったのだが、ヴァルトルーデから「いざとなったら、本当にリ・クトゥアを征服してしまえばいい」と言われ、吹っ切れた。
使いすぎれば、竜人へ恒久的に変化してしまうという警告も、他ならぬ竜帝の残留思念から受けている。
だが、それはつまり、あと3~4回程度は問題ないという意味でもあった。
「貴重なアイテムだからって、貯め込んだままクリアしちゃ意味がないからな」
アカネが聞いたら、「それは違うのよ」と反論されそうな台詞を呟くユウト。
その様を思い浮かべて微笑みを浮かべたが、すぐに目を閉じ精神を集中する。
「地の宝珠よ。偉大なる竜帝に連なりし秘宝具よ。その力を解放し、偉大なる者の威を示せ」
昆虫人の大群を生き埋めにしたときよりも深い精神集中。
地の宝珠は所有者の意思に従って黄金の輝きを放つ。
その刹那。
眼下の山脈から、大地震でも起こったかのような地鳴りが始まった瞬間。
ユウトの意識は、断絶した。
「よう、久しぶりだな」
「……その節は、お世話になりました」
気づけば、部屋のなかにいた。
目の前には、畳の上に脇息を置き、その上に寄りかかる竜人の男。
リ・クトゥアを統一した、竜帝。
ユウトは、その残留思念と再会を果たした。
「なに、良いってことよ。あの怖い女帝さんに捕まったまんまじゃ、こっちも不都合だからな」
気にするなと、竜帝が笑う。
人好きのする、カリスマとはこのことかと思わせる笑顔だ。
あとからペトラや真名から話を聞き、ヴェルガによって精神世界に捕らわれた際、助力してくれたことは分かっていた。
だが、こうして直接礼を言うことはできずにいたのだ。
さすがに、宝珠に向かって声をかけることは、はばかられたのがその理由。
「それよりも、だ」
「リ・クトゥアで、なにかありましたか?」
「話が早え」
ぽんと膝を打ち、竜帝は脇息から身を起こす。
「一応、向こうの情報は伝えてくれるように手配してるんですが……」
「こっちは、距離なんか関係ないからな」
「……良い話では、なさそうですね」
「さあな。だが、人と天の宝珠との感応が切れた。元々、俺たちは残りカスみてえなもんだが……」
「わざわざそう言うってことは、やっぱり、良いことじゃなさそうだ」
少なくとも、なんらかの変化はあったのだろう。
「分かりました。しばらく待っても情報がないようだったら、俺が現地で確認します」
「すまねえな」
「できれば、今の時期は避けたかったですけどね……」
ヴァルトルーデと一緒にいたいところだが、こればかりは、他人に任せるわけにはいかない。
それに、まだ地の宝珠の貸借人として動くべき状況かもはっきりしていないのだ。
「頼んだぜ、後輩」
「後輩になる気は――」
「お、もう時間切れだ」
ユウトの反論が終わる前に、再び風景が変わる。
元の国境地帯へと戻ってきたのだ。
風で揺れる髪を押さえながら、ユウトは軽くため息を吐いた。
「力の限界に見せかけて、わざとじゃないだろうな」
あり得る。
だが、確認する術はない。
ユウトは軽く頭を降り、気分を入れ替えることにした。
まずは、トンネルの具合を確認しなければならない。
情報収集は、その後だ。
その判断は正しかったが……リ・クトゥアの驚くべき情報は、意外なルートからもたらされることになる。




